恋色空模様―神那島の空が緑茶色に染まる―感想レビュー④
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恋色空模様 感想
これまで『恋色空模様』へ3通りの記事を書いてきましたが――その内容は上記を見て頂くとして――では良いところはなかったのかと言うとそうではないと思います。私からすると「物語内容」はダメですが、しかし「作品外形」は良かった。
立ち絵演出による「拡大/縮小」「回転」「上下左右による細かな挙動」が際立ち、テキストによる情景描写がいらないくらいに常に画面が賑やかなのは評価していい部分でしょう。特に聖良VS佳代子戦などは立ち絵のみで戦闘を描写しよく動き*1、さらにテキストウィンドウの可変方式、複数人の吹き出し、SD絵でのアニメーション、かつワイプ描写も使いこなすため「ADV外形」の作り込み具合が半端ではなく見ていて楽しいゲームになっています。
立ち絵もロリ萌えっとしたイラストで、特にクセを感じるわけでもなく受け入れやすいのではないかなと。HITする人にはHITする愛らしさがあるでしょう。
あとは…1話1話区切っており――話数のはじまりに必ず次回予告と前回のあらすじがあるので――プレイに一段落つけやすく、読みやすいですね。アニメ的な構造をADVに取り込んでいるといえばいいのかな。
まとめると「立ち絵演出」「絵の可愛さ」「ADV外形の作り込み」「話数構造の導入」は評価できるということになります。
◆ ◆
しかし物語内容は言わずもがなので、この外形による楽しさは結果的に相殺されているのは残念。いくら立ち絵演出がすごかろうと話数単位に区切って読みやすさがUPしようとも、それらを魅せる物語自体が驚くほどつまらない茶番劇なのでどうしようもないです。
このブログはじまって以来の最低値を記録した作品であり、少なくとも私はこういう評価・感想であり、『恋色空模様』のいいところはこれ以上思いつきませんし、惹かれるヒロインが一人もいなかったのもストーリー・表現力の酷さによるものでしょう。
▼
あらゆる作品は好きな人と嫌いな人に分かれるものです。どんなにつまらなくても「私は嫌いだけど好きな人いそうだよね」と薄っすらとでも思えるものです。しかし『恋色空模様』に限っては「これ好きな人いるのかな……」と思うほどに個々人の相性の有無をぶっちぎりに超えた地獄がそこにはあり、私の許容値をはるかに超えた物語でした。
一言でいえば杜撰。二言でいえばとても杜撰。
この自己実感から逃れるために物語の価値観の方も探ってみましたが、そこを加味しても、本当に駄作中の駄作であり、愚作中の愚作であり、一欠片も肯定できない低レベルな作品です。
『恋色空模様』は論外レベルで表現力がない。控えめに見ても無理を押し通しすぎだし、納得感なにそれ?という具合に春樹がいきなり昏睡したり、かと思ったら都合よく目覚めたり、殺人人形(Killing Doll)を繰り出したり、学生から大人まで主人公を狂気的なまでに褒め称えたりと無茶苦茶だ。
私はこれ、すこしも評価できません。
私的満足度:★(1.5)
擬似客観視:★★(2.2)
プレイ時間 | 50時間 | ||
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面白くなってくる時間 | そんなものは存在しません | ||
退屈しましたか? | しました | ||
おかずにどうか? | 使える人には使えるんじゃないでしょうか | ||
お気に入りキャラ | いるわけがありません |
公式HP│http://www.studio-ryokucha.com/koisora/
*以下、プレイ雑感。
榊の務め
榊「ああ、そういえばさっき診た連中は、全員、極度のストレスでダウンしていたな。原因はそれか!」
誠悟「だから、すいません」
榊「で? だから、何故お前が謝る?」
誠悟「え? だって、その原因を作ったのは!」
榊「確かに、そうかも知れんが、お前が謝る必要などない。ここは保健室だ。病人やけが人を受け入れて然るべき施設だ」
榊「そして私は保険医だ。連中のように、気分が優れず、体調を崩した者たちを処置することこそが、私の務めなのだぞ?」
――恋色空模様・第一章
加代の着替えをうっかり見てしまったばっかりに、体育後の教室は加代の殺気で溢れんばかりになってしまった。当然これに当てられたものは死……にはしないけど保健室送りになった。
加代がそんなことをしたのは自分のせいだという誠悟であったが、榊はだとしても謝るなと諭す。
榊の立場からすると、ただ自分の役目をこなしているだけに過ぎない諸問題について謝られても困るだけなんだと思う。だって彼女は「問題(=病人)を解決するため」に雇われているのだから、問題の発生源について干渉することはないだろう。
もちろんあまりにも過剰であれば指摘・抗議してくるかもしれないが、誠悟の話通りならば謝られるほうがしっくりこないのもわかる。
きっと榊さん、「ありがとう」なら受け付けてくれる気もするけどね。感謝だって不必要だけれど謝罪よりは言われて嬉しいと思うかもしれない。
服部彩の基本姿勢
彩は困ったり・考えこむ時に、以下のポーズを取る。まず右手を軽く握りしめ口元に、左手を鎖骨のあたりに持ってきて両腕がややクロス。
これはじめて見たとき「どうしてこんなにも怖がっているのだろう?」と思えた。というのもこの姿勢は結果的に身を縮め、肩を上げ、心臓を隠し、口元を隠すしているから――外界から必死で自分を守ろうとしているポーズではないかと。
実際、彩はそういったシーンでこういうポーズをする時もあるので、なるほどなーと思った記憶。ただ単に考え事しているときも多いけど。
気持ちを偽装する美琴
美琴「……だからっ、違うって……っ!」
美琴「お兄のお菓子が嫌いだなんて、一言も言っていないっ!!」
誠悟「え?」
美琴「か、勘違いしないでよっ、別に、好きとも言ってないんだからっ!」
美琴「それに市販の安っぽいお菓子に比べたら、お、お兄のヤツの方が、マシ……だし」
誠悟「そ、そうか」
美琴「そうなのっ! それに、藍だって楽しみにしてるし、彩さんとかだって待ってるんでしょ?」
――恋色空模様・第一章
誠悟がお菓子を作るのは女の子を誑かすためだとか、餌付けするためだとか難癖をつける美琴。ならもうお菓子つくるのやめるよ……と誠悟が言うと、必死で止める彼女の様子はまさに「自身の気持ちをごまかしている人」そのものだと思う。
兄に他の子と仲良くして欲しくない、そういうの見ているとむかむかしてくる、私のためだけにお菓子作ってほしい―――といった気持ちを(例え彼女が)抱えていてもそれを実際外に出すと「わがままだなあ」とか「美琴そんなに俺のことを……!」と茶化されるのが嫌だったり、自分と相手の立場が変化することが気に食わなかったりするため、気持ちを別の気持ちによってごまかすことってよくしちゃうよなと思う。
む、難しいよね……。
"本当" の気持ちなんて誰かに言うだけリスクが上がる行為ですから。でもそれに慣れてしまうと自身の欲を欺瞞で覆い隠したりすることがクセになってしまってこれまた危うかったりねするわけです。
なぜなら本当に欲するものが自分でも見えなくなる可能性に繋がるので。
伊東美琴から滲むホモフォビア
美琴「大体、なんなの? その見事なラインナップ。私は獣も変態も、ましてや嫌味もお断りよ」
美琴「それだったらまだ、同性愛者にでもなって、藍と結婚する方が断然マシね」
誠悟「マジっすか!?」
誠悟「なんてことだ! 道理で藍ちゃんといつも一緒に居ると思ったら、美琴は同性愛者だったのか! 驚愕の新事実!?」
美琴「ンなわけあるか!」
――恋色空模様・一章
誠悟がせくしーな下着を発見して、こんな下着を履くのはもしや美琴に彼氏が出来たか?!と戸惑いそこで彼氏候補としていろいろな人物が挙げ妄想しているところに当事者・美琴が登場するシーン。
美琴は列挙された男性候補者が気に入らないのか "同性愛者にでもなったほうが" といい誠悟はそれを茶化すくだりは…まあ……ひっかかるよね。
美琴からにじむホモフォビア――というよりは『恋色空模様』は全体的にこの傾向がある。強いとまではいわないけどあらゆる言動に「同性愛者って・・・」みたいな価値観が見え隠れするのはうーんとなる。それで作品評価が下がるわけでもないけれど私は好きではないよ。
ちなみにそれが一番露出していたのがこのシーンと、あともう一個あるのだけれどそれもまた美琴と誠悟の会話時である。
なんというか美琴自身、近親相姦をなし近親愛を成就させた人(セクシュアル・マイノリティ)なのだから、そこらへんもっと気をつけてもいいのではないかと思う。これは序章での発言だから個別√後ではまた違ったふうに同性愛者について捉えている可能性もあるけど、そうじゃない可能性のほうが大きいんじゃないかなって思う。だってそういう思考、彼女は一切見せなかったですし。もしそういうのがあればここのシーンはプラスに働くのだけれど、ないとただのデリカシーに欠けた人にしかならない。
上記発言でもって美琴or誠悟自身の人格が私には下の下に見えてしまう。好感度さがる。
権力は力なので
男生徒1「ぶははっ! いいぞ、いいぞー!」
女生徒1「あはっ、あははっ、もうっおかしいったら、くくっ!」
芹沢「静まれ、静まらないか! 校長先生のお話を聞いていたのか?!」
芹沢「学生として、ちゃんと自覚を持って行動するべきとは、まさきにこのような際に……」
風紀委員男1「話を聞いているのか! あまりに酷いようだと、全員しょっ引くぞ!」
――恋色空模様
芹沢・風紀委員を見ていると権力を持つと腐っていくのはそれは「力」だからだなと脳裏をかすめる。力があるということは他者を征服できるということであり、自分の思い通りに周りを制御することができるからだ。
それも風紀委員という立場は「正義」の名の下に行動できるので、自身の行動に批判精神が消失してしまうだろうなと思う。
他者を征服できる「力」と「正義感」が合わされば、「力」を使いたいだけ使うようになるし時に過剰な征服だってし始めてしまうものだ。力って与えればちょっとしたことでも使いたくなってしまうものだし、誰かを攻撃する、マウントするというのはとても甘美なものだから余計にね。
そしてこういう環境は人を腐らせていくので、その権力の行使がはたして「正しいのか?」と批判を加えられる第三者機関が欲しいところ。これが自組織になると見逃したり甘くなりがちなので結果的に批判精神は機能しなくなっていくのは目に見えている。
つまり批判精神が働かない所は腐っていくし、そして「力がある」とは、例え周囲が何かしたら反対意見を抱えていてもそれを口にしないorできない環境を構築するということでもある。
頑張らないこと
優喜「まあ、そっちは仕方ないかな。でも出てる種目で頑張ることは出来たんじゃない?」
彩「そだよ。騎馬戦だって、せいちゃんのお陰で勝てたんだし」
誠悟「あれは、アドバイスしただけだろ? 俺自身がどんなに頑張っても、勝ち目ないし」
藍子「私も運動はあんまり得意じゃないから、誠悟さんの気持ち、分からなくはないですけど……」
藍子「そういうことじゃ、ないんだと思います」
――恋色空模様
体育の授業では顕著だけれど、身体を動かすこと、スポーツすることが苦手な人間は「頑張らず」ただそこでぼーっとする光景がよく見かけられる。(別に体育に限らないけど)
そして体育で頑張っている人間からすると、そういう頑張らない人間はめちゃくちゃ邪魔なのでいっそのことゲームから離脱するか見学して欲しいとさえ思うことが多い。私は少からず思っていた。
いやだって能力が低くてもやる気があればゲームは回るけど、やる気がない人間が一人でもいればそのゲームは回らなくなっていくし第一辛気臭いし楽しくないもの。
とはいえ、体育が苦手な人間からすれば「体育で頑張ること」自体が苦痛なわけなので、こういう時ってハンデ――つまり実力差を拮抗させる仕組みづくりができれば――体育に苦痛を感じるユーザーもよりよくそのゲームに参加しやすくなるのではないかとも思う。しかして具体的には?
土地によるアイデンティティの確保
「自分の住んでる場所すら誇れない人間が、余所者がどうのなんてくっだんねーことグチグチ言ってんじゃねーよ!」
――聖良
クルセイダーズ編ラスト。
誠悟の父親のデータ改竄が発覚し、島民から伊東家はこの島から出ていけという空気になってしまう。そこで「余所者が」「余所者め」という単語が飛び交うのだけれど、聖良の言うとおり神那島の人って別段自分たちの島を誇っているわけじゃない。
これって「土地」に自身のアイデンティティを確保している状態であり、愚かさと危うさが見え隠れする。「土地」「民族」「国家」を通して自分が自分であることを見出すのは、そういった先天的属性以外しか持ち寄るものがその人にはないからである。日本に生まれたから日本人であることを誇りにするとか馬鹿げてるでしょ? きっとその人はどこの国に生まれたってそう言っているだろうし、そこには「選んだ」過程がない。
そして「土地」「民族」「国家」に自身のアイデンティティを確保することは、ひいてはそれを特権化し他者の差別に使うようになる。今回でいえば「俺は神那島の人間だけどお前らは違うからな」という理屈なんてどこにもない発言が飛び交うようになる。
だから何?と返されれば何も返すことができない先天的属性による切り分け。
そして神那島の人間は別段自分たちの島を誇っていないのであれば、尚更に滑稽である。この人達は「神那島を誇ってはいないが、神那島の人間であること」しか自分の誇示の仕方が分からないのだから。
<恋色空模様・一連エントリー>
*1:ただそれでも私はテキストに情景描写が欲しい人なので、あまりここが特化しすぎてもどうなのかなと想いはしました。