※ネタバレ注意
幸せとはなにか?――答えは多種多様あれど、私はこの定義で十分だと考えている。
・衣食住+活動(他者交流-好奇心-達成可能目標)=幸せ
なぜ労働するかというと自分に餌をやるためであり、餌を与えなければ人は死んでしまう。餌とは文字通りの食べ物であり、安息をあたえる宿、社会的な身だしなみが該当する。
生命(=肉体/精神/社会性)維持の次は、他者と交流し、そしてその者と「達成可能だけどやや難しい(興味ある)目標」をもつことが肝要である。大勢が拍手する意義深いものでも、逆に社会的価値がうすい趣味でもなんでもいい。とにかく誰かと一緒に(やや難しい)達成可能な(興味ある)目標に向かうことで人はじゅうぶんな幸福を覚えるものだ。(ようするにエピックウィンを起こしたいので困難な企画、簡単な作業ではダメということでもある)
こう考えると仕事とは「労働」と「活動」の2つの側面を持っており、前者の天秤が傾けばひどくつまらないものに、後者に傾けばとても楽しいものになりえる。また「活動」がうまくいっていれば――その時間はとても楽しく、有意義なものなので――それを人は生きる意味と見做す(錯覚)し、逆にいえば特権的な生きる意味なんていう下らないものを望む必要性はなくなるのだ。
生きる意味があるから生きるのではなく、楽しい一時を手繰れる瞬間に人は生きたいと思うのである。そしてそれを「幸福」と呼ぶのではないか?
――adv『Angel Beats! -1st beat-』は、これをめちゃくちゃ簡単に満たせる世界である。
おさらいすると(adv版の)死後の世界では肉体的・精神的に負った傷はどんなものでも回復し、また空腹による苦しみは学食で満たすことができるので(全品美味い!というのが日向の弁)ただ生きるのではなく、充足した日々を送れるようになっている。
そしてなによりここには「人」がいる。
同じ境遇の「死んだ記憶を持っている者」に関わらず、例え魂のないNPCだとしても、彼らは我々と違わぬ意志をもち、思考をし、辛い人生を送ってきた者たちに手を差し伸べてくれるのだ。むしろそれは――我々がしっている人間よりも人間らしく――とてもやさしい態度で、あたたかな笑顔で迎えて入れくれる。
思い出して欲しい。音無結弦が『死んだ世界戦線』(以下SSS)に所属せず、ふつうの学園生徒としてすごした日常を。誰もが音無の入部を歓迎し、コンピュータ部で大作ゲームを作り、他者と交流しながらよりよい成果物を目指したあの毎日を。
あれはここで言う幸せの定義の大部分を満たしていたと考える。しかし最後のワンピースが揃わなかったため、音無にとっては辛い日々になってしまったとも。
朝起きて、朝食を食べ、午前の授業を受け、昼飯を食べ、午後の授業を受け、部活動でデバックに励み、夕食を食べ、就寝する。
――音無結弦(Angel Beats!-1st beat-)
残念ながら、彼は(この時点で)記憶なし男であり、自身のアイデンティティを失ったままなので、興味のないコンピュータ部の活動では『活動』たりえなかった。
音無にとって興味があるのは「欠けた記憶」であり、その記憶に迫る「世界の仕組み」またはそれに繋がるであろう「天使」となっている。ゆえにSSSで活動することは彼にとって有意義であり、コンピュータ部で活動するよりは生き生きしていたのだろう。
逆に、(ゆりが消滅し)日向をリーダーに据えたSSSの入隊を断った彼は、記憶が戻らなくても幸せな日常へとありつく。それはひとえに「興味」が記憶から別のものへと移り変わったからではないか。
俺の記憶は一向に戻らない。
そもそも俺はNPCなんじゃないかと、思い始めていた。
そう割り切ると、意外と友達が増えた。
共に学校の行事を手伝い、その成功に喜び、部活でもキャプテンになり、責任感を覚える。
女生徒から何度も告白されることもあった。
まんざらでもない。
いつの間にか、この世界に取り込まれていた。
素敵なガールフレンドも出来た。
NPCだろうけど、世界の核心に迫ることを訊かなければ、問題ない。
永遠に続く世界なら、楽しいと思い始めた。
<END>
――音無結弦(Angel Beats!-1st beat-)
『活動』に大事なのは交流・興味・目標であり、そのいずれかが欠けると『活動』たり得なくなる。
だがこの3つのうち1つ――つまり己の興味さえ分かっているならば、後は死後の世界がまるごとバックアップしてくれる。なにせここには衣食住が用意されており、死後者に寄り添うNPCが、部活動が、そして永遠の時間があるのだから――。
日向によれば 「本人にとってプラスになることは生前と同じルールが働く」とのことなので、トレーニングすれば筋肉がつき、勉強をすれば賢くもなる。 必ずしも "永遠" に縛られないフレキシブルな世界であり、生前果たせなかったことはここでならば果たす可能性をぐぐんと上げてくれるのは最早言うまでもないだろう。
例えそれが本来の心残りでなくとも――『活動』によって人は幸いを覚えるために――代償行為だったとしても全然構わない。心は満ち足りるのだ。満ち足りてしまう。
音無「でも、同じような心残りでここにやってきた奴も他に居たはずだろ?」
音無「そういう連中はどうやって消えたんだ?」
ゆり「学校に通って、勉学に励んで、友達を作って、真っ当な暮らしを送っていれば消えるわよ」
――(Angel Beats!-1st beat-/岩沢√)
岩沢√のゆりの弁を見れば分かるように、必ずしも生前の未練の解消すること「だけ」が満足するただひとつの方法ではないということである。
実際この学園生活で多くの者が満たされて、消えたからこそ、SSSは消えないように「まともな学園生活」を送らないようにしているわけだ。
それはつまり、仲村ゆりは幸せになるのを善しとしなかったと言っていい。安易な救い、お手軽な充足、そんなものを彼女は望んでいなかったし、その強張った考えはやがて多くの者を感化しAngel Beats!は始まっていったのだろう。
(了)
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