<シャーロット・一連エントリ>
2016年2月-4月にかけて、いつもお世話になっているレイシアさんとアニメ『Charlotte』についてお話させて頂きました。
いつもは「この日この時間でお話しませんか~」「大丈夫ですよ!」という感じで指定された日にガッツリ語ることが多かったと思います。日曜日の午後7時からキーボードを打鍵し続けお互いのインプレッションを吐き出しもう疲れたよパトラッシュでもまだ頑張れると思ったら深夜じゃないですかやだー!みたいなw
しかし今回はそんな枠取りをせず「不定期」な対談になりました。お互い好きな日・好きな時間にメッセージの返信をし続ける形式の作品対談です。私はこのスタイルじめてだったんですが、これはこれで楽しくてなるほどこういうやり方もあるのですねと選択肢が増えたなーと思います。
今さらですがレイシアさん、お話に付き合っていただき有難うございました。いずれまた何かでガッツリお話しましょう(><
◆
そして今回はそんなCharlotte対談を(私の主観的に)ざっくりまとめたり、対談自体に言及したり、かつ対談後に考えたことも取り扱っちゃいます。
本記事は「備忘録」の体で書こうかなと思います。文調がめちゃくちゃですが了承の上読んで頂けると幸いです。(そしてもしレイシアさんの言葉のニュアンスを取り間違えていたら指摘してもらえると助かります)
※今回は外在的な語りが多いので苦手な人は回れ右、さらに『STEINS;GATE』と『魔法少女まどか☆マギカ』のネタバレもありますので注意です。
(一応忠告はしましたのでここから先は自己責任でどうぞ)
段落SKIP
- (1)古木のディティールを細かくするか否か
- (2)Charlotteはワンカットワンカットを思い出しやすい
- (3)Charlotteの評価の分水嶺はどこに・あそこに
- (4)「読者の価値観」と「物語の価値観」は別物
- (5)情報解凍力の高低によってシャーロット11話の評価が決まる、のかな
- (6)西森柚咲というアイドルについて
- (7)Bravely YouとCharlotteの円環構造
- (8)Charlotteは一話一話の情報量が多い。けれど
- (9)友利奈緒と乙坂有宇の不思議な関係
- (10)友利奈緒に暴力的なイメージある?ない?
- (11)あれから半年が経って、でもまだ覚えている
- (12)世間的なアニメランキングに納得できる部分とできない部分
- (13)おわり
- <シャーロット・一連エントリ>
(1)古木のディティールを細かくするか否か
11話で登場した運転手・古木。彼はマフィアに(家族を人質に)脅され、否応もなく組織を裏切ることになり、この裏切りのせいで有宇の日常は一瞬にして崩壊した。
レイシアさんはここについて、「古木の家庭は感情移入の度合いを理由に掘り下げるべきではないか?」と提示された。
(※レイシアさんの下記ツイートでは"高城"となっていますが実際は古木について言及されています。これは以前私がCharlotte感想を漁っているときに「高城の家庭の伏線が回収されていない」という意見を見つけて「なんで高城の家庭を掘り下げる必要があるの?」と疑問を呈したことがあり、きっと「高城の家庭の伏線が回収されていない」と言っていた人は高城ではなく古木について文句を言っていたと思うんですが、私はそれをそのまま受け取って記事にして、その記事を見たレイシアさんが古木を高城と認識し表記してしまったという結構ややこしい流れがここにはあります……w なんだかごめんなさい)
参照→Charlotteがこんなにも文句言われるだなんてお姉さんびっくりだよ
@rikabern と言う感じに「面白かった」というのが先行してあまり不満を感じなかったのですが、一応思うところもあるにはありまして。
— 二階堂レイシア (@glaceon1) 2016年3月5日
一つは隼翼の頑張りがダイジェスト過ぎて重みが薄れてしまっている感じがしました。あれ同感が手もお涙頂戴とばかりにいくらでも膨らますことが出来た→
@rikabern はずなんですが、それをしなかったのはきっと尺の都合と、あとは主人公はあくまで有宇であると言う事を鑑みての事かなと。
— 二階堂レイシア (@glaceon1) 2016年3月5日
二つ目は、高城について。
べるんさんは高城の家庭は掘り下げられるべきなのか?と書いてらっしゃるんですが、→
@rikabern 伏線ではなく感情移入の度合いを理由に掘り下げるべきだったように感じます。というのも彼は私の中では名前も覚えていないくらいの印象の薄さで、冷たいようですが正直彼の家族がどうなってしまおうと「興味ない」です。→
— 二階堂レイシア (@glaceon1) 2016年3月5日
@rikabern むしろ、そんな"どうでもいい"裏切り者でも救おうと奔走するせいで隼翼の仲間が酷い目に遭わされるのを見て苛立つばかりでした。これがまだ仲間としてのウェイトの大きい目時さんなんかだと"救いたい"と言う気持ちになるのかもしれませんが……。→
— 二階堂レイシア (@glaceon1) 2016年3月5日
@rikabern 先にも書きましたが、熊耳さんの受難シーンを見ていて、『この為に序盤から濡れ男として出ていたのかよ……チクショウ!!』とだーまえに賛辞と恨み言をまとめて贈りたくなりました。
— 二階堂レイシア (@glaceon1) 2016年3月5日
てなわけでやはり高城を救済対象にしたのはちょっとどうかな、と。
レイシアさんのお話をまとめると
「古木という(視聴者にとって)どうでもいい人間のために隼翼や熊耳達が酷い目に合う展開は苛立ってしまうし、隼翼や熊耳が彼を助けようとする行動にも納得しにくい。もし古木という人間を視聴者が大事に思えるならば、熊耳や隼翼が取った古木救済行動も違和感なく受け入れらるはずなので、伏線回収というよりは感情移入の度合いを理由に「古木」もしくは「古木の家庭」を掘り下げて欲しかった」
というものだと思います。
私はここわかるつもりです。古木は11話でいきなり現れていきなりCharlotteの世界を転覆させてしまったほどのキーマンなのにその人物像を全く描かれない特殊な人物でしたから。視聴者にとって全く感情移入できない人物でありながら、ここまで乙坂有宇や友利奈緒の大事なものを破壊していくキッカケをつくる為のポット出のキャラクターと見えてしまっても不思議ではありません。ここに不満を持ち、古木のディティールを細かくしたほうがいいという意見も分かるなと思います。
ですが、個人的には古木の人物像が気に入っているため「コレはコレで」ありなのではないかと思っています。
というのも、古木という「ディティールが粗い」(=人物像が掘り下げられない/視聴者の感情移入度が低い)キャラクターによって乙坂有宇の日常が崩壊していく様子は――視聴者にとっても有宇にとっても――全く関係ないどうでもいい人間によって大切なものを失っていく体感を強く与えてくれるからです。視聴者でさえここに苛立ったり、怒ったりしちゃうくらいに、理不尽で、唐突で、無茶苦茶です。
でもこれって有宇くんが感じている「人生の不条理」さと似たようなものだと思うんです。いきなり熊耳と友利が人質に取られたと言われ、マフィアと一人で戦ってこいと迫られる状況。ただのカンニング魔なのに何でこんなことになってしまったの?!どうしてなんだよ!!みたいな。全然納得できないけど納得しないと進めないし、理解できないけど理解しなければいけない現実。みたいな。
視聴者もまた実感としてこの「唐突な暴力」を味わえるので、私は古木のディティールの粗さはむしろこれで良かったのではないかと思ってます。もしも彼のディティールが細ければこの体感は味わえなかっただろうと。
『Charlotte』はこの理不尽な現実……みたいなものを強く強調している気さえしますので、彼のキャラクターは本作においてむしろプラスに働いたのではないかとも考えています。
◆
もしも私が11話における改善点を提示するならば、古木ではなく、「乙坂隼翼の対応の甘さ」になるでしょうか。
隼翼は熊耳と友利が人質に取られていると聞いては、すぐに「助ける」という選択をしています。この即断即決は彼が組織を統べる者としては甘すぎますし、ともすればなんかダメな人に見えなねないです。今まで何十・何百もループして築き上げた能力者組織――もといこの世界線をこうもあっさりと手放してしまうことの納得感も私達にうまく届いていません。
(もちろん隼翼にだっていろいろな葛藤があったのは百も承知ですが、それが私たちに届きにくかったことは事実かなあ……と)
なので「なぜ隼翼は熊耳と友利を "切り捨てる" 判断をしなかったのか」の描写があれば、彼の葛藤も容易に理解できたのと思いますし、仲間を助けるための行動が納得いくものになったのではないかと。
ここが改善されれば、一連の古木の裏切りシーンも「実はあの唐突さがよかったのだ」と思うの人が増える、かも……と思ってたり。
・余談
ディティールを細かくすればするほどその対象は写実的になり、深みや納得感が増していくのかなと個人的には考えています。逆にディティールが粗いほど対象は印象的になり表層的な存在になりやすいのかもしれません。でもそれは悪いことではなく描かないからこその幻想的な雰囲気を出すこともあると、童話なんかがこれに当てはまるでしょうか。
例えば『白夜行』なんかはディティールの粗い作品と言えます。あれは主人公達の内面は一切描かれず、主人公たちを取り巻く人間がそれぞれに彼/彼女がどういう人間かどういう印象かを連ねていくことで全体的な主人公たちの「像」が浮かび上がる長編小説ですから。その作品雰囲気はやや幻想的で、そして実体のない幽霊を相手にしているかのようでもあります。
逆に『はつゆきさくら』では主人公・河野初雪のディティールが細かく、彼の内面が丁寧に描かれていますよね。このため初雪が何を憎み、何を想い、何を考えているのかよく分かるようになっています。メインヒロインもその傾向が強くて(河野初雪ではないにせよ)行動原理、思考の仕方、性格、心理、動機のディティールが細かく「生きている感じ」がよく現れている。
『白夜行』と『はつゆきさくら』を比べるとこのディティールの細かさによる「登場人物が生きている感じ」が異なっており、どちらがより生きている実感が強いかと言われれば後者ですけど、でも決して前者が「生きていないキャラクターがいる」というわけでもない。種類が違うだけなんでしょう。
そして『はつゆきさくら』で登場するサクヤは、ディティールが粗く、その心情から行動原理に至るまで一切が謎に包まれている女の子。劇中の根幹に位置する人物にも関わらず、サクヤはまるで共感や許容なんて微塵もいらないと思っているかのようにミステリアスです。
でもやっぱり彼女が「生きていないキャラクター」というわけではなく、ディティールが粗いからこその奇妙な存在強度があるし、どことなく幻想的な雰囲気が現れているのではないかと。
前期*1の『灰と幻想のグリムガル』は「生きる」ことのディティールが細かいため、生きるために必要な料理や炊事洗濯、魔物を殺し生計を立てる職業、命のやり取りといった「日常」もまた連動するように細かい。
同ジャンルフィクションの『この素晴らしい世界に祝福を!』では、生きることのディティール・日常によるディティールの細かさは『灰と幻想のグリムガル』と比べるとそこまでではないものの、でもそれが悪いわけでもなく、その粗さが『このすば』独特のゆったりとした(シリアスではない)雰囲気を醸しているようにさえ思います。
そしてひとえに「ディティール」といっても作品の至るところで、対象によって、その多寡は異なる。
……と、そんなことを考えられちゃうツールが「ディティール」という概念でしょうか。
(2)Charlotteはワンカットワンカットを思い出しやすい
レイシアさんに言われて気付いたのだが、そういえばCharlotteって「ワンカット」を思い出しやすい。
例えば1話でカンニングがばれて逃げる乙坂有宇を意味深な視線で見つめるながらメガネをくいっとする高城とか、2話で「くそっ!!」と吐き捨てる粗暴な友利奈緒とか、7話でみたらし団子を疲れた目で食べる有宇くんとかすぐ思い出せちゃう。
これが別作品ならば、お話を振り返ろうとしたときここまで頭の中で映像が浮かび上がらなずぼやっとしてしまう気がする。「ああいうシーンがあったような」くらいに留まってしまう感じに。
――Charlotteはワンカットワンカットが印象的で記憶に残りやすいのは何でだろ?
もしかしたらシンプルな線で構成されている絵が多いのかもしれない。あるいは完成度の高い絵だからこそ印象が強くなるのかもしれない。あるいは(プラスに働いた)展開の早さが視聴者の集中力の増加につとめささいなシーンでも憶えてしまう事に繋がったのかもしれない。(ここは後述する)
なんにせよ本作は「ワンカット」それ自体の完成度が高く、一枚絵として観れるものが多いのは事実ではなかろうか。
こんな感じに。
↓
どっすーん!
(どうっすかこのレベルの高さ?!コマ割時でもこれですぜ)
この「完成度の高いカット」はある種の「気持ちよさ」に繋がるのかもしれない。OPのゆさりん&高城のぶらぶら/友利奈緒ダンスが見ていて気持ちいいのもそういったカットの完成度の高さの集合体のアニメーションだからこそあのダンスの意味がわからずとも「楽しい」気持ちを覚えるのだろうと。
別段そこに限らず、全体的にCharlotteは見ていて気持ちよい作品だと思うけれども。
(※これは「物語の内容」を指しているのではなく外形である「映像」について言及。映像自体が快楽を与えているる作品ということですね)
(3)Charlotteの評価の分水嶺はどこに・あそこに
*1:2016年冬アニメ