『Scarlett』総括―非日常に憧憬し、日常へ揺り戻される者達―
スカーレット(ねこねこソフト)批評と感想のまにまに
*スカーレットネタバレ注意。*1
Scarlett―憧憬と越境の果てに―
・大野明人は定められたレールを歩む日常ではなく、それを逸脱する非日常を求めた。病院の屋上で境界線を踏み越え「非日常世界」(=九郎が生きる日々)へ移動するものの、最後は今まで生きてきた日常へ戻る。
・和泉九郎は明人が憧れる「非日常世界」の人間だが、その実彼にとってその非日常こそが日常であり明人が生きる日常が非日常であった。九郎が明人に惹かれている事からも「日常世界」に憧れていたのは明白だが、結局彼は一度もそれを踏み越えようとはしなかった。
・アメリアはある日を境に一人で生きてきた世界を飛び出し、非日常へ足を踏み入れる。けれどそれは明人やしずかみたく「越境」したわけではなかった。最後には九郎に追い返され元の日常へ戻ってしまう。
・葉山美月は九郎の傍にいるため陸幕二佐まで上りつめるものの、どこまで行っても血統がモノを言う"高級諜報家"の世界に入ることはできない。つまり彼女もまた九郎と同じく自分が居るべき日常ではなくそれとは別の世界である非日常へ憧れているものの、とうとう越境することが出来なかった人間である。
・レオン・ハイルマンの場合はどう見るか悩む所だが、おそらく彼はずっと求めていない非日常(=という名の愛する者を救おうとする日々)を歩み続け、日常(=という名の愛する者が穏やかに過ごす日々)を求め続けた人間なのだろう。レオンは愛する者に「家族と過ごす普通の日常」を与えたかったが、エレナの病気を治すために医者になるものの救えず、イリカを治すためにしずかを生み出すものの救えなかった。そしてレオン自身も病気で亡くなり、しずかと過ごす時間なんてなかった。エレナ・イリカ・しずかが「わたしは、普通でいいな」と言うのは普通(=「日常世界」)に憧れ、けれど手に入らないからこその発言だろう。「裏社会」なんてものは関係なく、「表世界」でも"普通"に生きられない者がいる。
・[縁-blood-]にて八郎の「…しずかが自分で決められるようになるまで、俺達がそれを用意してやってもいいだろう?」や、九郎の「終わったら…うちに来るか?」に「…わからない」と返答したところを見ると、和泉しずかは九郎のように「非日常世界」の人間ではなくいつでもどちらの世界へ行くことができた境界線上に留まっていた人間だったのではないだろうか。そして明人と出会い「日常世界」に触れることで、最終的にそちらを選び、ようやく最初の "日常" を掴みとる。
『Scarlett』は例外なく誰もが「非日常」へ憧憬する。明人も九郎もしずかもレオンもアメリアも美月さえも―――自身が生きる日常から、そこから先の世界へ行こうとし、望み、あるいは何もせず、そして踏み越えた者と踏み越えられなかったニ者に分かたれた。
"越境"できたのは、大野明人ただひとり。彼だけは安定と退屈で形作られた日常を飛び越え、非日常に身をやつす。
けれど他の者はいつだってその想いが叶えられることはなかった――アメリアは元の世界へ戻され、美月は今なお足掻き、レオンの夢は叶わず、九郎は憧れ続けるだけに留まる――明人のようにどちらかを「選び取る」なんてそもそも出来なくて、最初から与えられた世界で生きるしかなかった。
しかしそれは越境者である大野明人も変わらないかもしれない。何故なら彼は、結局元いた日常へ戻ることになってしまうからだ。明人は確かに境界を超えるができたが、踏み越えただけで憧れた世界に定住することはなかったのである。
――誰もが非日常に憧憬し、日常へ揺り戻された
彼らはどんな日常に戻されたのか? もちろん元の生活であり、今まで生きてきた日々だ。この世界に産み落とされた時に自動的に縛り付けられる居場所――それが "日常" なのだろう。
九郎が子どもの頃から銃撃の訓練を受け、高級諜報家に必要な勉学に励み、そして大人になってさえも未だに父親の命令に従うのもそういう世界に産み落とされたからだ。美月がどんなに頑張っても九郎と結婚できないのは高級諜報家の家に生まれなかったからだ。ニネットが父親を支え選挙に勝とうとするのもその国で生きる人間だからだ。
九郎「偉いなニネット…今もお父さんの仕事を手伝ってるのか」
ニネット「……………………」
九郎「選挙まで、あと2週間ほどだ。頑張れよ」
ニネット「あ、当たり前じゃないのっ 私達はこの国に生きる人間なんですもの」
ニネット「貴方達のように、他所から気紛れに来る人とは違うのよ」――Scarlett・02再来
しかし、和泉しずかだけは特殊な生い立ちから "日常" が定まらずにいたのだと思う。
イリカを救う為に作られた「人工クローン」という社会的背景を持たない存在であること、後に「別当・スカーレット」の名を与えられるものの当主・八郎はしずか自身にどの世界で生きるか選ばせようとしていたこと、しずか自身どの世界で生きるか「わからない」と答えどちらとも決められず流れのまにまにいたことがこの年齢になっても "日常"が定まらずにいた要因だろうか。
彼女だけが、後天的に "日常" を選ぶことができた唯一の人間だと言ってもいい。大野明人さえも成し遂げられなかった「憧れた非日常を、生き続ける日常」として選択できた少女。
そして、しずかだって「最初の日常」を選べただけで、その選んだ先からは再び九郎が生きる"高級諜報家"の世界へ戻ることはできないのだと思う。どんなに願っても、もう二度とあちらの世界で生き続けることは出来ないのだと。
それは[日常-Normal life-]のラストが物語っているのではないだろうか。しずかと結婚し元の日常へ戻った明人。そんな明人の呼びかけに九郎と美月が無視したこと、そして明人自身さえも九郎から受けとったショートケーキを "名も知らぬ誰かから貰った" と言ったこと。
――それはお互いの日常が交差することさえもう良しとしていない態度だ。彼らは接点さえなくそうとしている。
九郎「…お前…ケーキ好きか?」
明人「え、ええっ…あ、はい…?」
九郎「じゃあ、記念にやるよ」
そう言って僕にケーキの箱を手渡してくれる九郎さん。
明人「…あのう、これは…?」
九郎「まあ、一人じゃ食いきれないだろうから、家にでもお土産にしてくれよ」
九郎「それじゃあ……」
九郎「元気でな……
……明人…」
明人「て、あっ、九郎さんっ」
そして軽く手を振ると、またどこかへと走りだしてしまったエリーゼ。
明人「九郎さん…」
決して超えることのできない壁……
もう二度と会うことはないであろう九郎さん。
でも…最後に一度だけ、名前を読んでくれたのが嬉しかった。
…夏の灼けた日差しと、けたたましく鳴く蝉の声。
家路を急ぐ僕の手には、アイスの代わりに貰ったケーキの箱が一つ。
その中には3つのイチゴショート。
今日のお土産の予定だったアイスは、ショートケーキへと変わった。
…名も知らぬ誰かから貰った、ショートケーキへと変わった…
――『Scarlett』END。
異なる世界を生きる者が道端ですれ違うこともあるだろう、時には言葉を交わすことだってあるだろう。しかし「接し」続けることは叶わない。どんなに頑張ろうが、焦がれようが、手を伸ばそうが、越境しようが、結局元いた場所からは抜け出すことは出来ない。最初に決定づけられた"日常"からは離れることはできない。
私にとって『Scarlett』はそんな作品であった。
Scarlett関連記事
*1:ねこねこソフト・発売日2006-05-26・原画メイン 秋乃武彦 , あんころもち・原画サブ 司ゆうき , ミヨルノユメギ , 仲本六日・シナリオメイン 片岡とも , 木緒なち ・シナリオサブ 秋津環 , 海富一 , 大月佑佑。概略はこんな感じの作品であり本記事はそのレビュー