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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

レビュアーは返り血を浴びる覚悟がなければならない。しかしそれを自覚したレビュアーほどやめていくのだ(2305文字)

批評全般 オピニオン
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*「レビュアー=作品を語る者」と本記事では広く定義する。

 

 

レビュアーもまた評価を下される身である

 

作品に感想・批判・評価を下していくレビュアー。一見すれば作品を<従>にし自身を<主>にするその在り方は、お気楽で威勢のいいように見えるかもしれない。

しかしレビュアーもまた、他の読者によって評価を下される身なのである。

 

例えばW.L.O.世界恋愛機構で「どこが主人公平均以下の人間なんだよイケメンじゃねーか」と否定すれば「劇中視点ではなく自分視点でしか物語を捉えられない鰯頭」と否定されるし、はつゆきさくらに「ナツユメナギサみたく考察できる要素がなかったのがダメだった」と評価を下せば「本作もまたナツユメナギサと同じくらい考察すべき点はあるのにそれに気づけないのはお前に読解力が無いからだ」と評価を下され、こなたよりかなたまでに「なんで能力バトルを最後まで続けなかったんだよ」と批判すれば「作品が描きたいものとお前が見たかったものをごっちゃにするな」と批判されるし、Charlotteに「伏線回収できていない」と怒鳴れば「作品の筋しか楽しみ方を知らない豚野郎!」と怒鳴り返される。

NOeSISは哲学要素を含むのだから文章が難しいのは当然だと主張すれば、「こんな薄っぺらい浅学非才な作品を哲学だと語るとはいかにあなたが哲学を学んでいないのか分かりますね」とか「まさかこの駄文が駄文であることすらも分からないんですか?ろくに本も読んだこともなければまともなノベルゲームもやってないんでしょうネ」とド突き回されカチンとくるものの実際その通りで愛読書が『恋空』だったら死にたくもなる。

 

 

何かを「いい」と褒めただけでその程度の作品を「いい」と思えるなんて可哀想……何かを「悪い」と否定しただけでその作品の価値に気付けないなんて可哀想……という視線に晒され続ける地獄がここにはある。

もちろんお粗末な考察を提出すれば「お前がやっているのは今後の予測展開だろうが」と馬鹿にされるし、amebaブログ特有の「1,2行書いたら段落空け」でだらだら要領を得ない文章を書いていれば頭悪い人なんだなと思われ、未プレイ者の好奇心をくすぐれない作品紹介を書けば「Wikipediaをコピペしたようなこれが作品紹介とか勘弁してよw」と嘲笑されるのである。

2016年にもなってVNI形式のレビューを上げれば「気持ち悪い」と一蹴され、そのVNIレビューに管理人が擬似人格として出張れば「気持ち悪い」と唾を掛けられ、否定されたことに根を持ってじゃあ見るなよと怒り出せば「駄サイクルお疲れ様」と冷えきった目で見つめられるものだ。

そういったあらゆる否定に怯えてあらゆる作品に高得点をつけていれば、「目が腐っている」「作品批判する力もないのかこの人」と見下されるのも日常茶飯事。よくいるでしょ?そういう日和見なレビュアー。低評価をつけないのが美徳だとでも思っている哀れなレビュアー。

10年レビュー活動を続けているにも関わらず文章力が壊滅的で小学生が書いたのか?と指摘されるようなテキストサイトとか、物語の読み込みがてんでダメでダメダメで新しい視点を切り開くことも出来ないアニメブログとか、規範批評しか知らない多くのツイッタラーとか。

 

 

こんなふうにレビュアー(=作品を語る者)作品に評価を下しているようで実は巡り巡って評価を下される立ち場になっているのである。全然お気楽な行為ではないし、いつだって返り血を浴び、精神的な痛みを覚悟しなければいけない。

それは先述したように「実際に他者から言われる」こともあれば、自身の内側にある「批判精神」によって自身を切り刻むこともあるだろう。むしろそちらの方が多い。目安は2年、遅くても3年でこの事実に行き当たる。10年続けても気付けないならばそいつは愚鈍である。

これに気付いた時――つまりレビューというのは自身の能力を晒すことだと気付いた時――多くのレビュアーはその痛みに耐えらずやめていくものだ。当然。楽しくやっていたものが実は苦しいものだと知ったら殆どの者は手を引くさ。

数多のレビューブログが2年以上続かないのはライフスタイルの変化やブログに価値を見い出せなくなった等あるだろうが、こういったレビューすることの「辛さ」に耐え切れなくなった場合も十分にあるように思う。自覚してしまったからこそ、やめてしまうパターン。

またレビュアーを批判した者も、自分自身の批判能力を晒すことになりそれが妥当でなければ吊るし上げられるのも常でどちらかが疲弊するまで言葉の応酬が続くことだってある。ネットでは「何もしない者が一番気楽だ」と言われるように、痛みを負いたくないなら何も主張しないほうがいい。口を塞いで、手首を切り落とし、目と耳だけを残しておけば傷つくことなく遊んでいられるに違いない。

 

最後に問おう。

 

Q:あなたは気付いているだろうか。作品を語る(=レビュー)ことが自分自身の視点取得の限界・読解能力・文章能力・知識・読書量・感受性そのほか諸々を晒すことに気付いているだろうか? そしてそれは容易に他者から批判対象になるのだと知っているだろうか。

 

 

 

 

 

 

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