満足度:★★★(3.9)
この世界は欠陥製品だ。どこもかしこも部品が欠け落ちている。
ありふれた幸せは、ネジの緩みによって大きな不幸を引き起こしてしまうし。些細な日常は、唐突なアクシデントによって破損する。なんの前触れもなく、修復不可能になる。
そもそものアーキテクチャがめちゃめちゃなんだ。回路も部品もしっちゃかめっちゃかに繋がり合い、なんとか形だけは保っているが、ふとした拍子にすぐ不良をきたし、命は焼き切れてしまう。
不幸な家庭に生まれながらも、胸いっぱいに夢を持ち追いかけ続けた少女は、脳梗塞によって人生を閉じた。
ある日、家に強盗が押し入り、30分で兄妹の命を惨殺され、苦渋に喘ぎ人生を終えた少女がいた。
交通事故によって立つことも歩くこともできなくなった少女は、そのまま、ただそのまま死んだ。
死んだのはお前だ
原因は、両親の喧嘩のとばっちりだった
私はほんとうに神がいるのなら、立ち向かいたいだけよ
運命を呪った
どこにも逃げ出せなかった
家事も洗濯も出来ない。それどころか一人じゃ何にもできない、
だって理不尽すぎるじゃない
そのまま私の人生はここで終わった
迷惑ばかりかけているこんなお荷物、誰が貰ってくれるかな?
あの時死んだのは本当に僕だったよ
守りたい全てを30分で奪われた
あそこから
頑張ったのはずっと兄で、ここにいるのも兄で、
父と兄しかいなかったんだ
そんな理不尽って無いじゃない
そんな人生なんて許せないじゃない
僕の人生は偽りだった
僕はどこにもいなかったんだ
……神さまってひどいよね
わたしの幸せ全部……奪っていったんだ
ねえっ、神さま!!
この世界は不完全だ。完璧じゃない。……だから生きている間に、納得できないまま、なにも満たせないままに死んでしまう人間がいる。絶望しながら死ぬっていったいどういうことなんだろうね? 今まで自分が生きてきた時間を全て否定して、こんなんじゃ無かった! こんな人生は偽りだ!と歯を食いしばりながら、泣きながら人生を終えてしまうって……どういうことなんだろうね……。
この世界はそういった、死んでも死にきれなかった人間が出てきてしまう。 仲村ゆりのように、日向のように、立華奏のように、ユイのように、岩沢のように、直井のように、野田のように、大山のように、松下のように…………。
そして『死後の世界』とは、そんな彼らをやさしく救いあげる、ほんとうにやさしい場所になっている。
生前に心からの願いを叶えられなかった者、凄惨な過去によって虚ろな心になってしまった者、現実を憎み憎みきれないほどに憎んでも尚、怒りが収まらない者、苦渋も怨嗟も嘆きも悲嘆も後悔も雪辱もすべてすべて、そういった「心残り」をほぐしてくれるそんな世界になっている。
『死後の世界』では、学校機関が存在する。NPC、または同じ苦痛を抱えた仲間と共に暮らし、思いを共有できる場所になっている。勉学に励み、同じ目標を有し、競いあったり、あるいは部活動で汗を流し、技術を磨いていける。そんな中、恋をし笑いあえる人ができるかもしれない。
人と人の触れ合いによって、どんなに苦しい人生の記憶があっても、いつかは愛を覚え、傷を癒やすことができる。なんてたってここは永遠だ。時間に限りはない。だから慌てることなんてしなくていい。そんな構造の世界になっているんだ。
『死後の世界』――――そこは次の人生へ行くために、生前の「人生」の全課程を修了するところといってもいい。いわば旅立つためにある。卒業する為の場所なんだ。
13話『Graduation』では「卒業」という言葉が全面に押し出されている。卒業とは、学校が規定する全課程を修め完了するということである。 「卒業」という言葉を「人生」に置き換えてみれば分かると思う。人生の全課程を修めるということ、それがこの死後の世界のグランドルールだ。
「Angel Beats!」が語る「人生」とは、最期に「自分の人生は報われた」とそう納得するものなんだ。生前にどんな悲劇を味わってきたとしても、最後の最後に自分の人生に満足して死ねなければ、それは「人生」と呼べないよとそう訴えているように思える。
故に、この「死後の世界」で、「生前の人生が報われた」と、そう思えたのなら、"消えて"いく。
「これがあたしの人生なんだ。
こうして歌い続けてくことが、
それが生まれてきた意味なんだ。
あたしが救われたように、
こうして誰かを救っていくんだ。
やっと……やっと見つけた……」
――――岩沢
3話「My Song」の岩沢は、『死後の世界』で歌い続けることで、生前の苦しい人生が報われたとそう思えることができた。
10話「Goodbye Days」でユイは、日向の言葉によって、生前の人生をよしとし、満足した顔を浮かべながら消えていった。
直井は言う。「生きる苦しみを知る僕らこそが」と。
――――彼らが生前の人生の"記憶"を、死後の世界まで持ち越していること。そして彼らが、生前の人生の"記憶"が報われると消えてしまう。この事実は、『死後の世界』が卒業するための場所だということを強く訴えているものだろう。
そして、仲村ゆりの語る言葉は、生前の過去をリセットする「生まれ変わり」では人間は救われはしないんだ、ということを表している。
すごく幸せですね
すごく幸せな風景。あたしにはまぶしすぎる。みんなこんな時間に生きているんだ。いいですね羨ましいです。ここから消えたらやり直せますかね。こんな当たり前の幸せを私は受け入れられますかね
記憶も失って性格も変わって、なら出来ますよね?
でもだったら生まれ変わるってなに。それはもう私の人生じゃない。別の誰かの人生よ
人生はあたしにとってたった一度のもの。それはここに、たった一つしかない。これがあたしの人生。誰にも託せない、奪いもできない人生
押し付けることも忘れることも消すことも踏みにじることも笑い飛ばすことも美化することも何もできない! ありのままの残酷で無比なたった一度の人生を受け入れるしかないんですよ。先生わかりますか。だからあたしは戦うんです、戦い続けるんです
だってそんな人生
一生受け入れられないから!!
(ゆり)
大事なことは、苦しい人生を生まれ変わるという現象でリセットすることではなくて、「苦しい記憶」を持ちながら、その記憶を"受け入れる"ってことがもっとも救われることなんだと。"私の人生はひどいものだったけどさ、でも、皆でバカやって笑った日々があるから良しとできるよ" と。そんなふうに苦しいだけの過去を納得できるようになる、それが大切なことだと思う。
それは神になることでも、神になって慈悲を与えることでもなく、永遠に生き続けることでもなく
ただただ自分の人生を受け入れる、生きててよかったって、生まれてきてよかったって、生きてきた意味があったんだよって――――それはとても素敵なことだと、"生きていることは素晴らしいんだよ"ってそう思えますから。
音無と立華奏のラストシーンのやりとりは、そのことをとても実感させるものです。
音無は言います「一緒にいよう」と、でも奏は「私の人生は素晴らしいものだったんだよって教えてよ、あなたが信じてきたことを私にも信じさせてよ」といいます。
「結弦おねがい。さっきの言葉もういちど言って」
「そんな……いやだ。奏が消えてしまう」
「結弦っおねがい」
「そんなことできない」
「結弦!」
「あなたが信じてきたことを、わたしにも信じさせて
生きることは素晴らしいんだって」
「……奏、愛しているずっと一緒にいよう」
「うんありがとう結弦」
「ずっとずっと一緒にいよう」
「ありがとう」
「愛している……奏」「うんすごくありがとう」
「…か、なで……」
「愛してくれてありがとう」
「命をくれてほんとうにありがとう」
(音無、立華奏)
もうこれが『愛』だなーって思いますよ。
音無は奏と永遠に一緒にいたい。でも、それじゃあ「立華奏の本質を全うさせる」ことができなくなってしまう。奏の人生を終わらせることができなくなってしまう。だから嫌でも嫌でもそんなことはしたくなくても、歯を食いしばって奏にありがとうを言わせようとする音無。
ここほんと胸がぎゅーってなります。
生き続けることじゃなくて、永遠に一緒にい続けることではなくて、生きていることは素晴らしいんだよって思えながら人生を修了する。それはもうほんっとに、素晴らしいことだって思いますもん……。
自分の利を通すのではなく、好きな子の人生を全うさせてあげたい、っていう気持ちは愛ですよ……。
音無さん……音無さんに出会えて無かったらぼくは
ずっと報われなくて…でもぼくはっ……
もう迷いません
ありがとうございました!!
ただ一時あたし達はありはしなかった青春をさ
ただ楽しんでたってことになれば
それだけで十分だなって
……うん、ねえそんときはさ……わたしをいつも一人でさ
頑張って介護してくれたわたしのお母さん……
楽にしてあげてね……
任せろ
…っ……良かった
次もバンドやるよ
ああ、きっとまた好きになる
人生はあんなにも理不尽に
あんた達を奪い去っていったのに
なのにみんなと過ごした時間は掛け替えがなくて
……あたしも
みんなの後を追いかけたくなっちゃったよ……
じゃあな親友!!
一緒に過ごした仲間の顔は忘れてしまっても
この魂に刻みあった絆は忘れません
みんなと過ごせて本当に良かったです
ありがとうございました!!
――――卒業生代表 音無結弦
『Angel Beats!』――――生前を悔み続けた者に送る人生讃歌。
生きて__満足して__死ぬっていうのは、とても素敵だなと思えた作品です。
――――――――――――――――
――――――――
―
こんなにも汚れて醜い世界で出会えた奇跡にありがとう
――――my song
はい感想です。
『Angel Beats!』は二回目の視聴なんですけど、最後のほうなんて、ほんとなにも覚えていませんでしたからね(汗)その代わり、新鮮に見れたのは良かったです。
一度目の視聴では、最後のほうの終わり不満感……というかもうちょっとあったよね?! みたいな不満ですねそう不満が合ったんですけど、2回目だと全然感じませんね……。いやでも、あーCパートがなー……。
あれは実際に起きた、つまり音無と奏が生まれ変わって再会を果たした____とは私は観ていないんですね。(なぜかというのは後述します)
あれは音無の「夢/願い」であって、実現するものではなく、そういったシチュエーションでの再会を望んでいる"まま"死後の世界で残り続けているっていう見方です。(ここは後述します)
感想書くとはいったものの、もう無いかなぁ?……(他で書きすぎた気が)
とにかくとにかく、ゲーム版が「2014年春」に発売するよ!という告知がでてきたので、わくわくしながら待ちたいと思います!!
ゲーム版は、アニメと別物になってもいいかなとも思います。だって結構綺麗な終わり方ですもん!
それではこっから疑問とかいろいろ語っていきます。
愛を持ち続けるということ
ただ、誰かの為に生き、報われた人生を送ったものが記憶喪失で迷い込むことが稀にある。その時にそういうバグが発生するんです。
そしてそれがAngelPlayerのプログラマー。その人はこの世界のバグに気づき、修正をした。それが影を使ってのNPC化。つまりリセット。 じゃあなに、NPCの中にはあたし達みたいなのが他にもいるってこと
はいいます。一人だけ。 そのプログラマーです。
んーここ難しくない?……。
まとめよう。
ゆりとNPCの会話が真実だとする前提です。
・『愛』を覚えたら、この世界から消えてしまう。
・今までの消えてきた人を見るに、「生前の人生が報われた」=「愛を覚えた」となる。
・記憶喪失者(=人生が報われたにも関わらず、ここに来てしまった人)は「愛/報われた気持ち」を覚えても、消えない。なぜなら、もうすでに生前報われているからだ。
・その記憶喪失者が、愛を覚え、芽生えさせる。愛という気持ちが急速に拡大化していくと、「全てをリセット」するというプログラムが発動するようになっていた。このプログラムは、愛を覚えてもなお消えない存在に向けてのもの。
NPCが語ったように、「昔の人」はあまりにも長い間想い人を待ち続けたらしい。しかし正気ではいられなくなった為、「待ち続ける概念=(NPC化)」するプログラムを自分の為に組んだ。
そして二度と、自分みたいな悲劇が生まれない為に、世界に適応させた。 ちょっと疑問に思ったのが、なぜ「この死語の世界」で待つ必要があったのか? ということ。
考えられるのは、この世界から消えることで、想い人との記憶を無くしてしまうのを恐れた。あるいは「消えられなかった」んじゃないだろうか?
愛を覚えても消えない存在ならば、いったいどのようにして「この世界消える」んだろうか? 消えることが出来ないという前提があるからこそ、この死後の世界で「待ち続ける」という選択肢しか残っていなかったんじゃないか?
そしてAngelPlayerを用いても、この世界の前提となるルール「愛を覚えたら消える」ということは書き換えられなかった、と見れないだろうか……。
ここから見えてくるのは、「記憶損失者」というイレギュラーが2人この世界にいて、なおかつその2人が愛しあわないと、片方は不幸になってしまうていうことだ。
記憶損失者⇔辛い過去をもった人
この構図では、いずれ辛い過去をもった人間は、愛を覚えて消えてしまう。そして13話のラストのように仮に、愛を覚えないように(=奏の願いを拒否した仮定)した状態で、一緒に絵永遠に居続けても、それは幸せなのか? と思ってしまう。
なんでそう思うのか? それは人には本質というものがあって、それを満たす・成し遂げなければ、生きてきた意味が損なわれちゃう、そういうふうに私は考えるからだと思う。
例えば先の立華奏。彼女がここにいるのは音無にありがとうを言う為だった。それが彼女の生きてきた意味の1つであり、彼女の本質だと思う。それを否定し、成し遂げることを邪魔したら、彼女は自分の本質を全うできなくなる。奏のこれまでの人生が報われなくなってしまう。
私にはそれが……悲劇的な結末に見える………。
「昔の人」も、もしかしたらそういう気持ちだったのかもしれないなとそう感じたりします。
+++
13話で日向は言った。NPCとなった高松が正気に戻ったと。そこからゆりは「想いの強さで人に戻れるようにしてあった」と推測した。
そしておそらくこの結末は、「音無結弦」のものと酷似することになるんじゃないか?とかんがえる。
奏が消えてしまった世界で、音無は「死後の世界」に残り続けていく。
「既に報われている」音無は、この世界から消えることが出来ないんだとすれば、悠久の時、幾星霜をへてもなお、奏という女の子を待ち続けるんだろう。ずっとずっと……。
そしていつしか耐えられなくなる。理性を失って廃人になってしまうかもしれない。もしくは「昔の人」みたく、AngelPlayerを使って、自分自身をNPC化し、再び立華奏と邂逅するときを待つのかもしれない。
しかし、思う。この仮定が実際そうなるのだとしたら、「立華奏」はもう音無が知っている立華奏では無いんだけどいいのかな? と。
なぜなら、立華奏が「生まれ変わり」新たな人として生きて、死んで悔いてここに来たとしても、もう彼女は、音無との記憶を保有していないのでは?
いやそもそも死後の世界から消えたらどうなるか____が誰にも分かっていない。消えたあと、両生類や魚類、微生物になっている可能性だってある。
そのあと人間にまた生まれ変わるだとしてもだ、やっぱり「記憶」がない。さらにいうならこの「再び会う」というのは「魂」という立華奏の同一性を保証してくれる前提がないと無理だ。
私たちは、自分を自分だと認識するとき、何が必要か? 相手を相手だと見做すときなにをもってそうだと断言するのか?
私達が生きている世界では「記憶」が最上位にあたる。ある記憶を保有している、過去から連なる今への記憶が連続しているから私は私だと認識できる。
記憶こそがその人間の本質、とでもいえる。同一性を保証してくれるのは、記憶だと。
その人がその人たりえるものって、あとはもう特殊な場合の「約束」と「魂」という概念しか私には思いつかないんだが……。
……なんだろ……これだと、音無はどこにも報われる要素がないじゃないか……。
――――
考え方を改める。
音無は「愛を覚えれば」消えることができる。 という選択肢を増やしたい。
→しかし、これだと「リセットのプログラム」が発動したことと仲村ゆりの「そうか愛を覚えれば今すぐに消える」という言葉に矛盾が出来てしまう。
1、リセットのプログラムが発動したのは「記憶損失者」がこの死語の世界でに来て、かつ愛を覚え芽生えさせたから(=バグ発生)。
NPCの口ぶりだと、「記憶損失者」じゃなければ起こらないと見ていいはず。となると、音無が立華奏に沸き起こった感情『愛』によって、リセットプログラムの引き金を引いたんだろう。
消えるはずの人間が「消えない」からこそ、プログラムは起動したんだ。音無は……やっぱりこの世界から消えることができない……っていう説が私の中で濃厚になってきたぞ……。
できれば、音無はどうにかしてこの世界から消えるという選択肢があってくれると嬉しい……じゃない。さっきも言ったけれど、音無が待ち続けることの答えが「空虚」なものとなって返ってきてしまうからだ。
天文学的数字で立華奏と逢えたとしよう。でもそれは「立華奏」だとどうやって保証する? 記憶があるならどうやって記憶を保持できた? 姿形が一緒ならば、なぜ姿形が一緒なのだ?
…………
……
正直なところ。「死後の世界から消えたらどうなるか」ここがわからないと先に進めない……。そしてここは明らかにされていないのだ……。
ただ私の推測だと、死後の世界から消えて、人間として生まれ変われたとしても「死後の世界からの記憶は保有していない」と思う。
ゆりが語ったこの言葉。
すごく幸せですね。
すごく幸せな風景。あたしにはまぶしすぎる。みんなこんな時間に生きているんだ。いいですね羨ましいです。ここから消えたらやり直せますかね。こんな当たり前の幸せを私は受け入れられますかね。
記憶も失って性格も変わって、なら出来ますよね?
でもだったら生まれ変わるってなに。それはもう私の人生じゃない。別の誰かの人生よ。
人生はあたしにとってたった一度のもの。それはここに、たった一つしかない。これがあたしの人生。誰にも託せない、奪いもできない人生。
押し付けることも忘れることも消すことも踏みにじることも笑い飛ばすことも美化することも何もできない! ありのままの残酷で無比なたった一度の人生を受け入れるしかないんですよ。先生わかりますか。だからあたしは戦うんです、戦い続けるんです。――――だってそんな人生一生受け入れられないから!!
そう、生まれ変わったら「辛い人生の記憶」はリセットされる。それが嫌だから、ゆりは戦い続けてきたんだし、この死語の世界にくる条件「報われない人生の記憶があった」ということにも繋がる。
この死語の世界は、報われなかった人生の記憶をほどく為の場所なんだ。生前の人生を完了させる場所と言ってもいい。そして、それが終わったからこそ、「生まれ変わり」という現象が起きるんだとすれば納得がいく。
生前の人生を完了させていないのに、「新しい人生は始められない」、そう「Angel Beats!」という世界は訴えていると思うからだ。
なら、ならば!
生まれ変わって新しい人としての人生をはじめられたんだとしても、立華奏を「立華奏」と保証してくれる記憶がないのならば、もうそれは音無と会話し、笑い、触れ合った時間のある奏でじゃないんだよ……。
記憶が無くてもいい、「姿形、銀の髪、華奢な身体」の立華奏であればそれでいい。そういう意見もあるかもしれない。
でも、それって外見が好きってこと? 綺麗な肉だからこそ、奏が好きだったっていうこと?…………。そんな価値観は私は嫌いだよ。
となるともう、「魂」の存在を前提にしなければ、音無の救済は不可能のように思える。 立華奏の「魂」、それとまた巡り合い、再会し、魂に刻みつけられていた音無との記憶を思い出す?…………。
……
…………
…… …… ……
もうなにが正しいのか、なにがいいのかよくわからなくなってきた…………。
音無が死後の世界から「消えれない」という前提を覆す
音無が「消えれない」という前提を打破できれば、私の中で、一筋の希望が生まれてくる。頑張るぞ。
興味深い事実は6話の「直井の生前の人生を満ちたものにした」ことと、12話の愛を急速に拡大しつつも、三日後まで消えないでいたゆりっぺの二人。
この二人は、自分たちが生前あった人生の暗い部分、やりきれないこと、死にたくても死にきれないほどの「受け入れがたい事実」を、どうにかして報われたと思えるようになったこと。
そして、「報われた(=愛)」という気持ちを覚えながらも、死後の世界から消えていないこの事実。
とくにゆりっぺが戦線の仲間に愛を覚え、それを拡大化していきなおも消えなかったことは、音無が他者に愛を芽生えさせても、「この世界から消えない」というわけでは無い! という可能性を匂わせてくれる。
直井・ゆりの事実から推測できるのは、この死後の世界は「愛を覚えてもすぐには消えない」と言えるんじゃないだろうか?
「昔の人」が作ったリセットプログラムは、自分と同じ「記憶損失者(=報われた人生だったのに迷いこんでしまった人)」が起こす、「愛を覚えても消えない」というバグはなにもそういったイレギュラーの人たちにだけ当てはまるものではなく、誰も彼もが当てはまる現象だった――――というのはどうだろう?
これ通る?……通りそうそうかな……どうだろ。
ということで仮定として、音無はまた再び自分の人生は報われたと思えれば、この世界から消えることができる!!
音無が「再び自分の人生が報われた」と思うには、おそらく、奏と2人でしてきた「生前の人生に苦しんでいる人を救済」ということを続けていけばいいんじゃないだろうか!
そうだよ! だって音無は生前にも「誰かのため」にと言い続け、行動を起こし続け、最期には自分の願いを果たして死んだんだから!! 死後の世界でもいけそうな気がするよ?!
それじゃ最後の「Cパート」についても考えていきます。
13話のラストって結局どういうこと?
奏はありがとうを言って消えてしまった。泣き叫ぶ音無。そこから場面が移り変わり、都会っぽい場面で、音無・立華奏らしき二人が出逢うところで終わります。
私的にこの3つの見方が考えられます。
(1)Cパートは、音無結弦の「夢/願い」だった。
あれは実際に起こったものじゃないっていう見方です。あの「再会」は音無が "あって欲しい" "こうなればいい" という夢=願いです。また再びで逢えることを、こういう出会いかたを望んでいる、奏のことを思い続けている、そういうENDです。
(2)あの「都会」ぽいところは、実は『死後の世界』だった
音無は奏と別れてしまった後、あの世界に残ることを決意します。死後の世界でまた彼女と出逢う為に。
「昔の人」が世界のマテリアルを改変・修正したように、音無もAngelPlayerを使って世界の構造を書き換えてしまう。学校だけしかなかった世界に「それ以外」の店、住宅街、大勢の人間といった「街」を創造。死後の世界を"拡張"していった。
そして長い年月(千年とかね)が経ち、立華奏とふたたび出逢うことになる、ENDです。
これは音無結弦が『死後の世界』を「楽園」として、奏と一緒に住み続けたいという想いの現れとして見ることもできそうです。
この解釈の前提としては、a)音無が死後の世界から旅立てない理由があった。b)死後の世界から消えたら、「人として生まれ変わる」ということを知らないといけない。
(a)はなんで奏の後を追わないの? という疑問が出てきます。死後ではなく現世で出逢えばいいじゃないかと。この疑問に対して、音無は死後の世界から消えることで、記憶が無くなることを恐れた。あるいは、死後の世界で使命(=誰かを助ける)ことを放棄したくなかった。
この二つが考えられますかね?
(b)は、正直知り得ようがないんですよね。この事実をしっていないと、「この世界で待ち続ける」っていう動機が生まれないと思います……。そして「Angel Beats!」では死後の世界から消えたらどうなるか? ということは一切明かされていません。
(3)現世で再び出逢った
音無と立華奏は、死んで生まれ死んで死んで生まれ生まれ変わるということを、ずっとずーっと繰り返します。そして「奇跡的」に、同じ時代、同じ姿形、60億分の1の確率で出逢うことができた、そういうENDです。
綺麗な結末に見えます。
しかしここには重大な問題があるんですよね。それは「両者とも『死後の世界』での記憶は保有していない」ってことです。
『死後の世界』が生前の人生にケリをつける場所であるのならば、生まれ変わったあとにそれまでの記憶を"持ち越す"ことは無いでしょう。だって、じゃあなんのためにあの世界があったの? っていう疑問が浮かんでしまいますから。
だから、二人は、相手を知らないからはじまっていると言えます。そして、私達が知っている音無結弦・立華奏でもないただの別人とも言えます。(cf.記憶の同一性)
ってな感じなんですけど、どうでしょうか。私は(1)の「音無の願いの現れ」という見方が好きです。
……おーわり!
それじゃまたねー!
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