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ギャングスタ・リパブリカ__水柿こおり 感想。(11977文字)

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「そんなにしたってムダですよーだ」

 

 

▼ ギャングスタの感想記事を書きました。 

ギャングスタ・リパブリカ 感想レビュー__悪は世界を変えていく (15543文字) 

 

 

 

 

 

 

 

水柿こおりの背負っているもの

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もういっそのこと、そういうの、
背負うのやめちゃえばいいんじゃないかな?

(ゆとり)

 

こおりは背負っているものが多いと、ゆとりは言う。

委員長だとか、頼りにされる同級生とか、模範的な生徒だとか、立派な若者だとか―――そういう倫理観を捨てろとゆとりは言う。

うん実のこの人らしい意見だと思う。

そうすれば、ガラクタをガラクタのまま
持っていられるんじゃないかな?


結局のところ、こおりのガラクタはなんなんだろう。

他人のことを大事にして、外側のルールを大事にしている。けどそれを受け入れないときがある。それがこおりのガラクタなんだろうか?

 

……苦手なのは、他人に対するネガティブな評価で通じあう、ってこと。そんな、世界のあり方が、ちょっと辛い

(こおり)


これがこおりの『ガラクタ』なのだとしたら、どういう言葉で置き換えられるのだろうか。平和主義? みんなで仲良くとかそういうのだろうか。

ああたしかにガラクタっぽいな……。そんなのは叶わない夢見事。世界が大好きだからこそ、その世界に属しているみんなが仲良くあって欲しい。

けれど実際は、仲良いと思っていた人同士が「悪口」や「陰口」を言い合っている。そうやって繋がっている、それは当たり前のことだけど、許容できない。

そうだね。

この陰で悪口を言うのは、他者との衝突を避けるためでもある。直截に真正面に言い合ったら、たいてい仲はこじれる。お互いに思想も信念も違うからだ。

こじれた仲は、ほとんどの場合は破局を迎える。
下手をすると破局させた側が、とばっちりを食らう可能性もある。

だから、真正面にはいかず裏で気持ちを吐き出す。にゃるほどね。けれど「ギャング部」はそんな在り方を否定する。

禊、こおり、希、ゆとりの4人はそれぞれ、志も考え方も信条も大きく異なっている。

誰かと誰かが思想の食い違いで、意見の衝突が起きる。本来ならこおりのいうように、みんな真正面で自分の本音を(相手を傷つける言葉)なんか言わないだろう。

それはリスクでしかないから。メリットなんてほとんどない。

しかし、この4人は"必ず”対立する。

自分の意見を言い合って、相手に本音をぶつけて、相手も自分に本音を投げつけてくる。お互いにぼろぼろになる。

けどこれはこれで正しい。だってここは『ギャングスタ・リパブリカ』なのだから。

自由で公平で公正で平等なのだから。平和が実現するのだとしたら、この小さな王国こそ、こおりにとって安寧を得られる場所に違いない。

 

 

 

 

一回性と、立場を変えること

 

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ゆとりはこうも告げる。

これでくじ引きして……、みんなの立場を入れ替えるの


この人はほんとうに"頭がいい”。成績や知識の有無ではなく、意識のズレかたがとてもいい。

人はたいてい視野狭窄になりがち。それは視野が狭い、というよりは「視点」の数が圧倒的に少ないからだ。

だから1つの物事に縛られたり、囚われたりする。比較ができないから。だから、ゆとりは「視点を変えろ」と言っている。

そしてこれは一回性にも繋がる。

自分が見ている日常がつまらなくなったとき、自分の視点でみるのをやめて、誰かの視点で見ればいい。

そうすると感じ方、捉え方、見方が驚くくらいに変わる。ちょっとむずかしいんだけどね。けれどやってみる価値はある。

それくらいに大事なこと。


例えば、叶の視点にたって、公園を散歩してみるとすんごいうきうきする。セミの鳴き声もただ煩かったのが、心地よくなったりする。

視点を借りるというのは、「あいつなら、この目に映っている風景をどう"視る”だろうか」と考えることに近い。

そうやって能動的に、意識的に意識を"ずら”す。一人旅はこの敷居がとても低いから、ずれやすいんだろうなあとは思う。バックパッカーやりたいね。

ああ、ようはロールプレイだな

(希)


そうそう。これは頭をものすごく使う。人間一人の、個人の本質を再現しようとしているんだ。半端な想像力では形作れない。かんたんに霧散してしまう。

一回性の鍵は「頭をフル回転」させることでもある。

 

 

 

そして春日のこの一言。

他の人の役割への想像力を養うことは、
組織を強靭にするためにも有益でありますねっ!

これはほんとうにそう。
機会があったら私もやってみよう。

 

 

 

 

 

 

世界はやさしくない

 

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だけど、世界は叶たちほどやさしくないんだよ?

あたしは世界のこと好きだし、世界に絶望しているわけでもないけど、正直自信がないんだ。

みんなといっしょにいるのは楽しいし、何かして感謝されたりするのもやりがいがあるけど……それでも。

あたしはこの世界で生まれた。
だから、この世界を信じてる。信じたい。

この世界のためになることをしたい。
そうしていると、幸せだなって感じるから。

(こおり)


こおりの適正としては、社会貢献とか良さそうだよね。自分が社会の歯車になっている実感がある職業ならなおいいのかもしれない。

ボランティア―――そう篤志部なんてまさにこおり向けじゃないか。

けれどなんだろう、私の価値観として、世界に従属する、セカイに帰属するという在り方はとてもこわいように思える。

国家に対して拠り所を求めた人のように、いつか必ず"裏切られる”んだよとそう思ってしまう。

そうなったら、こおりはポッキリ折れてしまいそうな気がする。

まだあたし、何とか折れてないと思う。
だけど、もうちょっとしたらダメになるかもしれない。

ずっと叶たちに支えてもらってるけど、
それでももうダメかもと思うことがあって……


世界が優しくないなら……、そんな世界、俺たちで変えたらいい。悪は世界を変える。―――言ってるだろ?」

(こおり、叶)

 

悪は世界を変える―――

それは地球全体の国家規模のはなしではなく、私たち「世界」といっている周囲をさしている。その射程距離は20kmとかそんなとこだろう。


もっともっと狭いかもしれない。

そんな自己の世界を変える。そのためには『悪』が必要不可欠になってくる、必要悪ってね?

悪は孤独の道。
悪は孤高の道。
悪は孤絶への道。

だからこそ、悪は世界を変えられる。自分が見ている世界を違うものへとシフトさせることができる。

そしてそこに悪の『仲間』がいるなら、維持はたいへんにやりやすい。悪は、仲間は、世界を革命させるんだ。

 

この世界を信じてるって言ったけど……
でも、それってほんとぎりぎりで……

今にも世界に見捨てられそうな気がしてて、不安で、心細くて……。
だから、叶なら、あたしをこの世界とつなぎとめてくれるって思って

 

 

 

 

 

水柿こおりはしっかり見せようとする

 

 

あたし、本当は苦手なものとか怖いものばっかり。

みんなにはしっかりしてるって思われるけど、本当はぜんぜんそんなことないもん
(中略)

本当は怖いくせに、それも言えなくて、かといって素直にもなれない

(こおり)

 

水柿こおりは、とてもふつうでどこにでもいるそんな人間。
常識的で模範的なとても"いい”学生。

だからこそ、ギャング部の中では害毒にしかならないわけなのだけれど。

そして思うのだ。こおりが行なっていることはただの侵略で侵害で害毒でしかないということ。ギャング部を本来の意味での篤志部にしようとしたり、悪道から正道に戻そうとしたり。

そんな権利、こいつにはない。

そしてこの行為は、みんな怒ってもいいはずなんだ。自分たちの居場所を荒らして自分のルールを強制するような奴には。

けれど、叶も禊も希もゆとりもシャールカも春日もとくに怒っている様子はない。みんな寛容なのだ。

少数派は、常に多数派の「不寛容」によって肩身が狭い思いをしている。(生徒会の七子のような存在)


多数派の彼らは、自分たちの世界が「正しく」「普通」で「当たり前」だと思っているから。だから、それから外れたものに大して、容認することが難しくなる。

間違っていて、異なっていて、奇抜なものを容認できる人は少ないからだ。


もし叶たちが「寛容」することに意識的であるならば、自分たちが少数派だからといって不寛容にさらされてきたからこそ、自分たちは寛容になるべきだと思っているならば、

こおりの態度にも頷ける気がする。

 

 

 

中出し

 

中に出しちゃったら……赤ちゃん……できちゃうっ……!

まだ……中はダメぇっ……お願いだから……外に出して……叶……!

(こおり)

 

叶とのHで、ゆいつ一人だけ「中出しはダメ」と言うこおり。

間違いなく今の倫理観じゃ、中出しは"ダメ”だろう。学生で赤ちゃんを育てていくのは経済的事情の困難さもあるが、それ以上に「社会の目」が突き刺さるのだから。

今のこおりじゃ____倫理に縛られている状態じゃ____それは絶対的に拒否の対象だろう。

 

 

 

 

 

 

 

大切にしている世界を、受け入れないのだとしたら

 

 

 

でも、本人がいるところといないとことで話し方を変えるのって、あたしは苦手で

「……だったら、こおりがそういうことしなきゃいいだけじゃないか?」

でもそういうわけにもいかないから


そうだね、これは「みんな」やっていることなんだと思う。人前で話し方を変えたり、態度を変えたり、性格を変えたり。

体面を装って話したり、世間体を気にして話題を選んだり―――そのくせ本人がいないところでは、当人の内緒話をしていたり。

でも、あたしはそういうの……けっこう無理なんだ


そういう「みんな」がしている行動を、水柿こおりは「無理」だと言い放つ。

……あたし、この世界でちゃんと生きていけないのかな、って

あたしが大切にしているものって、ガラクタなのかな?
あたしが大切にしてるものに、あたしが受け入れられないとしたら……

それって、ガラクタだよね?


こおりは「みんな」とよばれる者。常識だとかマナーだとか世間、一般、ふつう―――そう倫理観とよばれるものに「価値」を置いている。

それは世界を大切にしているということ。けど、その「世界」のルールに疑問を持った場合、それが受け入れられないんだとしたら、彼女は群れの中で独りぼっちの寂しさを抱えてしまうことになる。

ゆえに、彼女のキーホルダーはオオカミなんだろう。

群れることを第一主義としながらも、その実群れの中で交れない存在。一匹狼になってしまっているのだから。

 

 

 

 

 

 

こおりと触手同人誌

 

 

それ以前に、あたしだったら、最初の段階で、こんなのダメって自分できめちゃうかも。こういうの好きになっちゃダメだって


「なんでそんなことするんだ?」

だって、人に知られたらどうしようとか思っちゃうから

「趣味なんか自由だろ。他人にどうこう言われる筋合いはない」

そんなことわかってるけどね。
でも、そういうふうに割り切れない

(こおり、希)

 

こおりは多分知識としては、そういうことなんだってわかっているんだろうけど、腹の底では、胸の内では全然理解できていないように思える。


趣味なんか自由で、他人にとやかく言われるものじゃない。"けれど”、他人がどにどう言われるか、見られるかを想像してしまっている。


こおりは、やっぱり、というかもう確定的に、人の目線ばっかり気にして生きている。人の―――この街の住人に自分がどう見られるか。それだけが肝要なんじゃないのかな。

とても反吐ができるけど。

 

 

 

 

 

 

 

こおりはすぐ否定する

 

こおりはそうやってすぐ否定するんだな

すぐそうやって否定して、
自分の気持ちに素直にならずに

(希)

 

こおりの在り方って、なあなあとか微温的と言われるものなんだよね。手ぬるいというか、直截に表現しないというか、荒事を避けるみたいな。

それは社会で生きていくための、処世術といってもいい。それが行き過ぎると、八方美人になる。

自分の気持ちをごまかして、否定して、嘘ついてまで、人間関係の円滑を望む。

それって自分だけ辛くて、周りは負担が少ないそんなの。

 

 

 

 

 

ほんと性格が悪いな……こおり

 

「悪として当然ですよ。スリランカの首都もピカソのフルネームも言えますよ」

すごーい。

安易に人を褒めない方がいいよ、ゆとりさん

(叶、ゆとり、こおり)


こおりは本当に性格が悪いなと思う。なんなのこいつ……。いや間違った、何なのこの人……。

誰かが誰かを褒めることでさえも、自分の考えを強制しようとするそれは、ほんとうにどこまでも最悪だ。こいつは一体なんなのだろう?

 

 

 

 

 

叶の行動範囲

 

 

ううん、叶が奇行に走らない方がいいってことじゃなくてたぶん叶ってさ、こういうとこ、知らない人ばかりだから、 責任取れないって感じてるんじゃないかな。

地元だとさ、だいたい知っている人だから、何かあっても謝ったらいいし、あとでフォローできるけど、こういうとこだと、そういうわけにはいかないじゃない

(こおり)

 

 叶の「社会から排斥」されない基盤はここにもある。自分の手の届く距離だけで"無茶”をするようにしているのかもしれない。

 

こおりにいわれてはじめて気づいた感じの叶だった。無意識のうちになのかな?

 

 

記録と今

 

叶って、あんまり物残さない人だしね。
記念品とかさ、写真とかさ

「……そんな気もする。でも、記録より、そのとき何をするかの方が大事だろ?

(こおり、叶)

 

 うんだね。過去も未来もしょせんは終わってはじまることでしかない。今じゃない。今だからこそ、そこに全力をつぎ込むことを恐れないからこそ、叶の世界はキラキラしているんだろうなあ。

 

 

 

 

「誰にでも」なれるっていうこと

 

 

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「あれは仲間内だからこそできた、ロールプレイだけどね」

「うん、そう、仲間内。仲間に生かされてるって感じするよね」
「またざっくりといいこと言う」

「でも、みんながいるから、私、誰にでもなれるんだよ」

(こおり、ゆとり)


ここちょっと意味がよく掴めてなかったのだけれど、だんだんと分かってきたような気がする。

「誰かになれる」というのは、身分や立場、思考から人格そういう外的要因から内的要因すべてをひっくるめた「個体」に移り変われるということ。

誰かになれる、誰にでもなれる。

けれど実際はそんなことは無理。だって人は違うから。差異があるから、平等ではないから。どこもかしこも「異」なっている。

それでも、古雅ゆとりは言う。「私たちは誰にでもなれるよ」と。―――それってどういうことかというと、「プロトコル」概念に近い。



「political correctness」

 

それは強制規約みたいなもので、

人間の「異質性・性能差・個体差」をすべて共通規約によって強制的に規定し、水平方向の送受信を可能にする―――そうプロトコル

"差”別をなくし、誰もが平等であれというそういう概念。
「ギャング部」であれば、この考え方、この概念は適用されるように思える。だってここは『共和国』だから。

立場や身分、経済的事情から、個人の異質性などぜんぜん関係なくなる。自由を基盤にしているからだ。

みんながいるから、自信をもって、自分から離れられるんだよ

みんなが……仲間がいたら、いつだって、それがよりどころになるから
。あとは、適当にやっても、何とかなるんじゃないかな

(ゆとり)

 

この「自分から離れる」というのは、「倫理」から切り離されたことを言っているように思える。

倫理……倫理観。それは他人を想う気持ちから生まれたルール。他人……他者性。だからこおりは背負っているものがおおい。周りの人間に、他人に価値を置きすぎているから。

倫理観を切り離すというのは、思考実験なら問題ない。実害はないし、それは行動に直結するわけではないから。

ただ、行動に直結する「倫理観を切り離す」は勇気がいる。ようするに、周りがダメだと思っているルールを考えなくなるということ

始業式に虫取り網と虫カゴを持ってきたり、学校にて紙飛行機を飛ばして遊んでみたり、ギャング部という悪の組織を作ってみたり。

時守叶の行動は、「他人」を気にしないからこそできることである。もしそこに、「他人の視線」を感じるのであれば、

「始業式に虫取り網は持ってきちゃだめだろ……」
「高校生で紙飛行機ってもっと違う遊びあるだろ……」
「悪の組織ってガキじゃあるまいし……」


そういう考えになってしまう。叶は倫理観を"ほとんど”切り離しているからこそ、こういう行動ができる。
そして、倫理観もとい他者性が希薄な分、生きることが楽ちんなんだ。

誰かの気持ちをむやみやたらと、過度に読解しなくてよくなるから―――


行き過ぎると、集団から排斥されてしまうものだけど、叶はここらへんうまい。叶の行動基盤の話はのちのち話す。

 

 

 

 

人間は誰にでもなれない

 

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「なれるよ。だって、人間みんな同じじゃない」
「だって、ほら、目が2つあって鼻が1つあって……」

「生き物としてはそうでも、考えてることとか人間関係とかは、それぞれ違うでしょ」

「だけど、それって細かいことじゃない? だいたいのところは、人間って同じでしょ。だって、そうじゃなかったら、お話なんかできない」


(こおり、ゆとり)

 

こおりは、人間は1人1人違うぜんぜん違う生き物だと主張する。対してゆとりは、根本的な部分は人間は「同じ」でしょと告げる。

 

「相手が自分と同じ感じ方をしてるって思うからこそ、それを前提にしてお話できるんでしょ」(中略)

「だからこそ、外国の人とも……たとえばシャルちゃんとも通じ合えるんでしょ?

気持ちは分かり合えないかもしれないけど、それを伝えるための根っこは分け合えるでしょ?」


ゆとりは何がいいたいんだろう。何の話をしているんだろう。

最初に思ったのが、これは「善意」の話か?そうおもった。または「言葉」の分野かなとも。

もし私たちが本当の意味で「違う生き物」だとしたら、相手に理解してもらおうなんて思わない。

動物園の動物に、本気で語りかけている人はいない。自分の言葉を届けようと思う人は少ない。だって、違う生き物だから。自分とは違う存在のものに、自分を理解してもらおうと思うのは出来ない気がする。

コミュニケーションの断絶―――とでもいうんだろうか。そもそもコミュニケーションすら取らないところから関係ははじまるように思える。

人間は人間同士でなまじ言葉が通じる。100%の精度ではないにせよ、言葉を交わし言葉を理解できる。もちろん言語が違うとうまくはいかないが、それでも身振り手振りで自分の気持ちを伝えることはできる。伝わるかは分からないが、伝えることはできる。

それは相手が「自分と同じ」だからという前提があるからだろう。自分と近い存在だから、似ている何かだから。

―――


ゆとりがいう「根っこ」はなにを指しているんだろうか。やぱり善意な気がしてくるんだ……。そう倫理観。

それも大原則であり根本の倫理観。

文化や知識、経験に依存しない「本能」の領域にある部分。そこが根っこなんじゃないか?

親殺し・子殺し・殺人・奪取―――そういわゆる「法」で制御している部分。倫理観でも制御しているが、法律を介すことによってより制限の強度をあげている。

だから、初対面で私たちは「人を殺さない」「殴らない」「盗まない」……盗まないは、例外かもね。盗む人は盗む。そういう国で育ったのならなおさらなのかも。

とにかく、そういう本能の領域の大原則のぶぶんで私達は繋がっているように思える。それがゆとりの言う根っこだろうか。

 

たしかに根っこかもしれないけど、人間って、その上に文化とか習慣とか経験とか、いろいろ積み重ねてるから。

根っこが同じだからわかりあえるとか、
べつの誰にでもなれるとか、そんなものじゃない

根っこなんてちょっとだけで、その上に積み重なった部分が、人間のほとんどすべてだから

(こおり)


こおりの言うことは分かる。

人は固有性を備える。人は個人にして単一。個体にして唯一の存在なんだ。

もし固有性を備えないのだとしたら、私たちが「動物」を捉えるときのように私たちはすべての意味で希釈される。

アリを観る時、ひとつひとつのアリの「固有性」について考えるだろうか? 「アリ」は群体としての「アリ」としてしか見れないんじゃないだろうか?

牛はどうだ? 豚は? 猿は? 鳥は? 1,000匹いたら1,000固体分の「差異」について考えるだろうか? いやしないだろう。

それはつまり、私たちは他の動物をみるとき「固有性」についてなにも考えていないということになる。ペットとして飼ったり、長い時間を一緒に過ごしてきたなら話は別になるが。

ようは、人に固有性が無いと、みんながみんなであり、私はいなくなりただの群れとしてしか生存しなくなる。ただの遺伝子の乗り換え。

そんな装置に成り下がる。

私は『私』だからこそ、私に価値を見出し、意味を与え、存在できている。自意識こそ、固有性の起点となる部分だろうか。

 

でも、別の人になれるって希望がないと疲れちゃうよ

自分はずっと1人の人……そんなものに縛られてたら、押しつぶされちゃうよ。逃げ場所もなくなっちゃうよ。

(ゆとり)

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私は人の固有性に思いを馳せる時、それは至高だなと思う。単一にして唯一なのだ。オリジナルは世界に1つだからこそ価値が生まれる。それが無数にあったらそこに希少さは備わらない。

そういうふうにして、人が1人であること、孤独という意味ではなく個体として存在できることは素晴らしいなと思う。

けれど、ゆとりの言っていることもわかる。

私たちは、「個」として成熟しすぎると(社会が集団帰属から→個人へと移り変わった)、「自己責任論」が生まれ始める。

個人の権利が増大した。自由なことが増えた。けれどそのぶん、自由の代償として「責任」という考え方も強くなった。

わかりやすいのは株だろうか。自分の資本を元手にお金を転がし、上手く言った分それは全部自分のものとなる。失敗すればその責任は全部あなたのものになる。

そういうことだ。

そしてこの「自己責任論」は、正直いって苦しい。すべての出来事、生まれから育ち、努力から運、才能から無能まですべてを「自分のせい」にされる。


たまったものじゃないだろう。

それらを全部自分で引き受けて、背負うのって、生きづらくない? 息苦しくてたまらなくならない?

ゆとりが言っているのはそういうことのように思える。

 

その人はその人として生きる。別の人として生きてはいけない。

それがたいへんだからと言って、逃げることなんかできない。その覚悟は、どうしても必要なんじゃないかな、たぶん

そんな覚悟、必要ないと思うな。つらかったら、やめちゃっても、逃げちゃってもいいんじゃない?

(こおり、ゆとり)

 

ゆとりの在り方は本当に王者。
梨都子さんが以前にこう言っていたのを思い出す。

選択することにつかれた者にとって、お嬢様のような無垢な王者はとても魅力的なのです。


ゆとりの在り方は、ゆとり自身で培ったものではなく大勢の人間に支えられてこそ今まで、そして今現在も保っていられる。

それを獲得するのはド級の困難さを誇る。でもいいんだよ。そういう人間がいるってだけで、なんだか救われるような気がする。

こういう、どこまでも、いつまででもある無垢さは本当に見習いたい。すべてを捨て去ること、覚悟すらも投げ捨てる勇気。

ゆとりはそれを勇気とも思ってなさそうだけどね。

 

キツい仕事はやめたらいいし、苦手な人とは距離をおけばいい。そんなことまで否定してない。

だけど、自分が自分であることから逃れることはできない。自分って、しがらみとくっついてて、簡単に切り離したりべつのしがらみに着替えたりすることなんかできないと思う。しがらみって、皮膚みたいなものだから



こおりちゃんは、そう感じてるからつらいんだよね? 自分から離れることができないって感じてるからこそ」

こおりちゃん自身にくっついてるしがらみが生み出す価値観。それが、こおりちゃんと合わない。

だからこそ、そんなしがらみ、自分とは違う世界のものだって思えばいいんじゃないかな

 

思うとか思わないとかじゃない。
あたしはその世界で生きてきた。あたし自身と同じこと

たぶんそういうのって思い込みなんだよ

(こおり、ゆとり)

 

 

自分が自分であることが「固有性」のことを言っているのだとしたら、しがらみは「倫理観」だろう。

こおりはそういう、辛いことを辛いまま請け負いすぎている。だからこそぽっきり折れそうなんだ。

そして「倫理観」は、人によっては切り離しにくいもの。自分の世界に疑問を持たないまま生きてきたんだとしたら尚更だ。

この世界がどれほどに壊れていて、どれほどに欠陥だらけだということを考えたことがある人は、おそらく倫理観を切り離せる。

ルールは単一ではなく、複数あることに気づける。


けど、水柿こおりという女の子は「世界が大好き」なんだ。世界が好きだからこそ、世界の欠点に目をそらしてしまう。たとえ気づいても「自分が間違っている」んだと思ってしまう。

そういう、重圧がどんどん、どんどんどん溜まっていく。そして耐えられなくなってくる。

もっと、自由であるべきなんだよ。趣味や思想、生き方の問題はもっと。


ゆとりが「思い込みなんだよそれは」といったのは、そのとおりで、こおりが「そう思いたい」からこそそうなっているだけにすぎない。

ちょっと視点を変えてみれば、その思い込みは"やっぱり”思い込みだったんだと気づける。

その視点の切り替えを、ゆとりは奥遷宮にいったり、みんなとの立場を変えることで発見できるよとそう言った。私もそう思う。

自分が生まれ育った場所で、ずーーーっといることは視野狭窄になりがちなのね。だって、自分の世界と別の世界の「比較」ができないから。

どれくらいに優れていて、どこが優っていて、どこが欠点なのか。そういうことに気付けない。

比較ができないということは、自分の世界を「真」だと思いがちになる。これしかない、って。これしか私の世界はないんだって狭窄気味になる。


それは____いつしか死を招く。


よくさ、仕事や就職で失敗して死んじゃう人いるじゃない? すべての事象がそうだとは言わないけど、ある領域の話では、彼らは「その世界しかなかった」からこそ、自殺を選んでしまったように思える。

仕事という世界、就職するしかない世界。そういう1つ世界しか見てこなかったからこそ、セカイに嫌われた途端「もうダメだ、生きていけない」となる。

 

……こおりちゃんは、それをずっと背負っていくの?

そうするしかないでしょ?
それ以外に選択の余地なんかない

 

そう思い込むようになる。

選択の余地がない? ふざけんな。なわけないんだよ。セカイなんてもっともっと広大で、無数に存在していて、自分が好ましい安堵できるところなんていっぱいあるんだよ。

選択を1つ、または2つにしてしまった時点で、それはもう失敗だよ。

生きるか死ぬかとか。これしかないんだとか、そんなのは全部思い込みにすぎない。もしその選択肢が潰えたとき、どうする?

壊れるか壊すしかなくなる。

それは間違っているよね? 生存としての戦略としてみた場合、下策にもほどがある。生きていればいいなんて言わないけど、選択肢を1つにするのはダメだ。



そんな世界はさいしょから欠陥なんだよ。

 

 

 

 

 

 

水柿こおりは自分の意志で決めていないんじゃないか?

 

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こおりちゃんがこおりちゃんとして決めたことは、いつだって正しいと思うな、私は

「それがっ無理だって言ってるの」

(ゆとり、こおり)

 

前々から思っていたけど、水柿こおりは、「自分の意志」で決めていないふしがある。

すべてとは言わないけど、ほとんどが全部「誰か」に決められたこと。誰かが悪いといったこと、誰かがそれはマナー違反だといったこと、誰かが決めたルール―――倫理観ばかりを重視している。

倫理観は、自分の意志を介入しにくい。


これは幼少期の頃からかってに刷り込まれ、無意識のうちに出来上がったものだからだ。善か悪か。それを選り分けるのが倫理観。

こおりはそういった「外側」のルールばかりを採用する。自分が好きなことや、良いと思ったことは後回しになってしまう。



だからゆとりはこう言ったんだろう。

こおりちゃんがこおりちゃんとして決めたことは、いつだって正しいと思うな、私は

 

こおりは「こおり」として決めていないからこその忠言。

 

「それがっ無理だって言ってるの」

そしてそれを否定するこおり。ギャング部に属しているみんなは、ちゃんと「自分の意志」「自分で決めた覚悟」を持っている。こおりだけ、なんだか部外者だ。

 

『悪』は、時守くんが自分で決めたものだよね?

 

叶は悪を、禊は救世主を、ゆとりは無垢さを、希は子どもの世界を、シャールカは怠惰を、春日は悪の使徒を


それぞれみんな自分で決めて、ここに来た。

こおりの「ギャング部を篤志部にする」は叶のためだというけれど、それは叶のためなんかじゃないだろう。

自分の外側のルールと反している人間を、無理やり、強制的に戻すその行為は、ただ「気に食わない」だけ「自分の思い通りにならない」という卑劣な想いから根をはやしている。

……ほんとうに……ふざけんなよ……。

 

誰かのことを好きなだけな自分ってとても怖いから 
たとえ気持ちが通じあって幸せでも、それでも怖いから 
好きって気持ちだけを頼りに、自分で立ってないといけないから 

(こおり)

 

 

私は思う。

こういう自分で決めたことじゃないルールを必死になって守り、無条件で従い、覚悟も信念も思想もないくせに、人に「こうであれ」と押し付ける奴らは軒並み潰えればいい。


潰えろ。


自分で決めて、自分で選んだルールならいい。覚悟をもって信念を持っているならいい。でも、こおりみたいな奴は真底にむかついてくる。腹の底から苛立ってくる。

自分で考えることもできない奴に、あれこれ言われる筋合いなんてないんだよ。

 

 

 

 

選ぶ、選択するということ

 

叶は、あたしのこと選んでくれたんだよね?

 

 

第二部になってから、禊・希・ゆとり・こおりの4人がそれぞれ2人に別れ対立し始める。

そしてお互いにどちらかを選ぶことを求めてくる。


……これは一体なにを指しているんだろう。選ぶということ、2人のうち1人を選ぶということ。

的外れかもしれないけど、ちょっと思ったのが、なんだか救世主ぽいなーということ。

叶が1人を選ぶことで、その1人は叶と世界を共有しガラクタを所有したままこの世界を生きることができる。でも……ギャング部にいる連中はあの空間さえあればそれは可能か。

ふむ。


選ぶ選ぶ選ぶということ。選択するということ。つかみとるということ。…………なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

ギャング部を返そうと思う

 

あたし……この部を、みんなに返そうと思う。
今までいろいろ強引なことしてごめんね。
篤志部は――ううん、ギャング部は叶たちのもの

あたし、身勝手だった。
自分の劣等感で勝手に引っ掻き回して

(こおり)

 

それに気づいたなら上々だと思う。

結局のところ、こおりは叶たちの王国を侵害していたに過ぎないのだから。

自分の意志で、入国しないと、そこにいる意味は薄れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

水柿こおりには、背負っているものがない

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――――あたしには、背負ってるものがない

 

禊には過去、ゆとりにはお金、希ちゃんは頭がいいという。能力ではない、背負っているものがあるとこおりは言う。

私はこれは「信念」だとか「覚悟」という領域のことだと思う。

禊は救世主にならんとする信念。
ゆとりは、何者にも囚われないという生き方。
希は、子どもの理屈を有したまま大人の世界で生きていく覚悟。

それぞれにみんな持っている。

 

あたしは、憎い。
禊が―――
希ちゃんが―――
ゆとりさんが―――

あたしは、あたしが憎い。
何もない自分自身が憎い。

(こおり)

 
けれど、こおりだけは全部他者からの借り物だ。そういうの劣等感を持っているんじゃないか。上の三人は、人間として強度が強いのでその気持ちはわかる。

こおりは普通だからね。どこまでいっても。

 

 

……今、叶とつながることで、こおりは背負っているものができたらなと言った。それはようするに交接。

こおりはやっぱりどこまでも平凡なんだろう。だから自分の足で立つことが難しい。誰か―――周囲の人間ではないとしたら、そう叶。

時守叶の存在が必要になってくる。

いや、もってる。
俺とこおりと、2人いっしょに、1つのものを。
俺の過去はこおりの過去。
俺が背負ってるものは、こおりが背負ってるのも同じだ。

足踏みする俺をこおりが待っていてくれて、
それに俺が追いつこうとしてたってことでもある。
だからこおりは、最初から俺のことを背負っていた。

 

叶を背負うという覚悟。
それは倫理を超えることとも言える。
だって叶は、倫理を超越しているから。

こおりにとっては、苦くも甘い決断だったんだろうか。


こおりの大原則として、倫理観を絶対視していたのだから。叶はそれの対局に位置している存在だから。

 

 

 

 

悪は行動するもの

 

「本気であるか否かは無関係」

『人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、
人がそうなりたいと思うことを実現すること』

「仮にこおりがやめたいと思っていたとしても、
それがこおりのなりたい未来と反しているのなら、
悪は行動するもの

(禊)

 

さすが帝王。

悪の本懐を常に忘れていないところは尊敬に値する。

 

 

 

 

 

叶の悪

 

「ははは、悪だろ。悲しんでる奴に獰猛な生き物を与えるなんてな。ほんとはファンシーなのを与えるべきなのに

「高くなかった?」

お年玉の残りつぎ込んだんだよ
っていうか、値段のことはいいんだよ」

(叶、こおり)


ここのシーンほんとうに好き。
思わず泣きそうになった。うるうるしてしまった。

叶のその心のあり方が大好きで仕方がない。優しくてかっこよくて自由気ままで照れ屋で―――そんな彼が大好きだ。

 

 

 

 

 

ギャング部の一員として頑張り始める、こおり

 

心配かけてごめんなさい。
ギャング部の一員としてがんばります。

(……こおりがポジティブにギャング部って言ったの、はじめてな気がした

あたしは、ギャング部の一員として生きてく。そのことは、あたしの『背負ってるもの』だから

(こおり)

 

うんうん。背負うというのは、「背負う」と決めたことのみ起きる現象なんだと思う。

誰かを背負うと自分で決めた。何かを背負い込むとそう選択した。そこには、人の固有性が宿るものだ。

 

 

あたし、がんばります。
ギャング部を、本当の篤志部にするために

……おまえって、悪だよな

(こおり、叶)

ギャング部が篤志部になるその日まで

―――あたし、やめないから

 

こおりのこれは意味が判然としなかった。なぜギャング部と肯定的に捉えたにも関わらず、それを背負うと決め込んだんにもかからわず「篤志部」を目指すのか?と。

けど、叶のいうとおり、これは『』なのだ。


人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、
人がそうなりたいと思うことを実現すること

こおりはギャング部を肯定的に捉え受け入れたからこそ、『そうしたいと思うのとは"違う”やり方』で、未来を実現させようとしているだけなんだ。

何を実現させようとしている?

それは、叶とずっとずっと一緒にいるってことななんじゃないか?

叶を背負うということは、叶と共に生きるということなのだから―――