猫箱ただひとつ

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自己理解がはかどる『内向型人間の時代』をよみよみ感想(14376文字)

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

 多くの内向型は同時に「過度に敏感」でもある。この言葉は詩的に聴こえるかもしれないが心理学で実際に使われている表現だ。敏感人は普通の人よりも、ベートーベンのソナタに深く聴きほれたり、スマートな言い回しや特別な親切に強く感動したりしがちだ。暴力や醜悪なものを目にしたり耳にしたりするとすぐに気分が悪くなりがちだし、道徳心が強いことが多い。

――内向型人間の時代(講談社)p21

 

 本書によれば内向型は脳の扁桃体(=古い脳)が敏感であり、高反応なのだそうだ。刺激に強く反応してしまうからこそ、彼らは静かな場所を好み、芸術に深く潜り込み、光や音が洪水のように迫りくる(刺激過多な)カジノ等にはひどく疲れてしまう。

逆に外向型は刺激に対して低反応であり、(内向型からすれば)強い刺激を求めるが故に、積極的に人に会いに行き、スピーチやパーティーは楽しい気分にさせてくれる。

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一週間を乗りきるずぼら料理リスト(随意更新)

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目的

内蔵をいたわりたくなり自炊率を上げたいものの、毎回作って毎回洗うのは面倒。

なので食材を吟味しつつ、手軽に作れるものを探し求め、三ヶ月続けて食卓に残ったレシピの一覧です。備忘録の体であります。

本記事の料理法は面倒くさがりな私がやっているもので、別段信憑性があるとか、科学的に正しいわけではない事もあるでしょう。もっといい方法がある、以下の条件に適したレシピを知っている、という方がいたらぜひアドバイスお願いします。

 

条件

・一週間食べれる量を一度で作れる

・小麦NG

・豆系NG(毒性と抗栄養素をもつため大豆を原材料とする醤油、味噌も同様)

・乳製品NG

食品添加物NG

人工甘味料NG

・加工調味料NG(コンソメ、だしの素、ソース等)

・美味しいこと!(←これだいじ)

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言葉にするほど、共有すればするほど作品の価値は失われる。そういう気持ちを覚えることがあるんだよ

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物語とは数百、数千の要素が結合し、複雑な図像を描いているものだ。それは本来とりとめのない漠としたもの。

しかし「言葉」とはその複雑さを切り落としミニマルなものに置き換えてしまう。輪るピングドラムを■の一文字で表したところで、輪るピングドラムが24話かけて走り抜けたものの1ミリも表現できないのにも関わらず、それで納得してしまうかもしれない。

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幸せの定義(Angel Beats! 1st beat)

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ネタバレ注意

 

幸せとはなにか?――答えは多種多様あれど、私はこの定義で十分だと考えている。

・衣食住+活動(他者交流-好奇心-達成可能目標)=幸せ

なぜ労働するかというと自分に餌をやるためであり、餌を与えなければ人は死んでしまう。餌とは文字通りの食べ物であり、安息をあたえる宿、社会的な身だしなみが該当する。

生命(=肉体/精神/社会性)維持の次は、他者と交流し、そしてその者と「達成可能だけどやや難しい(興味ある)目標」をもつことが肝要である。大勢が拍手する意義深いものでも、逆に社会的価値がうすい趣味でもなんでもいい。とにかく誰かと一緒に(やや難しい)達成可能な(興味ある)目標に向かうことで人はじゅうぶんな幸福を覚えるものだ。(ようするにエピックウィンを起こしたいので困難な企画、簡単な作業ではダメということでもある)

こう考えると仕事とは「労働」と「活動」の2つの側面を持っており、前者の天秤が傾けばひどくつまらないものに、後者に傾けばとても楽しいものになりえる。また「活動」がうまくいっていれば――その時間はとても楽しく、有意義なものなので――それを人は生きる意味と見做す(錯覚)し、逆にいえば特権的な生きる意味なんていう下らないものを望む必要性はなくなるのだ。

生きる意味があるから生きるのではなく、楽しい一時を手繰れる瞬間に人は生きたいと思うのである。そしてそれを「幸福」と呼ぶのではないか?

――adv『Angel Beats! -1st beat-』は、これをめちゃくちゃ簡単に満たせる世界である。

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【批判】Clover Day'sというセクハラゲームがほんとうに辛い(そこを抜きにしてもツラい)【レビュー】

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(1)クロデイに対するうんざり感はどこからくるのか

 

女の価値は胸!尻!外面!―――主人公はそれを事ある事に俎上にあげてはヒロインにセクハラをし(その時分に流行った面白くもなんともない)パロネタとホモフォビア(=同性愛者嫌悪)が蔓延しているのがギャルゲーである。

というのは言い過ぎにしてもこの傾向はこの媒体にあるし、特に「萌えゲー/キャラゲー」と分類されるジャンルにおいてよく見られるのも確かだ。しかしだからといって、“だからといって” (私は)それが悪いと思わない。作品の倫理観はそこに独立したものであって、その時代の読者と合うこともあれば合わないこともあるのだから。

その読者の倫理観に合わないからといって、イコールでその作品はダメとは限らない。

しかしそれでも程度問題はあるし、あるいは私が許容できないラインがあり、それを越せば「なんだこれ?」と思うのも必然である。本記事はそういった前提において、本稿管理人の許容できなかった部分が、どのようにして、許容できなかったのかを記していく。

 

a,数分に一度はレッツセクハラ!それがクロデイ流さ

 

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あの作品はなぜつまらないのか、を詳らかにすることは

 

――敬遠されるものだと思う。

いかにその作品がつまらなく、ダメで、魅力に欠いているのかを指摘していくことは好きな者にとってはやりきれない気持ちにさせてしまう。かつその弁舌が的を射ていればいる程に、納得できるが故に、読み手はその瑕疵と対峙しなければなくなるからだ。

ある作品を好きな人はごまんといるが、その中で「瑕疵を認めた上で好きな人」はどれくらいるのだろう? 欠点を指摘されて「それでも己の好きを保ち続ける人」はどれくらいいるのだろう?

――おそらく少ない。

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