こなたよりかなたまで考察――無限のように生きる――

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遥彼方は、末期癌だ。

すでに助からない身の上でそれでも余命を伸ばそうと投薬治療を受けている。抗癌剤の副作用は絶えず身体をむしばみ、がらんとした暗い部屋で、バケツ一杯に吐瀉物を溜め込む姿は―――彼が一人で生きていることを突き付けてくるようでさえある。

いいや彼方は一人じゃないだろ、島田耕介という親友はいるし、幼馴染である佐倉佳苗もいる。そんな声が聞こえてくるかもしれない。

確かに彼らは言いたいことを言い、聞きたいことを聞いて、十分なコミュニケーションを取っていることから「一人」、または「孤独」という言葉が縁遠いように思える。

けれど彼方は甘えないのだ。誰にも寄りかかることはしないし、弱音も、本音も言わない。例え弱音のように見える言動を取っても、それは彼が「見せてもいい」と思ったものを見せているだけで、本当の気持ちは巧妙に隠されている。

彼は「孤立」していないだけで誰かと共に歩めているか、共に歩もうとしているか、と問われればそうではないだろう。例え気の許せる友人がいても、彼が本当の意味で誰にも頼らないのであればそれは一人で生きようとしていることに変わりはない。

その事実が、時折みせる闘病生活に色濃く出てしまう。

そこが無限を生きる吸血鬼ことクリステル=V=マリーとよく似ているのだと思う。

クリスの同胞は既に死に絶え、仲間はおろか家族も友人も恋人さえいない。彼方の周りには人はいるが寄り掛かりたいと思う人間はいない。ならば両者は「本質的にひとり」という点で似通っているのだと思う。

 

仲間がいた彼女。そして今はたった一人。

「一人は、寂しいかい?」

言葉は自然に浮かんできた。

「…………ああ。多くは望まぬ。ただ共に歩むのものが欲しい」

「そっかぁ」

友達、家族、恋人。彼女にはそれが無い。クリスは恐ろしいほど孤独だった。

――クリス、彼方(学校の屋上・夕陽を受け止めるクリスのCG)

 

彼方は他人に寄りかかろうとはしないが、しかし周りの友人を大切には思っている。特に佐倉佳苗にたいしてはとびきりに。

耕介に病気のことを口止めしているのも、学校の先生方に病院へ行くことのカモフラージュとして "不良と付き合っている生徒" という体を取らせているのも、佐倉を傷つけないようにするためだ。

もしも、彼方の死期を知ってしまえば彼女は笑わなくなってしまうから。

 

耕介「だからさ、イヤイヤな俺にやらせるんなら、佳苗ちゃんにやってもらえばいいじゃないか」

彼はほんのすこし、表情を引き締めてそう言った。

耕介「きっと、一生懸命やってくれるぞ」

彼方「だめだよ」

今度は僕が表情を引き締めた。

彼方「佐倉は一生懸命になるからダメなんだよ。耕介みたいに笑っていられないとダメだ」

耕介は頭をかいた。

耕介「いいかげん、甘えるべき所は甘えた方がいいんじゃないのか? 佳苗ちゃんなら絶対いやだとは言わないぞ。今のお前を知ったら、それこそ身を捧げて‥‥」

そこまで言った耕介は、苦々しい表情でうつむいた。

耕介「そうだよな。佳苗ちゃん、普通じゃいられないよな」

佐倉が普通でいられないのは、僕が最も避けたい事のうちの一つだ。

――こなたよりかなたまで(『第2楽章』彼方が嘔吐したバケツを朝早く取り替えるにきた2人の会話)

 

しかしそれは彼方の一方的な行為でしかない。佐倉は本当にそれを望んでいるのか? もし死期を知らないまま彼方が居なくなってしまったらそれこそ悔やみ続けるのではないか? そう考えれば彼がしてることは独り善がりなものだと解る。

彼方はそんな独善を佐倉√で成し遂げたものの、結局得られたものは「意地」と「達成感」だけだったと言い、その事に深く絶望した。

またクリス√2でも、佐倉を遠ざけようとしていたのは愚かだったと語る。

 

そして同時に気付いた事がある。それは佐倉の事。目前に究極の選択肢を示されて、僕はやっとその事に気が付いた。つまりクリスと共に行くのが間違いなら、佐倉を遠ざけようとした僕自身も間違いだった事になる。どんなに辛くとも、僕は佐倉に全てを伝えるべきだったのだ。人の為にという理由をつけて人を遠ざける。なんと愚かだったのか。

(中略)

どうしようもない馬鹿だった。結局目先の出来事に振り回されていただけだった。一時の独善的な感情に、本質を見失ったのだ。

――遥彼方(クリス√2.終盤,病院のベッド)

 

しかし、彼方は「こんなこと」は7月時点で気づいていたし、その愚かさは朝倉優との出会いで理解していたはずだった。

……そう理解していても誤ってしまうのは、それだけ人は思うように生きられないと言うことなのだろう。

 

 

(1)此方から

朝倉優との出会いは、彼方に「みんなと生きること」について考えさせることになった。

出会った頃の朝倉優は「孤独」を体現する、誰とも話さず喋らず、わずかな意思疎通さえも拒み無表情を貫く、そんな少女だった。それは見舞いにくる祖父や周りの人たちに「自分が死ぬ」ことによって――訪れる未来を先んじて――傷ついて欲しくないからからこそ、冷たく当たっていたのだ。

いわば、終わりを気にするが故の別れへの対策だった。

優の在り方は、まさに彼方が佐倉にやろうとしていた事を徹底的にやり遂げた姿である。だからこそ彼は優に恐怖し、その在り方に疑問を挟むことになる。言うなれば彼方は優によって自分自身を客観的に見つめる機会を得ていた。

――いくら周りの人たちを傷つけたくないからといって、孤独に徹するのはどうなのか? 

その解として、彼方はそれがいかに間違っているかを諭すのである。

 

彼方「ねぇ、優ちゃん。僕はどうしたらいいんだろうな?」

僕は彼女の頭を撫でながら、呟いた。

彼方「僕は、どう頑張ったって助からないんだって」

彼女の身体が震える。

彼方「僕はどうしたらいいと思う?」

優「‥‥‥‥」

ずっとずっと、考えていた言葉だ。初めて会った頃からずっと。

友達になれたなら、言ってあげようと思っていた言葉だ。


彼方「僕も、前の君のように、みんなに冷たくしてみようかな」


優「‥‥‥‥」


彼方「もちろん君にもだ」


しかしそんな事はありえない。

単に彼女に確認したかったというだけの事だ。優ちゃんは、ガタガタと震え始めた。その手が掻き毟るように僕を捕える。小さな身体は、あついくらいに火照っている。

そして彼女は顔を上げた。

必死な目と、

必死な表情と、

そして必死の想いをもって。

 
優「いや、いやです!!」


首を左右に激しく振る。


優「わたしをひとりにしないでっっ!!」


でもそれは無理なのだ。

僕の砂時計からは彼女のそれよりも早く砂がこぼれているのだから。


優「いや!! いや!! 生きてるうちだけでいいの!! 生きている間はっ!!」


僕は待っていた。

祈るように待った。

彼女が、

全ての答えを口に出すその時を。

優「それだけでいいからっ!! わたしを!! みんなを見てっ!! 微笑んでっ!!」


ならば答えを返そう。

それは、ずっとずっと考えていた言葉。

――(優&いずみ√ 病室にて)

 

このあと彼方が願ったことは、「大切な人には笑って欲しい」「なにより世界を見て微笑んで欲しい」といったものだった*1。例えそれが短い間だとしても、生きているうちは笑っていて欲しいのであると。

これは朝倉優とその祖父の関係にも当て嵌まり、祖父もまた優に笑っていてほしいし自分を見てほしかった。決して、人との関係を拒絶するような孫の姿など欲してはいなかったのだ。

優はこのことにようやく気付き、彼方もまた佐倉に自分しようとしていたことを理解するキッカケになる。

彼方が身体の異変に気付いたのは「7月初め」となっており、担当医が薬物の反応検査の入院をうながしたのは「夏休みがはじまったばかり」となっている。そして朝倉優の孤独の在り方を見た際 "僕が佐倉にしようとしていることと同じ。ただ、徹底していただけ。だから僕は恐怖したのだ。" と語るのだ。

このことから、つまり彼方は癌を発見してから検査入院をするまでの間(=7月1日~2☓日)には佐倉に対して朝倉優と似たようなやり方で接しようと考えていた事になる。

大切な人を傷つけないようにという想いから、佐倉と一言も言葉を交わさず、最小限の意思疎通さえ拒むようなそんな未来もあっただろう。もしかしたら検査入院前に多少なりともそんな態度を取っていたのかもしれない。

しかし、今回の朝倉優の出来事もあり、彼方の中ではハッキリと佐倉への接し方を見直そうしているのである。具体的には、"全てを伝える"と言っている。

 

「それにね、僕はみんなや君を見捨てたりしない。僕は死ぬまでみんなと生きるんだ」

そう。

僕はみんなと言葉を交わさないなんて無理だ。

佐倉ひとりでさえこの始末なのだ。到底できる事ではない。

それに、

僕は、以前の彼女を見て恐怖したのだ。

僕が望んだ、孤独を体現する優ちゃんを見て、僕は恐怖したのだ。

結局、救われたのは僕も同じだ。僕は彼女を救うつもりで結局救われたのだ。あるいは、先生といずみちゃんはこれを狙っていたのかもしれない。

僕が優ちゃんを救い、優ちゃんが僕を救った。

だから、

僕もきっと佐倉に全てを伝えるのだと思う。

 

――彼方(優&いずみ√.優が祖父との関係性を見つめなおした時)

 

優を通じて、彼方もまた――自分から見る大切な人、そして大切な人が自分を見る時も――「大切な人には笑って欲しい」ことを知った。

それは人との関係を拒むのではなく、人と一緒に生きること、すなわち「みんなと生きる」ことに他ならない。

彼方が『演目紹介』(=検査入院後)から癌を告知される前後で変わらない日々を維持するのは、周囲の人間に笑っていて欲しいからだ。癌のせいで塞ぎこんだ自分の姿を見せれば、周囲も気を遣って(あるいは親身になって)笑顔じゃいられなくなってしまう。

そういうのを避けるがため。彼は気丈に振る舞い、病気に冒されているそぶりなど微塵も見せないのである。

これはなにも朝倉優だけがキッカケでではなく、病院で働く看護婦たちの影響も大きくあると思う。

彼方が通院している県立のがんセンターの看護婦(※作中の表現)は、初めて訪れた人が不思議に思うくらいにいつもにこにこ笑っている。

冗談だって言うし、なにか明るい話題があればすぐに飛びつき平気で言いふらし、朗らかな雰囲気を決して崩さない。それは彼方がいずみちゃんに接した時に「こんな看護婦で大丈夫か??」と不安になるほどに既存の(=彼が考える)看護婦イメージとは大きくかけ離れているのである。

後にわかるが、「癌」を扱っている病院だからこそ、看護婦はより意識して「明るく」しようとしているのだ。

死と隣合わせの場所だからこそ、病院内を暗い雰囲気にすることを避け、終わりではなく「この先」があることを提示し続ける。悲しい顔ではなく、笑顔をつくっていく。それが彼女達のモットーなのである。

優&いずみ√のラストで、彼方の一時的な退院を「我らの勝利」と祝い「ばんざーい!ばんざーい!」と叫び見送る様子は看護婦たちが何を目指しているのかよくわかるだろう。

そして呆れ返りつつも、彼方はいずみにせっつかれつつ「笑顔」を作るのであった。

 

彼方「もう、どうでもいいや」

 

予想外の事態、思わずつぶやく僕、そして頭を抱える。

たった一人が退院するというだけでこの騒ぎだ。

なんだか頭がくらくらしてくる。

 

いずみ「そんなこと言わない言わない!!」

 

彼女は僕に抱きつくと元気に笑った。

いずみちゃんのまぶしい笑顔が無性に憎らしかった。

でも、大好きだった。みんな、みんな、大好きだった。

 

‥‥五の七だ。不意にそう閃く。

じいちゃんの碁の宿題。ずっと考えていた宿題。

そう、大切な答えはすぐそばにあった。碁も、そして人も。

いずみちゃんの抱きついている所から伝わってくる温もり。ひとのぬくもりだ。それを感じながら、僕はきっと残りの日々を生きていく事だろう。そこに不安は無かった。

いずみちゃんが回りこんで、僕の頬をつく。

 

いずみ「ホラ、笑顔笑顔!!」

 

そう言った彼女の顔には言葉以上の笑顔があった。そう遠くない日に優もそうなるだろう。そして、きっと僕も。僕はやっと彼女の、いや、彼女達の浮かべる笑顔の意味が解り始めたような気がした。

だから僕は苦笑交じりにこう答えるのだろう。それは今までの僕に比べたら格段の進歩だった。

 

彼方「‥‥‥はぁ~~い 」

――(優&いずみ√『ゲームの達人』)

 

優&いずみ√は、「此方」のお話なのだ。

彼方が死んでも覚えてくれると言ったいずみ、看護婦たちが患者の笑顔を絶やさないようにする姿、病院の子供たち、囲碁を教えてくれたじいちゃん、優との一件は―――彼方が退院する時に感じるように「人と人との中で生きよう」と強く思えるような出来事。

自分がこれから死ぬからといって、孤族を貫くのではなく、自分の周りの人たちと一緒に生きていこうと。耕介と、佐倉と、病院の人々と笑って生きていこうとそう思えるのがこのルートなのだ。

つまり、この時、彼方は此方(=過去から今にあるもの)を受け入れることが出来たのである。

癌を、死を、自分の状況を、そして周りの人々を受け止めた。

そうして検査入院がおわった8月8日に、彼方は自分の病気のことを佐倉に伝えようと出向くのだが、しかしここで問題が起きる。

このとき佐倉佳苗は『ずっとそばにいてください』と言ってしまう。いってしまった。もちろん彼方は春に亡くなってしまうから、その言葉に頷くことはできない。そしてそれを否定してしまえば彼女が傷つくのは想像に難くないし、かといって死期を伝えればその台詞を彼方に言ってしまったと佐倉は二重に傷つくことになる。

彼方は佐倉に笑っていて欲しいからこそ、死期について言い出せなくなってしまい、彼女一人だけ「此方を受け入れる」ことから外れてしまう。

あとは『演目紹介』から『この素晴らしき日々(佐倉√END)』まで、佐倉一人に不器用な距離の取り方をするのは誰もが知る所だろう。

 

 

(2)彼方まで

 

 『こなたよりかなたまで』は過去から今にあるものを受け入れ、そこから無限へ繋げる物語である。

では「無限」とは何か? 

それは彼方が幾度と無く語った「平凡で幸せな日々を無限に生きるように」の事であり、終わりがあると知っても尚無限の日々があるとして生きる――これが彼の目指すところだ。

 

在りたいように在る、ということはとても難しい。それは、生きることが難しいという事だと思う。僕は今になってそう思うようになった。

在りたいように在るには、他人を考えずに行動しなければならない。しかしおおよそ人間は他人の感情を無視して行動する事を良しとしない。だからこそ時に人は迷い、そして予期せぬ生き方を強いられる。それはどこまでも『自分』に付いてまわる、永遠のジレンマだ。

本当に自分のしたいように生きるためには、たった一人孤島で暮らすことが必要なのかもしれない。

でも、もしかすると、在りたい自分、というものをはきちがてているのかもしれない。時折、そう思うことがある。本当に大事な事は、例外なく成り立つはずなのだ。他人が居ようが居まいが、そんなこととは関係なく成り立つはずなのだ。

それでも僕は迷う。どうしても、人と時に迷う。迷いを断ち切ることが出来ない。頭で考えた事を、こころが拒絶する。その当たり前の現実に、押しつぶされそうになる。

砂時計が落ちきる前に、こころと折り合いを付けなければならない。そうでなければ、生きることにならない。諾々と、起きて、食べて、寝る、そんな生きるためだけの人生など願い下げだ。生きているうちから死んでいるようなものだ。

もっと、違う人生を。


それはきっと………。

 

平凡で幸せな日々を無限に生きるように。

 

――こなたよりかなたまで

 

しかし上でも語られるようにそれは簡単なものではなく、折り合いをつけなければならないものがある。

  • 「過去から今にあるものを受け止めているか」

死を受け入れられるから明日を迎えられる、周囲を受け入れられるから在りたい自分で在れる。 けれど彼方は(そこを理解しつつも)後者が欠けているため、佐倉との距離感を見誤ってしまうし、ひいては望む生き方を得られない。

また「生きる」ことを劇中でこのように指し示す事から、

 

僕にとっての最後のクリスマス。一人で過ごすものだと思っていたが、どうやらそうはならないようだ。おかしな巡り合わせでクリスがそばにいてくれる。それは純粋に喜ばしい事だった。

誰でもいいとは思わない。だけど、クリスだから、という事でもない。親しい人がいて、その人が時間を共有してくれる。それこそが重要なのだと思う。人はそうやって生きていく。

違うか。

それこそが生きるということなのだ。そう思うべきだろう。

人は一人では生きられない、という言葉がある。

 だがそれは半分間違いだ。個として生きるだけなら、一人でも十分生きていけるのだから。自分の思う通りに自己を表わし、それでもって全ての世界を総括する。充分一人でやっていける事だ。

しかし人間という種族としてならば、もちろん正しい。人間という種族は一人で生きるようには出来ていない。一人では未来に繋げる事ができない。ここにいる自分を、自分よりも先へ行く何者かに、伝える事ができない。言ってみれば人間は子供を育て上げる事や他人と触れ合う事、つまり時間を共有する事に意義があ る。子供を産み、増えることが重要なのではない。増える事が重要なら、生まれた子供は自力で立ち上がり生きていくだろう。人間以外の多くの生き物がそうであるように。

結局人の人たる所以は共有する事で備わるのだ。

――彼方(クリス√)

  •  「共に歩む者がいるか」

も重要な要素になってくると考えられる。

この2つが満たされた時、彼方は彼方が望む「無限の生き方」へと足を踏み出すことができるし

逆に言えばあらゆる√はこのどちらかが欠けていてその欠けたものを満たそうとすることで、死という終点を取り払った歩みが可能になると言っていい。

 

優&いずみ√

先述したように、この√では優といずみを筆頭にした病院の人々によって、彼方の病気、死期、周囲の人間(佐倉は後に例外となる)―――つまり「過去から今にあるもの」を受け止められるようになる。

そして一時退院の冬。12年前の約束を果たしにやってきたクリスは彼方と出会うものの、優といずみと彼方の触れ合いを見て「私はあの娘らに負けたのだ」と身を引いてしまう。

これは優といずみの存在は、彼方は自覚していなかったようだが「人生を共に歩む者」にまでなっていたと考えられる。

 

「何度も言うようだが、私はあの娘らに負けたのだ。彼方」
ほっそりとした指を僕の鼻に突きつける。
「一番ぐらい、一番らしい扱いをしてやれ彼方。あの娘達のためにも」
"つん"
つつかれる。

「そなた自身のためにも」

言われてみて愕然となる。

一番、大事にしたい人。

最後まで、関わっていたいひとたち。

それは‥‥‥。


――クリス(優&いずみ√・終盤の公園にて)

 

そう言ってクリスは、突然に去った。

しかし例え彼女が居なくなっても、彼方は――出会った頃の朝倉優が身を持って示してくれたように死を意識して「別れの準備」をするのではなく――人々の中で笑いながら生きていくのだろう。

病院の人々のぬくもりの中で。共に歩む者がいる中で。

 

 

佐倉佳苗√

逆に「過去から今にあるもの」を蔑ろにしてしまったのがこの√である。

末期癌による死、その死によって傷つくであろう佐倉―――、彼方はそれを受け入れられなかったからこそ、いつまでたっても死期を知らせることはないし彼女に対して不器用でおかしな距離を保ち続けようとするのだ。

孤独に徹し、終わりに怯え、人と一緒に生きようとしない。‥‥こんなのは決して生きているなどと言わないものだ。

彼はどうしようもなく間違っていたし、朝倉優の失敗を繰り返したものにすぎなかった。優が孤独を貫き通した姿を彼方は知っていたはずなのに‥同じように大切な人を遠ざけてしまう。

彼方は佐倉に対して自分の死期を伝えるべきだったのだろう。もっと言うと自分の死期によって佐倉を傷つけることを受け止めるべきだったし、傷つけられても大丈夫な佐倉を信じるべきだったのだ。

 

結局、僕の独り善がりだった。そういう事なのだと思う。

真実を知った彼女は、僕が思っていた以上に元気で力強かった。僕が彼女を信じなかったせいで、彼女を必要以上に追い込んでいたのだ。

――彼方(佐倉√ .佐倉とのキスシーン)

 

 この√では、彼方は佐倉という「共に歩む者」の存在がいるものの、「死期を伝えることで傷つく佐倉」を受け入れない為に 平凡で幸せな日々を無限に生きるように を生きることはできなくなってしまう。

しかし耕介によって、(結果的にではあるものの)佐倉は彼方の死期を知ることになり、「死期を伝えることで傷つく佐倉」を強制的に受け入れざるを得なくなった。

現在の状況を受け止め、共に歩む者がいる―――。こうなれば優&いずみ√のように、最愛の人のぬくもりを感じながら死なんか知ったことじゃないねと言わんばかりに生きてくだろう。彼ならば。きっと。

 

「好きっ!!」

なんだかとても気持ちが良かった。昨日までの暗澹たる気分が嘘の様だ。

「言ってる場合かっ!」

佐倉と一緒なら、何だって出来る。今ならどんな夢だって叶えられそうな気がしていた。きっとそれは気分だけなのだろうけど、そんな事が重要なのではない。

「うんっ! 言ってる場合だよっ!」

在りたいように在る、それはきっとこういう事なのだろう。

「あほーう!!」

叫ぶ。言葉にはもう何の意味もなかった。ただ内から溢れる声で、取り戻し、そして始まった、日々を確かめているだけなのだから。

そんな僕の叫びは静寂の朝を突き抜けて、昇り始めた朝日のなかに吸い込まれていくのだった。

――佐倉、彼方(佐倉√.『この素晴らしき世界』)

 

 

九重二十重√

この√は、「過去から今にあるもの」をヒロインである九重二十重が受け入れられないお話である。

九重の仕事は、吸血鬼(=クリス)を餌としそこに群がってくる敵を始末すること。

しかしそれが仕事だとしても殺人という行為を全面的に肯定していないし、むしろ彼女は殺人行為を誰かから「嫌悪」されなければ自身が行っている殺人を肯定できないのである。

誰かから恐怖と嫌悪の眼差しで見つめてほしいし、そういった態度を取ってほしいというジレンマ。

「‥‥つらいならやめればいい」

「私は殺さないとならないから」

九重さんは首を左右に振りながら答えた。

「お前のような馬鹿な奴が、何も知らずにのほほんと暮らしていけるように」

九重さんが訴えかけてくる。握り締めた手に力がこもっている。指先が白くなっていた。

 怖れてくれ。でも怖れないでくれ。それが彼女の抱えるジレンマだった。

――彼方、九重

 

後のダンスパーティーで、彼方は「君は間違ってなんかいない」と言い、「それなら安心だ」と少女は笑った。

もしこの時、九重二十重が「過去から今」を受けいれられたのならば、この街を去る理由はなくなる。彼女が敵を殺せない状態(=彼方が九重に恐怖しないため自身のジレンマに絡め取られている)は解消され、二人は一緒に入られるはずだ。

だがやはり別れは定められていることから、最後まで九重は「過去から今」を受け入れられることは出来なかったし、彼方はそのジレンマを拭い去ってあげることは出来なかったのだろう。

だとしても……二人はこの瞬間を蔑ろにはしない。

身体にガタがきても踊ろうとし、崩れ落ちようとも「立ってくれ、彼方、立って踊れ。今日は私とダンスを踊るのだろう?」と九重が言うのもそういうことなのだ。

 

二人で踊る。

ただそれだけの夜だ。何か特に意味があるわけでもなく、ただ時間が流れ、終わり、そして彼女は去っていくだろう。だからこそ今だけを見て、笑おうと思うのだ。終わりを気にして、今を疎かにするのは馬鹿な事だと思う。終わりを気にするならなおの事、終わりに気付かないふりをして生きなければならないだろう。 終わりが死でも別れでもそれは変わらない。

しかし。

身体が軋む。度重なる投薬と、進行して身体を蝕む病。その両方が僕の体力を奪っていく。ステップを踏む足がもつれ、あるいは止まり、何度となく彼女にぶつかりかける。ここ数日続いた無理が祟ったのだろう。

きっと彼女はそれに気付いていると思う。これに気付かないほど鈍い少女ではない。

「彼方‥‥」

だけど彼女は踊りを止めようとはしない。ただ悲しいまでの笑顔のまま、僕の手を取り踊りつづける。まるで僕の変調に気付かないかのように。訪れる終わりに、気付かないように。

そうだ。それでいい。それこそが僕の望み。そして君の望み。
それはきっと‥‥‥‥、
無限に続く、円舞曲のように。

 

――彼方、九重(九重√)

 

曲が止まる。僕と九重さんは動きを止めた。

次が最後の曲。彼女との普通の一日も、これで最後だ。

だけど、

「僕は幸せものだよ」

心底そう思っていた。僕は彼女が大好きだし、彼女もそうだと嬉しいと思う。

「私も、きっと、そう」

彼女は僕の手をとって自分の頬に当てた。僕は彼女の頬を撫でる。彼女は目を閉じた。

「そうだな。ずっとこうして二人で踊っていられればいいのに」

「‥‥‥大丈夫」

目を開き、にっこりと笑う。

「うん?」

その瞳は活力に満ち、とても力強かった。最初に会った頃の彼女とは比較にならないほど、強い意思の力、生きる意志が溢れているように見えた。そして何より、その姿からは何ひとつ恐怖を感じなかった。

「一人になったら、私は彼方を想って踊るから」

そう言って、彼女は目を細めた。

「うん、なら、僕は最後に君を想い出す事にする」

僕も笑う。彼女は僕の言葉を聞くと小さく頷いた。そして、細めた目から再び一筋の涙。

「だからさ、」

最後の曲が始まった。その緩やかな前奏をが、心に染み込んでくる。

「もうちょっと目立っておこう? 皆がいつか僕達を、想い出してくれるように」

僕は彼女にもう一度手を差し伸べた。

二人でお互いの手を強く握りあう。

これで最後。

彼女と踊る最後のダンス。初めて彼女と出会ってからまだ一週間にもならない。ほんの短いダンスパーティーだった。

しかし、楽しかった。本当に。

「はい」

彼女は大きく首を振り、同意を示した。

僕達はフロアの中央へ向かって歩き出す。そこは強くスポットライトがあたり、一際輝いていた。

僕達は一度手を放し、その強い光の中で向かいあった。そして一礼。

普通の一日もこれで終わる。

‥‥いや、違う。はじまるのだ。何事にも変えられない、大切な時が。

――九重、彼方(九重√ 終盤)

 

つまりこの√は「此方」を受け入れられず、「共に歩む者」が近くにいなくとも、無限に生きようとする二人を描いたものである。

実際それが叶ったかどうかは最後まで語られなかったが、そう歩もうとする様は見て取れた筈だ。心に折り合いが付けられずとも、人生を共有したい者が離れようとも、人は在りたいように在ろうとする様が。

この意味で九重のお話はとても特別で、異質だ。

 

 

クリス√1

クリスは恐ろしいほどに孤独で。この広い世界で生きている。

――けどそんな事実はもうとっくに受け入れているのだと思う。無限の時間の中で、ひとりがいかに寂しいか、そんな生き方がどれほど苦しいかなんて幾千と感じ続けてきたと思う。

弱い自分ではなく、暗示をかけてでも強いキャラクターを作り上げたのも辛い現状を容認しているが故の行動ではないだろうか。逆に言えばそうでもしないと…そう生きなければならない程、クリスにとって此処は過酷なのである。

 

 「どちらかといえばこっちが本当の私です。昨日までの私はわざと、と言うべきでしょうか」

「え?」

「私は自分に暗示をかけることが出来るんです。だからああいう強い子になっていました」

「どうして?」

なんでそんな事をしてるんだ? そんな訳の解らないことを。

「‥‥彼方、貴方がそれを訊ねるのですか?」

彼女の顔がすっと、一瞬だけ強張る。だが次の瞬間もう元の明るい表情に戻った。

僕にはそれだけで十分すぎるほどに解った。

――クリス、彼方

 

ここから窺い知れるのは「無限に生きる」のと「無限のように生きる」のは全くの別物ということ。もしも無限に生きるだけでいいのなら、クリスは彼方を求めないし、孤独に打ち震えたりはしない。

ひとり最果てを歩んでいくだろう。

逆に「無限のように生きたい」から、世界をぐるっと見た上でクリスは彼方の前に現れたし、彼方は彼方で思うように生きられないと葛藤するのである。

彼方にとって此方が「癌と周囲」だとするなら、クリスは「吸血鬼に纏わる事」となるだろうか。餌とされる自分、同胞がいない自分、そういった過去から今にあるものを例え受け入れていても、やはりそれだけでは望む生き方にはなり得ないのを彼女は示している。

クリス√1では、彼方はエンゲージを拒みはするものの、春まで二人は共に生き、死に逝くその一瞬まで「平凡で幸せな日々を無限に生きるように」して生きた。

このラストシーンで印象的なのは、もう「次」なんてない彼方が「約束」を持ち出し、その約束を「承諾」するクリスであろう。

 

"僕は最後にひとつ思いついた。

「もしぐるっと回っても、楽しい事無かったら‥‥‥」

僕の言葉にクリスが目を上げる。

「次は契約でも結婚でも、何でもしてやるから。頑張れ!」

「はい」"

 

そう、この二人にとって終点などないのだ。

終わりがないからこそ、未来を想える。現実的に考えれば不可能なことも "そう" あれるように生きられる。これが遥彼方が求めた「生き方」であり、残されるクリスを支える生き方となる。

 

時は春。

燦々と輝く陽光の中、桜の花が満開に輝いている。

病院の屋上は、洗いたての白いシーツがはためていた。

僕はそこからゆっくりと風景を見渡した。くすんだ色の町並みの中に、淡いピンク色の桜の花が見え隠れしている。

柵に両肘をついて、ぼんやりする。

これが、僕の生きてきたセカイ。そう思ってもう一度見渡す。それは、とても輝いて見えた。

ふと傍らを見ると、そこにはいつのまにかクリスがやってきていた。彼女は身体の前で両手を重ね、髪を風になびかせている。

「やぁ、クリス。今日も美人だね」

「うん」

「あれだね。花見でもしたい気分だね」

「うん」

「結局クリスの料理、あんまりうまくなんなかったね」

「うん」

「練習、するんだぞ、ちゃんと」

「うん」

「さぼったら、承知せんぞ」

「うん」

ん?

視界の隅に、薄ぼんやりとした影が映る。

その影はとても懐かしい人たちだった。二人とも僕らを見て、笑っていた。

「やあ、とうさん。かあさん。二人とも花見かい?」

二人は笑いながら首を横に振った。

『お前の彼女を見に来たんだ』

『花のように美しい人だから、花見かもしれないねぇ』

「違いない」

僕はクリスを見た。

彼女は涙を流していた。拭いてやろうと思ったが、よく考えたらもう出来なかった。

「そろそろ行くの?」

クリスは自分で涙を拭き、笑顔を見せてくれる。

「うん」

僕は短くそう答えた。

暖かい風が、吹き抜けてゆく。

「どうだった?」

クリスは主語もな何の飾りもなく、そんな事を言った。そのまま柔らかな表情を浮かべる。

「そうだね‥‥‥‥」

僕は目を閉じて、想い出を振り返った。

楽しかった事。苦しかった事。嬉しかった事。辛かった事。それらが泡のように浮かんでは消えていった。

最後に見えたのは、クリスの笑顔。

目を開ける。

想い出と寸分違わぬ笑顔がそこにあった。風にそよぐ髪を押さえ、僕に微笑みかけている。

「よかったと思うよ」

クリスは頷いた。金色の髪が揺れた。

「クリスはどうだった?」

クリスも瞳を閉じて、上を向く。その脳裏にいったい何が去来するのか、僕にはわからない。

しかし目を開けた時のクリスは、満足げな表情だった。

「私もそう思います」

 

「一人で、大丈夫?」

僕はちょっと心配になった。失礼だと思ったが、あえて聞いてみた。こういう性分が、きっと彼女を困らせ続けてきたに違いない。

「大丈夫ですっ!!」

案の定彼女は憤慨している。しまった。また怒らせてしまった。

「これからどうする?」

僕の言葉に彼女は表情を緩めた。そしてクスクス笑った。

「世界をぐるっとみてきます」

「ぐるっと?」

「はい」

僕もなにか懐かしい気持ちになり、クスクス笑う。

クリスも笑っていたが、もうこらえられないのだろう、再び涙が溢れはじめた。

だがその泣き笑いは、妙に目を引きつける。

‥‥‥このまま見ているわけにも行かないんだろうな。

僕は一人苦笑した。

『その時』何かが決定的に終わったような気がした。

階下が騒がしくなる。

耕介、佐倉、優、いずみちゃん。彼らの声が、叫びが、僕の名前を呼んでいる。しかし僕にはもう彼らのもとへ戻る事は出来なかった。

「じゃあ、クリス。もう行くね」

僕は最愛の人に別れを告げた。

「うん」

「そうだ」

僕は最後にひとつ思いついた。

「もしぐるっと回っても、楽しい事無かったら‥‥‥」

僕の言葉にクリスが目を上げる。

「次は契約でも結婚でも、何でもしてやるから。頑張れ!」

「はい」

僕が最後に見たものは、泣き濡れて、しかし咲き誇らんばかりの、金色の桜だった。

父さんたちの言い分ももっともだ。

僕は一人満足気に笑うのだった。

 

――彼方、クリス(クリス√1)

 

 

クリス√2

そして√2つ目では、彼方が『此方』(=幼少期にクリスとした約束)を思い出し、エンゲージを受け入れるというもの。

彼が√1でエンゲージを拒んだのは、それを受け入れてしまえば『彼方』でいられなくなってしまうという理由からだった。

 

「彼ら全てを失ってまで、僕には無限に踏み込む勇気はないんだ」

「でもこのままでは死んでしまいます! 今すぐ死んでしまうよりはいい!」

「結局、ここに居る僕と、無限に生きる僕との違いはそこだけだよクリス」

「え?」

「無限を生きればここに居る『彼方』は死んでしまう。みんなと生きる『彼方』はなくなってしまう」

無限に踏み込めば、結果は一つ。

「‥‥‥今すぐ、彼らを失うよりはいい」

――彼方、クリス(クリス√1)

 

 そして僕はクリスのように今を捨てることができなかった。彼女がこれまでやってきたように、時を超えていく覚悟ができなかった。会おうと思えば耕介に、佐倉にすぐに会える。そういう実感なくして、立っている自信が無かった。

 僕はあまりに幸せに暮らしていたのだ。その全てを置き去りに出来ないくらいに。

――彼方(クリス√1)

 

 「僕は、君のように強くはないんだ。ごめん‥‥一緒には、行ってやれない」

「私だって、そんなに強くありません! だから一緒にきて欲しかったのに!」

「ここにある全てと引き換えに、君と命だけを選ぶ勇気が、僕には、ないんだ」

「だって! だって!」

「今なら君も居る。みんなも居る。なくなるかもしれないのは、命だけ。みんなと君、命と君。選ぶならどちらかだよ。なら僕は」

そう、ここに居る『彼方』に選べる答えなんて一つしかない。

「未来の全てと引き換えに、今と思い出と君達を選ぶ」

――彼方、クリス(クリス√1)

 

先述したように「無限に生きる」ことと「無限のように生きる」ことは別もので、彼が望んでいるのは後者だ。

命よりもみんなでいることの方が大事だし、クリスよりもみんなを選ぶのにはそういう訳がある。平凡で幸せな日々を無限に生きる―――、これに必要なのは永遠の生などではない。

しかし彼は『クリスと約束した過去』を見落としている。その部分が抜け落ちていたからこそ、√1では上のようにしか答えられなかった。

√1での "ここに居る『彼方』に選べる答えなんて一つしかない" という台詞と、√2での "「『彼方』はそういう男だよ。忘れたか?」" と嘯くシーン。

ここで強調される『彼方』という言葉は、クリスの約束を忘れている自分と、過去に約束をした自分を指したものであり、彼が自分自身を俯瞰するように言うのはそういうことである。

 

「世界をぐるっと見てきても、楽しい事無かったのか」

そんな彼女の瞳が徐々に感情を取り戻していく。彼女は目を大きく見開いた。

それは驚き。

「どうだ?」

戸惑い。

「うん」

当惑。

「そうか」

「じゃあ、しょうがない」

『僕』は決心した。

――彼方、クリス(クリス√2)

 

「彼方、これは」

「見ての通りだ」

だがクリスは箱を閉じると下を向いた。

「私たちの、結婚、は、エンゲージ、を、含みます、から‥‥」

彼女の顔から涙がこぼれ落ちるのが見えた。

エンゲージ。僕が拒否したその力。たしかに僕はエンゲージだけなら受け入れるつもりはなかった。

しかし僕は構わなかった。

「そのことは結婚してから考えよう。それはあくまで結果だよ」

僕は景気良く笑った。だけどクリスの表情は晴れない。

「でも、今の生活を捨てなければ」

「捨てない」

なおも言うクリスの言葉を遮る。彼女は再び目を見開いた。

「『彼方』はそういう男だよ。忘れたか?」

本当は忘れていたのは僕だ。

 

――彼方、クリス(クリス√2)

 

大事な人たちに危険が迫るなら護ればいい。それだけの事だ。誰かの為になんて言う独善は要らない。それが間違いだという事を今の僕は知っている。

無限に踏み込むからって自分を変えることなんてない。そのまま彼方で生きればいい。病気になったって普通に生きようとした僕だ。それが出来ない訳はない。九重さんと協力したっていい。彼方で居ればいいのだ。

そして何より『彼方』という男は約束を守るのだ。これだけは間違いない。そこに無限が潜もうとも構わない。僕はそういう奴だったはずだ。

どうして僕はこんな簡単な事を忘れていたのだろう?

――クリス√2

 

しかしクリスが「結婚しにきた」とさえ言ってくれれば、彼方は一も二もなく了承していた筈なのだ。わざわざ自発的に思い出さなくとも、そう言ってくれさえすれば二人はこうもすれ違うことは無かった。

にも関わらず、クリスは言い出せなかった。理由はこう語られる。

 

そして気付く。

彼女は馬鹿だ。僕と同じくらいに。

僕が佐倉に自分の病気を明かせなかった、それとまさに同じ理由で彼女は僕に結婚しに来たと言えなかった。

きっとそういう事だ。

結婚しに来た。たった一言そういえば僕は彼女に応えたのだろう。

だが言えなかった。

無限の生に、愛ゆえに付き合ってくれとは言えなかった。

だから僕の死を感じた時、先に目前の死と無限の生とを選ばせようとした。あるいは僕が無限に生きるなら、共に歩めると思っていたのかもしれない。

そうなのだ。僕達二人は背中あわせのままに、何処までも不器用で馬鹿だったのだ。無限に生きられるから共に歩める。いつの間にか目的と手段が逆転してしまっていた。本当は共に歩むから無限を生きる。

そうあるべきだったのだ。

「今の生活ぐらい二人で護りゃあいい」

後から後から笑いがこみ上げてくる。これを笑わずにいられようか? どうしてこうも僕達は馬鹿なのか。どうしてこうも独り善がりなのか。

――彼方(クリス√2)

 

つまり、これは佐倉√の再演なのだ。

佐倉√では「彼方の死期を知った佐倉」を彼方は受け入れなければならなかったし、クリス√2では「クリスとの過去を知った彼方」をクリスは受け入れなければならなかった。

そんな強制的な状況がなければ、自らの本音を――一緒にいてあげたかった、一緒にいてほしかった――二人は認められなかったのである。「相手の為に」という独善的な思考が、ジレンマを生み、思うように行動できなかったのは、彼方自身いうように馬鹿だった。

でも、それくらい人は自分を取り巻くものを受け入れるのは難しいということでもある。本音も、願いも、過去の約束でさえ相手のことを思えば躊躇ってしまうようになる。

もしも在りたいように在れないと思っているならば、やはり何か思い違いをしているのかもしれない。それは彼方にとっての『今の自分』にクリスとの約束が入っていなかったように。

そうして最後は、本当に大事なことが例外なく成り立ち、在りたいように在り、生きたいように二人は生きることができた。彼方はクリスと共に生きながら、耕介や佐倉とも生きるられる。なにかを諦めたわけでもないし、なにかを妥協したわけでもない。

そこに漕ぎ着けられたのはやはり、彼方が「過去から今にあるもの」を手にすることができ「共に歩む者」がいたからだろう。クリスのエンゲージ(=約束/結婚)を受け入れることはその両方を満たす構造になっており、また結婚における誓いとは今を未来へと繋げるものに他ならない。

――過去から今へ、今から無限へ

この意味で、終わりがあると知っても尚終わりがないように生きる――その完全無欠の到達点がこの√であり、本作の最後を飾るに相応しいものだったと思う。

――それを人はこう呼ぶのだ。

 

 

 クリスは静かに敵の前に立った。

「折角時間をやったというのに吸血してこないとは。貴様、ふざけているのか?」

黒コートの怪物は、不機嫌そうにそう言った。

 

クリスは悠然と微笑む。

「そう取られても致し方ないな。が、そなたのような輩にはこれで十分だ」

その姿はただ力を抜いて立っているようにしか見えなかった。

 

―――数ある人々の中からめぐりあった相手をあだひとりのパートナーと認め

 

"ギリリ"

黒コートの怪物は奥歯を鳴らした。クリスの態度に、怒りを覚えたのかもしれない。

 

―――敬い、慈しみ

 

怪物はマントを翻し構えを取った。見るものが見れば、その隙のない構えに恐怖したに違いない。

 

―――富める時も、貧しき時も

 

だがクリスは口元の笑みを崩すことなく、ただ立ち尽くしていた。

 

―――健やかなる時も、病める時も

 

「私の名前を呼ばわっていたな、貴様」

クリスは微塵の優しさも見せずに冷ややかに言った。しかしそれが見せかけのものだという事を僕は知っている。

 

―――互いに助け合い

 

「それがどうしたッ!!」

 

―――堅く貞操を守り

 

怪物が一気に間合いを詰める。もう一歩飛び込めばもう戦いが始まる。

 

―――死が二人を別つその時まで

 

「訂正しよう」

クリスは一歩も動かずに、悠然と微笑んだ。

同時に彼女は左手を胸元まで引き上げる。薬指の指輪がキラリと煌めいた。

 

 

―――あるいは

 

 

「我は、クリステル・遙・マリーとなる」

直後に二人が交錯した。

 

 

―――こなたよりかなたまで

 

 

「ゆめゆめ忘れるな」

「あ、圧倒的過ぎる‥‥‥」

 怪物はクリスの背後でゆっくりと倒れていく。彼女が別段動いたようには見えない。恐らく僕には見えない速度で何かが起こったのだろう。

 

 

―――変わらぬ愛を誓いますか?

 

 

 

 

 

 

 

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via:クリステル・遙・マリー/こなたよりかなたまで

 

こなたよりかなたまで――それは無限へと繋げる物語。

 

 

 

※余談だがOPの『Imaginary Affair』は「想像上の出来事」と直訳すると意味が分からないけど、「思うように」とすれば今まで語ってきた意味で歌詞がリンクし始めるので腑に落ちるのではないだろうか。彼方が思うように生きる明日。と。

 

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*1:――優&いずみ√ 『第7楽章』 "僕と優ちゃんの関係は、そのまま優ちゃんと朝倉さんの関係だった。朝倉さんも思っているのだ。優ちゃんに、自分を見て欲しいと、笑って欲しいと、そう思っているのだ。そしてなにより世界を見て微笑んで欲しいのだ。"