猫箱ただひとつ

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鹿野上悠馬は本当に非道いヤツなんだろうか?(いろとりどりのセカイ)

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『いろとりどりのセカイ』の主人公・鹿野上悠馬はほんとうに非道いヤツなの?という記事です。

本作品のネタバレ注意。 

 

いろとりどりのセカイ×鹿野上悠馬

 

生きとし生けるものが最後に向かう場所を『最果ての図書館』と呼ばれていた。 

ここでは死んでいったものが一冊の本となり書庫に収められる。だが、生きることが辛くその生涯を満たされなかったものは、本ではなく人の姿としてここに訪れることになる。 

―――心の中にある願いを諦めてしまった者たち。 

願いを諦めてしまった彼らは「最果ての図書館」の扉を叩き、そこに居座る管理人・神様と話をする。

次の人生では、次のセカイでは、どういう願いをもってどういうふうに生きてどう頑張っていくのかを二人で相談して決めていく。次こそは「君の願いが叶えられますように」、と神様は心の中に力を持たせて送り出すのだ。 

最果ての図書館―――ここはそういう場所であり、人間の幸福をひたすらに願いつづける神様(鹿野上悠馬)がいた。

 

 「ぼくは君に ”恋" を教えて欲しいんだ」

 
――鹿野上悠馬

 

そんなある日、神様は、どうしても恋が知りたくなってしまった。

そうして神様は、階堂藍という女の子を連れ去ってしまった。

藍はまだ人生を全うしてはいないのに、あと少しで、大好きな人と結ばれる願いを成就することができるところだったのに無理やり最果ての図書館に呼んでしまった。 

神様ははじめて私利私欲に管理人の力を使った。恋を識る為に。恋を知りたくて。 

 

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恋とは何なのか?恋とはどういう気持で どのような感情で どういった概念なのかを 神様は知りたかったんだ―――。

そのせいで二階堂真紅、二階堂藍、観波加奈、如月澪、敷島鏡、東峰つかさ____たくさんの人が苦しい思いをすることになった。大切な人を失ったり、自分の命を弄ばれるように時に創り変えられたりもした。 神様のせいで『いろとりどりのセカイ』における数多の不幸は引き起こされたんだ。

  

本作における神様こと鹿野上悠馬の一連の行為をみて、「最低」だと「非道い」ヤツだと蔑む声が多々あるとは思う。

 でも、それは表層的なものでしかないと思う。悠馬が非道いヤツだと断言してしまうのは一面的にすぎないんじゃないだろうか。 *1 

彼は、元はただの人間だった。生前「心からの願い」を叶えられず、孤独を抱えながら一人で死んだ

その生涯を満たされなかった悠真は『最果ての図書館』の扉を叩き、前任者である神さまの元へ会いにいった。けれどそこに待っていたのは悠真に『最果ての図書館』すべての責任と権利を押し付け、ほっぽり出してどこかへ逃げてしまうという事実だった。

それはどういうことか?  ただの少年が、永遠にこの場所で、1人で、生き続けるということに他ならない。孤独を抱えて亡くなった彼が、再び孤独を押し付けられている。

もし鹿野上悠馬を「悪い」と詰るのならば、そもそも彼に管理人としての義務を押し付けた前任者が悪いということにならないだろうか? もっと言うならば永遠の孤独を与える「管理人」というSystemこそが、もっといえば管理人がいなければ成り立たない『最果ての図書館』こそが諸悪の根源だということにならないか。
こんなSystem・場所があるから、悠馬みたく止まってしまったこの場所で、孤独に壊れてしまう人間が出てしまう。前任者のように「最果ての図書館」そのものを嫌い、他人に義務を無理やり押し付けて飛び出してしまう者がでる。

また悠馬が「恋を知りたい」と希求し、私利私欲で動いたことも蔑まれるべきではない。だって彼は今までたくさんの人間の幸福を願い、それを成就するために骨を折り、汗を流してきたんだ。ひたすらに他人の為に行動し続けてきた、そんな少年が報われたっていいではないか……。

 

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それに「恋を知りたい」という利己的な欲求こそが、悠真を人間たらしめる感情と言ってもいい。彼がいままで行ってきたたくさんの人に次の人生の道を示し、心からの願いを叶えるための力を与え続けてきたことは、いわば見返りも動機もなくただただ利他的に行動しているということ。

けれどそんなのはもう人間じゃない。他人の利益のために行動し、自己を蔑ろにし続けてまで行動するのは間違っていると私は思う。でもそんな彼が恋を知りたいという動機をもって、自分の為に行動するようになる。

誰かの為だけに生きるのではなく、自分を大事に大切にし自分の為に行動できるからこそ人間であると。恋を知ろうとし、自分のために行動する鹿野上悠馬を見て、神様という役割からふたたび「人間になろう」と必死になっているようにさえ感じられる。

きっとそれは蔑まれるべきものではない。最低だとか、非道いとか言われる道理もない。筋合いなんて無い。

彼は今まで、誰かの為に、知らない他人の為に、自分を殺し続けてきたんだ。自分以外だれひとりとしていないこの場所で、今日と明日の区別も付かない止まってしまったこの空間で、彼はただひたすらに純粋に―――だれかの為だけに命を投げうってきたんだよ。

ならば悠馬が今更利己的に振る舞おうと、それくらいどうってことないと思わないかな? これくらいのこと赦されてもいいんじゃないかって思わないかな。

私はそう思えるよ。

最果ての図書館、魂の牢獄、他人の幸せだけを望み、叶え、自身を蔑ろにし続けた少年が、恋を知りたいという願いを心に有した。果てしない時間の中で人間ではなくなってしまった少年が、”再び"人間になろうとしている。

それは誇っていいし、とても美しいことのようにさえ感じられる。

 

 

本作品の感想記事はこちら。

 

2つ感想記事あります。

(1)

(2)

 

<参考>

 

 

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余談:本物とニセモノの価値

 

『いろとりどりのセカイ』では「偽物/本物」という要素があちこちにあります。 

如月澪(真)/向こうからきた如月澪(偽)
・鹿野上悠馬(真)/ カノウエユウマ=神様(偽)
・風津ヶ浜のセカイ(真)/ いろとりどりのセカイ(偽)
・風津ヶ浜の人間たち (真)/いろとりどりのセカイの人間たち(偽)
・恋(真)/ 真紅と悠馬の感情(偽)

 とこんな感じでしょうか。(もっとあるかも)

通常、本物と偽物どちらが価値があるか? と問われれば「本物」と答えると思います。そこには思考を挟む余地もないくらいに、

「本物のほうが価値がある」という実例の存在、そして私達が住んでいる世界は、本物に価値を与える倫理観です。

本物の野菜。本物のインゴット。本物の肉。本物の人間。
以外にもほんとうの論考。ほんとうの人生、ほんとうの気持ち、ほんとうのほんとうのほんとうの…………etc。

こんなふうに「本物」といった概念が蔓延ってます。本物のほうが偽物より価値があると。

けれど、『いろとりどりのセカイ』では、そんなことはそれは違うと言っているんですよね。  

神様と魔女が作った "いろとりどりのセカイ” 。偽物だったあのセカイをもう一度、今度は私たちふたりで作って、本物にしよう。

――――二階堂藍

"いろとりどりのセカイ”は、偽物の世界です。悠馬がひとりよがりに作った創造物です。「天然」、「本物」という概念に価値を見出してしまえば、

悠馬が歩んできた真紅、澪、加奈、つかさ、鏡との「人生」にはまったくもって無価値だとそう思ってしまうはずです。だって偽物で、作り物なのですから。

けれど、悠馬も真紅もそうは感じていないんですよね。

 

泣いて。
笑って。
寄り添って。
みんなで過ごしたたくさんの日々。

そのひとつひとつに、真紅もこうして一緒にいられたなら、それはとても幸せな事だったんじゃないのかとそう思えた。

――――鹿野上悠馬

 

私はこの場所を偽物だなんて思わないよ。

それらが作られ生まれた理由がどうであれ、私には、何よりもどんなものよりも価値のある、本物だった。

――――二階堂真紅

 

それは「恋する気持ち」でも同じです。

 

"恋をしよう” "契約だから” 。 ……この恋は偽物だ。俺たちの"好き”は本物じゃない。

違う。……今は違わないかもしれないけど、違うんだ

それを本物にしていくために、今日の選択が意味をなすんだ。そうだろう? 明日。そしてまた次の明日へ想いをつないで、本物に近づけて行くんだ。

これからの一日一日を大切に重ねていって、私たちは私たちの気持ちも本物にさせていくんだ。


――――鹿野上悠馬、二階堂真紅

  

"大切な人と一緒に、ひとつひとつ丁寧に時間を過ごしていれば、恋する気持ちは、気づけば自然とそこにあるものなのかもしれない

それが難解に過ぎる "恋する” ことへの私なりの回答だ。

――――二階堂真紅

悠馬も真紅も、「偽物」に「本物」以上の価値を見出している。そして偽物を本物にすることだって出来るよとそう言っています。

これはどういうことかというと、もう、本物と偽物の区別が存在しなくなっちゃうんですよね。偽物が本物以上の価値を持つんだとしたら、じゃあ「本物」ってなに? 偽物より価値が低い本物ってなんなの? と。

この考え方は、「偽物」「本物」といった概念をぶち壊しています。

そもそも、そう、そもそもニセモノやホンモノなんてものはない。そんなのは自分自身で決めることだと、自分が価値があると思ったものが「本物」になるんだとそういうことだと思います。 

 

偽物の価値はあなたが決めるの、どこかで拾った石ころを磨いて磨いてダイヤモンドにするんだよ。

――――二階堂藍

いいですよね。

「本物/偽物」はどちらが優れているか? という問いに対し、”本物が偽物より優れているなんて幻想なんだよ"

という答えはとても小気味いいですです。 

 

*1:ちなみにプレイ中も、プレイ後も、再プレイ後も、鹿野上悠馬が「最低」で「非道く」だなんて思えない。 そもそも、なぜ、こういう意見があるのかがよく分からなかったりしていた。