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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

『魔法少女まどか☆マギカ』 劇場版後編・感想。 奇跡も魔法も無かったのかも?(12747文字)

アニメレビュー アニメレビュー-魔法少女まどか☆マギカ
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劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語【通常版】 [DVD]

 

 

 私、やっとわかったの。 

 

叶えたい願い事を見つけたの。 



――――だからこの命を使うね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キュウべえは、なぜ「奇跡」を起こせる?

 

 

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世界の流れを変え、条理を覆し、自然の摂理すらも書き換えてしまう「奇跡」。


そんな奇跡をインキュベーターことキュウべえは、容易く起こせてしまう。「エントロピー」という概念を持ちだしてくるのなら、その、その奇跡は一体全体どういうカタチで成り立ったもなのだろうか?

いったい何を犠牲にして、代価にして、奇跡を起こすのだろうか?

 

 

劇場版を見てやっと気づいたんだけど、キュウべえは実際のところなにもしていない。もっと正確にいうならば、「ただ変換」しているだけなのだろう。

――――少女の希望をエネルギーへと。


キュウべえは言う。君たち第二次成長期である少女の希望と絶望の相転移が、エネルギー回収という目線にたったとき、とても効率がいいと。

そして自分たちは、「知的生命体の感情をエネルギーに変換できる」と。キュウべえ自身は、代価を払っていない、ただの仲介人なのだ。


少女は、「魔法少女」へと契約を結ぶ時、必ず「祈り」を捧げる。祈る、願う。明日がこうなって欲しい、未来がああなって欲しい、お金持ちに、不老不死に、恋人の命を、家族を、どうかどうか――――そう言って祈る。

少女たちは、「希望」を告げる。

そのとき、莫大な感情が生まれるのだろう。希望によるエネルギーは "エントロピーをも凌駕する” んだと思う。

 

「教えてごらん、君はどんな祈りでソウルジェムを輝かせるのかい」

「私は鹿目さんとの出逢いをやり直したい。
彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたいって!!」

――――キュウべえ暁美ほむら



少女が胸の裡に起こした膨大な「希望」という感情。それを変換し「奇跡」という、この世界の理を覆すほどのエネルギーを生み出し、世界に適用させる。


キュウべえがやっていることは、これなのではないか?

当時はTV放映しているときは、なにも考えず、ただ思いのままに観ていたなと。

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女という希望、魔女という絶望

 

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「さやかちゃん……魔女から人を守りたいって……正義の味方になりたいって…………そう思って…魔法少女になったんだよ……なのに」

 

「その祈りに見合うだけの呪いを背負い込んだまでのこと。
あの子は誰かを救った分だけ、
これからも誰かを祟りながら生きていく」

――――鹿目まどか暁美ほむら

 

 

どこでこんな考え方が生まれたのか、ちょっと思い出せないんですけど、私はよくここ考えちゃうんですね。

希望→→→絶望
絶望⇔終着駅 

という構図を。


希望を持ってしまったとき、その希望の最終的に行き着くところは「絶望」なんじゃないか? spれ、p「絶望」に至ったあと、そこには希望に繋がる線はない。絶望は絶望であり終着駅なのだと。


希望はどう頑張っても、どう足掻いても、どんなに抗っても"壊れ”ます。

それはこの世界が、壊れ続けている世界だから。時間の矢が一方向に向き続けることをやめない限り、汚くなり、崩れていく。 エントロピーが増大し続ける、それが世界の約束です。


どういうことかというと、
ただただなにもしないで、
掃除もしなかったら、
部屋は汚くなりつづける一方ですよね?


物は出しっぱなし、放りっぱなしの地べた。料理を盛った食器は現れず、台所のシンクに溜まっていく一方。 整理整頓もしない、掃除機もかけない。そりゃ部屋は汚くなります。これがいわゆる俗説であるエントロピーです。確か。


んで「魔法少女まどか☆マギカ」ももちろん、この例ですよね。


希望を願い、祈った挙句に魔法少女へとなる。祈った「希望」の行き着く先は絶対的に「絶望」です。それが魔法少女と魔女の関係です。

この 「希望→絶望」 矢印の方向は、一歩通行なんでしょう。

希望は絶望を生むしかない。だってそれがこの世界のルールだから。そういう理で動いているのだから。


嫌ですか?  私もそんな世界は嫌です。

じゃあどうするか。希望が希望のまま終わり、絶望へと行き着かないその方法は。 魔法少女魔法少女のまま終わり、魔女へと至らないその方法は。



1つは、「エントロピー」っていう概念をなくしちゃおうぜ! だと思います。すると、世界は「永遠」となり、氷の世界へとなり、ひたすら止まったままの世界になると思います。

わーこりゃーさいこうだぜー!!ひゃっはー!!


2つ目は、鹿目まどかが祈ったことですね。「絶望を殺す」そういうルールの追加です。希望→絶望の「→」部分を殺すのではなく、希望が至る先の「絶望」を消すという考え方。なんというかすごいことを考えるな……この子。

 

 

 

 

 

キュウべえは良い悪いで計れないよね

 

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キュウべえの存在に憎悪や嫌悪、嘲りを抱いてしまう人もいるかもしれませんが、私は、そんな感情があまり浮かんできません。


なんというか彼・キュウべえは、「悪いやつだ」と断じることが難しいんですよね。

なぜって彼がやっていることは、マクロな視点に立てば限りなく「イイヤツ」なので。だって宇宙というどでかい世界を、どうにかしよう! と頑張っていますから。

ただ、まどかとキュウべえの断絶は、ここにあるんですよね。まどかは「ミクロな視点」で物事を話していますが、キュウべえはそうじゃない。彼は「マクロな視点」のみで物事を話しているから、どうしたって互いに納得できるわけがない。

「わたしたち、消耗品なの?……あなたたちの為に、死ねっていうの?」

「この宇宙にどれだけの文明がひしめき合い、一瞬ごとにどれほどのエネルギーを消耗しているのか分かるかい?

君たち人類だってこの星を離れて、ぼく達の仲間入りをするだろう。その時になって、枯れ果てた宇宙を引き渡されても困るよね」

――――鹿目まどかキュウべえ


鹿目まどかは、「個人」というとても狭い狭い世界の領域でしか話をしていません。彼女の周囲にいる人間・環境にしか興味がありませんから当然です。

対して、キュウべえは「宇宙」というとても広大な世界の視点に立って話をしています。宇宙を助けられるのなら、少数の人間が犠牲になっても仕方ないよねと。

言い方を変えるなら、窮地に陥っている100人の村があるとします。その村で90人を救う方法があるとするならば、残りの10人を切り捨てることも厭わないということです。

けれど、その「村」で実際に暮らし、"切り捨て”られる側の人間だったとしたら、そんなお話に「YES」なんて答えられません。切り捨てられる側の「少数」を大事にするか、大勢の人間を、「村」を救うことを大事にしているかの違いです。 

まどかときゅうべの関係はこういったものです。

 

 

 

そして、もっともっと、根本的な、気持ちの断絶の要因。

――――それは感情の有無です。

 

 

 

人間が一人一人を「識別」できるのは、感情を共有できるからこそ

 

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「今現在で70億人。

しかも4秒に10人づつ増え続けている君たちが、どうして単一個体の生き死にで、そこまで大騒ぎするんだい?」

――――キュウべえ

 


「感情」というのは目に見えなくて、カタチも存在しない。

そしてそれは当たり前のものとして、自分に相手に組み込まれているものだから、価値に気づきにくいです。

感情が無ければ、人は「人」として認識できない。他人を「他人」として識別できない。人間に感情が無ければ、もし他の人間と出会ったとしても、それは「敵」か「味方」かくらいの判断しかしないと私は思うんです。

『隠者』という概念があります。

最果ての荒野で、たった一人だけで生きていける人間。隠者にはただ「生きる」ことしか頭には無い。動物を狩り、水を飲み、身体を休める。そうやってただ「一人」だけで生きていける概念。

彼には感情がない。感情がないから最果ての荒野に一人佇むことになっても狂うことはない。けれども、同胞を作ることもない。なぜなら、感情を有さない場合、単一個体のみで生きるしかなくなるからですね。

ううんそもそもさっきもいったが、「仲間」だとか「同胞」だとかそういった概念が成り立たないように思える。



この考え方の基板には、

 

動物界脊椎動物脊椎動物亜門哺乳綱サル目サル亜目サル下目ヒト科ヒト亜科ヒト属――――には、共通している根本的なもの、つまり「感情」があるからこそ、「会話」ができるというものです。 これが基板にあります。



言葉が、人種が、肌の色が、生まれが、身分が、育ちが、才能が、思想が、信念が、運命が____違っていたとしても、会話ができる。

お互いの「気持ち」を私達は共有できるから。もしこれが出来なかったら、人間はずーっとずーっと争いをしているしかなくなるんじゃないのかな。


だってそうじゃないでしょうか?


例えば、私とあなたは絶対的に違う。
見た目も、能力も、生まれも育ちも、もしかしたら母国語さえ違うかもしれない。ヒトという種は一緒でも、もうここまできたらぜんぜん違う生き物だし、存在なんだよ。 

けれど、「自分たちは同じだと思える」でしょ? 同じ「人間同士」だとそう思えるでしょ?

それが本質的には全然違ったとしても、錯覚でも勘違いでも、そう"思え”ることが重要なんです。 自分と相手は同じだって、そういうふうに。

それは人間が感情を持っているから、他人の心を推し量ることができるから。隣人との人との関係を重要視することができるからです。距離をはかり、気持ちをはかる。

どうすれば怒るのか? どうすれば好かれるのか? どうすれば嫌われるのか?

そうやって相手を理解できるからこそ、共生共存できるようになります。「仲間」だって思えますから。

 

けれど、キュウべえはそうじゃない。

彼には人間と違い、「感情」を持っていない。他者を読解することができない。つまり、人間を観る時、地面を這いつくばるアリを見る目と変わらない。

死んでもいいし、生きててもいい。ううんむしろ、存在すらどうでもいい。見かけたら、「あ、こんなところにいるんだ」とか、「ある法則に従って動いているんだね」くらいにしか思わないでしょう。

だってもう「別」の存在ですから。

「同じ」ではない存在は、誰にだってどうでもいい存在となってしまう。

 

 

「この宇宙の為に死んでくれる気になったら、いつでも声をかけて、待ってるからね」

――――キュウべえ

 

 

キュウべえが、ミクロな視点――――つまり、まどか達という「個人」の立場になって考えることをしないのは、「まどかという単一個体に感情移入出来ない」からこそです。



アリに感情移入をする人はいないよね?
アリを一匹一匹「識別」できる人はいるんだろうか?
こいつは「アリス」とか「イヴ」とかそう認識できる人は?

アリ一匹一匹の生涯を考えて暮らす人はいるだろうか?
そんな一匹一匹に、泣いたり笑ったりしながら話しかける人はいるんだろうか?

 

キュウべえと私達人間の関係はこれと同じです。
たとえ「言葉」が通じて、ある程度のコミュニケーションが可能でも、人間の根本的な共通項である「感情」が抜け落ちている彼に、私達とほんとうの意味で「会話」するこは不可能です。


まどかとキュウべえの会話はそれを如実にあらわしています。

「どうしてたかだか、数人の運命だけを特別視できるんだい?」

「ずっとあの子たちを見守りながら、あなたは何も感じなかったの? みんながどんなに辛かったか、わかってあげようとしなかったの?」

「それが僕たちに理解できたのなら、わざわざこんな星まで来なくてすんだのだけどね」


――――キュウべえ鹿目まどか

 

 

うん。だからね、キュウべえと人間はずっと平行線なんですよ。

そもそもね。宇宙だとか、この先の未来の為に、人間が動機を持てるなんてね、難しいよ。

私達は、自分たちのごくごく狭い領域を「世界」と呼ぶし、よくわからない未来より、今と、ちょっと先の明日くらいしか損得勘定を持ち出せないのだから。

自分が死んだあとの世界に、興味はないのよね。

 

 

 

 

きゅうべえ、への識別

 

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きゅうべえには感情がない。それは私達が、「きゅうべえ」を「きゅうべえ」として識別できないことにも繋がっている。

どういうことか?


死んだキュウべえと、生きているキュウべえの「」が私にはわからない。ほむらによって殺されたキュウべえと、そのあとに出てきたキュウべえを「違う命」と識別できない。

当たり前だ。


人は固有性を備える。精神的な側面からいえば、それは「人格」である。唯一無二の人格。それは「識別」できるほどに、みんなそれぞれ、一人ひとり違うものだ。

だから私達は、他人Aと他人Bをはっきりと「識別」できる。

おそらく感情というものは、固有性を備わせる最大の要因だと思う。キュウべえには感情がない。つまり、固有性を備えられない。

だから私達は彼らを「キュウべえ」という概念でしか認識できないのだ。


アリを見る目と同じように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暁美ほむらと満ちるっていうこと

 

 

 

劇場版・前編の記事でも言ったんですけど、暁美ほむらが救いたいのは「一回目の鹿目まどか」であると。

 

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 始まりの物語 [前編]__考察、感想。 日常ってとて

 

も大事だよね……(5552文字)

 


「一回目のまどか」との思い出の積み重ねによって、魔法少女を志し、まどかを助けたい一心で何度も時間遡行を繰り返している暁美ほむら

ほむらの願いは「まどかを助けたい」というものだが、これが叶ったとしても、十分に心が満たされるかというと、やっぱり違うよねと思う。

 

 


以下の言葉は、暁美ほむらの胸中の吐露である。

 

 

本当の気持ちなんて伝えられるわけないのに。
だって私は、私はまどかとは違う時間を生きているんだもの!!

……私ね、未来から来たんだよ。

何度も何度もまどかと出会って、それと同じ回数だけあなたが死ぬところを見てきたの……っ。

どうすればあなたが助かるのか、どうすれば運命を変えられるのか、その答えだけを探して何度もはじめからやり直して……っ

ごめんね、わけわかんないよね。
気持ち悪いよね。
まどかにとっての私は出会ってからまだ一ヶ月も経っていない転校生だものね……。

だけど、私は、私にとってのあなたはっ。
繰り返せば繰り返すほど、あなたとわたしが過ごした時間はずれていく。気持ちもずれて、言葉も通じなくなっていく。

たぶん私は、もうとっくに迷子になっちゃってたんだもの。

あなたを救う、それが私の最初の気持ち。
今となっては、たったひとつだけ残った道標。

分からなくていい、なにも伝わなくてもいい。
それでもどうか、あなたを私に守らせて。



――――暁美ほむら

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こんな彼女の心を知ってしまったら、「まどかを助ける」ことは願いだとしてもそれで満たされるかと言われると、むーとなってしまう。

暁美ほむらは今まで何度も何度も、繰り返し繰り返されるほど、まどかを守ることだけに命を燃やしてきた。まどかを助ける為に頑張ってきた。

けどそれって、時間を遡行する原理として、誰も彼女の頑張りを「理解」できない。泥を啜り、苦渋を胸に詰め込んできたそのがんばりを誰も認識できない。それが無性に……やるせない気持ちになってくる。


暁美ほむら自身は、そんなことはどうでもいいのかもしれない。けれど思うのだ。


一回目のまどかの記憶を有し、かつこれまでのほむらの頑張りを認められる存在」がいたとしたならば、それは暁美ほむらとってとーーーっても幸せな出来事なんじゃないだろうかって

 


劇場版を観る前まではすっかり忘れていたのだけれど、最終的にまどかは全ての記憶・思い出・時間を眺め観ることが可能になり、これを実際に実現させた。

 

「いくつもの時間で、ほむらちゃんが私の為に頑張ってくれたこと。なにもかも。  何度も泣いて、傷らだけになりながら、それでも私の為に。ずっと気づけなくてごめんね、ごめんね」

――――鹿目まどか(上位概念)

 

このあとほむらは、泣いてしまう。
これをみて、「ああ、なんか救われたなー」とそう実感した。
心が満ちるような感覚。

 


ただそのかわり、鹿目まどかは上位概念へとシフトし、「人間をやめて」しまったのだけれども。
 

「これがまどかの望んだ結末だっていうの?

こんな終わり方でまどかは報われるの?! 冗談じゃないわ!!」

――――暁美ほむら

 

ほむほむの言いたいこともわかる。

もうだれもまどかのことを覚えていないし、まどかも人間としての営みを送ることはない。

けれど、まどかが概念と化したからこそ、暁美ほむらのこれまでの頑張りを識ることができたのだから。もしまどかが人間のままだったら、ほむらとまどかが交わした約束は「約束」として果たされないんだと思うのだ。

約束というのは、自分と相手それぞれがそれを「約束」と認識し交わす遂行宣言なのだから。だから相手が"覚えて”いないと、ほむらの約束は、乾いたものになってしまう……と、そんなことを思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希望の終着点を、絶望にしないために

 

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「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。
すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女をこの手で!」

――――鹿目まどか

 

 


「君はほんとうに神になるつもりかい?!」

「神様でもなんでもいい。
今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。

それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる。これが私の祈り、私の願い。さあ

――――叶えてよインキュベーター!!」


――――キュウべえ鹿目まどか

 

 

まどかが願ったことって、「希望からはじまる祈りが絶望で終わらせるのなんて嫌だ!」ということなんだと思います。


希望→→→絶望 という図式を
希望→→→消失 という図式へと、世界の理を変えちゃったんでしょうね。


魔法少女になることを消し去ってしまえば、今の文明社会は成り立たなくなってしまう。「希望→絶望」へと図式の根本的な問題であるエントロピーという概念を消す願いだとすれば、そこで世界は永遠に止まってしまう。

今の文明社会を維持しつつ、この世界が壊れない、そんな願い、わりと最適解かな? という気がします。

というよりこれ以上の「ハッピーエンド」を迎えさせる願いは、私には思いつかないかな……と。

 

 

「あなた達の祈りを、絶望で終わらせたりしない。

「あなた達は、誰も呪わない、祟らない、因果はすべてわたしが受け止める。だから最後まで自分を信じて」

――――鹿目まどか

 

 

でも鹿目まどかって、人間社会がとか、世界がとか、なんてマクロな事象はどうでもいいはずです。キュウべえとの会話でも彼女はミクロな事象にしか興味がありませんでしたし。

だとするなら、まどかがこの願いを願った動機は、彼女の周りにいる/いた友達の存在でしょう。

 

「信じて、絶対に、今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」

――――鹿目まどか

 

美樹さやか暁美ほむらの祈った「希望」が、遅かれ早かれ "必ず” 「絶望」へと移行してしまうことが、許せなかったのかなって思います。

そういえば、さやかもほむらも香子も「他人の幸せ」を願った願い事ですか……。だったら、余計なのかもしれませんね。まどかがその希望を尊重しようと思うのは。

(マミさんは、たしか自分の瀕死の命をつなぎとめることだっけ?……あれ違うかも)

劇場版ではマミさんの願いは、カットされていました。テレビ放映だとちらっとやっていた記憶が。

 

 

 

 

 

 

 

 

新たなルールが適用されたあとの世界で

 

「一人じゃないよ。
みんな、みんないつまでも私と一緒だよ。
これからの私はいつでもどこにでもいるの。

だから見えなくても聞こえなくても、私はほむらちゃんの傍にいるよ」

――――まどか(上位概念)

 

どこにでもいるが、どこにもいない存在。それはまさしく「神様」である。ああもしくは悪魔や天使とかでもいい、幽霊とかでも。

とにかく、鹿目まどかは「世界に遍在する」存在へと変わってしまった。

 

「いつかまた、もう一度ほむらちゃんとも会えるから。
それまではほんのちょっとだけお別れだね」

――――まどか(上位概念)


 

 

死んだあと……だよねこれ……。というかこれも「約束」か。

 

 

 

 

 

本当の奇跡?

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「まどかはそれでもいいの?
私はあなたを忘れちゃうのに?
まどかのことをもう二度と感じ取ることが出来なくなっちゃうのに?!」

「ううん。諦めるのはまだ早いよ。
ほむらちゃんはこんな場所まで付いてきてくれたんだもの。 だから、元の世界に戻っても、もしかしたら私のこと忘れずにいてくれるかも。

大丈夫、きっと大丈夫。
信じようよ。

だって魔法少女はさ、夢と希望を叶えるんだから。
きっとほんの少しなら、本当の奇跡があるかもしれない。
そうでしょ。


――――まどか(上位概念)、暁美ほむら

 

「奇跡」について、あまり考えたことがなかった。ふむ。



奇跡とはなんだろう? 起こりえるが、とても低い可能性の事象が起きること? いやどうも違う。私の認識としては「奇跡とは、幸せの具現」だと思う。

ようするにね、奇跡が起こって欲しいと思うのは、どうしようもなく絶望の淵で喘いでいる人が、幸せになりたいとそう望むものだと思うんだよ。

奇跡とは、個人の力ではどうしようもないほどの不幸を、チャラにしてしまえる事象……という認識。圧倒的なエネルギー量によって、幸せという概念を一瞬にして具現させてしまうこと。そういうふうに思うのだ。

 

まどかが上位概念となったそのあと、奇跡は起きたんだろうか? 奇跡によって魔法少女は幸せになったんだろうか?



まどかの記憶を保てるということが、奇跡。ほむらはまどかとの思い出を有している。それで彼女は救われた? 幸せになれた?

 

「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど、だとしても、ここはかつてあの子が守ろうとした場所なんだ。

それを覚えている。
けして忘れたりしない。
だから私は戦い続ける」

――――暁美ほむら

 

暁美ほむら鹿目まどかが好き。彼女が辛いを思いをしていれば、助けるし守ろうとするそんな女の子。

なら、まどかが願ったことも、その内容も、ほむらにとってはとても大切なことなのかもしれない。希望→絶望の図式のルールを書き換える願いは、すなわち「祈ることを諦めないで」というまどかの祈りだと思う。

その祈りを大事に大切にするというのであれば、「その祈りを覚えている」ことと「祈りを遂行し続ける」ことが、暁美ほむらにとって幸せなことなのかもしれない……。

……そうだね……私にはそれがうまく「幸せ」という実感には繋がらないのだけれども、ありえるなとは思う。そういうものもあるんだなとは思うのだ。

そういえば


「奇跡」を エントロピーという文脈で読んだ場合、「莫大な量のエネルギーが外部から注入された」となるんだろうか。ふむ。

 

 

 

 

それでも呪いがなくならない世界

 

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「たとえ、魔女が生まれなくなった世界でも、それで、人の世の呪いが消え失せるわけではない。

世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている」

――――暁美ほむら

 


「呪い」というのは、私には壊れ行く世界のことのメタファーなんじゃないのかなと思う。


この世界は、美しいものも、完全だと思われていたものも、全ては壊れていってしまう。だってそれは時間の矢はいつだって、壊れる方向だけを指し示しているから。

醜い、憎い、汚い、気持ちが悪い、嫉妬、憤怒……そういった「負」の方向へと突き進んでいってしまう。それが世界のルールだ。

どんな想いも、どんな思い出も、どんな出来事も、すべては儚く壊れ消えてしまう。価値あるものが無価値になり、柔らかいものが固いものへと変化してしまう世界。それは「呪い」と言ってもいい。

 

鹿目まどかの願いは、なにも「エントロピーを無くして」というものじゃなかった。希望から→絶望へと、祈りから→呪いへと、そういう図式、時間の矢を壊してというものではなかった。

だから、「」 というルールだけは未だに世界の理として動いている。そりゃ「呪い」は消えない。消えるわけがない。魔女という絶望の概念が消え失せても、壊れいく世界のルールそのままなのだから。

 

そんな世界。そんな崩れゆく世界で「希望」があるんだとすれば、それはまどかの存在以外にないのだろう。

 

 

 

あなたは希望を叶えるんじゃない。
あなた自身が希望になるのよ。
私達すべての希望に


――――巴マミ

 

 

んで、劇場版のラスト。
暁美ほむらは、魔獣に挑むゆくときのメッセージ文。

 

 

Don't forget.
Always,somewhere,
someone is fighting
for you.
As long as you
remember her,
you're not alone.


忘れないで
いつもどこかで、
誰かがあなたのために
戦っている。

彼女を覚えている限り、
あなたは1人じゃない

 

これは『いろとりどりのセカイ』とほぼ一緒じゃないか、とおもったのは私だけではないでしょう。

私達はいつだって、絶望的観測で溢れている。不幸を予見し予測し、わりと不幸なきもちでいっぱいだし、人は一人だという諦観によって、寂しい想いをしている。

でもそんな絶望色の世界に、希望があるんだとすれば、「神」という上位概念の存在なんだよね……。

祈ること、願うこと、選択すること、決断すること――――それはすべて希望に繋がっているのか……にゃるほど。

 

 

(頑張って)

 

 

 

 

 

 

 

 

さやかの救済

 

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「さやかちゃんを救うには、何もかも無かったことにするしかなくて。 そしたらこの未来も消えて無くなっちゃうの。

でもそれはたぶん、さやかちゃんが望む形じゃないんだろうなって。 さやかちゃんが祈ったことも、その為に頑張ってきたこともとても大切で、絶対無意味じゃなかったって思うの、だから」


――――まどか

 

 

まどかは祈った動機、祈り続けた過程をすごーく重要視していいますよね。だから、あの願い事なんですが。

ちょっと疑問なんですが、まどかとさやかのこの会話は、「さやかちゃんの祈った動機、祈り続けた過程を私は尊重するね。けれどそうすると、結果としてさやかちゃんはハッピーエンドは迎えられないけど……」と。

そのあとの返答がこれです。

 

「これでいいよ、そうだよ。
わたしはただ、もう一度あいつの演奏が聴きたかっただけなんだ」

――――美樹さやか

 

 

「幸せになってくれるよね 」

――――美樹さやか

 

涙を流しながら呟くさやか。

けっして十全に満たされた結末ではないけれど、それでも、彼女がしてきたことの意義や価値を満たすことは出来たのかもしれない。

…………なんていうかさ、100%、誰も彼もが満足しているわけじゃないんだよね「まどか☆マギカ」は。

まずはじめに「祈り」を保護してもらえるんだけど、でもソレ以外の範囲は妥協するしかない。妥協してね、と、そういったモノだよねこれ……。

すんごい絶望なわけでも、希望が満ち満ちている終わりでもない。それはなんというか……現実に即している、とても曖昧で中途半端な結末のような気がする。


まどかは願いと引き換えに、人間をやめ
ほむらは親友との別離と引き換えに、まどかの願いを守り続け
さやか祈り続けた価値と引き換えに、恋愛を諦めた。

 

誰もが何かを諦めて、でも同等の何かで心を満たしている。

 

奇跡も魔法もなかったんだよ――――それは純度100%のハッピーエンドなんてこの世には無い!! っていうことの示唆に聞こえるんですよね。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命を捧げてまで願うっていうこと

 

「私、やっとわかったの。 
叶えたい願い事を見つけたの。 
だからこの命を使うね」 

――――鹿目まどか

 

 

まどか☆マギカ」を見て毎度思うのが、「命を捧げるほど叶えたい願いはあるか?」ということ。 

実際そんなものは私にはない。命を賭すほどに、これだ!っていう願いをそもそも持っていない。 

本当の本当の本当に成し遂げたいこと、叶えたい絶対的な願い……なんて――――いやあるな……。 

もし叶うのならば、エントロピーが消失した永遠の世界を見てみたい。命を賭すほどに、見てみたいね。それは境界線上の一歩先なのだから。

 

 

 

祈る行為

 

 

  

 

 

「もういいの。もういいんだよ。 
もう誰も恨まなくていいの、誰も呪わなくていいんだよ。 
そんな姿になるまえに、私が受け止めてあげるから」 

――――鹿目まどか

 

 

  

 

 

「希望を持つ限り、救われないっていうの」 

「そうさ」 

――――鹿目まどかキュウべえ

 

 

 

 

 

彼女たちを裏切ったのは、ぼく達ではなく、むしろ自分自身の祈りだよ。

どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ずなんらかの歪みを生み出すことになる。

やがてそこから災厄が生じるのは、当然の摂理だ。
そんな当たり前の結末を、裏切りだというなら、そもそも願い事なんてすること自体が間違いなのさ

――――キュウべえ

 

 

「頼むよ、神様。

こんな人生だったんだ、せめて一度くらい幸せな夢を見させてよ」


――――佐倉杏子

 

 

 

「心配すんなよさやか。
ひとりぼっちは寂しいもんな
いいよ。
一緒にいてやるよ。さやか」

――――佐倉杏子

 

 

「わたし、魔女にはなりたくない。

嫌なことも悲しいこともあったけれど、守りたいものだって、たくさんこの世界にはあったから……」



――――鹿目まどか

 

 

 

「もう誰にも頼らない。

誰に分かってもらう必要もない。
もうまどかには戦わせない。
全ての魔女は私一人で片付ける。
そして今度こそワルプルギスの夜をこの手で――――」



――――暁美ほむら

 

 

 

 

まどか☆マギカ」の関連する記事はこちら

 

これはまどかの総括記事です。 

 

「魔法少女まどか☆マギカ」総括__これは祈りの物語。(11613文字

 

 

これは劇場版「前編」の感想です。

 

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 始まりの物語 [前編]__考察、感想。 日常ってとても大事だよね……(5552文字)

 






 




<参考>

 

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