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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

2016年春アニメ27作品現時点の感想(+個人的なおすすめ度)

アニメレビュー アニメレビュー-2016年クール毎の評価

 

2016年春アニメの1話をひととおり見終えたので、現時点での感想書いていきます。気に入った作品は1話以上見ていますが殆ど1話しか観れてないのが現状です。

あと恒例の「個人的なおすすめ度」を付けておきましたので、参考にするなりしないなりしてください。

★★★★(星4)は私が他者にすすめても面白く視聴できるだろうという擬似客観視の元につけています。★★★★★(星5)はトップランクだけに。そして星がないのは与えるに見合わないか、あるいは私は楽しく見ているけど他者におすすめできるかは分からないと感じている作品が該当します。

ではどうぞ。

 

 

 

わがままハイスペック(3話まで)

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ADV原作アニメ化『ワガママハイスペック』は女の子が唐突に服を脱いで(なぜ脱いだ?)そのままアッケラカンと終わる5分ショートアニメ。

3話まで見たのだけれど原作をそのままアニメ化するよりはこっちのほうがいいかもしれない。というのも恐らく原作は「学園モノ」だと思うので、ありきたりなラブコメ、あるいはハーレム、あるいはよくあるエロゲ原作アニメ化、あるいはラノベ風味アニメにしかならない予感がするので――原作ワガママハイスペックはもしかしたらポテンシャル高い作品かもしれないけど――そういう「わかりきったストーリー」を観るよりは、本編の外伝的な位置づけで『ワガハイ』のキャラ魅力をちょこっと紹介するほうが楽しく見れちゃうと思うからだ。実質3分のアニメなので見るのが楽なのもいい。

これなら男性主人公はいらなくなるし、起伏あるストーリーだっていらなくなる。ただただヒロインの可愛らしさとコメディさえあればお話として成立してしまえる。

並行して原作ADVをDMMで30%OFFで販売するのは、このショートアニメが実質『ワガママハイスペック』の宣伝も兼ねていて「これ見て面白そうだと思ったら買ってね」みたいなスタイルなんだろう。

面白そうだったら買いますけど、今のところこのショートアニメで魅力が伝わっているかというと……イマイチな感じではありますの。個人的に。

※(追記5/23)今見たらキャンペーンはもう終わってた

 

 

 

 

 

うさかめ(1話まで)

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5分アニメ of テニス。

ギャグが意味不明で全くおもしろくないにも関わらず声の早さ1.1倍くらいでキャラクター達がしゃべってしゃべってしゃべり倒すこの感じ私は知っているぞ。このノリどこかで見覚えが

うむ。見なかったことにしよう。

 

 

 

ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?(5話まで)

ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?<ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?> (電撃文庫)

 

ラノベ原作アニメ『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』は、タイトル通りネトゲの嫁が実は女の子で同じ学校に通っており、その嫁はリアルとネトゲを区別できない残念な子だったのだ! 的なアニメ。

あらすじだけ読むと「残念な物語」に思えるかもしれないけど、めっちゃ面白い。大事なことなのでもう一度いうけどめっちゃおもしろい。

ネトゲやったことある人ならあるあるネタいっぱいで盛り上げつつ、アニメーションもよく動くので観てて飽きず、たまにちょっとシリアスなお話やじーんとするエピソードも混ざっているのが好印象です。

でもそれは本作の枝葉にすぎず、主成分とはいえず、もっと大きな魅力は存在するのだけれど、しかしどこが「魅力的」なのか「おもしろい」のか私は説明できない状態に陥っているのだった。ストーリーラインははっと驚くものではないけど、毎話心地よいですし楽しめちゃうのは一体全体どういうことなんだろ。気になる。気になります私。

とかくとかく、「ネトゲの嫁が女だった」は私は体験したことがないけれど、実は「お前男だったの?!」とか「男だと思ったら女だったの?!」とか「あれ言ってなかったけ?」みたいな。「聞いてないよ」みたいな。ということはわりとネトゲオフだと多発した経験があるので、西村英騎と瀬川茜の驚愕は既視感ありつつ懐かしさでほわほわになってしまった。そしてオフ会のあとで、ネトゲ内の対応が全く変わらない感じも好き。やっぱり変わらんよねーって。

で、亜子だけ「現実でも」ネトゲ内と同じ対応なのはああこれは「虚構と現実のお話だー!」と興奮。

   ◆

ヒロインの玉置亜子は、リアルとネトゲの区別をつけず学校内でも「るしあーん♪」とネトゲHNで西村英騎を呼んでしまうし、「シュウちゃーん♪」と瀬川茜を呼んでしまう。

英騎と茜は苦い顔しながら「学校でその名前で呼ぶのやめてよ」と云うのだけど、亜子はきょとんとする。「リアルとネトゲは別なんだからPTOに合わせてよ」と言われても「なんでリアルとネトゲを区別するんですか?」と問い返すくらいに両者の区別をつけていない女の子なのである。

でも彼女の問いかけは鋭い。

昔は「インターネット」は異国で、別世界で、アンダーグラウンドだったけれど今じゃリアルに侵食されてしまった。ネットはリアルと地続きのもので、友達や同僚とのコミュニケーションを蜜にしたり、インフラだったり、自己人生を作品に落としこむ手段に取って代わった。O2O(=Online to Offline)という概念も浸透してきたのがその証だろう。

◯◯年生まれの人にとってはもうネットは当たり前のもので、そこにある種の「異世界感」なんてものはない。リアル=ネット。現実=現実。もしかしたら今のネトゲではリアルネームで呼び合っているケースもあるんじゃないかと思う。きりとくーん。そして彼らにとってそれはおかしいことでもなんでもないんじゃないかな。

ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』はそこまで行ってないけれど、亜子と英騎/茜の意識の食い違いはそういうふうに観ても面白いと思う。ただこの見方だと亜子はネットリテラシーが低いとか、ネット原住民⇔ネット新住民の文化衝突みたいなお話になっちゃうので個人的には避けたい。

てことで別視点を掲げ、もっとしっくりくるのは―――「虚構と現実」の二項対立の話だと思う。

ようするに「ネトゲはフィクションなわけ、フィクションの事情をリアルに持ち込んじゃダメでしょ」という意見に「なんで?ねえなんでリアルにフィクションの事情を持ち込んじゃダメなの?」という対立だあね。

結局私たちは「虚構/現実」を同時に見ているわけで、時に混同させ、生活を送っている。一神教を信じている人はどこまでファンタジー脳なの?でもその人達にとっては真実なのです。何の疑いもなく貨幣通貨を信じている人は頭大丈夫なの?そうしないと生きていけない社会systemなのです。お墓参りってリソースの無駄遣いでしょ?でも彼らには見えているのですよ死者の夢が。そういうことだ。

だから、虚構/現実の二項対立に囚われることは本当に意味がない。どっちに行きすぎても辛いだけなんだから、2つのバランスを取ることに注視したほうがいいと私は思うのだよね。

 

 

この意味で、本作の5話は大好きな回。

英騎が言うようにリアルに疲れたらゲームをすればいいのだ! ゲームを思いっきりしてそれでちょこっとやる気になったらまたリアルというクソゲーに挑めばいい。「リアル」を全引き換えにして「虚構」に挑むのではなく、両者のバランスを取りながら両者に挑んでいくスタイル

「ゲーム」はその性質上「公平」を第一に置き、参加するあらゆるユーザーは理不尽や不条理を感じなくなっている。初期スペック、初期資産、初期外形……全てみな最初同じだからこそだ。

しかし「現実」はその性質上公平なんてない理不尽の塊である。親、縁者、環境、資産、肉体機能/精神機構のスペック、認知優位……etcはユーザーは洗濯することはできずただただ与えられたものだけをどうにかしてうまくやりくりしながら――時には鍛えて――この世界に挑む形となっている。そして前触れもなく唐突に・不条理に・死ぬこともある。朝起きたら心不全でSTORYOVERなんてこともザラだ。

「ゲーム」には神とも言えるゲームマスターが存在するからこそ公平な世界が保たれているが、「現実」には神なんぞいねーですからここまで無秩序で混沌でクソッタレな世界なんですね分かりますかこの野郎!

ぼやけるせかいに真実だけをおしこんで……♪♫(『a song for...』思い出してしまったりね)

クソゲークソゲーたる所以は、上位レイヤーの存在が不在、ないし管理を怠っているからに尽きる。例え神はいたとしてもそいつは敬うほど勤勉なヤツじゃないよ。天上の世界であぐらをかいて観劇者づらしてるヤツに違いない。あるいは人間なんてどうでもいいのかもしれない。

だから人は自分たちで自分たちを「公平」にするための「ルール」を作り上げ、社会を生み出し、国を作り、倫理やpolitical correctness、果てには永遠の世界を夢想するのだよ。

 

 

だから亜子が「ここ辛いです」と嫌になるのも分かるし、ゲームはその意味において理想郷だなと思える。ルール整備されているし、ルールを破れば即世界からご退場願えるアクションの容易さは他の何処にも真似できない部分だから。

それでも現実もネトゲも(結果的に)どっちも取ろうとするのは良い判断だなってぐっとくる。だって虚構に行き過ぎた人が悲惨なのは直感的にわかるけど、実は現実に行き過ぎた人もかなり悲惨だものね。

彼らはいわゆる"灰色の男達"であり、"芸術的盲人"だからね。そんなの『ムカつくぜくそったれー!』だし、ごめんにも程がある。でもやっぱりムカつくぜくそったれーである。

そしてそうなっていることも気づかず虚構に挑んでいる彼らの姿は痛々しく、とても滑稽だけれど、でも許してあげるよ。うん。

微温的に。

 

 

 

いろいろ脱線してしまったけど、『ネトゲ嫁』おもしろくてここ最近楽しみにしているアニメの一つ。タイトルで切ってしまった人はもったいなかったと思います。

おすすめ度:★★★★

 

 

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過去記事手直中。手直し中。手直しした感想

ブログの運営

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(1)過去記事の手直し方針

 

 

先日、「おすすめ記事199選」を更新しました。

いつものように一定水準を超えた記事を載せて一つのページに集約させる。それが「199選」の目的であり、ここのブログはこういうテーマを扱ってますよと一瞬で分かってもらえるようにしてます。

しかし、2年前3年前を今見ると読みにくいものが多いので、そろそろ一つ一つメンテナンスしようかなと思い立ちました。

 

おすすめ記事199選。ちゃくちゃくと追加されます

 

 

手直しのさいの方針は、基本的に「執筆した当時の主張」を優先します。今の私が見て「この考えはもう抱いてないな」とか「ここの考え方は●●に変化しているな」と感じても、それに沿って書き直したりしませんし追記もしません。そういう事が必要ならば新たな別記事を用意して書きたいと思います。

より読みやすくするために加筆修正ないし推敲していきます。その主張がよりわかりやすくなるよう伝達効率を上げるための手直しであり、読みにくかった文章を読みやすいものへと変更するものです。

3年前の記事だったら、今の私ならもっとうまく言葉を紡げると思いますし。

 

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攻略サイトを見るとゲームの「楽しみ」が半減してしまう

ゲーム

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攻略サイトを見るとゲームの「楽しみ」が半減していくのは…

なぜか?

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2016年冬アニメの総括。個人的な評価と感想

アニメレビュー アニメレビュー-2016年クール毎の評価

 

ようやく冬アニメを見終えたので感想を書きます。最終話含めてのお話が飛び交うので、未視聴作品がありましたら気をつけてくださいね。

ではいきましょう。

ちなみに、今クール1話の感触は以下の記事にありますので興味あればどうぞ。

 

段落SKIP

  • (1)昭和元禄落語心中
  • (2)この素晴らしき世界に祝福を!
  • (3)僕だけがいない街
  • (4)Dimension W
  • (5)無彩限のファントム・ワールド
  • (6)ハイキュー二期
  • (7)鉄血のオルフェンズ
  • (8)灰と幻想のグリムガル
  • おわり

 

 

 

 

 

 

(1)昭和元禄落語心中

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1話で与太郎(昭和50年頃の世界)を描き、2話では一転して遊楽亭八雲がまだ"八雲"になる前の(太平洋戦争前)時代を描きながら――落語家になんてなりたくなかった"八雲"の胸中や、助六への嫉妬、まだ落語が大衆に望まれていた黄金期を映していきます。

1話から抜きん出た人間関係のうつろい方・心の機微は、過去編でも健在であり――(アニメ外形による)落語の面白さもさることながら――『昭和元禄落語心中』はヒューマンドラマとしてもおすすめできると思います。

落語に興味はないって人も、劇中の彼彼女らの心の発露に見せられて視聴を続けていた人も多かったのではないでしょうか。

ただこの過去編。最終話手前までずーっと続くので1話で登場した与太郎がまるっきり出てこず与太郎好きな私は気持ちが逸るなど。菊比古さんも助六も好きですけど、1話のあれからどうなったの?という気持ちにはやっぱりなるよね。それが悪いってわけじゃないけど、これだとタメが長すぎてしまうのと、2つの世界を交互に描くことの利点を垣間見たなと思います。

そして最終話で与太郎の世界(昭和50年頃)とようやくリンクするものの、終わり方が「これからも続く!」的な感じでEDに入ったのはとてもすわりが悪かった。

「落ち」がつかないものって心が落ち着かず、もわもわするのだなと、案外ストレスになるのだなと感じられた。

「落ち」とはすなわち「終わり」であり、「エンドマーク」のようなものなのだと思う。エンドマークがつかないってことは、終わりがないってことであり、続きがあるということでもある。それは喜ぶべき事のような気もするが、しかし終わらない物語は読み手の心を縛り続けるからこそ、「続きが示唆されているにも関わらず、その続きが観れない」現状にストレスを抱くのではないだろうか。

昭和元禄落語心中』でいえば、Bパートで物語は終わる。けれどそれははっきりとした終わりではなく、むしろ「続き」を示唆するものだった。しかし実際としてもうその「続き」は本編では観れないのだ。最終回と銘打たれており、冬クールは終わり、2クールの情報もない。

ならばそれは「続きがないにも関わらず、続いている」ことだ。これが読み手に負荷をかけるのだろう。

けれどCパートで助六がこれからの展望を語り「これで落ちはつきましたかい?」と問いかけてきてようやく落ちがついて終幕。やっぱり落ち(=エンドマーク)がつくのって素晴らしい。永遠の物語なんていらないし、終わってこそ物語。終わらせてこそ喜劇。

おすすめ度:★★★★

 

 

 

 

(2)この素晴らしき世界に祝福を!

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魔王を倒せ!というミッションを抱えているもののお金がないので労働に勤しんだり、空中飛行するキャベツ狩りクエストに励んだり、暇なので毎日欠かさず爆裂魔法を城に打ち込んだりする「残念な異世界生活」 を描いた『このすば』。

ストーリーに大きな起伏はないしはっと驚くような展開もないけれど、カズマ率いる残念パーティーが送る・残念な日常は独特の心地の良さがありました。

とはいえ(個人的には)1話の爽やか労働展開がピークだったかもしれません……。2話以降はそこまで突き抜けたものもなく――2度目の■は驚いたけどあっさり流されてしまったので――そこまで「好き」ってふうにはならなかったなと。

それと本作、セッ久アピールが強めなのも私は好きじゃなかったです。アクアの常に"パンツ履いていない"アピール、ダクネスの乳揺れ、9話のサキュバス達の露骨な乳揺れに加えその揺れ方が雑なので――プリンでも入っているんですかってくらいに変な揺れ方――やるならちゃんとやって欲しい。

セッ久アピールが強いから嫌っていうのもありますが、同じくらいに胸の描き方/動き方が「雑」なのも嫌です。とりあえずそういう要素加えておけばいいんでしょーみたいな「露骨な記号的な表現」が好きじゃないので性的興奮を喚起させるのを狙うのならばこれでもかってくらいに力を入れて欲しかったなと思います。という願望です。(私の好みと踏まえつつ)

 なので二期決定したときは結構驚きました。

 

 ・このすば・関連記事

この素晴らしい世界に祝福を第一話。私達は"ルーパー"だったんだね!(←何そのダサいネーミング)

 

 

 

 

(3)僕だけがいない街

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毎週楽しみで楽しみで仕方なかった『僕だけがいない街』。

タイムリープによる情報優位性による世界攻略、犯人を突きとめる快感、因果の収束は絶品であり、だれが犯人かは途中で気付くかもしれませんが、そこに至るまでの過程がとにかく素晴らしい。文句の付け所なんてなかったです。

―――でもやっぱり犯人を突き止めるまでがピークだったと(個人的には)思います。別にそれ以降が悪いとかダメだったわけじゃないけど、あそこ以降からエピローグ感が漂ってしまった。

「謎」が中心軸にある物語はその「謎」が100%明らかになってしまえばあとは「終わり」になってしまうからでしょう。わかります? 猫箱を開けたあとに残るのは確定された世界ってことです。そこにはあらゆる可能性は残存しておらず、そこに夢見ることが叶わなくなってしまう。だから大抵のミステリー作品は劇中の謎が暴かれるまでが楽しく、暴かれた後は伽藍堂の様相を表してしまう。中には「謎」をつまびらかにした後でも盛り上がる作品もありますけど、珍しいんじゃないかな。

『僕街』のラストは一応その次の盛り上がりがありますけど、それでも「夢の名残」「暴かれたあとの伽藍堂」の印象は強く、そこは逃れることはできなかったのだと。

  ◆

『僕街』とやや関係ないお話。でも関係あるかもしれないお話。

タイムリープっていわば使用者に「助け出せたものが助け出せなかった」と思わせてしまうところにあるんですよね。過去に戻れる超常的な力は「助けられるものの範囲」を極限まで広がってしまうので、本来なら(タイムリープの力を持っていないただの人間だったならば)背負わなくていい気持ちまで背負ってしまう。抱えてしまう。

手に届く範囲が拡大しちゃうのもそれはそれで、あまりよくないことなんだなとしみじみ感じちゃう。自分の能力・力量を抱えた「力」なんてものは自身を壊してしまうってのも、そういうことなんだと思います。

本作でいえば "リバイバル" によって、1話で悟はトラックの運ちゃんを助けた。トラック事故に巻き込まれる人も助けた。

――でも、その人達って助けるべき人達だったのかな?

冷たい言い方に聞こえます? 残酷な意見だと思います? けれど本来なら運転手は死に、トラックに轢かれるはずだった人は重軽傷を負っていたのです。本来の世界ならば彼らはそういう運命でそういう結末だった。

けれど悟が助けてしまうものだから、確定された世界では彼らは「助かって」しまう。

何がいいたいかというと、結局、悟は "リバイバル" を使わないように生きれなかったってこと。それは力を持っているものの義務とかそういう話じゃなくて、力を持ちつつ使わないことのほうがよっぽど難しいと私は思うわけです。

力はあるから使ってしまう、選択肢が掲げられたのならば選んでしまう。逆に力があるのに使わない、選択肢が掲げられたのに選ばない―――なんて生き方は衆生にはムリなのかもしれない。

母親だって助ける必要はなかった。加代も助けだす必要もなかった。もちろん悟自身すらも助ける必要なんてなかった。あのまま警察に捕まってなるようにしかならならい人生を送っていいはずだった。

でもそうしなかったのはひとえに、人の弱さ、なんじゃないかな。ありのままの世界を受け入れることは誰にでも辛くて厳しいものだから。そこから逃れられるならばわらにもすがってしまうし超常的な力で万象を覆してしまう。

……

きっと―――朝霧海斗ならばありのままの世界を享受することも可能だろう。そんなふうに想いを馳せる。彼ならば超常的な力を有しても生涯使わないまま人生を歩めそうだなと思える。

おすすめ度:★★★★

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