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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

未来の欠片ってなんだったの?グラスリップ総括

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満足度:★★★
好意度:★★★

2014年、P.A.WORKSにて制作された『グラスリップ』は美しい背景を基板にしつつグループ恋愛、未来が見える力、奇妙な転校生のファクトが絡み合いながらすすんでいく人間ドラマである。

本作のメインは人間ドラマだといって差支えはないけれど、それと同じくらいに同軸線上で展開される「未来の欠片」という謎は興味深いのだが……しかし最終話を迎えても「実はこういうことだったんだよ」と明かされるわけではないためあまりの分かりにくさに挫折した人は多かったかもしれない。


未来の欠片って、グラスリップって、結局なんだったのだろう? 


本記事はそんな疑問が渦巻いているであろう『グラスリップ』を管理人がどう"見た"かを語っていく。(読み込み不足してるなーって自分でも分かるんですけどとりあえず一周目して感じたことをさらっと語っていきます。間違っているところ十分にありそうだという見方でどうぞ)

 

 

グラスリップの未来の欠片って何だったのだろう?

 

私、未来が見たいの!!

(深見透子)

 

深見透子が見てきたもの――すなわち沖倉駆が未来の欠片と呼んだもの――は結局「未来ではない」と最後に否定される。それは最終回の透子母の発言であったり、透子が見てきた事実からの帰納法からそう結論づけられたと思う。

ではあの幻覚とでも呼ぶべきものはなんだったのだろう? 

透子は13話で「可能性」と言った。3話で永宮幸の入院姿が見えたこと、最終回に青と赤のガラス球に映った花火はたしかに「可能性」と括れるかもしれない。

 

しかしあの奇妙な

  • 「高山やなぎの後ろから現れたカラスの群れ」
  • 八咫烏工房の窓ガラスが粉砕する光景」
  • 「いつかの冬、転校生として日乃出浜に訪れる深見透子」


これらの幻覚もまた "起こるかもしれなかった" そんな可能性という言葉で片付けられてしまうんだろうか。それはそれでいいのかもしれない。

しかし私からすると、彼女の力は「見えないものを見る力」だったように感じた。

 

 

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12話で透子は転校生として日乃出浜にやってきたことを思い出して欲しい。あの日彼女ははじめてカゼミチメンバーと知り合ったものの、後のお祭りにて、カゼミチメンバーの誰一人透子のことをすっかり忘れていた。

―――声をかけたら自分のことを知らなかったあの感じ。あの "唐突な当たり前の孤独"。

きっと透子はあの感覚を「知りたい」と願ったからこそ、あの雪の日の幻想を見ることができたのではないだろうか。沖倉駆の気持ちを知りたいと思ったから見えたのでは?

あの雪の日、あの世界に、カゼミチメンバーは「2つ」存在してた。そのひとつは透子と自己紹介したメンバー5人であり、もうひとつは透子と知り合わなかった5人のメンバーである。前者をAとし、後者をBと便宜上呼ぶことにする。

深見透子とお茶をしたカゼミチメンバーAは沖倉駆以外諸事情により来れなかった。具体的には永宮幸は風邪を引いてしまい家で安静することになり、それに付き添う白崎祐。ランニング中に足を痛めてベンチで休む雪哉、いつまでも帰ってこない雪哉を心配して町中を探すやなぎといった具合にカゼミチメンバーAは誰もお祭りには行けなかった

そしてお祭りには(透子の事を誰も知らない)カゼミチメンバーBがやってくる。彼らが透子と出会ってももちろん彼らは知らないので「赤の他人」以上の反応はしないのだ。

そしてこのとき、透子は、駆が生まれてから何度も味わってきたであろう"唐突な当たり前の孤独"を目の当たりにして傷つくのだ。

このあと透子を知っている沖倉駆が現れて二人は会話する。会話の内容は、この世界、そして透子を知らなかったカゼミチメンバーBは、透子の想像によってもたらされたというようなことを二人は確認しあっていたと思う。

つまり、この雪の幻想世界は、透子が体験したかった "唐突な当たり前の孤独" を知りたかったゆえに生まれた情景だったのではないかということだ。

―――本来なら見えないものを、透子は見ることが出来た。

それは「可能性を見る」といっても間違いではないが正確ではないように感じる。

透子の幻視は決して未来という方向性だけのものではなく、不安や恐怖といった抽象的な感情(=カラスの群れ/窓ガラスの破壊)から、「雪の日」のように見たかった"唐突な当たり前の孤独" といったある種の経験も包括されるように思う。

つまり可能性を見ていたのではなく、本来なら人間が「見ることができないもの」「見えないもの」を見ていたということだ。


これは最終回ラストにも現れていた。あの日は 曇り空なため「流星群が見えない」とされていたけれど、透子と駆はガラス球をめいっぱい空に放り投げて、舞ったガラス球はきらめき、"硝子の流星群"へと相成った。

この時、透子の眼はきらめく「虹彩の描写」があることから、硝子玉の流星群は実在したものではなく「透子が幻視したもの」と考えられる。

 

 

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透子「流星……」

駆 「ああ」

透子「駆くんにも見えるの!?」

駆 「ああ」

 

――グラスリップ最終回13話

 

この七色に輝くガラス玉の流星群は、彼女たち以外には見れない。それは透子が「駆くんにも見えるの?!」と驚いた発言からも伺える。


そしてこのあと今日は「見えない」とされていた(硝子玉ではなく幻視でもなく)本物の流星群が、多くの人に「見える」ようになった。

深見一家、幸、祐、やなぎ、雪哉―――彼らは曇り空の裂け目から、本物の流星群が見えることに興奮し、喜びが満ちては笑顔をつくる。
……。

 

グラスリップに血脈に流れているものが「見えないものが見える」、「見えないものを見たかった」んだとすれば私の中ですごく納得いくんだよね。

それはグラス(硝子)という透き通った物質の向こう側を覗くかのごとく―――あるいは深見透子の名前が「対象を深く透き通るように見る」を意味するんだとすれば余計にそう感じてしまう。

誰にも見えない3人の駆、見えないはずの流星群、感じる事は無理だったはずの沖倉駆の気持ち(=唐突な当たり前の孤独)の体験、いつかに駆と一緒に見たいと願ったガラス球に映る花火。

 

そして母親の長期の海外演奏旅行についていったと思われる聞こえないはずの、彼の声。

 

 

『透子』

 

――グラスリップ最終回。

 

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"見えないものを見たかった"  "聞こえないものを聞きたかった"―――『グラスリップ』はそういう物語だったと個人的に思います。

きっとそれは「誰かのこころ」もまた同じです。

誰かのこころってみえない。わからない。当然です。だって目の前に居る人は「他者」なのですから、けれどもちゃんとわかろう(見よう)とする行為こそが大切で大事であると、それは白崎と永宮幸の、雪哉とやなぎのぎこちない恋愛にも現れていたと思います。

もちろん駆と透子の二人にも。

 

透子「未来の欠片って、なんだったんだろう」

駆「もうその言葉はそぐわないかもしれないな」

透子「お母さんが」

駆「え?」

透子「ううん、なんでも…」

駆「(微かな笑い声)」
透子「え?」

駆「また透子の "なんでもない" が始まったと思ってさ」

透子「ぁあ」

駆「でも透子がそう言う時は、いつも大切な事があるときなんだろ?」

透子「…私って、わかりやすい?」

駆「そうでもない」

透子「そっか」

透子「そうかも」

透子「大切なこと」

透子「あの日、花火大会の時、駆くんが見えた。あれは偶然?」

駆「少し違うと思う。偶然なんかじゃない。あの時、見たいと思ったから見えた」
……

透子「…あれは未来なんかじゃなくて、まだ起こっていない、だけどきっとこれから起きること」

透子「あ、あぁれ?! これって同じ意味?」

駆「同じ意味で言ったのかい?」

透子「うぉえ……違うかも」

駆「だったら、それは違う意味なんじゃないか」

……

透子「私は駆くんを見たかった」
駆「俺は透子を見たかった」

透子「だから、見えた?」

駆「それにあの時の花火の音と光が、そうさせたのかも」

透子「すごーい光と音だったもんね」

透子「でもどうして私? 私、冬の花火の時も駆くんに何もしてあげられてない。ただ駆くんの気持ちが少し分かったような気がしただけ

透子「なんにも、なんにもしてあげられていないよ」

駆「それで十分だよ」

透子「それでいいの?」



駆 「この街で君に出会えてよかった」

透子「駆くんがこの街に来てくれてよかった」

 

――グラスリップ最終回13話(二人で一緒にガラス球を投げる前のこと。山の原っぱにて歓談する)

 


駆は透子が自分の気持ちを分かってくれたこと・分かろうとしてくれたことだけで十分だと言います。それだけで彼は嬉しかったんだろうとも私は思うんですね。

けれどきっと二人は分かり合えていなかった。だからこそ彼は、この町に留まらず海外へ行ってしまった。

沖倉駆は最初からこの選択を選ぶつもりは無かったと思いますが(母の誘いに乗るか悩んでいたので)、それでも透子にとってこの結末はびっくりしたと思いますし信じられなかったのではないかと考えます。

だって、"唐突な当たり前の孤独" を少なからず二人は理解しあえていたと思っていたのですから。ただそれだけでは沖倉駆の心を深見透子に繋ぎ止めることは出来なかったという事実を行動で突きつけられた結末になってしまった。

 

駆のこころってとんでもなく分かり難いよね。ほんと"他者"って感じするもの。何考えてるか全然分かんない。

それでもきっとあの時、ガラス球を夜空に投げる前、駆が「それで十分だよ」といった言葉は真実であると思うわけです。結局わかりあえなかった二人だけど透子が自分の気持ちをわかろう(見よう)としてくれるだけで十分だったと。

 

そんなことを本作を見て思ったのでした。おわり。

 

 

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