固有評価:"交わした約束忘れないよ”
満足度:★★★★(4.6)
『魔法少女まどか☆マギカ』とは一体なにか? と聞かれれば、「ることを諦めないでと訴え続けた物語だと思います。
私はTV放映を観ていたとき、「悪」がいるんだとすれば、それはキュウべえだと決めつけていました。
彼は、奇跡という代価と引き換えに、少女を魔法少女へと契約させ、最終的には魔女になることを願う存在です。
キュウべえがなぜそんなことをしているかというと、少女の祈った希望が絶望へと相転移したときに発生する「膨大なエネルギー」を回収する為ですよね。
だから表面的にさらっと見れば、キュウべえがまどか達をそそのかし、少女の祈りを無碍にし、絶望へと導くそんな悪魔に見えます。
けれど、実際のところキュウべえを悪と断じるの安易かなと思います。
なぜなら彼は「宇宙救済」という目線に立ったとき、人知れず頑張り続けている存在だからです__cf.キュウべえは良い悪いで計れない)
『魔法少女まどか☆マギカ』でもし「悪」がいるとすれば、それはキュウべえではなく、世界の理です。世界のルールである、「エントロピー」です。
なぜ、エントロピーが悪なのか?
この世界はエントロピーが増大し続けます。美しいものも、醜いものも、最後にはやがて壊れます。価値あるものは無価値へと、命あるものは命なきものになります。形あるものは消え行き、柔らかいものは固いものへ変わりゆきます。
当たり前ですか? そうですね当たり前です。それが私達が生きている世界です。この世界は何もしなければ、どんどん壊れていっちゃうんですね。
魔法少女が祈った「希望」も、最後には「絶望」へと壊れていくように。美樹さやかが叶えた願いも、最後には自分自身を焼きつくし、魔女化してしまったように。時間の矢は壊れ続ける方向を指し示しているので当然です。
鹿目まどかに起こったことを思い出してみると、「エントロピー」というものがよくよく理解できると思います。
『まどか☆マギカ』のはじまりは、愛しい弟と優しい両親といっしょに朝食を食べ、そこから友人がいる学校へと駆け出していく――――そんな「幸せな日常」から始まります。
けれどそれは長く続きませんよね? マミさんは死に、さやかは絶望しながら死に、杏子は祈りながら死んだ。笑顔で満ちていた日々が、不安や、恐怖、絶望といった感情で埋め尽くされていきます。
鹿目まどかという女の子の日常は、「幸せ」だった日常からどんどん、「不幸」なものへと “変わって” いっているんですね。でもこれって、“当たり前” なことです。異常でもなんでもなく通常で平凡な出来事です。
「だってこの世界は、壊れる方向だけを時間の矢は指しているんですから」
「エントロピー」というものはそういうものです。この世界は永遠でもなんでもない。良いことは “ずっと” は続かない、どんどん悪いほうへと転がっていってしまう。そんな経験あると思います。
少女は必ず「希望=願い」を告げてから、魔法少女になります。まずはじめに彼女たちが見る世界は希望で溢れています。だって、キュウべえとの契約によって自分の願いが叶うのですから。
しかし魔法少女で “在り続けた” 人間はいないのでしょう。キュウべえが言うように、「魔法少女とは魔女になるための存在」なんです。つまり、彼女たちが祈った希望は、 “必ず” 絶望へと移りいっているんですね。
これは暁美ほむら・美樹さやかの軌跡を辿ってみると一目瞭然だと思います。ほむらは「まどかを守りたい」と願いましたが、ワルプルギス戦で魔女になりそうになりかけ、最終的(=砂漠化した世界)では、絶望の黒い翼を羽ばたかせ幕を閉じました。
美樹さやかはとーってもわかりやすいですよね。彼女は「上条の演奏がもう一度聴きたい」と願いますが、最後には現実に絶望し、魔女化してしまいます。
二人とも希望から絶望にいく__「希望→絶望」__という道筋をたどっています。この仕組みがエントロピーなんですね。
これが世界のルールです。
故に、この世界はとても残酷なんです。
これはキュウべえのせいじゃないんですね。
たとえキュウべえのせいで絶望する未来への到達が早まっても、"早まっただけで” 最終的にはすべての希望は絶望へと至りゆくのです。 もうこれは決められた理です。
「希望を持つ限り、救われないっていうの」
だから「エントロピー」という概念こそが、諸悪の根源であり絶対的な悪だと、私はそう思います。
美樹さやかが祈った、「あいつの演奏を聞きたい」っていうことも、暁美ほむらが祈った、「まどかを助けたい」っていうことも、佐倉杏子が祈った「父親を救いたい」っていうことも、
すべて、すべて、最終的には希望は、"絶望”へと変わってしまう。彼女たち魔法少女がどんな気持ちで、どんな想いで願ったところで、「エントロピー」によってどんどん「負」の方向へと移行してしまう。
これは絶対です。ほむらも、杏子も魔女になっていない? そんなのは時間の問題だったんですよ。
何故なら、魔法少女は「死なない」からです。
魔力によって生み出された肉体を持っているということは、彼女たちはずっとずっとずっとずーーーーーーっとこの世界で生き続けることになります。
無限の命、永遠の肉体、そんな悠久の時間の中で、ずっと希望を持ち続けられるわけがありません。千、万、億年ものあいだずっと希望という感情を抱き続けられないのは、感覚として分かるはずです。
気持ちっていうものも、「エントロピー」の領域内ですから。保ち続けるのはとても難しいんです。
そんな「死なない」魔法少女が抱いた希望は、どう抗っても最終的には絶望へと変化してしまう。そう "時間の問題” です。
つまり魔法少女は "絶対に” 魔女になる運命を背負っているといえます。
「ワルプルギスの夜」を倒せば、ハッピーエンドを迎えられそう気持ちになってしまうんですけど、実際問題あの魔女を倒しても何の解決にもなりません。
ただ絶望してしまう結果が、先延ばしされるだけです。一時的な猶予期間が出来るだけです。ほむらも、まどかがあの場面で願わなければ魔女になっていただろうし、もしあそこで魔女になっていなくても、将来的(=幾星霜)には魔女になってしまう。
どの魔法少女も、全員。必ず。
――――――――――――
余談。
『まどか☆マギカ』のラストを覚えているでしょうか。新しく作り変えられた世界の最後、砂漠化した土地で暁美ほむらが一人、魔獣に挑むところで終わります。
これって、人類が、文明が、ぶっ壊れた世界ですよね。あのあと人間は長い長い時間を経て、万とか億年という時間を経て、絶滅してしまったんでしょう。
人間という種が死に、幾星霜。そんな悠久の時間すらも、暁美ほむらは"生きて”きたということになります。そして最後、彼女は「黒い翼」を羽ばたかせながら、黒で染めて幕を閉じます
私にはこの「黒い翼」は、「絶望してしまった感情」というメタファーだと思ってます。おそらく本当の意味で絶望する前に、神まどかによって、ほむらは魔女化する前に消えてしまうと思いますが。。。
――――――――――――
そうです。 (唐突に戻る)
この「希望→絶望」という図式はどうやったって変えられないんです。何度も言っていますが、これは「エントロピー」という、絶対的に "壊れ行く” っていうルールが世界には存在するからです。
そんな
希望を祈りに捧げた魔法少女を、キュウべえはこう言います。
彼女たちを裏切ったのは、ぼく達ではなく、むしろ自分自身の祈りだよ。
どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ずなんらかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは、当然の摂理だ。
そんな当たり前の結末を、裏切りだというなら、そもそも願い事なんてすること自体が間違いなのさ――――キュウべえ
つまり
こんなクソッタレな世界で、願いごとを持つこと じ た い が間違いなんだよ!!!
だって絶望に絶対に至るんだから!!!
でも、そんなのってないよ……あんまりだよ……と私は思うんですね。
願い事をすることが間違いで、希望を持つこと自体がダメだなんて酷すぎます。だったら私達はなぜ生きているんだろう? とそんな存在への根本的な疑問さえ生まれてきます。
だって希望的観測こそが、希望を夢見ることこそが、未来へと祈ることこそが____私達が明日へ向かって生きられる最大にして最高の動機じゃないですか。
明日はこうなって欲しいとか、誰々が幸せでありますようにとか、そういった自分の為に、誰かの為に、やさしい気持ちによって紡がれる祈りが、間違いだなんて想いたくはありません。 それが世界の理だとしても。
鹿目まどかが、命を燃やしてまで、果たした願い。
その願いを願った動機は、誰かの祈りが間違いだなんて思いたくないよというものだと思います。
「信じて、絶対に、今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」
――鹿目まどか
「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。
すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女をこの手で!」
+++
「君はほんとうに神になるつもりかい?!」
「神様でもなんでもいい。
今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。
最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる。これが私の祈り、私の願い。
さあ
叶えてよインキュベーター!!
鹿目まどかは、魔法少女が祈った動機、祈り続けたその過程を、とても大事にしています。
美樹さやかが祈った「上条の演奏を聴きたい」という動機、祈り続けた魔女と闘い続けたその過程。正義の味方へと必死になって歩み続けたその姿。
暁美ほむらが祈った「まどかを助けたい」という動機、何度も何度も繰り返し続けた命を燃やしてきた過程。
――願ったその希望、叶えたいその未来 、頑張ってきたことは
絶対に無駄なんかじゃなかったよ!!と。
だから「希望→絶望」の、この図式の終着点である「絶望」を殺す概念へと、まどかはなったのでしょう。希望はそのままに、祈った動機も、祈り続けたその過程もそのままにする為に。
「あなた達の祈りを、絶望で終わらせたりしない。
あなた達は、誰も呪わない、祟らない、因果はすべてわたしが受け止める。だから最後まで自分を信じて」
――――鹿目まどか
……まどかはすごい優しい女の子ですよね……。
誰かの「祈り」をやさしく包み込む為だけの____まどかの祈りですものこれ。
『まどか☆マギカ』は至る所にこの「祈り」が出てきます。私が最も印象深かったのが佐倉杏子。彼女は教会の関係者であり、神を信仰している父を持ちます
例えば、杏子は、人魚の魔女との戦闘で祈ります。
「頼むよ、神様。
こんな人生だったんだ、せめて一度くらい幸せな夢を見させてよ」
――――佐倉杏子
髪留めをほどき、十字架によく似た用具を取り出します。両手で用具を包み込むその形はまさしく「祈り」です。(この用具はロザリオの一種かな?)
「心配すんなよさやか。
ひとりぼっちは寂しいもんな
いいよ、一緒にいてやるよ
さやか」――――佐倉杏子
はじめて出会った時の佐倉杏子は、ツンケンしており、願いとか希望とか縁遠い印象を抱かせます。
美樹さやかの想い人の腕を切り落とせだの、お前の願いは間違いなんだよとそんな厳しい言葉を吐いていた子が、さやかを友達だと思い、彼女の為に祈るその姿はグッときます。
例えば、ラストの場面。
暁美ほむらが魔獣へと戦い挑むときに、このメッセージが流れます。
Don't forget.
Always,somewhere,
someone is fighting
for you.
As long as you
remember her,
you're not alone.
忘れないで
いつもどこかで
誰かがあなたのために
戦っている。
彼女を覚えている限り
あなたは1人じゃない
これも祈りです。
『まどか☆マギカ』の血脈に存在する願いです。
これは一体どういう意味なのか? と考えると「祈ることを諦めないで」とそう訴えていると思うんです
鹿目まどかが「絶望を殺す概念」となったとしても、この世界は壊れ続けています。これは避けられない事象です。
「希望→絶望」――――この構図の「絶望」は消え失せても「→」の矢印部分はいまだ存在してるってことです。未だに時間の矢は壊れ続ける方向だけを示しているんですね。
だから鹿目まどかの祈りが叶えられたとしても、世界の図式は 「希望→__」 となっています。しかし依然として「エントロピー」という概念は、この世界のルールとして組み込まれている。
まどかによって「祈った希望が絶望へと至らなくなった」世界でも、
「希望は絶望へと"向かう”」んです。
そんな壊れ続ける世界では、希望を持つことが、希望を持ち続けること自体が難しくなっていきます。
『魔法少女まどか☆マギカ』では、それを「呪い」と呼んでいます。
まどかが上位概念となり、新しい宇宙へと作り替えても、「魔獣」という存在が蔓延る世界になっている。暁美ほむらはこう言います。
「たとえ、魔女が生まれなくなった世界でも、それで、人の世の呪いが消え失せるわけではない。
世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている」
――暁美ほむら
…………この世界はどうしようもなくクソッタレです。
大事なものはすぐ壊れてしまうし、大切だった人は数瞬にして無くなります。込めた想いも、積み重ねた思い出も、すべてすべて、最後には消えてしまいます。移り行きます。
脆くも、曖昧で、不確かな…____そんなところに私達は生きている。
幸せな時間を過ごしていても、いつの間にか無くなっていたなんてことはざらで、本当に大切だったものが両手からこぼれ落ち、気がつけば腕ごと切り落とされていたなんてこともあります。
だから……時々、絶望の色で世界が染まってしまうんです。
未来が真っ暗で、明日に夢なんか持てなくて、希望なんかこれぽっちもない。生きていることがただただ無意味に思えてしまったり、生き続けることが死に続けることと同じになってしまったり。
理由も分からず泣いた夜、生まれた意味なんか分からなくて、存在していることが間違いだったと呟いてしまった昨日。そんな暗い押入れのような世界に閉じ込められている人が溢れています。
…………だからだから、この言葉があるんでしょう。
Don't forget.
Always,somewhere,
someone is fighting
for you.
As long as you
remember her,
you're not alone.
上位概念と化し、神さまとなったまどか。
彼女は絶望を殺し、希望を見届ける存在。
どこにでもいて、どこにもいないそんな女の子。
あなたが辛いとき、悲しいとき、私が傍にいるよ、一人なんかじゃないよと。あなたの為に、世界に組み込まれた呪いに向かって戦っている人がいるよ――――と。
そしてこれは有名な詩・「FOOTPRINTS IN THE SAND 」と似ていると私は思うんですね。
ある晩、私は夢をみていた。
夢の中で私は、神と並んで浜辺を歩いていた。そして空の向こうには、私のこれまでの人生が閃光のように、映し出されては消えていった。どのシーンでも、砂の上には二組の足跡が残されていた。
一組は私自身のもの、もう一組は主(神)のものだった。人生の最後のシーンが映し出されて目の前から消えていくと、私は振り返り、砂上の足跡を眺めた。
そして、私の人生の道程には、一組の足跡しか残っていない場所がいくつもあることに気づいた。 しかもそれは、私の人生の中で、最も辛く、悲しいときであったのだ。私の心は、疑いと悩みで乱れ、神にそのことを尋ねてみた。「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私と共に歩いてくださるとおっしゃられました。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつも一組の足跡しか残っていないではありませんか。
私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか。」神はやさしく答えられた。
「わが子よ。 愛するわが子よ。 わたしはあなたを愛しており、 あなたを決して、ひとりにはしなかったのだよ。あなたの試練や苦しみのときに、一組の足跡しか残されていなかったのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだよ。」
――FOOTPRINTS IN THE SAND
簡単にいえば、「あなたが寂しいとき、神さまはすぐ傍にいるよ。あなたが一番辛いとき、神さまはあなたを抱き上げて歩いているんだよ」
そういう詩です。
『魔法少女まどか☆マギカ』が言いたいことはここにあります。
こんな歪みきった世界でも、エントロピーというルールがあろうとも、どうか希望だけは捨てないで、祈ることを諦めないで。私がついているから、見守っているから、大丈夫、きっと大丈夫、信じようよ――――。
と。
(頑張って)
――まどか(上位概念)
『魔法少女まどか☆マギカ』――――それは祈りの物語。
――――――――
――――
―
まどかはそれでもいいの?
私はあなたを忘れちゃうのに?
まどかのことを
もう二度と感じ取ることが出来なくなっちゃうのに?!
ううん
諦めるのはまだ早いよ
ほむらちゃんはこんな場所まで付いてきてくれたんだもの
だから
元の世界に戻っても
もしかしたら私のこと忘れずにいてくれるかも
大丈夫
きっと大丈夫
信じようよ
だって魔法少女はさ、夢と希望を叶えるんだから
きっとほんの少しなら、本当の奇跡があるかもしれない
そうでしょ
……………………
…………
…
はいここから感想です。
劇場版の『まどか☆マギカ』の見て思ったのは、テレビ放映版のほうが好きだなーということでした。
杏子が自分を犠牲にし、人魚の魔女を倒したあと、TV版だと「青色と赤色」が混ざってゆく場面があるんです。けどこれが劇場版ではありませんでした……。
ここすごい印象的だったのに……まじですか。残念。
他にもマミさんが魔法少女になった経緯とかも、無くなっていたりしました。ちゃんと見るならば、TV版のほうが良いかもしれません。
+++
2011年当時、『まどか☆マギカ』をリアルタイムで観ていた私はもうちんぷんかんぷんでした。
なんかまどかが願って、魔法少女全員が救われたけど、上位概念となって、ほむほむはよく分からない場所で戦い続けて…うるうる(感動) と観ていました。
だから、『まどか☆マギカ』って何? あれは一体どんな物語だったの? どういう"核”が埋まっていたの?
なーんて聞かれると「……ごめんなさい正直わかりません」と、うぐぅの音も出ない状態だったんですよねうぐぅ。
なのでこうやって、自分なりに消化して、思考を深めていく「2回目の視聴」はとても有意義でした。
+++
「後編感想」のほうでも触れているんですが、『まどか☆マギカ』の終わり方って、「現実に即している」と思うんですよ。
すんごいハッピーなわけでも、めちゃくちゃバッドな終わり方ではない。心が満ちた部分もあるし、欠けてしまった部分もある。全部に満足することは出来なかったけれど、一部分を満たせた。
まったくもって十全な結末なんて言えない。
けれど、どこかに希望はあったよ、ここにあったんだよと。そういうふうに私には見えるんですね。
鹿目まどかは心からの願いを叶えられたけど、人間をやめてしまったし
暁美ほむらは「まどかを守る」その約束を遂行し続けることはできたけど、生涯親友との別れを経験することになるし
美樹さやかは自身の祈りの価値を保護と引き換えに、上条との恋を諦めてしまった。
誰もがほんとうに満足しているなんて……とてもじゃないけど思えないです。これが「現実に即してる」と言いたい理由です。
現実で純度100%のハッピーエンドを掴めるかっていうと、無理ですよ。何かを諦めて、何かを妥協して、小さな幸せを手に入れているのが現実世界……だと思います。
だから『まどか☆マギカ』は祈りの物語であると同時に、この世界がどれだけ「幸せになりにくい」かを描いているなと。
さーて。
ようやく『まどか☆マギカ』を自分なりに掴めたので、新編『叛逆の物語』を観に行きたいと思います! やっとですやっと!!
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
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けど一体全体どうなるんでしょうね? これ以上の未来があるのでしょうか? これでも精一杯みんな頑張って、手に入れた「幸せだと思える」ぎりぎりのラインの結末だと思うのですが…………。
……ただ、
これ以上のハッピーエンドがあるとするなら…………見てみたいなあ……。
「まどか☆マギカ」に関連する記事
劇場版・前編の感想記事と
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 始まりの物語 [前編]__考察、感想。 日常ってとても大事だよね……(5552文字)
後編の感想記事です。
『魔法少女まどか☆マギカ』 劇場版後編・感想。 奇跡も魔法も無かったのかも?(12747文字)
個人的にまだ解決していない疑問
答えが出なくても煮詰めていくのですよ。
1)佐倉杏子の相殺の祈りについて
なんで杏子は、「一緒にいてやるよ」と祈ったのか?
なぜ、さやかと一緒に死ぬことを選んだのか?
あの状況を見るに、杏子は逃げようと思えば逃げれた。わざわざ戦い命を危険に晒す必要なんて無かった。
けれど彼女は、さやかと相打ちを決意し、「寂しそうにしているさやかと一緒に居るために」全身全霊でさやかを殺し、自分も死んだ。
……たぶんさ、杏子もまどかと同じくこんな「結末」が耐えられなかったんじゃないのかなって思う。
正義の味方になるって、魔法少女の力は、誰かの祈りを守ることができるとそう語ったさやか。
「あんた信じてるって言ってたじゃないか!!
この力で人を幸せにできるって!!!」
――――佐倉杏子
そんな美樹さやかの結末は、絶望し、醜い魔女になるというもの。
……なんていうかさ、こんなの全然救われないじゃん、さやかが今まで頑張ってきたことが、なんか全部無駄みたいだったじゃん……。
上条の為に祈り、その代価として魔法少女になり、全ての人生を「魔女との闘争」という運命に塗り替えられてしまって、それで最後には自分の祈りさえ否定して、壊して、絶望して、魔女になった?……
……もうさやってらんないのよ。そうだよ全然ぜんぜんやってらんないんだよ。
美樹さやかを大事に思うのなら、彼女の結末をどうにかしたいって思うのは人情だよ。彼女の「最後」をせめて、すこしでも満ちたものにしたいっていう気持ちが、佐倉杏子の祈りだったんじゃないだろうか……。
そっか……。。。なんというか辛すぎるよこれ……。
2)鹿目まどかの魔法少女としての能力
魔法少女の特性は、「祈り」の内容によって決定されるらしい。
暁美ほむらだったら、「時間跳躍」という祈りなので、「時間停止」という特性が与えられた。美樹さやかなら「癒やし」。
となると、鹿目まどかの魔法少女としての力・特性は一体なんだったのだろう?
なぜ彼女の武器は弓なのだろう?
願いによって変わる……ふむ。
1つは「魔法少女になりたい!」という「憧れ」による願い。もしくは「誰かを魔法少女になって助けたい」という「やさしい気持ち」による願い。
2つ目は、「魔女を殺す概念」という「誰かの祈りを保護」する願い
1つ目の願いを告げたまどかの特性は……もしかしたら「誰かの辛い気持ちを取り去る」ものかもしれない。
根拠とかないんですけど、そうだったら素敵だなって。
2つ目は、その特性によって「上位概念へとシフト」してしまったのかな……。魔法少女による特性が拡大化されてしまった……のかも。
「弓」ねー。弓かー。弓と矢……ん?
アレちょっと待てよ? 弓矢って祈りの道具として使われるのか?! おおお!! さらに弓と矢は「2つ」ないと道具として機能しない。これは「二人」じゃないと機能しない「約束」の比喩にも見える。
ちょっと気になってwikipediaを漁ってみた。この記述がとても素敵。
「しあわせ」という心の感情は、狩り(かり)や漁り(いさり)から生まれ、幸(弓矢や幸心のこと)と言い、「弓矢の神事」や「射的行ため」から派生して「射幸心」という心の概念を表す語になった。
――――弓矢 - Wikipedia
また射幸心とはこういう意味である
可能性の少ない偶然の成功や、利益を得ようとする気持ち
また弓矢にこういった言葉と関連付けされている。
- 射止める - 手に入れることの喩え。「金的を射とめる」とは望んだものが手に入ったことの喩え。
- 祝的(しゅうてき) - 厄や鬼が祓われたことの喩え。神事としての的矢において金的や銀的から矢を抜く儀礼。
――――弓矢 - Wikipedia
弓矢の性質を当てはめてみると、「祈りを飛ばす」……という意味あのかもしれない。
鹿目まどかが「弓矢」を武器にしているのは、祈っている為かあ……。。。もうこの子ほんと優しすぎると思いますはい。
3)ほむらとまどかの約束について
『まどか☆マギカ』といえば、約束です!
コネクトの歌詞の「交わした約束忘れないよ」がすんごい印象的ですよね。
ラストで興味深いのが、「まどかのリボンと弓矢」を暁美ほむらが継承している点です。
リボンは「繋がり」という意味にも取れます。また「弓矢」は祈りのメタファーなので、「まどかの願い」かなと思います。
これってなにかに繋がるなーと思ったら、「約束」なのかもね? と思いました。
まどかとほむらの約束って、すごーく大事な点だと思います。
なぜなら、暁美ほむらはまどかと約束を交わし、遂行し続けた結果、今の未来があるのですから。
「キュウべえに騙される前のバカなわたしを助けてあげてくれないかな……」
「……約束するわ。
絶対にあなたを救ってみせる。
何度繰り返すことになっても、必ずあなたを守ってみせる!!」
それで思ったのがこの約束の「あなたを守ってみせる」という部分。まどかを守るという意味です。けれどまどかは「上位概念」となってしまった。
まどかという人間はいなくなり、神さまへとシフトしてまった。
暁美ほむらが交わした「まどかを守る」その約束は、人間であれば、不幸を払い、厄災を退け、敵を倒し、安寧な日々を送らせるということになると思います。
けど。まどかという個人はもういません。彼女は世界に遍在してしまったのですから。
だとするなら「まどかを守る」ということは、「概念となったまどかを守る」ということになるんじゃないですかね?
「概念となったまどか」ってなに? と聞かれると、「希望」と答えます。
絶望を殺し、あまたの魔法少女の祈りを保護し、誰も泣かせたくなんかない、最後まで笑顔でいてほしい! そういった願い事をまどかは祈ったのです。
ならば「希望」が妥当かなって思います。マミさんもまどかが願いを叶えるとき、そう言っていましたし。
あなたは希望を叶えるんじゃない。
あなた自身が希望になるのよ。
私達すべての希望に
――――巴マミ
えとですね何が言いたいかっていうと、暁美ほむらと鹿目まどかの約束が「まどかを守る」ということなら、
新しいルールが適用された宇宙で、世界で、暁美ほむらが弓矢を持ち、赤いリボンで髪を結んでいるのは、
「まどかと交わした約束を忘れないよ」
と、まどかの祈りと自分たちが交わした約束を遂行し続けている____ということだと思います。。だから彼女は、一人ぼっちになっても、魔獣という世界の歪みから生まれた「呪い」と戦い続けたのかなと。
4)杏子が死んだあとに出てきた、墓場と木?について
劇場版・後編にて、杏子が人魚の魔女と相殺したあとの場面。
赤い光と墓場と、マリアの像の風景にて、暁美ほむらとキュウべえが会話します。
そのあとほむらは、淡い白色(雪? 霧?)の土地にて、もくもくと歩き続けます。
で! これいったいなんなのかな?!って。
最初にでてきた「赤い墓場」は心象風景だと分かります。杏子が死んだということを隠喩しているんじゃないですかね。
マリア像、十字架の墓場、赤い光――――ときたら杏子が思いつきます。そこでキュウべえは「杏子が退場することには意味があったんだ」とつぶやくので。
よくわからないのが次の画面の「白い風景」。
木が等間隔に並ぶ、白い景色は……よくわかりません。
暁美ほむらの心の風景かも? いやー……もっとなにかあると想いますが、私にはわからんです。
5)まどかはなぜ「この手で」と言ったんだろう?
鹿目まどかの願い。
「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。
すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女をこの手で!」
なんで最後の言葉「この手で!」と言ったんだろう? だって願っちゃえば、奇跡はすべてを叶えてくれるので、「自分が介入」する必要をあんま考えないと思うんですよね。
「すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を消してよ!」
という願いではなく、「すべての魔女をこの手で!」という発言。
1、まどかは自分の願いを叶えるにあたって、すべて人任せだというのが嫌だった。
2、自分の願いは、自分の手で叶えたいという想いの現れ。
……願い、祈り、約束というのは、自分の手で叶えようと行動し続けなくてはいけない……のかもですね。ふとそんなことを想いました。
おわり
以上で終わりです。ここまで読んでくれてありがとうございました。
またね!
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