猫箱ただひとつ

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相手の「自由」に寛容になることで、自分の自由が保証される。不寛容のままでは自己をも殺しかねない。(3612文字)

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昨日、こんな記事を書いた。

 

『悪』は世界を変えていける―――あなたの心には今なお『宝物』はあるだろうか? ならば自分が自分でいられるための生存戦略をはじめよう (3786文字)

 

 

簡潔にいうと「自分の自由(=趣味、生き方、信条)は誰かに憚ることなんて無い」という趣旨の記事だ。

それが多数に認められないモノであったとしても、蔑むことなんて絶対に無いことだと。

今回の記事は、自分「自由」と相手の「自由」について考えてみた。それではどうぞ。


 

 

 

 

 

 

人は固有性を備える

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「個性を大事にしろ」「多様性を認めろ」という言はとても正しい。それは私たちが1人1人"違う”ことを意味しているからだ。

私たちは固有性を備えている。個人によって好きなものが違うように、出来ることが異なるように、思想が食い違うように何か何まで全然違う。

人間は1人1人違う別の生き物だ。だからこそ画一的になんて管理できない。


さらに言えば自身の培ってきた「固有性」さえ、自分の意志とは別の所で育まれている。

「……そもそも、趣味や特技や思想など。本質的に自分で決められるものじゃない」

(シャールカ・グロスマノヴァ)


それは親という絶対的な存在、環境という名の逃れられない場所。そういった「自分の意志」とは関係ないところで、「自分」が作られる。

好きなことも、生き方も、思想信念さえもだ。 そこには自己責任論が介入することがない。自分の責任じゃあないからだ。 

ならば、「自分」を認めろと声を大にするのは当たり前のことなんじゃないだろうか。好きなことを、生き方を、思想を認めるべきと叫ぶのは当然じゃないだろうか?


多数派が認められないからといって、少数派は「趣味、生き方、思想」を諦めなくていい曲げなくていい捨てなくていい。

「少数派に属する個性をもった人間が邪険に扱われるのだとしたら、それは差別以外の何ものでもない」

そして体裁というものが通常多数派の定めたものである以上、少数派がそれに則ることが難しいのはあたりまえのことだ」

(シャールカ・グロスマノヴァ)

 

そしてこうも言える。「自分を認めろ」ということは、自分以外の他人「相手をも認めなければいけない」ということになる。


じゃないと人としてアンフェアでしょ?

 

自己の自由に寛容になれというなら、他者の自由にも寛容にならなくてはいけない。


相手の自由(=趣味、生き方、信条)を、理解するということ。ああなにもそれを受け入れろなんて言わない。ただ相手の自由に干渉をしないという理解さえあればいいと思う。

すべてを許容する精神を持てなんていう話ではなく、ある程度理解できるものを増やしていく―――ということになるだろうか。 


正直、こんなことを言っている私はあまりできていない。いろいろ受け入れ難いものも多く、平気で他者の自由を切り裂いていることも多々ある。

だからそれを踏まえて、他者のどこまでを理解し、どこまでを干渉とするのかを見極めていくのが本記事の狙いだ。(本題に入るまで1,000文字使っただと?……)

 

 

 

 

自由の干渉の分水嶺

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どこまでが強制で、どこまでが干渉だろうか?

どうしたって受け入れられない事柄はある。それと相手に干渉(=自分の考えを強制)させるのは別物。
・自身の自由(趣味・生き方・信条)に干渉されない限り、相手の自由に干渉をしない。


ルールは多くしないほうがいい。2つくらいがベストだろう。


ここで私的に大事な点は「強制」と「干渉」をどの程度のものと捉えるかが重要になってくる。

どこまでを強制とし、どこまでが干渉とするのか私にはよく分からない。なので考えてみる。

 

(Q1)意見を言うことは、強制になるだろうか?

 

  • 自分の好きなことを言う。 
  • 自分の生き方を宣言する。 
  • 自分の信条を唱え続ける。 


こうした意見が、相手に「なにか」しらの影響を与えたとしてもそれは強制ではないだろう。相手の「自由」と相反していたとしても、これは私の「自由」だ。それを強制だとは言えないはずだ。


次に移ろう。


  • 自分が受け入れられないことは、こういうものだとを発言する。 
  • 自分が嫌悪すべき「生き方、思想、信条」について発言する。 


ここが難しい。


発言すること自体は恐らくいいのだが、そこに「相手の行動を規定させる文句」があればそれは強制になってしまうのではないか? と考える。

例えば、「アニメ声優とかもうどうでもいい、というより興味が無い」と発言する。ここまではいい。これは当人の考えであり、自由だとおもう。それが他者の自由と相反していたとしても、相手を縛り付けているわけじゃない。

だがこのあとに「アニメを見終わったあとに、声優声優と抜かしている奴は今すぐ"やめろ”。そういった発言を"するな”」と言ったとする。

……多分これは……ダメだろう。私にはこれが強制のように思える。相手の行動を規定させているように思える。いや事実それだろう。

さらにさらに、このあとアニメ声優が好きな人に、直接向かって、「そんな考え方だからダメなんだ! 目を覚ませよ!」と発言する。

不特定多数に言っていた発言を、特定の個人に、直接言う。自分の考えを相手に強制させようとしている。これは明らかに「相手の自由に干渉」している。

 

 

つまり?

 

つまり、自身の好きなこと嫌いなことの意見を「発言」するのは一向に構わない。それは当人の自由だ。言うも言わないも当人の意志だからだ。

それは縛り付けられるものでもないし、縛ってもいけない。


しかし、そこに「他者の自由を強制・干渉」する言動が含まれていた場合、「自由の侵害者」となってしまう。

具体的にいうと、「直接的に相手に言い、相手の行動を強制規定させる」ものは過干渉ということだ。

 




自分の自由と相手の自由を、うまく両立させた意見はこういうものだ。


私はボランティアについて、賛同しかねる。なぜなら人としてアンフェアだからだ。それを私は好まないし、嫌いだが、強制はしない。お前たちがしたいというのであれば、したいようにすればいい

これならば自身の自由を大切にし、かつ相手の自由を尊重していることになる。

 

 

(Q2)他者が自分の自由に干渉してきたら、相手の自由に干渉していいのか?

 


私はそれを肯定する。

自己の自由は、他者の自由と必ず衝突する。そのとき他者が干渉してきたのならば、自己もまた相手に干渉することでそこに「抑止の力」が働くはずだ。

つまり、お互いに遠慮して攻撃しなくなるというわけだ


もしここで指を加えて、自己の自由を侵略されるままにしていたら、完全に征服されてしまう。だからこそ、「やられたらやり返す」精神が必要になってくると思う。

 

 

 

 

相手の自由に寛容になることは、自身の自由が保証されることになる

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相手の趣味・生き方・信条に寛容になれば、それは巡り巡って自分の趣味・生き方・信条の自由が保証されることに繋がる。


相手の好きなことや生き方を受け入れなくてもいい、納得しなくてもいい、ただ「相手と自分は違うんだな」という理解さえしていればいいように思える。

自分と相手はもう別々の「違う」人間なのだとしたら、無闇に強制したり過干渉になることも減るだろう。


自分の中で嫌いなこと、大嫌いなことがあってもいい。それを相手に無理強いしなければ良いと思う。自分の自由と相手の自由を尊重することで、もっと生きるのが楽ちんな社会になってくれればいいと私は思うよ。

そしてこのことを少しづつ、ちょっとづつ意識していければいいと感じる。


自分の「自由」を保証するものが、相手を理解すること__相手の自由を理解することに繋がっているんだとすれば、ほんのすこしだけでも、いろいろなものに寛容になれるんじゃないだろうか。

 

 

まとめ

 

 

人にはどうしたって受け入れられない事柄はある。自身の好きなこと嫌いなことの意見を「発言」するのは一向に構わない。けれど相手に自分の考えを強制してはならない。

・自身の自由(趣味・生き方・信条)に干渉されない限り、相手の自由に干渉をしない。やられたらやり返す。そこに抑止力が生まれ、不用意な攻撃は減っていく。


・自分の「自由」を保証するものは、互いが相手の自由に寛容であれと思っている社会。相手について納得できなくても、受け入れられなくてもいい。ただ相手の自由に過干渉さえしなければ。

 

ということで自分自身に還元していこうと思う。


んじゃねー!

 

ギャングスタ・リパブリカ 感想レビュー__悪は世界を変えていく (13975文字

 

 

<参考>

 

自由とは何か (講談社現代新書)

自由とは何か (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

 

ギャングスタ・リパブリカ
ホワイトソフト (2013-07-26)