猫箱ただひとつ

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ギャングスタ・リパブリカ__古雅ゆとり 感想 (7833文字)

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「じゃあ時守くん、万引き犯を捕まえちゃったんだ。
それっていいことしちゃったんじゃない?」

 

 

▼ ギャングスタの感想記事を書きました。 

ギャングスタ・リパブリカ 感想レビュー__悪は世界を変えていく (15543文字) 

 

 

 

 

 

 

 

 

古雅ゆとりと仲間

 

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あのとき、時守くんに声をかけてよかったって思ってる

今までは、こんなふうに付き合える……なんていうのかな? そういう友達っていなかったから

今までの友達はそういうその場その場の空白を埋めるだけの存在で、それ以上の何かではなかったから

立場や環境が変われば、それにつれて変わっていく刹那的なものだった。

でも、ギャング部のみんなは違う

(古雅ゆとり)

 

 

ゆとりの疑問に、叶は「俺たちが仲間だからですよ」と答えた。私もそう思う。

人間関係の「強度」はだいたい属しているものに規定される。学校、クラス、部活、会社、サークル、塾…………そういった「場所」によって人癌県警を強くしたり弱くなったりする。

んで、その「場所」から離れたり、組織から離脱してしまえば、とたんに人間関係は薄弱となる。なぜなら、その場所こそが、彼らを繋ぐための結び目だったのだから。

けれど、ギャング部は違う。


あそこも「場所」としては確立してあるけれど、あそこはどっちかっていうと「信念を志すもの」という意味合いが強い。

 

「悪」という思想信念のために、みんなが集まり、一丸となっている。叶、禊、ゆとり、希、シャールカ、春日は「信念」によって繋がれている。

だから例え、部活が廃部になったとしても、進路がみんなバラバラでも、人生の岐路がかけ離れていても。彼らの関係性は薄弱になりにくい。

『悪』はみんなを繋げる。
『悪』という想いを心の中に持っていれば、ただそれだけでいい。
ガラクタを所有するもの同士は、惹かれ、繋がり、強固な同士になる。

――――――誰も溺れないように

――――――そう、誰ひとりこの世界から溺れないように

 

 

 

 

 

 

邪悪日報

 

あ、ちょっと待って。『邪悪日報』書いちゃうから

(ゆとり)

 

これはナイスなアイディア。自分たちが楽しんだことを、書き綴ることはいいよねえ。私もやろ。

 

 

 

無垢なる王者

 

 

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部長という人の内にはまさに「無垢」と「王者」が同居している。

無垢であるから王者でいられるのか、王者たる者すべからくその内に無垢を内包しているのか、それはわからない。

 

古雅ゆとりは、環境によって、その本質が磨かれてきたように思える。どこまでも恵まれていて、どこもかしこも自由がある。不自由なんてない。

 

「お嬢様は、わたくしが言うのもなんですが、生活力が皆無です」中略

料理はできないし、掃除や選択などやろうとしたこともないだおる。女子たる者は身につけておくべきと言われることはすべからくさっぱりできない。

それでも、部長はそういう自分の「無能」に引け目に感じない。そういう常識を持ちあわせていない。

いや、そういう常識を「持たねばならない」という常識すらない。

 

そう、だからこそ、常識に縛られない。倫理観に囚われない。

これって、ほんっとーにほんっとーにほんっとにすごいんだよ!!

 

倫理観をいくら切り離そうとしても、完全には無理だ。ちょっとした残滓が残る。それは最低限の常識といってもいい。

けれど古雅ゆとりはそもそも、違う世界で「生きてきた」。大勢とは異なる恵まれた家庭で、資産がある親のものと、ルールが待ったく異なる場所で育ってきた。

だから、この「常識」という感覚を限りなく0にできる。私たち以上にもっともっと。

その代わり、古雅ゆとりはもろく弱い。誰かが支えてくれないと、リツコさんなどが助けてくれないと用意に立って歩くことができない。


それくらいに脆弱な人間。けれど、だからこそ、そこに「無垢」さが宿りうる。古雅ゆとりの本質でもあり、価値でもある核原石がそこに存在する。

 

選択することにつかれた者にとって、お嬢様のような無垢な王者はとても魅力的なのです。

 

リツコさんのこの言葉はすこし分かるような気がする。倫理に縛られ、常識がどうだとか、他人の目がどうだとかそういうのは正直疲れる。

そしてそんな倫理観をものともしない、ゆとりの存在はそれだけで解放された気分になるしはなはだ魅力的なのだ。

 

 

みんなの前だってのに誰にはばかることもない。
その風格はまさに女王だ。

 

真っ白で純白の無垢だからこそ、ゆとりは女王としての風格が存在できる。

 

 

 

 

 

噂の流布

 

 

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心のなかのガラクタを捨てられないものは、
あの店を訪れるといい。
いつか、仲間にめぐり逢える。

 

この噂は古雅ゆとりが流したものだった。リツコさんに手伝ってもらい、柳瀬にキーホルダを作ってもらい。

理由? それは簡単だ。ゆとりは、単純に「仲間が欲しかった」だけだと言う。

同じように、心のなかのガラクタを捨てられない仲間が。
そういうものを抱えている気持ちを、共有できる人たちが

 

それも誰でもいいわけじゃない。自分と同じような人をゆとりは探していた。

同じ「ガラクタ」持ちを。
同じ心を抱えている人を。


ガラクタというのは、つまるところ、"世間”から見ればガラクタと言われてしまうものにすぎない。大多数が"納得”できないものは、ガラクタだという烙印を押されてしまう。

しかし、その見方はあまりにも狭窄的すぎじゃないだろうか? ある一面では価値がないからといって、そのもの全てに価値が無いなんて言いすぎだろう。

もっと勘案すべきだ。
もっと模索してみるべきだ。
もっともっと思索してみるべきだ。

叶の悪も
ゆとりの無垢さも
禊の救世主も

大勢の人間は理解できない。無駄なもの、無理なもの、無茶なものと判断したがる。けれど、だ。

叶の悪、ゆとりの無垢さ、禊の救世主としての覚悟は、倫理を超え、善を退け、一回性を駆動させ、自己肯定感につながる。

無駄じゃない、無理じゃない、無茶じゃない。良いところはたくさんあるし、理解できようと思えば理解できる。

単一のみの考えじゃだめだ。

 

 

祭りは大事。
非日常による日常の浄化。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部長の「悪の器」

 

 

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……部長って、存在自体が『悪の器』なんじゃないかなと思わなくもないですから

 

 

無邪気で。
天然で。
悪びれることない、そんな存在そのものが。


『人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、
人がそうなりたいと思うことを実現すること』



悪をなすにあたって、何よりも大事なのは、
負い目や引け目を感じないこと。


自分が間違ってると思ってはいけない。


己の行動の当否も―――
己への疑いも―――
己への無能力さえも―――

無限に抱え込みふたをする能力。
それこそが、『悪の器』だ。

 

 

ゆとりの強みはやはりここだよね。『悪』が他者の評価を気にしないのだとしたら、『悪の器』は自己の評価さえ気にしない。

すごいな。これはすごい。

悪の理念さえ極めるのはかなり難しい。そしてそれが終わっても、まだまだ高みへの旅は続いている。

自信の行動の当否、疑い、無能力さえも、「是」とできる能力。振り返らない、躊躇わない、気にすることのない力。

この力は、部長ひとりのものではなく、部長を支えている人がいてこその力なのだ。

リツコさんや両親。そして莫大な資産、それに基づく生活、日常。そういうのがあってこそ発現する才。

悪の器は、人工的に発生させるのは難しそう。

 

 

 

 

頑張るっていう精神性、古雅ゆとり

 

ダメだと思ったところでもうすこしだけがんばることで、粘り強い精神力が身につきます

(りつこ)

 

これはなるほどなーと思った。

もうだめだあーからの、あとすこし。これは真似よう。

 

 

 

 

 

 

凛堂禊は、古雅ゆとりに異議を唱えた

 

 

 

私は、ゆとりの王者としてのありかたに反対する。
問題は、王者としてのあり方。問うているのは、人を率いる者としての姿勢

(禊)


禊にとって、古雅ゆとりのスタンスは理解できないだろう。不満をもってしまうのも無理はないと思う。

禊とゆとりのあり方は、真逆だよね……。

禊は救世主――王――としての覚悟を背負っている。そのためにすべてを捧げようとしている。

たいして、ゆとりは何も背負わないからこそ無垢なる王として君臨できている。『悪』とは最上級のあり方。

知ることを拒みながら王者であろうとするのは、覚悟不徹底

「うふふ。そうなのかもね」

そのように覚悟不徹底を受け入れるさまそのものも、覚悟不徹底の現れ

(禊、ゆとり)

 

 

 

 

 

悪こそ結束がだいじ

 

「悪はそんな迂遠な方策は採用しない」

いや、悪こそ結束が必要なんだって

少数精鋭で世界に立ち向かっていくんだぜ?
結束しないでどうするんだ

(禊、叶)


禊がゆとりと対立し、即断即決で部長の座を渡せという意見に、叶はそう言った。

うん、悪こそ結束しなければいけない。少数だからこそ「仲間」が必要なんだ。信じることができる友達が、個人として尊重できる人間が必要なんだ。

それをお互いに感じられるからこそ、「リパブリカ」の在り方が生まれ始める。

 

 

 

悪とは、他とは違う理屈で生きていること

 

 

悪とは、大人たちの世界とは違う理屈で生きてるもんです

(叶)


そうだね。悪とは異なった世界を有するということ、世間とは違う理屈で生きるということ。

そして、それを、心の中の「宝物」を捨てないかぎり、終わりにはならない。

でも私は、終わらないと思うな……
難しいことはわからないけど……
だって、私自身が終わらせたくないと思ってるから

(ゆとり)

 

悪は不滅。はなはだ納得的。

 

 

 

 

他者性の廃絶

 

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ここだったら私が誰か、みんな知らないのが。
地元だったら、家でも学園でも、たいてい私がお嬢様だって知っているから。

ここだったら、みんな、私が誰か知らないし、私も自分のこと誰か知らないでいられる。

まっさらになった気がする……。私自身になったような気が。


(ゆとり)

 

旅の醍醐味でもある「他者性の廃絶」。

私たちは、自分の考え、嗜好、思想は「自分もの」だと考えている。自分が勝手に生み出して、錬成したものだと。

けれど、私たちを規定しているのは、「他者」なんだ。他人の目線、他人の振るまい、他人の考え―――それらが少しづつ集まり希釈された圧力が私たちを決定づけている。

たとえば学校では、暗くアンニュイな雰囲気を漂わせていても、家族の前だと元気はつらつでよく喋ったり。

会社では上司にへこへこした及び腰の人も、学校の級友の前では自己中で横柄な態度をとったり、けれどそんな人も恋人の前ではただただ優しかったりするものだ。

私たちは、他者によって、性格の入れ子が行われる。他者性の増減によって自分の濃度を決めていく。

そして「旅」はそういうしがらみを限りなく0に近づけさせる行為といってもいい。とくに一人旅。

自分のことを知らない土地で、自分の生来を知らない人と喋るということ。話をするということ。それは"今まで”の自分とは、異なった印象を自分に与えるかもしれない。

今までのしがらみを、他者性を0に近づけた結果、真っ白に無垢に自由になった感慨を覚えたりする。

だって、いつもはね、私、部長さんだから……どうしても立場が邪魔しちゃうじゃない?

 

意識がズレやすいのも、ここに影響があるとおもう。

……こんな気持ちで時守くんのこと見ると、
今までとは違って感じられる

 

 

 

 

シジフォス症候群

 

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シジフォス症候群。過適応脱周回不全症候群。

古雅ゆとりが罹っている病気。学園を休学していたワケ。


ドキドキが小さいから、ループから抜けにくい。ループを常人よりも繰り返すことになる。疲れてしまうそんな病気。

 

果てしない徒労

 

古賀ゆとりの生まれと育ち、その2つが影響していると言う。幼いころか精神的高揚を覚えにくい体質だった。

ループ回数は酷いときは「一万」を超えた。一万回ループし続けた。

ループ回数に原理上、上限はないはずだけど、何回もループを維持するのも逆に難しい。

なぜなら、人が生きていたなら、何かしら『精神的高揚』を覚える瞬間はあるからだ。何かしら、ドキドキする瞬間はある。

(叶)

 
ここで疑問なのは、「ループ中」にドキドキできるのか?というもの。

同じ景色を、日常を繰り返しているのなら、「ドキドキ」はしにくいんじゃないのかなと考える。叶の言葉には、「ループ中でもドキドキは簡単に感じられる」というのを感じられる。


もしかしたらこの世界では、「同じ事を繰り返しても、ある程度はドキドキできる」構造なのかもしれない。

 

 

 

古雅ゆとりの「無垢なる王」の形成にはループが必要だった

 

 

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お嬢様のイノセントなありようは、この異常な回数をくりかえすループのなかでつちかわれたのかもしれません。

ループが、王者としての資質を生んだのかもしれません

(りつこ)

 

無垢で純白で真っ白な王者。

誰にも縛られず、自分にさえ囚われていないその心の在り方。

そんな在り方を実現させたのが、膨大に繰り返されるループだと梨都子は言う。

ループとはなんだ?

同じことを繰り返すこと。同じ出来事を何度も繰り返すこと。繰り返したその先には、「退屈」や「孤独」が待っているように思える。

日常に飽きてしまう。永遠にも近い牢獄の中でひとりさびしく佇む。それは―――いわゆる自己内省なんじゃないか?

ゆとりは、ループのイメージをこう言い表す。

 

たぶん私、いい環境で育ってきたんだと思う。

そういうところで1万周ループするのがどんな感じか、時森くんわかる?

たとえばこの湖みたいな場所。
綺麗で、静かで、安全で、安らぐ、小さな場所。
だけど、誰も知ってる人がいない場所。


この場所では、私は異邦人。この湖を、1人でぐるぐる回ってる感じ。……そんな感じかな

 

ゆとりは、果てしない時間の中でずーーーーーっと「自己」を見つめてきたんじゃないだろうか。

それも人格が未発達な、幼年期からずっと。ずっと繰り返してきた。永遠を。

私は想像してみる。果てしない輪の中で、ずっとずっと自分だけしかいない世界を。最果ての荒野で、人は何を思う?

おそらく「他者性」が限りなく0になってしまう人格を形成してしまうんだと思う。誰かと競うとか、誰かと比べるとか、誰かの評価とかそういう「発想」すら出てこないはずだ

ゆとりは、他者を背負っていない。常人より遙かに他者性の度合いが低い。だからこそ、『悪の器』を有すことができたんだろう。

他人はもちろんのこと、自己行動の当否も、自己の無知さも、自分の無能力さえも、「どうでもいい」と思えるそんな心を。

 

振り返ってみると、古雅ゆとりは本当に本当に「他人」を気にしていない。そして「自分」の"ダメ”さも「個性」みたいに受け取っているふしがある。

ダメでも悪でもない。ただそこにあるだけ、ただ自分はそうなだけという心の強さ。ああなるほど、たしかにそれは強者であり王者でもある。

そんな彼女について行きたいと思える。

―――

 

でも、だからといって彼女の他者性は0ではない。ずっと「ループ」の中にいたらそうなっていたかもしれないが、現実世界(親や家政婦、学校)とをシームレスにわたってきた。

多少なりとも、他人という存在は把握しているし、心に他者性を孕んでいる。―――だからこそ、ガラクタの噂を流布したのだしね。

時守くんがドキドキさせてくれるから
ちょっとループに入っても、すぐ抜けさせられちゃう。
抜けたくなくても、ね

 

 

ギャング部――仲間――という同類

 

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……じつは私、『悪』って、あんまり興味なかったんだ。 『面白そう』だとは思ってたけど。

 
うん一部でも、ゆとりはそう言っていた。彼女が欲しかったのは悪の信念ではなく、「仲間」だったのだから。

 

 

でも、集まれる口実があるなら、何でも良かった
でも、今は違う。

ガラクタでも何でも、時守くんのものは何でもいとおしい。 だから……時守くんのガラクタで、私を染めあげてほしい。

「まかせてください。……でも、1つ付け加えることがあります―――部長のガラクタで、俺を染めあげてください

 

ここのシーンを見て思った。

 

やっぱり、自分の「世界」と相手の「世界」を"共有”し尊重することにギャングスタ・リパブリカの意義があり価値があるんだと思う。

だってあそこは、自由で平等だから。誰からも侵害されることなく侵略されることない共和国。生存するためにさ。

 

 

俺と部長は、志は違うかもしれない。

だけど、俺たちはガラクタで結ばれていて。
たがいをたがいのガラクタで染めあげるように求め合う。
俺たちの欠落同士が、引かれあうから。
そうやってはじめて、
俺たちは1つになれるから
―――

 

そこではみんなが手と手を取りあっている。
そんな場所だからこそ、ゆとりは追い求めたんだろう。

うん、そう。だから来てみたくなっちゃった。

……だったら、ここて、どっちかというと、いい印象ないんじゃないですか?

そうだね。昔だったらでも、今は違う。
今は、時守くんが連れ出してくれたから。

もう、部長は1人じゃない。同じ場所をぐるぐるする必要はない

だからもう、ここは思い出の場所になったんだ

(ゆとり、叶)

 

 

 

 

 

 

ドキドキのない世界

 

部長は、くりかえしに耐える力をもっている。
あの湖畔をぐるぐるするような世界を―――
ドキドキのない世界を、生きてきたから。
部長は、永遠を知っているから。

 

恵まれた環境というのは、とにかく「飽きる」。昔の貴族が恵まれていた生活ゆえに、欲望を満たしつづけ、さいごには自殺への道を歩んでしまったように、

生きていることがつまらなくなってくる。

ゆとりの家庭環境そのものこそが、「ドキドキ」のない世界だったゆえに、「シジフォス症候群」という結果に繋がってしまったんじゃないか?

 

 

 

ギャング部は永遠

 

「気まぐれで始めたギャング部だけど。
今は、信じられるよ。
―――ギャング部は永遠、だね。」

「永遠、ですか」
「うん」

「お友だちと仲がいいのはよろしいんですけど、では進学しても就職してもこの部を続けるおつもりなんですか?


うん」(にっこりと、笑う)

 

「続けられない理由があるの、梨都子? 」

(部長は、梨都子さんに満面の笑みを向けた。
それは無垢であり、そして、無垢による覚悟だった。その覚悟を目の当たりにして、
梨都子さんが息を呑んだ―――俺は、そう感じた)


「…………お嬢様が本気なら、不可能はないと思います
「ありがと、理都子」

(このとき、俺は信じることができていた。部長の無垢で、どこまででも行けると

 

 

ギャング部っていうのは、部活動とか場所とかそういうことじゃない。たぶん、「在り方」なんだとおもう。「概念」や「魂」、「生き方」そういうふうに呼ばれるもの。

だからずっとずっと続けていくことができる。
みんなが『悪』の信条を忘れない限り、ガラクタを捨て去らないかぎり―――ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部長はほんとうに悪だなあ

 

あのね、私、―――今から、時森くんといっしょに
遷宮に行きたいの


始業式の前日。ゆとりは叶にそう告げた。
"ふつう”なら考えない、常軌を"逸し”た発言だった。

部長はほんとうに悪だ。

後先考えず、未来を考慮せず、周りの視線を顧みず、他者の評価などどうでもいい。邪悪すぎて言葉が出ない。叶が困惑してしまうほどに極悪ぶり。

 

そして奥遷宮に行き、星空をふたりで長め、語り眠りについた。
悪じゃないと、こういうことはできない。善には出来ない行動なのだ。