※重篤的なネタバレ注意
(1)それが「現実」になった時、遠ざかる理由になる
『トライアンソロジー』は3つの物語を見ていく中で、なんら関わりのないA世界のキャラクターが実はB世界、C世界へとリンクすることを仄めかす構造を取る。
田舎青春「カントリーガアル」の桂子が、未来SF「ベスピオ2438」のオムツであり、「学園恋愛(と呼ぶにはおこがましい)アドベンチャー」のゆかりだったりするわけだ。
あらゆる登場人物がすこしづつカミングアウトしていき、どのキャラがどの世界のキャラなのか? 一体全体「中の人」はどいつなのか?を推理していくもののそれは上下関係ではなく、円環構造になっていたという怪作である。
――07th Expansion|トライアンソロジー
――そうすべては学校にいかず、部屋に引きこもり、退屈をしのぐ"アリス"の悲しき現実逃避の輪廻。娯楽を長引かせる遊興、;これこそが本作の全容である。
そして3つのカケラが終わった今、アリスはその"現実"からをも踏み出しエンドマークが付けられた。
――07th Expansion|トライアンソロジー
ラストは現実「復帰」と呼べるもので、一見すれば現実逃避せずに自分の世界を生きろとでも言いたげだ。
しかし終盤の学園ラブコメ、ベスピオを見る限り「どちらも大事」「逃げるなら全力で引きこもれ」と描かれているわけだからそれは安直な考えだろう。なにより最後にアリスを後押ししたのは誰か?―――そう虚構たる幹彦やゆかり、ウサギなのである。本来存在しえない彼彼女らに叱咤激励されたアリスは「ぼんぼやーじゅっ」と旅立つ決意をしたのであれば
『トライアンソロジー』はたんなる現実へ帰れ譚ではなく、「現実逃避した先が現実となるからこそ現実逃避は"円環"構造になりえる」ことを描いたものに過ぎないのである。
アリスは3つの物語を経て目覚めた。半径5メートルの世界から"逃避"しまた学校へ行くのかもしれない、別の生き方を模索するのかもしれない。彼女はこれからも彼女が暮らすそここそが【現実】となり、しかしてまたどこかで、現実逃避先として様々なカケラを用いるのかもしれない。
そしてそれは、きっと悪いことではないのだ。
あるひとつの【現実】があったとして、けれど彼らはそこからさらに別の世界へと逃避していった。現実逃避した先でも現実逃避をし、そのさきでも現実逃避をし続ける。
それはカントリーガアル内における学園シュミレーションゲームであり、ベスピオにおけるマインドケアマシンでもあり、あるいはカントリーガアルで学校に行かなくなった幹彦を宮が引きずり出し、同時に引きこもる宮を幹彦が引っ張り出したように、
そんな様子を見ていると、こんな考えを思いつく。
私達は【現実】を忌み嫌っているのではないか?と。その【現実】が苦痛ならば嫌う理由は十分だが、例えそれが幸せで充足したものであってもひとたび【現実】になってしまったら飽きてしまうのではないか。つまらなくなるのではないか。ここではない何処かへと、夢想を巡らし始める。
現実逃避の「仕方」は多種多様であり、それは異世界を観測するカケラ(=物語)かもしれないし、物理的に外界へ踏み出す、今まで自分の半径5メートルになかったものにチャレンジする(=お祭り実行)といったものが該当するだろうか。
――いずれにせよ、私達は定着した【現実】が死ぬほどイヤなのかもしれない。
(2)だから夢を見る
planetarianは終わった星を舞台にした、ロボットと青年のお話。
自分は壊れていると語るコンパニオンロボットは、確かにどこか可笑しく、要を得ない会話を繰り返す。黙れといっても黙らず、黙ることを了承してもなおその口は閉じることなく性能自慢をしては青年を呆れさせた。
そのせいか青年は、ロボットをうとましく思う。最初は特に。にも関わらず終盤ではこんなにも"やさしい"言葉を贈るのであった。
今なら、俺にもわかる。
だれ一人、だれ一人として、真実を伝えることなどできはしなかったのだ。
このちっぽけな、少女のかたちをしたロボットに。
人により創りだされ、人のためだけに尽くす、このちいさな存在に。
「いいか? よく聞け」
「はい…」
「本当のことを言うとな、俺はお前を迎えに来たんだ」
(中略)「あの壁のむこうにな、お前の新しい職場がある」
立ちふさがる封鎖壁を、俺は指さした。
壁のむこうに見渡すかぎり続く、無人の、水浸しの荒地を指さした。
「おまえの相棒の投影機も、おまえの同僚も、みんなそこで待っている」
「客も満員で、おまえを待っている」「おまえの解説を、みんな楽しみにしている」
「おまえは今日から、そこで働くんだ」
「いつまでも、お前の好きなだけ働くことができるんだ」
――屑屋/planetarian~ちいさなほしのゆめ~ HDエディション(Key)
もちろんこれは噓であり、ありえない戯言。この壊れた惑星ではそんな光景二度と、もう二度と訪れることはないのだから。
ではなぜ、青年はそんなでまかせを彼女に言い訊かせたのか?……それは現実にはありえないことだからである。現実にはないからこそ、現実がクソッタレでつまらなくて何も思い通りにいかないからこそ「美しいもの」に置き換える必要性が出てくる。
夢を見るとは、夢を見る必要性があるから見ようとするものだ。「ここ」が汚く、不愉快で、生きにくいからこそ我々はそれを求めようするし、現実を拒絶するからこそ夢は夢足り得るのだ。
……プラネタリウムがなぜ娯楽として存在するのか、その答えもそこにある。
「…プラネタリウムは、いかがでしょう?」
「どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき」
「満天の星々がみなさまをお待ちしております」
「プラネタリウムはいかがでしょう?…」
――ほしのゆめみ/planetarian~ちいさなほしのゆめ~ HDエディション(Key)
(了)
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