*ネタバレ注意。未プレイ者は回れ右。
それ散るの感想
『それは舞い散る桜のように』をプレイして思うのは、人間は恋愛というものに多大な幻想を押し付けている*1が、実際は守られることのない嘘に過ぎないという事なのだろう。
結婚の誓いなんてまさにそうで、生涯一人の人を愛し続けるなんて無理なのに(絶対に無理だと解っているのに)誰もが一時の熱に浮かされて出来ると信じて宣言する。でも結局は誰も貫き通せない。
「お前が好きだ」と思ったとしても、その好きはずっとは続かない。いつかは終わるし、いつかは冷めてしまうものだ。やがて彼らは破局していく。
それは桜香が言うように、ひとつになろうしても、ひとりになるだけなんだろう。
「好き……なのですか……?」
「そばにいたいと思うのですか……?」
「深く知りたいと思うのですか……?」
「ひとつに……なりたいと思うのですか?」
「あなた達は決してひとつになれません……」
「……ひとりになるだけです」
「後悔、しますよ」
――ED時の桜香のセリフ
ならば「恋」とは都合のいい快楽的消費に過ぎない。相手を取っ替え引っ替えしながら、その時その時の充足を得て、充足を得られなくなったらその恋は終わりまた別の恋をしていく。
お腹が空いたらご飯を食べるように、喉が乾いたら水を飲むように、孤独に耐え切れなくなったら恋をしていく。
恋愛とはそういう代物であってロマンチックなものではない。神聖なものでも高尚でもなく俗物的なものだ。とても。
『それ散る』の世界をよーく見渡してみると「恋愛を貫き通している人」というのはほとんどいない。多分、舞人の母親だけなんじゃないかな……。
森青葉のお父さんは亡くなった妻のことを忘れ新しい恋人を作っているし、和観さんは離婚しているし、その離婚相手の夫は和人を愛せなくなって家を出たし、山彦は先述したように取っ替え引っ替えしながら彼女を作っては、突然青葉ちゃんは舞人を朝起こしにこなくなる*2。
誰も彼もずっとはその恋を保てないようだった。
それは舞人達も同じで、恋仲になった女の子は12月を超えると突然に舞人を「忘れ」はじめる。これは恋愛が唐突に終わる様が描かれているようで衝撃的だった。……ああそうか……そういう物語か……と一人でに納得するくらいに。
恋はふとした瞬間に終わるし、終わったら好きだった相手を思い出したくない人は多くいてだいたいは相手のことを「忘れたフリ」をする。その忘れたフリが劇中で「忘れることそのもの」として表出しているのではないかと思ったものだ。
実際は舞人が人間ではなく「桜の樹の子供達」という異質な存在のせいで、恋をしても相手が自分のことを忘れてしまうルール?のようなものに囚われているみたいだが、私としてはそこは別にどうでもよかったりする。
そういった「恋愛」の安っぽさに対して朝陽が怒るの無理はないし、ひいては人間は必ず他者を裏切り続ける事実に桜香が諦観してしまうのも仕方がない。人間っていうのは本当に愚かだもの。
「貴様らが声高に唱えるその安っぽい幻想はいつの世も欺瞞と欲望に彩られた利害追求の交わりでしかなかった。僕を失望させたのは貴様らだ、人間ッ!」
俺たちは数瞬のあいだ無言で睨みあっていた。
しかし、やがて朝陽は掴んでいた俺の腕を放りだすと、苛立たしげに頭を掻きむしった。
「ああ、不愉快だ。このゲームは面白く無い」
「期待は常に失望を二乗する。時間の無駄だったよ。文句を言いたいのは僕の方だ」
――朝陽 12月7日
このあと朝陽は怒りながらも「またゲームが始まったら来る」と言っている。
そう彼は彼で期待しているのだ。人間が「恋」というの名の繋がりを貫き通せることを見たいのだ。だからこそ期待しては裏切られることにイラついてしまう。
舞人と朝陽の立場は本当は一緒で人間という者に賭けている。でも朝陽はもう数多の事実からそれは無理だと分かっているからこそ舞人とは反対の立場を取り、でも無理だと分かっていながらも期待し見届けようとする。次のゲームだって待ち望む。そんな状態にいるのだろう。
桜香は桜香で「静かに受け入れ合う世界」を欲っしてはいるもの、それは理想に過ぎないことを十分に理解していた。でもラストエピソードでは、和人に名前を聞かれたさいに自分の名前を伝えていることから人間に期待することにしたのだろう。
つまり恋愛否定派の朝陽・桜香でさえも、結局は恋愛を肯定したがっている。『それ散る』の世界では本当の意味で「恋愛否定派」は存在していない。
だとしても、それでも人間が人間を消費的に扱っている事実はなくならない。恋は必ず"散る"のだ。
桜香は「一度きりです。その後はあなた次第ですよ」と告げ、舞人のことを忘れたヒロインの記憶を取り戻せた。
でもそれって今まで通りだよね?
その後のことは"舞人次第"ということならば、例え桜香の力で彼女達に一時的に記憶が戻ったとしても、またすぐに舞人を忘れた状態に戻るだけだろう・そこからいくら努力しても、いくら頑張っても、無理だったのは舞人の過去が証明している。
子供の頃に別れ互いを忘れてしまった星崎希望の時と同じく、舞人もまた好きだったこだま先輩やつばさの事を忘れて、最後にはその恋は終わってしまうのだ。そういう結末を抱えている。
つまり『それは舞い散る桜のように』のEDは一見ハッピーエンドだが、BADENDなんだよね……。
でもそれでいいのかもしれない。少なくとも『それ散る』はそれでいい、と言っているように思う。
恋を求めればイカロスの翼のようにやがては溶けていく、とはいえ憧れているだけではその充足を味わえないし一人でいる自由よりも二人でいるほうが楽しい。ならば他者に裏切られることを覚悟して恋という幻想に挑むべきなのだ。あるいはもう消費物としてレンアイを捉え、人との繋がりもまたそういうふうに見ていくと幾分か気持ちが楽だと思う。
求めては離れてを繰り返していく僕ら―――ってなんだかあの有名バンドの歌詞みたいだ。
「終わることを覚悟しながらする恋」というのはなかなか乙だよねえ。というかそれが舞人達の恋愛模様であり、どのカップルも最終的に恋の破局を感じて不安になっている。
◆
よい作品であった。こういう形で、こういう雰囲気で「恋愛」という概念の追求をしてくるのは予想外で楽しかった。ギャルゲーの形式でこれやられるとぐっとくる。それはきっとギャルゲーはその名の通り「恋愛」を主題にする形式媒体だからだろう。
そしてこれは紹介記事書くのとても難しそうだなあ……どうしようか。
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