猫箱ただひとつ

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ギャング部。残りのテキスト 【ver1】

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▼ ギャングスタの感想記事を書きました。 

ギャングスタ・リパブリカ 感想レビュー__悪は世界を変えていく (15543文字) 

 

 

 

 

 

悪より真人間が「立派」?

 

 

戯言にもほどがある。

また悪悪って……

悪より真人間の方が立派に決まってるでしょ

(こおり)

 

こおりは染められているなあと思う。世間の暗黙のルールに。誰かが勝手につくって、自分たちが無意識のままに作ったそんな意志薄弱で覚悟が脆弱な代物を。

たちが悪いのが、そのルールは、大勢が参加することで強度を保ち、堅固に強固になっていくということ。

倫理観は、大衆の総意によって成り立つ。多数派の暴力といってもいい。

多数に属しているものは、安心だろう。自分の価値観が世界の価値観なのだから。だからこおりはいう、「悪じゃないということは、立派ではない」と。

こおりの世界では、立派ではないだけということを考えたこともない。そういう思慮の浅薄さが伺える。

けれど、悪の価値観による、悪の世界では、悪になることは立派なんだよ。

あんたと違って常識もマナーもプライドもあるからそんなこと簡単に言えないんですぅ!

失礼な。俺だって悪の常識や、悪のマナーや、悪としてのプライドはあるぞ

(こおり、叶)

 

それはひとつの領土を形成する。悪を志すことで、ひとつの土地が生まれる。

―――ギャングスタ・リパブリカ。

 

悪を志すものは少ない。少数だ。もしくはたった1人だ。それでは世界とやりあっていけない。戦っていけない。

 

だから、群れる。仲間を作るんだ。

 

―――悪党どもの共和国

 

弱いから集まる。少ないから群れる。そうすれば耐えていける。戦っていける。この世界と。世界を変えていけるんだ。

 

これは「悪」に限らない。

異質なもの、多数派とは相容れない者、「みんな」とは違う存在―――そういうものは、同胞を見つけることが重要なんだ。

自分と同じ性質を持つ人を、自分と似たような魂の持ち主を、自分と近い思考をする人を探す。

探して、見つけて、仲間になる。


この世界で生きるうえで、もっとも大事な戦略とっていもいい。

生存戦略だ。生きるための策。古雅ゆとりが取った行動は、とても理に適っている。叶っている。

 

―――悪の組織は作れますか?

 

悪は孤独の道。
悪は孤高の道。
悪は孤絶の道。

だからこそ「仲間」が必要になってくる。

一人だから。
少数だから。
弱いから。

そのための足場が必要になってくる。それがギャング部。ギャングスタ・リパブリカ。共和国。

 

 

 

触手をバカにするな

 

 

 

触手をバカにするな

 

うん、希ちゃんも実は「こっち」側なんだよね。

教師をやっていて、論理的思考で、叶の悪にいささか懐疑的だけど疑惑的だけれど、希ちゃんも多数派ではない。

少数派に属する人物。

大人の世界に踏み込んでおきながら、子どもの心を持っていたり、それを堂々と振りかざしてしまったり、自分の思想信念を曲げなかったり。

触手というアブノーマルな趣味。世間では理解しがたい趣味。そういうの希ちゃんは愛している。

そしてそれがバカにされたり、嘲笑らわれることも知っている。けれどだからといって、彼女はそれを卑下していない。気持ち悪い趣味だとか、触れてはいけないものだとかそういう風にはみていない。

倫理観は倫理観として、自分が好きなもの好きなものとして見ている。

これってとても大切なことだよね。他者の評価(倫理観)に縛られている生きている人はただの奴隷だから。

他人が「それ気持ち悪いことになったから」と言われれば、そうなんだーとすぐ了承してしまう。数日たって「いやいや実は気持ち悪くもなんでもなかったわふつう」と言われれば、分かったと納得する。

他者の奴隷以外のなんだと言うのだろうか?

 

自分が好きなものに、好きと言えなかったり、好きといってもあれこれ理由をつけて卑下したりする奴は外側に囚われすぎている。もしくは自己評価が低い。

内側に、自身の価値基準を持っていないから、外側にゆだねてしまうんだろうとそう思える。水柿こおりのように。

 

こおりは言った。「私だったら、そもそも触れさえしないと思う……」そう言った。触手本を渡され読んだとき、彼女は言ったんだ。

それは、明らかに倫理観に、大衆に、外側に、他者に束縛されている。自分の考えなんかじゃない。それは"他人”の考えなのに。反吐が出る。

ダメならダメでいい、触手が許容できないならそれでもいい。だけど、そこには"自分”の考えを持ってこなければいけないんだよ。

他人の考えじゃない。自分の考えだ。よく勘違いしてしまうのは、倫理観は、自分の考えじゃない。あれは社会生活を円滑にするために無意識に"当て嵌めこまれた”ルールだ。

それと切り離して考えないと、自分の考えじゃない。

 

 

探検という妙技

 

 

うん、今日の俺はすっげー悪だったぞ!

 

叶はことあるごとに「探検」を行う。日常的に、それも惰性ではなくやりたいから楽しいから行動する。


そんな叶を見てて思った。悪――というより一回性を駆動させるには、この探検が重要なんだということに。

 

能動的な行動+なにかを「見つけ」だそうとするその意識。

 

この2つが組み合わさるのが「探検」。なにかを見つけたり、秘密基地の場所をあてがったり、そういうの。

そういうのってさ、いつも見ている風景・日常から、なにか別なものを探そうっていう意識のもとなんだと思う。それも自分の意志で、意識的に行動している。

そうすることで、いつも見ている風景から、いつもとは違うなにかを見つけられる。

 

もしかしたら、そこには「視点」というフィルターをかけるのもありだと思う。にゃるほどねー。

 

百貨店やスーパー、不動産の広告に混じって、二々来のエドバシのチラシが入っていた。
いつもならろくに

 

 

原理主義か結果主義か

 

 

「結果がよければすべていいということ」
―――
だが、他人を納得させるためにも、道筋は必要だ。原理の提示がな

 

今、おまえはたまたま問題が解ける。
けど、原理的思考にもとづかない結果は、偶然でしかない。

「そうかもしれない。けど、それでいい。私は、偶然をずっと続ける

私は偶然を続けてきた。ならば、これからも続けられるはず

(希、禊)

 

禊は「結果が良ければ」それでいいと言う。それは氏子の霊的な幸福のために。

彼らの不幸を取り払い、幸福を授けるために。

だから禊の中では、「過程」の価値は低い。過程が良くても結果がダメだったとしたら、それは自分が望む未来とは程遠いからだ。

―――誰も溺れないように


178人の村人がみんなで笑っていられるように。それを彼女は責務とした、救世主を志した。

 

「私は救世主。みずから幸福になろうとは思わない」

……幸福どころか、その道は、他人に忌避されるぞ


「あえて他人に好まれようとは思わない。
衆生を救うためなら、嫌われ者になることを拒むものでもない」

(禊、希)

 

 

 

 

 

こおりと散歩と一回性

 

 

 

「あたしはまだ歩いていないあたりを散策したいかな。……って、毎日同じになっちゃうけど」

 

何もしないでいることが苦痛なこおりにしては珍しいことだ。それは、それだけここがいい場所だってこと。

何もないのではなく、つねに新しい発見がある。
だからこおりでも、毎日散歩してても満足できる。

(こおり、叶)

 

これが「旅」の醍醐味なんだろうなあと思う。

毎日毎日同じ風景ばかりみていると、その風景・日常の価値がよくわからなくなってくる。それは目が曇ってしまうから。

それを旅は改善してくれる。

いつもとは違う景色をみて、いつもとは違う感じ方をして意識を"ずら”す。そうすることで、いつも見ていた景色はじつは珍しいものだったり、今まで知らなかっただけで価値あるものに変化していく。

そう感じ取れる。

旅はそういう経験を能動的に積むことができる。

 

 

 

 

心象強度

 

 

お兄ちゃんに嫌われていないかって話。
もちろん、自分に自信はもってる。それで渡りあっていく覚悟もある。

けど、それは私の問題だ。
そんな私を他人が……お兄ちゃんがどう思うかはまた別の問題だろ

(希)


ここにも自由の断片が垣間見える。

自分で思うこと、内側で強度を保つことはとてもすごい。けれどだからといって、自分の考えが相手が思っているとは限らない。
そして自分本位で相手の考えを上書きしてはいけない。

それは相手の自由への侵害になるのではないだろうか。とふとおもった。

 

 

 

 

 

 

自由人

 

苦渋だね。反対されるより、
苦渋の決断で見守れる方がつらい

だからといって、引き下がるわけにはいかないんだけど。 遠慮するわけにはいかない。

(希)

 

 

自由というポリシー

 

好き会ってること自体を否定することは、しないと思う。
けど子どもに幸せになってもらいたいと思う以上、 子どもが自分自身に制約をかけるようなことは望まないはず。

それでも、『その道を行けば社会的に障害が大きい』なんてこと、母さんは私たちに伝えたりしない

しないというより、できない。
母さんみたいな人は、ポリシーとして、介入をよしとしないから、生き方を強制するようなことをよしとしないから

(希)

 

希ちゃんと同じなんだよねお母さんも。

自信が自由に生きることを是とするなら、それは相手にも適用されなければいけない。じゃないと、信条としては3文以下だ。

自分の自由を願うということは、相手の自由も寛容になるということ。ああ、これはいい信念だなとそう思った。

 

自由だからこその不自由。


兄妹で好き合うという自由を行使するからこそ、そこには不自由が生まれてしまうのかもしれない。結婚とか子どもとかそういうの。

ああでも、"間違い”続ける覚悟ができている希ちゃんと叶ならきっと大丈夫だろうなとは思う。―――だって、悪だからね。

 

 

 

 

2つの世界の交錯

 

たぶん私は、もうすでに母さんとは別の世界にいる
だけど、遠く離れてしまったわけじゃない。

となりあっていて、まだ交錯している。
私は、自分の信じるものだけを大切にして
生きてきたいはずなのに
……

世界が交錯するところには、
否応なしに同情の領域が形成されてしまう
母さんの心配がつらいなんて感じてしまう

 

倫理観をもっと微視的視点でみると、希ちゃんが言っていることに繋がる。

人間は1人1人、自分の世界を持っている。固有の世界を一人づつ。そしてそれは、他者の世界と交錯しはじめたとき、「重なり合っている」部分を「理解」できる。

相手の心を、感情を読解できる範囲と言ってもいいかもしれない。他人の気持ちが分かるということは、他人に対して不愉快の行動をしないように心がけ始める。

それが「倫理観」であり、同情の領域なんだ。

 

だけど、他人についてはどうすることもできない。
心配すること、祈ることしかできない。

……そして、母さんが心配していることが、私たちにはつらい

 
倫理観を廃絶するということは、自分の「世界」だけで生きていくということになる。一人だけで独りぼっちに。だからこそ、他人の評価や視線は気にしなくなる。

一つで完結しているのだから、それも当然。社会では生きていはいけなくもなるけど。


希ちゃんの場合は、親しい人、親、お母さんと気持ちを重ねているからこそ、気持ちを理解しようと思っているからこそ、同情の辛さを感じ取ってしまう。

そして、希ちゃん自身もその辛さにあてられて、自分も辛くなってしまう。同情―――他者の感情の理解から、倫理は起点とする。

 

ふつうの意味での心配はする。1個人として、希という1個人の心配をする。

だけど、俺はもう、希と同じ世界に入ってしまってる。 希と結ばれるという問題に関しては、希のことは自分のことなんだ。

自分のことだから、心配するものじゃなく、ともに乗り越えるものになってる


叶が言うとおり、これは覚悟とは少し違うように思える。

これは、「共和国」に属したと言ってもいい。王国の傘下に入ったと。1人1人の固有の世界を、王国とするなら、国と例えるなら、その国を他者と分かち合うこと―――それこそが、リパブリカ、なんだろうね。

 

「ひ、ひでー!」

俺が叫ぶと、すごくいい笑顔で、希が言った。

――――ああ、悪だからな。」

 

 

 

 

 

 

希とギャング部と通ってきた道

 

 

希は―――
小さいときから大人の世界にいて。
だけど子どもの論理そのままで、大人の世界を渡りあってきた。それは、希の能力が可能にしたことなのかもしれないけど。

希は、子どものままですでに大人の世界で生きてるすごい奴なんだ。だからこそ、ギャング部に複雑な思いがあるんだと思う。
「…………」
たぶんギャング部って、希が小さいころに通ってきた道だから。いや、むしろ、希がいちばん最初に手にした武器だから

(叶)


ギャング部が希ちゃんが通ってきた道。一番最初に手にした武器。

どういうことだろう。

希ちゃんは子どもの世界を持ったまま、持つことを自分の意志で選んで決めて、大人の世界へ踏み込んでいる。

そこには「なにか」がないと、きっとつらい。武器になるものがないと、生きてはいけないのかもしれない。

ギャング部が、希ちゃんの武器だとしたら、ギャングの「在り方」が武器そのものなんだろうか。

それはなんだか「覚悟」と似ているのかもしれない。そういう世界からは"異なった”ものを有しながらも、世界に生きるっていう覚悟が。

自分のありのままに生きるっていう意志が、それは武器と言えると思う。

ギャング部もそうだ。あの部活は、あの王国は自分たちが「異」なる存在だとしても、ここで、この世界で生きていくっていう覚悟の宣告に近い。

大勢からみれば、みんなが持っているものが『ガラクタ』だとしても、それを持ち続ける覚悟がある。それを持ったまま自分"らしく”生きていく信念がある。

 

……捨てねーよ
「え……」
捨てるわけないだろ
「叶……」

それに、これはガラクタなんかじゃない。俺たちで背負うって決めた、宝物だ

[叶、禊]

 

そう、「自分」を捨てない覚悟がある。

もし叶がこの「宝物」を捨てたとしたら、ギャング部に行かなくなるだろう。ギャング部に属さなくても、ふつうに、当たり前に、楽に生きていけることになったのだから。

そして捨てないからこそ、叶たちはあそこにいる。

世間一般的にふつうかどうかというより、
俺的にふつうでいられるかどうかが問題というか。


大事なものを捨てないために、それで世界と戦うために―――。
自分たちの「世界」と、あまねく周囲の「世界」を渡り歩いていくために。

 

たぶん今、希は、もっともっと鋭利なギャング部をもっているから

このギャング部とは違う、希だけのギャング部をもってるから。
希は、俺たちのずっと先をいってたから―――

 

 

 

仲間

 

『仲間』になって、何か、他の人たちにはできないこと、しよ?

みんなが、どこかで捨ててしまった、すごいことを


ゆとりは噂を広めた。自分で作り、自分でばらまいた噂。

心の中にガラクタがあるものは―――

 

彼女がなぜそんなことをしたのか分かる。仲間が欲しかったから、と言ってもいいがもっと適切な言葉があるように思える。

 

それは、『仲間』にならないと辛いから。なんだと思う。

そう、『ガラクタ』持ちというのは、世間でいうところの「異」でしかない。異なったものは、異なっていないものと相容れない。だから、群れる必要がある。集まる必要がある。誰かを頼る必要がある。

 

―――悪の組織は作れますか?

 

 

 

 

 

 

人にどう思われるか

 

人にどう思われるかなんて、どうでもいいことのはず

(叶)


うんそうだね。まったくそのとおり。人にどう思われるかなんて、ほんとうにどうでもいいことなんだよ。

高校生"にもなって”昆虫採集をしたり、ダックレースをはしゃいで遊んだり、ギャング部を作ったり―――きっとそういうのは「外」から見れば疎まれるものなんだろう。

 

そして、外から世間からの評価を気にし過ぎるとこおりみたくなる。倫理。そう倫理観。

 

倫理観は大衆の総意。大勢の意見。多数派が「是認」したもの。それが倫理観。

少数派が倫理観に則りにくいのは、至極当然。彼らには独自のルールがあり、多数派の倫理(ルール)とは相入れにくい。

大原則として、殺人は犯罪行為のことを言っているんじゃない。


法には裁かれない、けれど大衆の圧力みたいなものがある。

何歳になったら、なになにをしなければいけない。この年では、こういうのは卒業しなさい。男らしく、女らしく、なになにらしく。

 

そういうのだよ。

 

(あんまり人がいないときに時守くんと話してると、ギャング部みたいに見られちゃうよ)

(でも悪い人じゃないよ。私、何もされたことないし)
(でも、世間の目ってものがあるでしょ)

教室・級友

 

 

 

一回性

 

 

いや。ボートに乗りに行こうと思ってる。しばらく池の鯉の観察もしてないから

俺はしばらく、自分の机で消しゴムを指ではじいて、隣の机にうまく着地させるか遊びに興じた。

果たし状だな

 

 

 

 

 

 

ループ周期

 

 

・叶はキスされて、ループから抜けたみたい?(禊・こおり)

・人は高揚感を覚えると、ループから抜ける
・その際、アホ毛が立つ。

・人は皆、ループをする。
・人は皆、それぞれに異なるループ周期を持っている。

・叶のループ周期は、常人に比べはるかに長い。そしてループが起きにくい。ループの経験が少ない。

・くりかえされるループのうち、最後のループだけが、『事実』として確定する

・それより前のループは、当人の記憶の中にしか残らない。

・だから、キスしたことが事実となった。

俺はこれからアイツとキスをした世界を生きていく。

ドキドキした世界を生きていく。

それって、どんなものなのだろう。

今までと同じなんだろうか。

それとも、今までとは、ぜんぜん違う世界になるんだろうか。

 

・ループ周期の大きい者は、畏怖される。強者だからだ。

ループ周期の小さい者を巻き込む。上書きするからだ。

「こいつといっしょにいると、こいつの都合のいいような現実に巻き込まれるんじゃないか?」そんなふうに思うやつが、そのうち現れる

・ただループ周期が大きい者は、ループする発生頻度も低いためそうそう起こらないもよう。

 

更に付け加えるならば、「時守叶はループできない」。

 

けれど、おかしい。LASTEpisodeこおり編で叶は「ループに入ったふりをしている、共有ループに入ったふうを演じている」ということを明らかにした。

だったらLASTEpisode禊編では、叶は……? 叶はループしていなかったのか?

 

禊のひとりの共有ループに巻き込まれていなかったのか? ここらへん分からない謎。

 

 

 

共有ループ

 

・ループ中、入っている人間以外はルプープを認識しないし、ループ中の記憶もない。
・けれど、共有ループは参加しているメンバーは全員、ループを認識し、ループ中に起こったことを覚えている。

・共有ループに入るには、一定の条件を満たす必要がある。

1、メンバー同士の相性がいいこと。(仲がいい)
2、メンバーのループ周期の比が、近似的に素数比をとること。

例、ループ周期が1時間・2時間・5時間の三人は条件を満たす。

3、意識を動機するために、儀式が必要(合言葉)

・共有ループの周期は、参加してるメンバーのうち1人と同じになる。この1人―――主催者が精神的高揚を覚えるとループは抜ける。全員アホ毛が立つ。

 

 

 

 

ループってなにさ?

 

 

叶のループ周期は「631時間15分」。
そして叶は、あの日から「ループができな」くなってしまった。

 

学園に一人いるかいないかのレベル。
中央値は5時間~6時間。

 

ループの話を聞いて、まず思ったのが、「ああだから時守叶は異質なんだな」とそう思った。

時守叶は、世間で一般でいうところの「ふつう」から大分かけ離れている。それは思想信念の異質さ以前に、肉体的欠損―――というより能力的欠損者だということ。

みんなが持っていることを、持っていない。みんなができていることを、できない。

それは少数派と区分される。みんなの輪には入りづらい少数な者。だから少数派。

ループ周期の値は、個人の「異質性」を如実に表しているんじゃないか?と考えた。


叶の「631時間15分」。
こおりの「3時間21分」。
ゆとりの「1時間24分」。
希の「24時間47分」。
春日の「8時間35分」
シャールカの「71時間22分」。

そして禊の―――「5760時間30分」。

 

シャールカ、叶、禊、は「みんな」とはかけ離れている。クラスには1人、学園内に1人、数百万に1人。

そうやって母体数から、差っ引いた希少例。希少というよりは、「異質」といってもいいのかもしれないけれど。

 

禊の「5760時間30分」。
叶の「631時間15分」。
シャールカの「71時間22分」。
希の「24時間47分」。
春日の「8時間35分」
こおりの「3時間21分」。
ゆとりの「1時間24分」。


それとさ、このループ周期を見ると思うのは、

ループ周期が大きいものはループ頻度が少ない=ループしない世界を生きてきたと同じことじゃないだろうか?

 

禊や叶が「みんな」からズレているのも、「ループしない」世界を他の人より長く長く生きてきたから故の人間性と考えてもいいと思う。

 

おそらく宮本も。宮本もループ周期かなり長いと思うのだが、どうだろ?

 

 

2、次にループ周期の長さは「一回性」につながると考える。

 

ループするということは、日常のある一部分をずっと「繰り返す」ということだと思う。

そのことを私はずっとずっと言っているけれど、詰まらなくなる原因だと思う。繰り返すことで、日常がつまらなくなる。生活に飽きてくる。ドキドキが少なくなってくる。

 

ループしないって、すごいよね。ずっと、ドキドキしっぱなしなんだもん

(こおり)


LASTEpisodeのこおりの台詞。

さいしょ何を言っているんだろうかと首をかしげた。ループしない世界(つまり私たちの世界)だって、日常には飽きてくるのにとそう思った。

ああ、でもこれは違う。

「ループ」を日常的に、圧倒的な頻度で繰り返しているこおり達は「ループをしない」ということでもすごいドキドキ感が味わえるんだ。

毎日、どれくらいの頻度で、どれくらいの時間を「ループ」しているのかは分からないが、ヘタすると実年齢の2倍以上は「日常を繰り返している」のかもしれない。

そう思った。

つまり、こおりは今17歳だとしても、実際にこの世界で"生きてきた”年数はひょっとすると30年分以上はあるんじゃないかっていうこと。

実年齢の倍の時間を、精神的に生きてきたんじゃないかっていうこと。それも「一度体験した」ことを繰り返してきてたんだ。

そりゃ飽きる。ドキドキが少なくなる。

そんな世界で――ループが当たり前―――生きてきたんだとしたら、「ループをしなく」することで、ドキドキしっぱなしというのもわかる。

こおりはさ、こおり達は、「ループをしない」という行動をしたことによって、意識の"ズレ”を引き起こし一回性を引き出してきたとそう思うんだ。

"はじめて”だからこそ、時間に本気になれる。はじめてだからこそ、現実に精一杯生きようと思える。

ループしないからこそ、人間関係をなあなあにせず、ちゃんと理解しあおうと思える。分かり合おうと。話しあおうとそう思えるようになるんじゃないか?

だから、叶が他の子にドキドキしても、あんまりやきもちやかないことにするよ

だって、ループせずに生きるということは、みんなと仲良くする世界を生きるってことだもんね

 

それは、禊、希、ゆとり、こおりの4人が対立し自分の意見を投げ、容赦なくせめぎ合い、最後にはお互いに相手を理解したように。

ループをしないことで、ドキドキの増幅、ひいては「はじめて」だからこそ本気になれるということを言いたかったんじゃないかなと思う。

 

私たち、今、変な経験してる。ループのない世界を生きてる

お兄ちゃんと寄り添って生きるって覚悟を決めて、やっとわかったんだけど、ループのない世界って、おもしろい

それまで深く考えたことはなかったけど、ループがない世界って、ハーレムになるんだね

(希)

 

希ちゃんは、アニメ大好きっ子だから「ハーレム」という言葉を使ったんだと思うんだけど、これもこおりと同じく「友達と仲良くする」の同義語だと思う。

 

 

……もしもどこかに、ループのない世界があったとしたら、そこの世界の人は、みんな私たちみたいに生きてるんだね

……うふふ、変な感じ

 

ループに入ったら、精神的高揚(ドキドキ)することでループから抜け出せる。日常へと回帰できる。それをこの世界の人々は当たり前のように行なっているんだろう。


そして、ドキドキを感じられなかったら、ループの輪から抜け出せないのだろう。古賀ゆとりのように。そういう意味では、「みんな」とは違うという意味では、ゆとりも異質。

 

ううん、そもそもギャング部に異質じゃないものなんていない。こおりは大分「あっち」寄りだけど。…………だから私は彼女のことをあんまり好きじゃないのかも。

 

 見ない種類のチラシだ。でもなにかが頭に引っかかり、そのチラシを開いてみた。(中略)

「プチ四駆だ。今日プチ四駆の限定販売がある」

 

そうして、違う何かを「見つ」けれる。

 

悪と一回性は切っても切り離せないと思うのだ。悪だからこそ一回性を駆動できる。一回性を駆動できるからこそ悪になれる。

 

 

日常から非日常への抜け道は、いつでもこういう人の通らない細い道なんですよ

一本道を変えるだけでも冒険になりえるんです。


(叶)

 

 

 

 

悪には、他者の評価はいらない

 

 

禊(叶)たちが悪として、いつも対立するのがこおりである。

 

他者からの評価は必要ない。悪は、ただ悪のためにのみ活動する。独善的―――訂正する。独悪的。

あのね……部活には、活動実績っていうものが必要なの。評価はいらないっていうその考え方はある意味立派だけど、でも、感謝の声はあたしたちの活動のバロメータにもなるのよ?

そういう声がもらえれば、七子たち生徒会はもちろん、学園もこの部の存在をキチンと認めてくれる。ひいてはあたしたちの活動に興味を持った新入部員も入ってくれるかもしれないの。中略

 

それでも、悪は孤独であるべき。
利己的で、独裁的で、それのみで成熟、完結するもの

 

それが悪だから

 

 

そう、こおりは外側の評価ばかりだ。他人の評価ばかり気にしている。たしかに。学園内で「部活」として活動するには他人の評価を気にしなくてはならないのは分かる。

けれど、だからこそ、禊は言う。

それでも、悪は孤独であるべき。
利己的で、独裁的で、それのみで成熟、完結するもの

 

他者評価ばかりに気にしていては、悪になんてなれない、急性集になんて到底なりっこない。社会という多数派によって仕切られたこの世界で、それはあまりにも無謀な宣言。

うん、だからこそ「ギャングスタ・リパブリカ」がある。悪を貫くために、救世主の覚悟を貫徹するために自分たちの居場所を作ったんだ。

時守叶主導のもと、古賀ゆとりに支えられ発足した「ギャング部」。

そこに集まってきたのは、やっぱり世間からどこか可笑しな笑ってしまうような連中ばかり。


古雅ゆとり―――無垢なる王。どこまでも真っ白な女王様
凛堂禊―――救世主を志すもの。絶対の覚悟を有した君臨主。
シャールカ・グロスマノヴァ―――怠惰をこよなく愛すもの。
稚咲春日―――悪の精神に焦がれる志願者
時守希―――倫理を超える者

 

希ちゃんは集まってきてないじゃない? って思う? けれど彼女は、自分の意志で、自分の覚悟でギャング部の顧問になった。ため息混じりに嫌々そうにうんざりしたような顔で、彼女は顧問を引き受けた。

そんな彼女はやっぱり、ギャング部にふさわしいと思う。そして倫理を超えるものというのは、彼女の存在自体がもうすでに倫理観を超えている。

飛び級で大学を卒業し、若輩ながらも、1◯歳以下ながらも教師としてそこに立っている。今の倫理観じゃ考えられなくらいに横暴で暴君だと思う。

アニメも好きで、触手も好きで、お兄ちゃんラブで、お兄ちゃんとHをして、お兄ちゃんと共にずっとずっと歩むことを決意するなんて、"倫理を超える”以外の何者でもない。

 

そんな覚悟をもっている彼女がとても愛おしい。ああもうほんとうに可愛いなあ……。

 

 

 

 

邪悪さとは、悪を肯定するということ

 

 

 

親を騙すなんて邪悪よね?

でも……同級生の異性の家に泊まり込むなんて……

邪悪でしょう?
悪びれた様子もなく、部長は楽しげに笑う。
それは後ろめたいことなんて何もないって態度で、実際部長自身そんな気持ちなんて微塵も感じてないんだろう。


(こおり、ゆとり、叶)

 

叶がとなえる『悪』にはいろいろな面がある。

それは善という倫理観では、成せないことを悪が肩代わりすることだったり。悪を見つけて、一回性を見つけるようなことだったり。

そして、悪を悪が肯定するということだったり。

私たちは大きな社会の中で生きている。社会で暮らすためにはある程度のルールが必要になってくる。それは法律ではない。マナー、常識、一般、ふつう―――そう呼ばれる倫理観だ。


倫理観は、法では制御できない人の行動を制限してくれる。日本だと、電車では座席を譲るとか、歩きタバコはしないだとか、クチャ食いは恥ずかしいだとかそういうの。

これらはしたところで法で罰せられない。罰せられないけれど、周囲からは「外れた」者として阻害されていく。(上に挙げた例も今じゃだいぶ薄れてきているけどさ)

社会の輪から、組織の輪から、集団の輪から、学園の輪から阻害されたものは居場所がない。居心地が悪い。だからみんな必死でこの「倫理観」を覚えようとする。

「みんな」から外れないように、阻害されないように必死に。

生存としての戦略としては上々だろう。しかし、シャールカ先輩も言ったように人の本質は、その人自身が作ってきたわけじゃない。

―――趣味も、思想も、信念も


これは後天的なものであるし、環境の依存度が高い。ゆえに大勢の「倫理観」から逸脱してしまうものがでる。時守叶のように。

それは大勢ではないから、少数のものの見方をしているからにすぎない。少数派は阻害されやすい。大勢の感覚とは違った感覚で世界を「見」ているからだ。理解がされにくい。

けれどだからといって、叶のような少数派が大勢の倫理観を習得しろというのは難しい。いや、できるだろう習得は可能だ。

しかし、強烈に自我に食い込んでくるものなんだよこれは。自分とは相容れない考えかたや思想を受け入れとってことなんだ。強烈に強制的すぎる。

そうした人生はつまらなくなるし、嫌気がさす。だってさ、自分が好きなこともできなくて自由でもないそんな生き方嫌でしょ?

そんなとき必要なのが、自分を肯定する「なにか」だと思うのだ。

1つは、「仲間」。
1つは、「悪」という概念。


自分と似た考え、感覚、感性を持った人とコミュニティを作る。それは大勢の世界とは切り離された、自分たちだけの「世界」。そういう足場があるかないかは大きく違ってくる。

生存を戦略するために、自身のセーフティネットとも言ってもいい。また、志をともにした連中と何かするっていうのは、とっても楽しいものだ。

「悪」という概念は、それだけで倫理から「外れた」ものの行動を肯定する。


親を騙すなんて邪悪よね?


本来なら、親を騙して、さらには異性の家に泊まりこみ、Hするなんて問答無用に世間からバッシングを食らうだろう。世間というのは、古雅ゆとり「周辺」の人間を指している。

学校のクラスメイト、教師、家政婦、親―――そういった連中のことだ。

彼らは、こおりみたく言うだろう。

でも……同級生の異性の家に泊まり込むなんて……

そう責め非難する。

なぜか? 自分たちの考え(倫理観)とは違うからだ。違うものは責めるしかない、非難するしかない。自分たちの正当性を誇示したいがために。

おそらく意識してはない。無意識の領域だとは思う。

けれど、そんな別世界の考えを、少数派に当てはめても意味がない。意味がないというよりは、苦しいだけだったりする。


だからこそ「悪」が必要になってくる。大勢の総意(倫理観)から外れた行動や考え方でも

 

邪悪でしょう?

と言うことで、自分たちの行動を、考えを、世界を肯定する行為になるのだから。

法を犯していないなら、悪びれる様子なんて必要ない。後ろめたいなんてこと思わなくていいんだ。この考え方はちょっと危険だけれど、自分たちのごくごく狭い世界でなら、十分適用可能だ。ワールドワイドに持ち出すと、倫理観の母体数が増えるからややこしくなるけど。

私たちみたいなラブワールドに堕ちた人には、きっと未来はないんだよね

「そうですね、悪ですからね」

うん、悪だね

(ゆとり、叶)

どうして休養のための夏休みに、こんなにたくさん宿題が出るんだろう。

これじゃ全然休めないじゃないか。これって制度が間違ってるんじゃないかな

「バカ」

(叶、希)

 

 

 

 

 

柳瀬のキーホルダ・象徴?

 

 

俺のリードシクティス・プロブレマティカスは、『問題』を象徴するって言ってただろ?


第二部でちょこっと他のキーホルダにも、柳瀬はなんか言っていた。ちょっと考えてみる。

リードシクティス・プロブレマティカス―――問題。ラテン語で「問題のあるもの」の意味で、あまりに大きい化石でどのような生物であったのか想像しがたい(想像することに問題(支障)がある)←wiki参照。

ライオン―――百獣の王、君臨主。
オオカミ―――群れる。独り
ウサギ―――弱い。抱き上げ方を間違うだけで死んでしまう
イルカ―――賢い。

とまあだいたい、柳瀬と同じ感覚。

 

うさぎに関しては「軽はずみい?」とは思う。そんな印象をまったく受けない。古雅ゆとりに。

 

 

 

大人になったらできなくなることが増える

 

 

簡単に言えば、とても寂しかったのだ。この楽しい時間が終わってしまうことが。中略

「うん、じゃあまた明日」

けれど、俺たちはもう、こんなときに駄々をこねたりはしない。こねられない。
大きくなるとできることが増えるばかりではなく、きっとできないことも同じように増えてだろう。

(ゆとり、叶)


そうだね、大人になることで出来なくなることは増えていく。それを、きっとぶち壊すのが「悪」の理念なんだと思う。

「人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること」

 

悪は恥じない。悪は動じない。悪は他者の評価を気にしないのだ。

 

知ってるか? 投稿日に虫取り網と虫カゴを持参してきた学生は学園史上初めてだそうだ

(希)

先陣を切るものは勇者。過去からの習わし。

(禊)

いやー、ただのアホだろー

(シャールカ)

 

 

……

 

 

1つの物事に、いろいろな見方

 

「ですねっ! 車窓から見える風景のおかげで、よりおいしくなりますよねっ!」

それは違うぞ、かすがー

こうやって椅子に座ってお菓子を食べている間にも、体は勝手に目的地に近づいている――

だから電車で食べるおかしは最高なんだー


(春日、シャールカ)

 

誰かの視点で物事を見るってことは、それだけで、「それ」の意味や価値が変わってくるもの。

自覚的にやってみれば、とてもいい方法だと思う。にゃるほどー。

 

 

 

 

人は画一的な尺度でははかれない

 

 

合宿中、禊がお魚を採ってきたときのこと。

やるじゃないか、みそぎん! シャールカは感心したぞー!

もし授業に狩猟があれば、間違いなく凛堂禊がトップだろうな

(シャールカ、希)

 

教育というのも画一的なもののように感じる。もし「個性」というものを伸ばしたいのであれば、「多様性」を是認するのであれば、禊や叶はもっともっと自由に学校生活を送れるのにだろうなと感じる。

とはいっても、二人とも心象強度がずばぬけて高いのでいも介していないのだけれど。

狩猟という授業があれば、昆虫採集という授業があれば―――でもそんなもの存在しない。学校という組織は多数派のための場所なのだから。

より多くの人が助かり、より少ないものを切り捨てていく。そういう場所なのだ。これは「世界」という規格にも当てはめられる。

 

  

 

 

宮本

 

無目的な散歩

 

俺は気まぐれに、ちょっと古びた感じのレコード屋に入った。中略

「ねえ、この人誰?」

(叶)


無目的で気まぐれて、ふらっとどこかに言って、さくっと店主に話かける。

にゃるほどね……。

 

 

叶のアホ毛

 

 

柳瀬の依頼を解決したあと、叶たちは学園の屋上にやってきた。

そのとき、禊かこおりにキスをされ、叶はアホ毛を立てる。

こおりは、叶のアホ毛を指摘し笑い始める。
叶は動揺し髪をおさえる。

しかし、LASTEpisodeのこおり編で「叶はループはしない」ということが本当なら、これは何かの意思疎通の方法なんだろうか。合宿中に共有ループにはいったときみたく。

 

宮本ライバル

 

 

宮本と遊んでいる場面。

 

正直、叶には無理だと思っていた。でも、今のは認めざるを得ない。やっぱり叶は私のライバルにふさわしい

(宮本)


いいよなあこういうライバル関係。お互いに遊びの技術を切磋琢磨していく関係。とても憧れる。

 

 

そして宮本の視点、叶の視点はとても最高。

アリはすごいな。こんなにでかいものを運ぶんだぞ

「すげーなー! 自分の体の何倍あるんだよ? カッコイイなそのアリ!」

うん、たいした奴だ。

 

ねえ、これがどれほどに凄いことか分かるだろうか。普段私たちは、自分の足元に注意を払わない。ましてやアリがどうだの、その力持ちがどうだのなんて意識しない。

けれど、宮本と叶の視点を借りれば、そこにはアリがいて、カッコいいことがわかる。なんでもない日常から、なにかを見つけだす能力。

こいつらは本当にそういうのに長けている。宮本もやっぱループ周期長そうだよなあとも。

「あっ!おまえそれ……プチ四駆か!」

宮本が持っていたのはプチ四駆だった。

 

学校にプチ四駆! やるなあと思った。悪と少年性は似ている。むしろ近い。倫理観が違うのだから。

 

ついてこいよ、にーちゃん

おう!

 

そう言って少年と叶たちは、ミヤマ探しに出かける。これを見て私は思ったんだよ。ああ、少年性を捨てない大人ってすっげー魅力的なんだなって。

40歳くらいのお父さんが、こうやって子どもたちと無邪気に遊んでいる姿を思い浮かべるととてもうきうきする。それはCLANNADのあっきーのような存在だからだ。

そして実際に現実でも見かけると、この人すっげー!となる。理屈ばっかりで、世間に揉まれて頭が良くて名言に溢れている大人なんかどうでもいい。

こういう子どもと一緒になって遊べる少年性、そういう心の在り方を持った人間ははなはだ魅力的。

 

 

 

遊びに本気

 

 

 

ふん……おまえらに言っておくぞ。たとえ口で負けても、俺は靴飛ばしであいつに負けたことはない!

よし、おまえら、今から靴飛ばしで勝負だ!

いいぜー!

やろーやろー!

「え……ちょ……ちょっと待って……!? これ読み聞かせのイベントなんだけど……!?」

(叶、こおり)

 

叶のこういうまっすぐに遊んでいる姿はほんとうに惚れそう。

絵本の読み聞かせのイベント。けどそれの大本は「子どもたちと遊ぶ」や「子どもたちと他者の交流」だとかそういうものなんだろう。

だから、叶が行った靴飛ばしは、主旨からしてずれていない。頭でガチガチの人は「絵本の読み聞かせなのに!」と怒るかもしれない。

けれどいいのだ。叶は悪なのだから。

「人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること」

 

 

 

 

 

 

わたしを選んでくれていたら

 

 

誰のルートにも行かず、宮本ばかり遊んでいると三者からこう言われる。

 

叶が……私を選んでくれていれば、もっといろいろ教えてあげられた。でも、叶はそうしなかった……だから、まあまあ

(禊)

はあっ……叶があたしを選んでいてくれれば、もっとまともな人間になるよう更生させたのに……

(こおり)

はあっ……お兄ちゃんが私を選んでいれば、お盆には、2人でお母さんたちのところに行こうと思ってたのに……

(希)

 

選ぶ? ふむ。恋人として選んでくれなかった意味にも見えるけど、それ以外の意味にも少し見える?かも。

この世界はループしているのだろうか。禊の大規模共有ループによって。

 

 

 

 

 

 

第二部

 

秋10月
冬12月
春3月

 

第一部が終わったあとに、第二部へと移る。

このとき第二部の冒頭で、秋冬春という描写がでてくる。そして、こおりがいるギャング部へと場面が変わる。

やっぱり禊の共有ループに入っているのかなと思う。ここ私的には懐疑的で、「禊ルート」だけなのかなとも思っている。全ルートに当てはめられるのかなと?

なぜかというと、LASTEpisodeのこおり編で明かされた「叶はループできない」。もしこれが「真」であるとするならば、禊との共有ループも「ふり」なだけなのかもしれないとそう思う。

これは後々考えてみるが、正直どうでもいいのかもしれない。

だって「ループ」の意味と意義がもうわかっている以上、そこまで重要ではないからだ。

 

 

 

 

 

 

シャールカ先輩かわいいなあ……

 

 

ゆとりのハーレム提案のときの、シャールカ先輩。

 

うーん……シャールカは貧相だから、そういうのになったら、どうせすみっこにおいやられるだけだから

まったくもう、この炎天下に呼びつけておいてこれか……


合宿のとき

……うん、いいよ、べつに……
どうせシャールカ鶏ガラだし…………

 

 

あああもうかわいい>< 卑屈な態度もすごくいい。もうなんだこれどうしてくれようか

 

 

ギャングスタ・リパブリカ
ホワイトソフト (2013-07-26)