今この瞬間を生きない、いろとりどりのセカイ

*ネタバレ注意

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「いま、この瞬間に解らないこと、どうしても知りたいって思うこと、その内容の全てを理解している、そんなお前がこの先のいつかの時間に必ずいるから」

 

――二階堂真紅/いろとりどりのセカイ

 

この言葉はたまに思い出すくらいに好きだったりする。

何かを知りたいって思う時、けれどそれを現時点での私は到達できなかったとしても"いつか"の私がきっと望むべく答えを手に入れるだろう。今は無理だ。でも明日ならば?1年後ならば?10年後ならば? 伸ばした掌に "溶けない氷細工の薔薇" を握っているかもしれない。

――そう思えるならば、それは希望になる。希望があれば求めるものの為に頑張ろうと思える。『いろとりどりのセカイ』はそんな言葉の数々に彩られており、劇中をあたたかい光で満たすような作品だ。

例えば、二階堂真紅が鹿野上悠馬に向ける「おやすみの言葉」はそれを象徴とするものかもしれない。

 

お前の明日が、お前が思っているよりもずっと、ずっと……素敵な一日になることを祈ってる

――二階堂真紅/いろとりどりのセカイ

 

真紅は毎日、毎日、毎日同型の言葉を鹿野上悠馬に贈る。キミの明日が幸せなものになりますように――、と。それは祈りで、約束で、約束とは今と明日を取り替える行為で、今よりもよりよい未来を望もうとする意志。

そして気づく。

ああ……いろとりどりのセカイって「明日に向かって生きよう」とはするけど、「今のこの瞬間を生きよう」とはしないのだなと。いつだって彼彼女らが求めているのは未来で、これから先のことで、今この瞬間ではない。

鹿野上悠馬は二階堂真紅の「恋」を否定し、真紅が言い返すところに、より強く、そういう物語なのだなと思ってしまう。

 

悠馬「"恋をしよう" "契約だから" 。……この恋は偽物だ。俺たちの "好き" は本物じゃない」

真紅「違う。……今は違わないかもしれないけど、違うんだ」

真紅「それを本物にしていくために、今日の選択が意味をなすんだ。そうだろう? 明日、そしてまた次の明日へ想いを繋いで、本物に近づけていくんだ」

真紅「毎日一緒に書いていた日記が、このセカイを清書し、完成させていくものであったように……」

真紅「これからの一日一日を大切に重ねていって、私たちは私たちの気持ちも本物にさせていくんだ」

悠馬「……それは変だよ。間違ってる」

真紅「変じゃない。間違ってもいない。これが私の答えだ」

 

――いろとりどりのセカイ/Favorite

 

真紅が抱えているものは真紅しか知り得ない。それが世間一般的に言われる「恋」ではないかもしれないし、友愛や家族愛を「恋」だと彼女が誤認している可能性だってある。実際、悠馬に「これは恋か?」と問われて口を濁すことはよくあり、上の場面では言外に「恋ではない」と認めている。

そんな曖昧な気持ちでも、「今は恋じゃなくても、いつか本物になるよ」と言うところにぐっとくるわけです。恋愛偏差値が高かったらキュン死するレベルの破壊力。もちろん真紅は恋のこの字も知らないからこその発言なんだけど、でも初々しくていいよね……。(脱線)

何かを知りたいと思うとき、今は分からなくても、いつかの自分が分かっていると信じられる。もちろん真紅の気持ちは悠馬が言うように噓で、紛い物の、偽物に過ぎないけどそれでも真紅は構わない。

「"大切な人と一緒に、ひとつひとつ丁寧に時間を過ごしていれば、恋する気持ちは、気づけば自然とそこにあるものなのかもしれない"」

「それが難解に過ぎる "恋する" ことへの私なりの回答だ」

――二階堂真紅(いろとりどりのセカイ)

 

彼女のあり方って私は好き……なんだけどでも悪い言い方をすれば「棚上げ」に近い。今の出来事に目をそらして、根拠なき明日を夢見る、それは愚かな行為にも思える。

だって二階堂真紅が鹿野上悠馬に向ける気持ちは恋ではないのに「いつかこれは恋になるよ」「悠馬好きだよ」って言ってくるのすごいよ。"今は好き"でないのに"明日は好きになってるから好きだよ"って言うのである……。

真紅は確実に「今、この瞬間」のことはどうでもいいのだろう。それは彼女に限らず、鹿野上悠馬だってこの後自分の現人生を投げ捨てて死んで最果ての図書館へ戻ったようにそのセカイで起きたことよりも未来のことに目を向けたし、如月澪だって"明日の幼馴染"を求めた。

関係性を先取りするの。神様とか運命とか、そう言うものに宣言するんだよ。

私たちは幼馴染になりますよって
――如月澪

 

こんなの何を今更な、という感じだしプレイ時もそこに焦点を当てていたけど、今振り返っても「ああやっぱりなあ」って思ってしまうのである。そしてなんだか……なんだろう……悲しい気持ちになってしまう。

別 にイマココ論が正しいと言いたいわけではないし、そうじゃない生き方だって許容されてしかえるべきなんだけども、「今この瞬間の気持ち」や「今ここにある 出来事」について(言外に)価値がないように指摘されているように感じるから、私は悲しい気持ちを覚えてしまうのかもしれない。

もちろん『いろとりどりのセカイ』に流れる 明日を夢見るような 雰囲気は好きだし思い出すと元気出るしやっぱり好きなんだけど、それ故に価値体系がいつも「明日」になっているところに寂しさを覚えてしまう。

それだけを言いたかった記事。

 

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『ヒカリ』やらなくては、と思っていたら『紅』でるしまったorz