
1)幸せな日々とキサラギGOLD★STAR
本作の魅力は、そのあふれんばかりの「幸せな日常感覚」だ。
昔懐かしい長屋でずっと一緒に暮らしてきた6人組。幼なじみーずが毎朝仲良く自転車通学し、勉学に励み、休日には野球をする。困ったことがあれば相談を受け、夢を語り、夢がわからず、みんなで屋根に登ってお月様にルナティックファイヤーする日々はただひたすらに楽しい。
そう楽しいのだ。
過去から積み重ねてきた時間を共有する友人と一緒にいること/一緒になって何かをすることはただそれだけで、それだけの事なのに、それが心を満たしてゆく。
10年続く友人関係って滅多にない。初等学校では仲が良くても進学すれば学校がバラバラになって気軽に会えたなったりするし、例え同じ学校に通えたとしても新しくできた学園関係、部活動、第二次性徴期による価値観の差異でバラバラになり全然喋らなくなるなんてこともザラだ。
それも空中分解、崩壊、離散と危険性を多分にはらんでいる男女混合グループがここまで長く保つことは劇中でも語られるように「奇跡」といって差し支えない出来事だろう。
だからこそ、彼らの日々は輝いているに感じるのかもしれない。本来はありえない一瞬が――時間を積み重ねてきた6人組の逢瀬が――あり、それが「幸せな日常感覚」を滲み出している。
そしてそんな『キサラギGOLD★STAR』は、コミカルでアップテンポな楽曲によってさらに「幸せな日常感覚」に拍車をかけている。言葉ではうまく説明できないが、劇中歌はそれはそれニコニコしちゃう代物なのである。よければ聞いてみてください。
(ぱぱら~♪)
(ぱぱら~ぱぱら~♪)
2)人によっては不満がでるキサラギGOLD
『キサラギGOLD★STAR』は人によって不満がでる物語だと思う。
ある√の(一見)ご都合主義的展開、いらなかったんじゃないのこれ?と思えるキャラクター、粗い要素要素、突然の芝生セッ久―――これらの数々は気にする人はとことん気にするしそれゆえに作品評価も下がってしまうだろう。
確かにそういった側面を私は否定しない。
そう感じてしまうのも無理はないのかなと思うし、不満が出ちゃううよなとも思う。ただ一つ言わせてほしいのは「そういった不満を吹き飛ばすほどに良い作品」ではあるのだ。
先述した「幸せな日常感覚」が共通√のあゆるところに滲んでいること自体、他作品とは一線を画す "物語体験力" が備わっているし、これを感じ取れるのであれば最後までプレイして良かったなあ…と思えちゃうものである。(ただ個別√に入ると薄れてしまうのは惜しい所だ)
さらに、全√に流れる「夢を見ること」の弊害を描くストーリーは、夢って本当に良いものなのかな?と考えさせられる。夢を見ることは素晴らしいと誰もが疑っていないけど実際はそう単純なものじゃないし、逆にその夢によって生き方を誤ってしまうことだってあるんじゃないのか。と。
――届かないのに届けようとする、それはとても狂気的なことだと思わないか?
夢を叶えようとする5人と、夢がない主人公。夢に手を伸ばそうとする人と、夢を応援しようとする人。夢に敗れた人間と、夢を掴んだ人間。
様々な「夢の形」を照らして迎える最終局面は、思わず視界が滲んでしまうほどに素晴らしかった。すてきな瞬間がそこにはあった。もしかしたら人によってはバカげた展開かもしれない、そこまで胸を締め付けられるほどのものじゃないかもしれない、笑っちゃうような事かもしれない。
でも "人によって" はあのラストシーンは月に手を伸ばしたくなるくらいに心揺れ動くものだ。
――届け
――届け
――届け!!!
彼ら仲良し6人組が到達するその頂きに胸を焦がせられるのであれば、劇中に点在するあらゆる不満は吹っ飛ぶだろう。
3)病みつきになるフレーズのオンパレード
『キサラギGOLD★STAR』プレイしたら最後、一週間近くは「ぎゃおー!」「みゃあああ!!」「ぱぱら~♪」「おおかみおとこ恋をした~♪」というフレーズを口ずさんでいるに違いない。
これは劇中で流れる楽曲の慣用句・ヒロインの口癖であり、思わず口をついてしまうほどのキャッチーな中毒性がそこには存在する。何度も何度も繰り返えされ聞かされることによる単純接触効果、インプリンティング、洗脳、そうして私たちは「キサラギ★電子ドラッグ」を手にしたことに気づき始める。
朝の挨拶はぎゃおー!
敵を叩きのめすときはみゃあああ!!
気分がいいときはぱぱら~♪と口ずさみながらスキップ運動
恋している時はおおかみおとここいをした~♪を高らかに歌い上げるが完璧だ。
人々からホワイトアイという名の暴力を食らい精神的に疲れ果てるものの、一欠片の誇りを胸に今日も使い続けるh(以下略
ぎゃおー!!!
4)本作をおすすめできる人は?
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