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結城友奈の視点とCARNIVALの視点が交錯する時、「美しい物語」を語ることの意義が見えてくる

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結城友奈は勇者である』『CARNIVAL』のネタバレ注意。

 

 

 

結城友奈は勇者である】×【CARNIVAL】

 

ふとした瞬間に私が "見て" いる景色は『CARNIVAL』の景色へと切り替わることがある。そこには本当にどうしようもないくらいに幸せなんてなくて、壊れていて、コールタールのような世界が眼前に広がるのだ。

そこで語られるお話はなまじ「事実」であるからこそ性質が悪い。私達は永劫の栄華なんてものを極められないし、安寧な日常を手に入れいることさえ叶わなく、ただただ、ただただどこまでもぶらさがったニンジンを追いかける日々だけがあるのだなのだと、そしてたまに代替物でお腹を満たし「これが幸せなんだな」と勘違いして「そんなことはなかった」と気づかされることを繰り返されるだけだのだと。

そんな残酷な事実に打ちのめされた時、生きていることが途端に無価値に思えてしまう。

 

理紗「うーん、幸福ってなに?」

学 「またすごい質問だなあ」

理紗「なんだと思うの?」

学 「そうだなあ、わからないけど、なんとなく、今思ってるものだけどいい?」

理紗「うん、なに?」

学 「ガラクタ」 

 

 

――CARNIVAL

 

 

しかし『 結城友奈は勇者である』の結城友奈の視点から見るとその世界は一変する。

例え幸福が絶対に手に入らないことが "事実" だったとしても、彼女の視点を借りればそんなのはどうでもよくなる。心が永久凍土に凍りつこうとも、世界が暗黒に覆われたとしても、勇者は諦めないのだ。「この世界はなんとかなるようにできているんだ」と思えるのならばCARNIVALが提示した世界観は吹き飛んでいく。

 

「がっはははは!! 結局世界は嫌なことだらけだろう!辛いことだらけだろう!! お前も見てみぬふりをして堕落してしまうがいい!!」

 

「嫌だ」

 

「あがくな!現実の冷たさに凍えろ!」

 

「そんなの気持ちの持ちようだ!」

 

「なに?!」

 

「大切だと思えば友達になれる」

「互いを思えば何倍でも強くなれる」

「無限に根性が湧いてくる」

「世界には嫌なことも、悲しいことも、自分だけではどうにもならないこともたくさんある!!」

 

「だけど、大好きな人がいればくじけるわけがない。諦めるわけがない」

「大好きな人がいるのだから何度でも立ち上がる!」

 

「だから」

 

「勇者は負けないんだっ!!」

 


――勇者役・友奈、魔王役・風(演劇)/『結城友奈は勇者である』最終回

 

 

 この2つの視点は相反しており、東郷さんが見ていたものがCARNIVAL世界だとするなら、それを打ち破るものが結城友奈の世界だ。

世界にはいっぱい楽しいことがあって、私達は絶対にそれを手に入れて、幸せになるよ——という根性論。そこにRealismが一切なくRomanticに溢れたお話だったとしても……だったとしてもだ……夢を見たい時がある。

夢を見ることで押しとどめられる感情があるならばそこに縋ってみたくもなるものだし。それを私達が納得できるならばそれでいい。そのお伽話を胸に抱いて生きられる。

西洋的価値観で執り行われる結婚式も同じこと。毎度のようにありえない誓いを求められるが――永遠の愛なんてものはない――例えそれが噓だったとしても今それを信じられるのならば出任せを言ってみたくなるものさ。

「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 

いつか目の前の人を愛せなくなる時は必ずやってくる。今感じている恋情が尽き、胸を焦がした気持ちは胸をざわつかせ、好きだった癖は苛つかせる癖に変わり果てるだろう。永遠に続く気持ちなんてない。永遠に一人を愛するなんてことはない。けれどそれが叶えられると一時でも信じ、「美しい物語」を語り続けたいと願うのはそう悪いことじゃない。

 

そして勇者とはそんな「美しい物語」を体を張って紡いでくれる者、なんじゃないだろうか。

 

 

youtu.be

 

 

満開をつづけて四肢が欠損し、動かなくなっても、この世界にはまだ希望があるよと、ぼろぼろの身体で物語る語り手。聴衆は私達。

それに呼応するように最終回は樹は失われた声が戻り、夏凜は閉ざされた視力が回復した。先代勇者・乃木は立ち上がれるようになり、昏睡状態にあった友奈は目を覚ますことになった。『結城友奈は勇者である』がこんなにもご都合主義なハッピーエンドなのは、叶わない希望を、現実には存在しない奇跡を、そんなありえない夢物語を描くことに意味がある物語なのではないかとふと思った。

この世には存在しないからこそ、それは美しく見えるのではないだろうか。

 

 

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最終回からあの後、もしかしたら結城友奈が東郷さんに語った "お話" を、いつか彼女自身が信じられなくなる時がくるかもしれない。とめどなく口をついたお伽話がいつの間にか虚ろに思えてしまう時がくるかもしれない。こんなの青くさい根性論だったと。私は愚かだったと。正しかったのは東郷さんだったよと。

そんなとき東郷さんがあの頃に受け取った友奈ちゃんの物語を、それを信じた東郷さんが友奈ちゃんにまた聞かせてあげられたら……ってそんなif√を想像すると泣けてくる。

 

東郷「友奈ちゃんや皆のことだって忘れてしまう。それを仕方がないなんて割りきれない!一番大切なものを失くしてしまうくらいなら」

友奈「忘れないよ」

東郷「どうしてそう言えるの」

友奈「私がそう思っているから!めっちゃくちゃ強く思っているから!!」

東郷「……」

東郷「……"私達"もきっとそう思ってた。今はただ悲しかったということしか覚えてない―――自分の涙の意味がわからないのっ!!」

東郷「嫌だよ、怖いよ、きっと友奈ちゃんも私のこと忘れてしまう!!」

東郷「だから!!!」

 

(中略)

 

友奈「忘れない」

東郷「うそ」

友奈「嘘じゃない」

東郷「うそ」

 

友奈「嘘じゃない!!

 

東郷「ほんと……?」

 

友奈「うん 私はずっと一緒にいる そうすれば忘れない」

 


――東郷、結城友奈/『結城友奈は勇者である』最終回

 

 

そこにある美しい物語を見失わないように。

 

 

 

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