ギャングスタ・リパブリカ 感想_悪は世界を変えていく (13975文字)
評価:★★★★★
悪は救い。とても大衆的。
目立つことは悪いことじゃない
悪は、他者の評価を顧みない
救世主は1人。 何人もいたら意味がない
いいんだよ、仲間なんだから
本当の悪行というものは、一見善行とも言える行為が巡り巡って最後に悪となるような行為なのです。
『大丈夫、悪があればできる』
<!>悪は世界を変える?ADV
プレイ時間 | 42時間 | ||
---|---|---|---|
面白くなってくる時間 | 最初から面白い | ||
退屈しましたか? | しませんでした | ||
おかずにどうか? | 使えないかなあ(Hシーン薄い) | ||
お気に入りキャラ | ギャング部のみんな!(こおり除) |
+++++
原画 | ミヤスリサ(宮栖里紗) |
---|---|
シナリオ | 元長柾木 |
音楽 | I’ve |
声優 | 紺野クレア(宮本 楚々音) , 夏野こおり(水柿 こおり) , 桐谷華(シャールカ・グロスマノヴァ) , shizuku(古雅 ゆとり) , あじ秋刀魚(時守 希) , 出馬瑤子(凛堂 禊) 嵐子(綿之原 七子) , 美空なつひ(稚咲 春日、眞鍋 梨都子) |
その他 | 松島詩史(ディレクター) |
公式HP│ ギャングスタ・リパブリカ
『ギャングスタ・リパブリカ』のポイント
・ 『悪』は世界を変える、とても納得的。
・ 救世主は衆生を救う、とても救済的。
・ 仲間はひとりぼっちを許さない、とても同胞的
キャラの好感度
愛してる!
ギャング部のみんな(こおり除く)はもうほんといいなあ……って思う。
シャールカ先輩はもう愛らしいほどに愛らしいし、希ちゃんはお兄ちゃん大好きでもう愛でたい、いやめでたい!! ぎゅっぎゅしてちゅっちゅしたいあああ。
禊とゆとりはかっこいいよねえ……。禊は覚悟と誇り。ゆとりは無垢さゆえの王者たる風格がさ。シビレルネー。
春日は友達になりたいなあ……いいこすぎてなでなでしたいあはは。
大好き!
宮本はほんとうにいい。
この年齢でミニ四駆や、ダックレース、紙飛行機をハイテンションで遊べるのって一種の才能だよなあ。
大人になることが、そういう遊びを忘れてしまうものなら、私はずっとこどものままでいい。それくらいに宮本の精神性が好きだ。
好き!
柳瀬は近所に1人いてほしい感じ。こんな兄ちゃんがいると毎日楽しいだろうなあ。一緒にお酒のんで日常の愚痴を語り合いたい。かっこよくはないけど、親近感湧くなぁ。
梨都子さんは、ゆるい顔つきのときは可愛いんだけど、いつも眉をよせているからきついイメージなんだよね。
こういう従者もなかなかに捨てがたく。
まあまあ
ぐぬぬ
水柿こおりちゃんは…………うーんそうねえ、相性が悪かったような気がする。在り方が正反対だものなあ……。
<!>ここから本編に触れていきます。
ギャングスタ・リパブリカ―悪党どもの共和国―
『ギャングスタ・リパブリカ』の血脈に流れているのは「少数派を救う」ただそれだけだ。
時守叶は言わずもがな世間からズレている。高校生にもなってミニ四駆を走らせ、学校で紙飛行機を飛ばし、ダックレースを全力で楽しむ。 傍から見れば、叶の行動は意味不明だろう。世間では彼を変人扱いするかもしれない。
それくらい叶は、周囲からズレている。
けれどそれは、悪いことだろうか?
高校生が小学生と遊ぶことや、虫採りではしゃいだり、学校内を探検することは悪いことだろうか? 悪くない全然悪くない。 叶は法を犯しているわけじゃないのだから。
けれど、人は思うだろう。
「……でも、高校生にもなってこれじゃダメだろう……」と。
なぜそう思う? なぜそれがダメだと言える?
私はこういう自分で考えて積み上げたものではない無意識な価値観を「倫理観」と呼んでいる。 常識、一般、ふつう、当たり前、~であるべき、マナー、道徳……それはすべて倫理観による考え方だ。
倫理観というのは大勢の総意。大勢の人間が◯◯はこうあるべきだという考えから端を発し、それは時代によって、国家によって、組織によって、集団によって移り変わる曖昧なものだ。これは絶対ではなく相対的なルール(決め事)でもある。
例えば
・食事中のクチャ食いはやめろ
・夜中に掃除機をかけない
・18禁グッズを子どもにみせるな
・列の横入りはだめ
・友達は助け合うもの
・歩きタバコはしない
・約束は守るべきもの
・借りたものは返す
・遅刻するべからず
時代を遡ると
・男は屈強であるべきだ
・女は可憐であるべきだ
・マンガは頭が悪い人が読むものだから、読んじゃだめ
・アニメは子どもだけが見るもの
根本的なものだと
・人を殺害するな
などがある。
そんな人に迷惑をかけないようにとするものから、その時代の理想とされるもの嫌悪されるもの忌避されるものが倫理観となって現れる。
そのときそのときの世界の「多数派」によって、倫理というルールが設定され、多数派が「是認」したものは「善」と呼ばれ、「否認」したものは「悪」と呼ばれる。
・歩きタバコをする人は悪だ
・人を殺したものは悪だ。
・列の横入りをする奴は悪だ。
そんなふうに「思う」でしょ? 歩きタバコする人はクソだとか、人を殺すやつは最悪だとか。
そして“いま”、この“国”で、時守叶の行動は悪いものとされている。高校生という年齢で、分別を弁えずはしゃいだり、子どものように振る舞うことを世間はよしとしない。
『悪い』は言い過ぎだとしても、『よくない』ことにはなっている。
現に叶はクラスメイトから距離を置かれ、地域住民からは「あれがこおりちゃんのお友だち?」と眉を顰められる。叶は……法律を犯しているわけでも、誰かに迷惑をかけているわけでもない。
けれど、そういう目線でそういう態度を取られてしまう。それは倫理に違反しているから。叶の行動は多数派の善しとしたことに外れてしまっているのである。
世界から外れてしまったもの、あぶれてしまったもの、異なっているもの、阻害されているものそれを少数派と呼ぶ。
少数派が自由に生きられるようになることが、『悪』
時守叶が提唱する『悪』は、私たちが思い浮かべる犯罪を犯したり、迷惑をかけることではない。
『悪』とは
「人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること」
である。
人がそうしたいと思う(=倫理)のとは
違うやり方(=善の行動に縛られない)で 、
人がそうなりたいと思うこと(=幸せ)を実現すること。
それが叶の『悪』だと考える。
善ではできない行動を、悪が肩代わりする。 善の意識では起こせない行動を、悪は難なく行動してしまう。
悪は倫理に囚われない。縛られていないからこそ、他人の目線を気にすることなく他人の気持ちを考えることなく行動できる。
悪は人々の共感を得られないかもしれない。
しかし、だからこそできることがある。共感の制約を受けることなく、人の運命に介入できるからだ。
(あの人)
少数派に属する人間は、多数派に排斥されないかどうかばかりを考えてしまう。
自分の特殊な考え方は、受け入れてもらえるだろうか?
私の愛している趣味は、理解されるだろうか?…
俺の生き方は、人とは違っているが大丈夫だろうか?……
そういった他人の目線によって、苦しんでしまう。他人にどう思われるかに躍起になって、自分の大事なものを押し殺して、噛みちぎりながら生きていくことになる。それを越えていくのが、『悪』なんだ。
多数派がそうであれと思う倫理とは
違うやり方(=善とされる行動ではないこと)で
自分がそうなりたいと思うこと(=幸せ)を実現すること。
世界の唯一の敵である悪だからこそ、世界の意に反して世界を変えることができるんだ。
(あの人)
「他人が自分をどう思うか」―――それに固執してしまっては、自分が成したいことを成せなくなってしまう。自己を殺し、感情を押し殺し、大切な心の『宝物』を噛み砕いってしまうことになる。
それに抵抗するのが『悪』である。
時守叶たち少数派は、世間から違っているからこそ少数派。 世間という多数派から異なっているからこそ肩身が狭くなるし、多数派が決めたルール(倫理観)に、言いなりになっていたら彼らの「自由」や「幸福」はどこにもなくなってしまう。
これは犯罪領域のことではなく、 趣味や思想、生き方の範囲での話をしている。
―――時守叶は悪と子供っぽさを
―――禊は厳格な救世主を
―――ゆとりは真っ白な無垢さを
―――希は子どもの世界を
―――シャールカは怠惰を
―――春日は悪の使徒を
―――こおりは平和主義を
ギャング部のみんなは世間から"ズレ”た感覚の持ち主だ。 『ガラクタ』を持った少数派であり、異端であり異質であり異なった者たちばかり。
けれどだからといって、彼らが幸せになってはいけないなんてことはないはずだ。自由を獲得してはいけないというわけじゃないし、『ガラクタ』を持った人でも、幸せになっていいし、自由に生きていい。
倫理を超える意志。自由になる決意。それこそが『悪』の信念。
個人の自由を侵害する行為。それは唾棄すべきもの
個人の「趣味」や、「思想」、「生き方」の範囲内であれば誰もが自由であっていいし、自由にそれを語れるくらいの社会であればいい。
けれど、多数派に属している人は不寛容だ。自分たちとは違う世界を認めることができず、他の社会を容認することが難しい。
なぜなら多数派に属する人たちは、自分たちを「正しい」と思っているから。正しさから外れている人たちのことを見るたびに、「おかしい人」と思考停止する。 生徒会の七子のように、近隣住民のおばさんのように、叶のクラスメイトたちのように。
彼らにとって「正しくないもの」は悪であり、許容する必要もなく、寛容になることもないんだろう。
他の社会に不寛容なんだ。
自分以外の世界のあり方に不寛容なんだ
(希)
不寛容なのはいい。それは仕方ない。少数派にだって理解できないもの1つや2つある。 叶が禊の信条を100%理解できていないように。
けれどしてはいけないのが、他人の自由への侵害だ。
「その生き方は、まちがっている」
「お前まだプチ四駆とかやっていて恥ずかしくないの?」
「こおりちゃん、あんな子と友達になるのは考えたほうがいい」
知るか。
私の世界にはある。私の世界に口出しするな
もし私の世界に口出しがしたいなら、オブラートを捨てて、直接殴りあうつもりで立ち向かってこい
――希/ギャングスタ・リパブリカ
配慮するなら口出しするな。
敵対し排撃する覚悟でかかってこい。
これは私という人間個人の誇りだ。
その誇りに敵対しようというんだ。
それ相応の覚悟できてもらわないと困る覚悟のない奴が口出しをするな
――希/ギャングスタ・リパブリカ
希が言うように、叶たちの人生に、信念に信条に思想に誇りに覚悟に趣味に口出しをしてはならない。それがたとえ「自分には理解できない」ものだとしても、覚悟も無い奴が人の自由意志にたいして口出しすること自体が"間違って”いる。もしもするのであれば排撃される覚悟を持てと、そういことだ。
私の生き方がいかに間違って見えても、
それは私の人生。
私の人生は私のもの。
これをどうするか決めるのも私。
私には、私の人生を間違える権利がある。
――禊/ギャングスタ・リパブリカ
禊がいうように、自分の人生は自分ものだ。好きなことも、考え方も運命すらも自分のものだ。 どう使おうと勝手なんだよ。
しかしこの論理は、きっと通じないだろう。多数派が占めるこの世界で、少数派は「悪い」のだから。「みんな」とは違うだけで、少数派は疎外されていってしまう。
人と違っているということは、人の尊厳みたいなものを、真綿で締め上げるように傷つけてゆく。
――叶/ギャングスタ・リパブリカ
時守叶は、少年性と非ループ欠損を
凛堂禊は、救世主という孤独な道を
古雅ゆとりは、無垢さゆえの他者廃絶を
時守希は、子どもの世界を大人の世界で貫き通す覚悟を
水柿こおりは、平和な世界の在り方に焦がれ
稚咲春日は、悪の使徒を信望し
シャールカ・グロスマノヴァは、怠惰な社会を夢見ている
ギャング部のみんなは、犯罪を犯しているわけでも、他人に甚大な迷惑をかけているわけでもない。自分が信じたことを、信条をただただ大切にしているだけだ。
…………好きなこと、考え方、生き方、これらはもっと自由であってもいいとは思わない?……
「……そもそも、趣味や特技や思想など。本質的に自分で決められるものじゃない」
「少数派に属する個性をもった人間が邪険に扱われるのだとしたら、それは差別以外の何ものでもない」
「そして体裁というものが通常多数派の定めたものである以上、少数派がそれに則ることが難しいのはあたりまえのことだ」
「それを勘案せず体裁に拘泥する生徒会など、生徒会の名にあたいしない」
「われわれはここで生きている。今現に生きている者を排除するもの―――」
「それは、ただの略奪者にすぎない」
――シャールカ/ギャングスタ・リパブリカ
叶たちの在り方は、『悪』という信念だけでは脆く潰えてしまう。多数派の論理を前にしては、悪を持っている「だけ」では、心が折れてしまうだおる。
――――だからこそ少数派は『仲間』が必要なんだ。
1人にならないように、1人で背負い込まないように、誰一人としてこぼれ落ちないように。 自身の自由を手に入れられるようにさ、仲間が必要不可欠である。
『仲間』を作るという生存戦略
『悪』の練度を高めてきた時守叶でさえ、『仲間』を作った。純白の無垢をほこり、他人の評価なんて気にもしない古雅ゆとりでさえ『仲間』を欲した。
そのためにガラクタの噂まで流した。
「『仲間』になって、何か、他の人たちにはできないこと、しよ? みんながどこかで捨ててしまった、すごいことを」
「―――悪の組織は、作れますか?」
このとき、始まった。
俺たちの、
悪党どもの共和国(ギャングスタ・リパブリカ)が
(ゆとり、叶)
つまり彼らが示しているのは、世界から異なったものは「1人」では生きていけないんだということ。
1人でこの世界を歩いていくのは、とても負担がかかる生き方だ。大勢による圧力がつらすぎるし、一時は耐えていてもいつかはぽきりと音をたて心が折れてしまうかもしれない。
叶、禊、こおり、希、ゆとり、春日、シャールカは1人では生きていけない。 だからこそ彼らは『ギャング部』を設立したのではないか。自らが砕けないように、自らと同じ境遇の人が壊れないように。
いや、悪こそ結束が必要なんだって
少数精鋭で世界に立ち向かっていくんだぜ?
結束しないでどうするんだ。
(叶)
自分1人ですべてを抱えこまないように、
孤独にならないように
孤高にならないように、
孤絶しないように、
みんながみんな――叶が、禊が、希が、ゆとりが、シャールカが、春日が、こおりが――1人1人の背負ったものを分け合えばいい。
辛さも苦しさも7等分にしたらいい。『仲間』でわけ合えばいい。
通常、「友達」とか「部活メンバー」という意味での、『仲間』であるならこの方策は無意味だろう。誰も覚悟がないから、誰もが誰かを背負うことができない。
けれど、叶が作った『ギャング部』には『悪』がある。 『悪』という信念をみんなで持ち、その理想に向かって進むからこそ、通常ではありえない人間関係の強度が保てる。
ただそこにいたからとか、ただ空きがあったからメンバーになったからとかじゃない。
「1つの信念をみんなで共有する」、これが大事なんだ。
コミュニケーションの強度は環境に依存する。学校だったら「クラス単位」、会社だったら「部署」によって強くなったり弱くなったりする。
ひとたびその環境から離れれば、途端に関係が薄くなったという経験はあるだろう。学校を卒業してしまえば、もう会わなくなった友人たち。会社を辞めたら、連絡すらも取ることが無くなった同僚たち。
けれど信念は違う。
これは環境に依存しない。場所に依存しない。同じ考え方を共有していること―――それ自体がコミュニティの強さになる。
だからこそ、覚悟が生まれ始める。
みんなで一緒にいようと。
みんなで一緒に歩もうと。
ともに生きようと、そう思えるんだ。
仲間とは、感傷ではない
覚悟を共有した共同体
(禊)
『ギャングスタ・リパブリカ』を違う言い方にするならば、「互いの世界を共有」するという意味になるだろうか。
ギャングスタでは「ループ」という力が、人間誰しも持っているということになっている。様々な見解があるだろうが、私はこれを「自己世界」のメタファーだと思っている。
固有ループをしたとき、当人は同じ世界をいくども繰り返す。何度も何度もなんども繰り返す。ループを抜けたければ、精神的高揚を覚えなけれならない。
これは外側から、相手に介入できないことを示している。ループしている当人が、「ループする」のも「ループから抜ける」のもその人次第だからだ。
ループするということは、自己の世界を「実感」させるものではないだろうか? 私たちは普段「世界」と言われれば、周囲の人間と自分が見ているものを指す。
同じ町並み、同じ空、同じ夕焼け。
けれど実際のところ、世界というのは「自身が認識」しているものでしかない。相手と理解していると思っている世界は、錯覚でしかない。
…………ここの説明は『猫撫ディストーション』に丸投げする。ちょっと長くなってしまうので。
つまり、ループすることそれ自体が、それは固有の自己世界の現れだとするなら、「共有ループ」とは、自己世界と他者世界を交じり合わせるということである。
「禊、おまえの共有ループに入るよ」
禊に、そう言った。
俺は、禊が孤独でいるのが耐えられなかった。
禊の痛みを、悲しみを、覚悟を、共有したかった。
(叶)
相手の世界を「共有」することで、相手の気持ちを理解できる。しようと思える。
この「互いの世界を共有」するということは、全てのルートで触れられている。例えば
● 時守希と叶は、同じ世界を共有し、互いの万難を乗り越えるものだと覚悟した。
だけど、俺はもう、希と同じ世界に入ってしまってる。 希と結ばれるという問題に関しては、希のことは自分のことなんだ。
自分のことだから、心配するものじゃなく、ともに乗り越えるものになってる
(叶)
● 古雅ゆとりと叶は、二人で1つになろうとした。
「ガラクタでも何でも、時守くんのものは何でもいとおしい。 だから……時守くんのガラクタで、私を染めあげてほしい」
「まかせてください。……でも、1つ付け加えることがあります―――部長のガラクタで、俺を染めあげてください」
(ゆとり、叶)
俺と部長は、志は違うかもしれない。
だけど、俺たちはガラクタで結ばれていて。
たがいをたがいのガラクタで染めあげるように求め合う。
俺たちの欠落同士が、引かれあうから。
そうやってはじめて、
俺たちは1つになれるから―――
(叶)
● 水柿こおりと叶は、背負っているものが一緒だった。
いや、もってる。
俺とこおりと、2人いっしょに、1つのものを。
俺の過去はこおりの過去。
俺が背負ってるものは、こおりが背負ってるのも同じだ。
足踏みする俺をこおりが待っていてくれて、
それに俺が追いつこうとしてたってことでもある。
だからこおりは、最初から俺のことを背負っていた。
● 凛堂禊と叶。ガラクタを一緒に持ち続けることを盟約した。
「……捨てねーよ」
「え……」
「捨てるわけないだろ」
「叶……」「それに、これはガラクタなんかじゃない。俺たちで背負うって決めた、宝物だ」
[叶、禊]
● LastEpisode―Genius―にて
そのときみんなはそれぞれの人生を歩んでると思うけど、それでも、そこからいったん抜けだして、集まって、
共有ループに入ってほしい。
いっしょに救世主になるって約束を、
みんなで果たしつづけてほしい
(叶)
● LastEpisode―後日談―にて
……俺がループできないことを、
あるとき、ギャング部のみんなは知った。
みんなは言ったのだ。
これから、ループしない、と。
ループできない俺に合わせて、ループしない人生を送ることを決断した。
俺を一人にしないために。
(叶)
叶たちみんなは、自分たちの生き方、信条、信念、痛みも悲しみも信条も思想もすべてを「共有」することで強く生きられるようになる。
自分たちを理解できない、不寛容な者たちから虐げられないように、強く強く生きることができる。それは自由だと思う。
自分の大事なものを捨てないために、心のガラクタを投げ捨てないように生きることができるんだから。
自分が「自分のままで」いられる生存戦略。
それこそが、『仲間』を作ることであり『共和国』という居場所であり『ギャングスタ・リパブリカ』なんだろう。
そう、誰も溺れないように―――
ギャング部は、互いに「対立」しあうことで、自由な王国として機能しはじめた
叶が作ったのは部活なんかではない。彼が作ったのは1つの国家なんだ。 そう「共和国」、「悪党どもの共和国」『ギャングスタ・リパブリカ』。
この国家では、『悪』なる信念が大原則としてそこにある。根底にある思想。先述したとおり、『悪』というのは倫理を超え、自身の自由を掴みとる覚悟を持つということ。
だからこそ、参加している人間は、互いの自由を尊重する。尊いと信じることができる。自分という存在を、相手という「違う」人間を受け入れることができる。
ただ『自由な国家』としては、最初の頃は機能していなかった。水柿こおりは最たる例で、叶の「悪」を受け入れられず部活内を引っ掻き回し続けた。 ことあるごとに、ギャング部を篤志部にしようとしたり、叶の信条にいちゃもんをつけてきた。
この個人の考えの対立は「第二部」でも当てはまる。第二部では、禊、希、こおり、ゆとりはそれぞれ対立しはじめる。「生き方」を巡って、「考え方」を衝突させてきた。
自分の「自由」を侵害されたり、魂の利害関係によって相手を許容できなくなったり、生き方を理解できなかったりして争ってきた。自身の考えを相手に伝えて、鋭利な言葉で切りつけて、意見をぶつけまくった。
私にはこれが『リパブリカ=共和国』として、成り立つための必要な過程だったんだと思う。
彼女たちは、自分の生き方を語った。
そのことで相手に「自分のことを」理解してもらえたり(禊VS希)、また相手の考えを尊重しはじめたり(禊VSゆとり)、しかし時にはまったく理解されないこともあった。(禊VSこおり)
理解されないことがあっても、それでも、最後には相手の「生き方」を良しとしてきた。
「私は、他人の生き方に介入するのが好きじゃない。
好きにしろ。お前が選べ 」「もとよりそのつもり」
(希、禊)
「けれど……、その覚悟が、ゆとりにはある?」
「禊ちゃんが仲間だっていう覚悟だけは、いちばんさいしょからあるよ?」
(禊、ゆとり)
「私がこおりを説得できないように、こおりも私を説得できない。私は意見を変えない。こおりも意見を変えない」
「それでも、わかりあってるって感じる。同じ場所に立ってるって感じるから」
(禊、こおり)
『ギャングスタ・リパブリカ』という国は、共和国として機能するために"コミュニティを追求”しなければいけなかったんだろう。
立場の対立をもって、互いに生き方を伝え、相手を理解するという過程を踏まえたからこそ、『自由』としてのルールが駆動しはじめる。互いの生き方という自由を許容できはじめる。
このやさしい王国では、人種も、肌の色も、生まれも、育ちも、欠損も、才能も、運命も、信念も、思想も、差異も、偏りも、格差もすべてを強制的に"規定”させる。
参加しているすべての人間を、水平方向の世界にならし、双方向性の送受信を可能にさせることができる。
これはつまりさ、差別がないっていうこと。自分と相手は「違っ」てもいいと受け入れられること。
自分とは違う人間でも、その「違う」ことを尊重してあげられるんだっていうことに繋がる。だから「会話」ができるんだよね。一方的な押し付けではない、双方向性の意思疎通ができる。
この『悪党どもの共和国』のあり方は、「救世主」の在り方ととてもよく似ている。
なぜなら、そこに属している者すべてを「救おう」という考え方だからだ。生まれつきの「差異」を取り払って、自由な生き方をしてもいいということだからだ。
凛堂禊は小さいころ、不用意に卓越をみせたせいで悲劇を引き起こした。1人の民を、中辻のおっちゃんを不幸にしてしまった。
禊は、この悲劇を経験したがゆえに「救世主」を目指そうと固く誓う。なぜなら、彼女は「溺れ」ゆく民を見過ごせることが出来なかったからだ。
器の小さな者の心まで救済しなければならないし、
そうした物に分不相応な夢を見せてもいけない。『その者の責任』といった言葉で、悲劇を捨て置いてはならない
(禊)
中辻のおっちゃんは、違う目線でみてみると「少数派」なんだ。時守叶のように、周囲からは理解されず、じょじょに集団から疎外されていってしまった存在。
中辻のおっちゃんが新たな農作法を提案し、固執し続けたのは禊の舞を観たのがきっかけだった。だからといって、禊の責任になるわけでもない。……そしてこうも言える。
中辻のおっちゃんがあらなた農作法に手を出し、固執したのもまた「中辻のおっちゃんのせいでは無い」と。
シャールカ先輩の言葉を覚えているだろうか。
「……そもそも、趣味や特技や思想など。本質的に自分で決められるものじゃない」
禊の舞によって、中辻のおっちゃんの行動が「規定」されてしまったんだとしたら、そしてそれが禊の責任でもないのだとしたら、もう誰のせいでもなくなる。
誰のせいでもないのなら、中辻のおっちゃんが不幸になったり、経済的損失を負ったり、一時的にせよ村から疎外されてしまうのは"おかしい”んじゃないか?
きっとこれが凛堂禊の疑問であり、解決しなければいけない世界のあまねく不幸なんだ。故に彼女は「救世主」を志望する。衆生の不幸を取り去り、幸福を与える。そう誰も彼も溺れないようにする為に。
凛堂禊の在り方を、時守希はこう言い表した。
高所に立って、全体をおおづかに把握して、
個人の内面には立ち入らず、ただ負担のみを取り去る。
『衆生』が不要なことを考えずに済むようにし、
一定の枠内で自由にふるまえるようにする。
ふん、外形的には同じことか。
生まれつきの不平等を取り去って、自由な社会を作ること
(希)
凛堂禊がそんな社会を目指しているのだとしたら、叶が作った『ギャングスタ・リパブリカ』にとても近い。
もう何度も言っているが、『ギャングスタ・リパブリカ』とは世界から溺れていく者を救う居場所だからだ。
『悪』という信念をもち、それらを共有する『仲間』を得ることで、叶たちは救われた。
禊は、1人ぼっちの救世主の道ではなく、みんなで歩く道を選ぶことができたし。
私はドキドキする。そのかわり、みんなは共有ループから抜ける。私は、孤独な苦しみに戻る。
それでいい。ムダだったわけじゃない。
共有ループのなかで、仲間と、叶と出会うことができたから
みんながいるなら、共有ループじゃなくても、
孤独な孤高の道を乗り越えていける。
……そう信じてる。
(禊)
希は、大好きなお兄ちゃんと結ばれることができた。
でも、やっとそんな押し込めてきたかわいそうな気持ちを解放してあげることができたんだ。
それで私は救われた。
なのに、またガマンしなくちゃいけないなんて私の気持ちがかわいそうだ。そうまでして守るべきものなんて、今の私にはないから
ゆとりは、「ギャング部」もとい叶によって果てなき孤独から救われた。仲間と永遠を歩むことを決意した。
「気まぐれで始めたギャング部だけど。
今は、信じられるよ。 ―――ギャング部は永遠、だね。」
「永遠、ですか」
「うん」
「お友だちと仲がいいのはよろしいんですけど、では進学しても就職してもこの部を続けるおつもりなんですか?」「うん」
(にっこりと、笑う)
(ゆとり、梨都子)
こおりは、『悪』に寛容になり、叶と一緒に歩むことを臆さなくなった。
ギャング部が篤志部になるその日まで
―――あたし、やめないから
(こおり)
叶は、自身の欠損をギャング部のみんなが肯定してくれた。
みんなは言ったのだ。
これから、ループしない、と。
ループできない俺に合わせて、ループしない人生を送ることを決断した。
俺を一人にしないために。
(叶)
そうやってみんな、「自分のまま」で生きていっている。心の中の『ガラクタ』を捨てられなくても、みんなとは違う理屈の世界を持っているんだとしても、生きていける。
そうだよ。
―――悪は世界を変える、変えていくんだ。
『ギャングスタ・リパブリカ』
それは世界から弾かれ溺れていく者たちが、『悪』を心に有しリパブリカを作ることで救われる物語。
――――――――――――――――――
―――――――――
――
「童(わらし)、覚えておけ。悪は容赦しない」
俺たちは、悪の道を進んでいく。
ひょっとしたら、他の誰にもわからないかもしれない。
けれど、悪は孤高なのだ。
ともに歩く者以外に理解されようとは思わない。
「覚えておけ―――」
「『人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、
人がそうなりたいと思うことを実現すること』」
「――――それが、悪だ」
ともに歩く者さえ理解してくれたら、
悪はどこまでも行ける。
俺は、その決意をした。
禊は、ずっと前のその決意をしていた。
俺は、
禊とともに、
悪の統治者として生きる。
どこまでも―――
この世界の果てまでも―――
はいーということで、ギャングスタ・リパブリカ終わりましたー。
なんだか特殊なゲームなような気がしています。従来の作品とは、なんか変な感じです?
ぐだぐだ感はなく、1つのテーマにむけて綴られる物語。こういうの好きです。
ループがあったのは、人の世界は固有だということ、そして「誰かの世界を分かち合える」っていうことだけを言いたかったんじゃないかなと思います。
ちょっと構造自体が矛盾を孕んでいるような気がしますが、そこは重要なことではないなと。
禊のループにみんなが入れること。「みんなが持っている」ループ能力を、叶は失ってしまったこと。この2つに尽きるかなーと思います。
んでんで希ちゃん、シャールカ先輩が可愛すぎてとろけます。なんですかあのちびっこ軍団。愛されキャラに違いないんですよ。
禊は照れ顔いいなあ……。ゆとり先輩は女性として見れないけど、友達や部長としてなとってもいいなあって。
あとですね。春日くん私けっこうお気に入りです。ああいう部下みたいな子いいですね。笑顔も爽やかでかわいいですし。
それと宮本! 宮本とあそびてー…………。あの子といっしょにいると毎日きらきらしそうなんですもの。ああいう子なかなかいないからなあ……それも女の子ですし。
柳瀬はちょっと頼りない人ですが、好感持てます。ああいうお兄さんはいいですね。あんな喫茶店があったら、月1くらいで通いたいです。(スパン長っ)
こおりですか?……………………………………あはは。
いやあ……もうほんとやりきった感があります。主に感想記事。プレイが終了したのが8月6日だったかな? たしか。 これを書いているのが8月14日なので、8日経っています。この8日間ずーーーーっと『ギャング』を記事書いてきました。
文字数でいえば、この記事も含めて8万5千文字。文字数が多いからって質が高いというわけではもちろんないんですが、私がギャングスタでいろいろ吐き出したいことが、こんなにもあったんだなと思うと、すごい感慨深いです。
それも疲れたという感覚もなくて、なんだかすげーなと。お気づきになられた方もいるかもしれませんが、ギャングスタの評価は従来の基準で計っていません。
ゲームを終えたときに思ったのが、「これは点数つけたくないな」と純粋に思いました。点数に依存させてしまうのは、なんだか嫌だなーと。
誰かに向けて評価をつけているわけでもないので、もう自分基準でつけちゃえと。そんなことを思い、『Genesis』という名前をつけました。名前ていうか称号みたいなものです。
エ口ゲ記事の第三転換期―――評価基準の撤廃。(とはいっても本当に"いい”作品のみに与えられるもの?にしています)
Geniusは、始まりだとか起源だとかそういう意味だそうで、なんだか今のブログにぴったりじゃないか! という変な運命を感じてぽいぽいつけました。
関連記事
- ギャングスタ・リパブリカ__凛堂禊 感想。(16029文字)
- ギャングスタ・リパブリカ__水柿こおり 感想。(11977文字)
- ギャングスタ・リパブリカ__古雅ゆとり 感想 (7833文字)
- ギャングスタ・リパブリカ 時守希 感想 (15166文字)
- 『ギャングスタ・リパブリカ』 体験版レビュー (9667文字)
この本記事を作るために、考えた思考メモたちです。いわばこの記事の土台ですね。もし興味があればどうぞですー。
++++++
■ この3つの記事は、ギャングスタ・リパブリカを元にして作ってみました。
『悪』は世界を変えていける―――あなたの心には今なお『宝物』はあるだろうか? ならば自分が自分でいられるための生存戦略をはじめよう (3786文字)
相手の「自由」に寛容になることで、自分の自由が保証される。不寛容のままでは自己をも殺しかねない。(3612文字)
毎日をウルトラハッピーにしようよ! つまんない日常はきらきらさせるられるのだ!(4455文字)
■ Twitterで語り尽くし合いました! 自分で言うのものなんですが、とても面白いとおもいます。
「ギャングスタ・リパブリカ」で5時間対談したよ!! - Togetter
「ギャングスタ・リパブリカ」で330分、お話しました! - Togetter
※以前「考察」と称して、ギャングスタの思考履歴をこの記事に残していましたが、削除しました。(叶は客観視ができない・叶の行動原理とは? の部分です)
理由は、作品のテーマ性を言及する部分の大幅な加筆(以前の倍)をしたせいで、1記事の文字数制限に引っかかってしまったのです……。
こっちにありますー。