「純潔のマリア」面白い。マリアもそうだけど猛禽類たるふくろうさん達可愛いんだよね……。登場人物に愛着持てるのは良い作品の鉄則なんです。きっと。
1話~3話までの感想。
世の理の「世」とはどこまでを指している?
マリアが暮らす世界がまだどんな所か分からないけれど、世界は3つに分類されるのかな?
「天」「魔女」「人間」というふうに。
そしてこの順に世界干渉できる力も強大となっていく。天上の教会は魔女よりも力を持ち、魔女は人間よりも力を持ち、人間はそれ以外の動植物より力を持つ。
ここでいう「力」とは、相手を屈服させる暴力のそれではなく「世界干渉できる力」のことを言っている。
人間では戦争を(一時期にではあるが)止めることは難しいが、魔女ならばその力を用いて一瞬にして終結させることができる。マリアのように。
そして天上の教会側はそんなマリアの行為を「秩序が乱れる」と言い、止めにさせかかる。
天上の教会側……つまりミカエルが言う「世の理」とは、魔女を包括した世界のことではなく、
魔女を引き算した「人間世界のみ」を指し示すのではないか?
「お前たちは卑怯だ、地上では皆救いを求めて祈っているぞ! なのにお前たちは全然救わない」
「だからあたしがやっただけだろ!!」
「ここから2つ丘を超えた所でも村が盗賊に襲われている。遠く東では城塞戦がはじまり、北の町では8人の無実の者が地上の教会の手で火刑台にあげられた」
「何故助けない」
「お前がやれよ!!」
「何のための天の教会だよ」「天上の教会は地上を見守る 我々はお前のようなものを止めることで秩序を保つのだ」
「傭兵が町を襲うのは世の理で、あたしがそれを止めるのは秩序を乱すってこと」
「その通りだ」
――ミカエル、マリア(2話)
ぶっちゃけミカエル(天上側)が何をしたいのかよく分からない。
人々の祈りを無視し干渉せずただ見守るだけ、そこは別にいい。この世界に全知全能なる神さまなんてでしゃばってきたって邪魔なだけ。
でも、それなら魔女マリアに干渉するのもおかしい。
マリアは「魔女」とカテゴライズされる存在とはいえ、人間たちと共存し生きている。だからこそ現実で起きる理不尽なこと、非情な事に対し「止めよう」とする。
魔女は人間よりも世界に働きかける力は大きいのは事実だけど、それだって「世の理」の枠内じゃないのかって、当然思う。
「矛盾してるわ」
「はあ?」「天上の教会は地上を見守るだけなんでしょ ならあたしの行動も地上のことなんだから手ぇ出すなってのよ」
――マリア、エゼキエル(3話)
でもミカエルは干渉してきた。
この結果から天上側が重要視しているのは「人が営む理」か、あるいは「別種族が別種族の理を乱す」ものを否定しているのかなって考える。
つまりこゆこと。
1)人間を軸にした世界のルール
2)天上・魔女・人間それぞれに「理」があり、その「理」を別種族が乱してはならない
もし(1)ならば、天上側は「魔女」「魔女たちの世界」はどうでもよくて眼中にないということになるし、
(2)ならば「人間が人間の戦争を止める」のはいいけれど、「"魔女"が人間の戦争を止める」のは遺憾だわ!って感じなんだろうね。
ダメですよ
これは全て人の世の行いです 人ならざる者が立ち入ることは許しません
――エゼキエル(3話)
エゼキエルの発言を見るに (2)な気がしてくる。
マリアの行いを否定できるのかな?
マリアの行為や動機が間違いだなんて言わせない。けれど彼女が言う理想は理想だということも分かる。
「理想」は現実では成し得ないから理想なのだ。虚構と言ってもいい。それは到達不可能であり達成することは叶わない夢物語。しかし理想を起点にして、そこから現実問題と折り合いをつけ、少しづつ改善していこうとする道程は正しい。
ここですごい重要なのは理想を起点にしつつも、理想を実現させようとしないことなんじゃないかな。
つまり世の中を変えてやるなんて思っちゃいけないし、自分の今この行為が輝かしい未来を作れるなんて考えちゃだめってこと。それはやっぱり傲慢なんだ。
「お前はただ自分の目に嫌なものが映るのを我慢出来ないだけ それはこの世界の理を乱す」
「納得いかないわ!」
「それが理由で何が悪いの、みんながそうすりゃ世界から戦いはなくなるもん!!」
「皆が? それは傲慢だ、魔女よ」
――マリア、ミカエル(2話)
「理想郷」なんてものは現実世界には作れない。ここが一番重要。歴史を見てもその施策はすべて失敗に終わり、あるいはそのせいで多くの血が流れてきた。
マリアがいう「争いのない世界」はとても素敵なことだと思う。けれどこれは「マリア個人」の願望でしかないし、結局個人の都合でしかない。皆が皆「争いのない世界」を求めているわけではない。
それは傭兵のガルファを見ていれば分かる。彼ならばむしろ「戦争しなくちゃ稼げねえんだよ!」と言うだろうし(もしあれば)戦争賛歌を歌い上げるに違いない。
さらに言えばマリアが示す「理想郷」はとても正しい。誰もが誰も求めているわけじゃないが「実現」するとなったら多くのものが賛同するだろう。
だからこそ怖い。圧倒的に"正しい"からこそこれを実現するためなら人はどんな行為でも正当化し始める。マリアだってきっと例外じゃないと思う。少数を犠牲にしても……こいつを殺せば……戦争しちゃえ……と……際限がなくなってくんじゃないか。
「一発逆転を狙ったって、結局は悲劇しか生まないんだ」
「困難を解決しようと戦争に訴えたところで、破滅を招くだけだ」
「意図的によくしようだなんて思いついた時点でダメなんだ」
だから、「理想を起点にしつつも、理想を実現させようとしない」ことが重要だと私は思う。
世の中を良くしようと思う気持ちを流石に否定はできない。でもそれでもよくしようと行動するならば、未来をよくするのではなく、今、現在、この瞬間を「ほんの少し」でも改善できればいい―――そういうふうに思えれば重畳なんじゃないかな…。
マリアは「あたしは目の前の気に入らない事を見過ごせないのよ」、だから戦争を止めると言っているので、これだけで十分なんだよね。ここから先の「争いのない世界」を目指してしまうとおそらく破滅しか待っていない気がする……。
重すぎる未来への夢は、いつか自分を圧死させてしまうから。
(誰でもない 何でもない ただケルヌンノスと呼ばれていたな)
(魔女マリア お前は何のためにそんなことをしている)「みんな同じこと聞くのね あたしは目の前の気に入らない事を見過ごせないのよ ただそれだけ」
(お前が気に入ろうが気に入るまえが人は争い死んでいく お前が世の中を変えるまで彼らの命は……持つまいよ)
(そして生まれた新しい命がまた新たな争いをはじめる。全ては無駄な営みだ)
「そんなことやってみないと分からないじゃないの!」
(まあ止はしないさ 私にとってはまたいつものことが始まっただけだからな)
――マリア、ケルヌンノス(3話)
名前はケルヌンノスでいいのかな? こやつがどういうやつかは分からないけれど、なんとなく言っている気持ちわかるよ……うむー。
「次は村人の目を眩ませるのか」
「――ッ」
「やめろみんな! その者たちの目の光はしばらく奪ってある 手足を縛り遠くに捨てるだけでいい 無意味な罪を犯すな!」
「目がなえればその者たちはまた村を襲うことだろう」
――マリア、ミカエル(2話)
ミカエルはこう言うけれど、私はそれでいいと思う。
それが無駄だとか、意味がない、って言われても、いいんだよそれで。目に見えるものが不愉快だから取り除こうとする―――ただこれのことにとやかく言われる筋合いはないってね。
ミカエルが言う「慈悲」の怖さ
お前の魔女の力を奪う これは慈悲だ
――ミカエル
ミカエルの論理だと、魔女の力を奪うのは(マリアにとって?)慈悲らしい。なにこれめっちゃ怖い。
ミカエルは「どう慈悲」なのかを説明しておらず、そもそもマリアが納得する以前の段階で彼女の能力を奪うとする、この行為はただの暴力だよ。内面の忖度といってもいい。
親しくない関係なのに、「あなたにとってこれは有害ですね、処分しておきます」って言われてもはあ?だよ。親しい関係ならばまあ一応聞く耳を持てるけれど、ミカエルさん恐らく初対面じゃんこやつ……。これが"天使"とかほんと最高だと思うよ。
そもそも私達の倫理や論理は通じないのが天使(=人ではない者)だから当然といえば当然だけれども、けれども納得できないのもまた必然。
◆
ミカエルがやろうとしたのは「お前魔女じゃなくても同じこと出来るの?」ということなんじゃないか。
マリアは「魔女の力」があるから、戦争を止めてきた。けれどもしその力がなくなったら、それでも人の世の戦争をお前は止めようとするのか?と。
正直これは卑怯なパターンですよね分かります。
マリアと魔女の力を区別しようというその考え方が気に入らない。「マリア」っていうのは魔女の力・容姿・気質・正確・能力といったそれらすべてを含めて「マリア」なわけなんじゃないの。
自分の力が誰かに貢献できたり、自身の幸福のために使うことにどうして遺憾の意を示されなければならんわけさ。
とりあえず天上の父?から許しをもらい、条件付きで見逃してもらえることになりましたあっはい。
「ただし、今までのように巨大な力を多くの者の前で使うことは制限する」
「そして、そなたが純潔を失ったとき魔女の力一切を失うことでこれまでの罪の償いとしよう」
「「「ぇ」」」
――ミカエル、マリア一同
「魔女マリアよ、己の幸福と世界の幸福、そなたの天秤で計るがいい」
――ミカエル
要するに世の形を変えるために魔力が必要だと言うのなら、自己の幸福、快楽を引き換えにする覚悟を見せよということですよ
――エゼキエル
ほんと過干渉にも程がある。ぴゃー!ですよぴゃー!
ぴゃーヽ(>△<桜)ノ≡
マリアいいっすなあ
処女であるマリアは性的話題になると途端に面倒くさくなる。顔が赤くなったと思えば、饒舌に語りはじめよくわからん議論が展開していくこともしばしば。ふくろうさんも言ってましたが「処女ってめんどくさ……」となる。でもそこが良いのかもしれない。
それにマリアの発話の切れ味がいい。声がいい。声の質ではなく、発話の質みたいな感じのが良いのである。
発音時の単語と単語がスパスパっと切れていく小気味よさが好きで(これ伝わるかな?)、一話で「あこの人好きだ」となってしまった。
1話の呪文詠唱の部分は「発話の小気味よさ」がよく表れていると思う。スパパパパン。
ではまたね。