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『勝ち続ける意志力』を精読してみた(6548文字)

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勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

本書はプロゲーマー梅原氏の生い立ち、格闘ゲームにハマったキッカケ、そして勝負哲学について語られたもの。1つ難点を挙げるとすればひどく抽象的な物言いが多く、読み手の経験によって知見を引き出せる"率"がすごい変わってくる印象の本です。せめて梅原氏の具体的な体感覚や、極限集中の際のイメージを語ってくれたらグッドでしたね。

それでは本書を物語論と観念連合させながら精読していきます。手馴染んでいる別媒体に落としこむと頭によく入りんですよね。あと色々応用できるので。

 

 

 

 

 

11の強さ

結局、効率のいい考え方、効率のいい勝ち方というのは、たかが知れている。(中略)
僕なら、絶対にその技を使わない。

 ウメハラ氏曰く、効率のいい考え方や勝ち方を目指しても10にまでは行けるが、11、12、13という強さを得られることはないと断言する。これは分かるつまり"本気"じゃないのだ。

何かを読解するスタンスから見ても当て嵌まる。この前いったスキーマ的物語解釈もこれと同じなんだよね。あれは手軽で効率がいい物語読解方法。だからある程度までは読み解けるし楽。

物語解釈の敵であるスキーマに対抗するにはどうすればいいのか?


でもそれは全ての可能性を潰して全てを読んだ人に比べれば"浅い"。どうしても10以上の次に行けないっていうのは体感として分かる。最果てのイマだったら2週して全テキスト読み込んで熟考してパズルピースを繋げることができればそれはもう11の段階だと。

でこの前者の考え方と後者の考え方の違いって、真剣さ、誠実さ、真心の要素があるかないかの違いでしかないということ。

そんなやり取りを続けて1年、便利な技に便り続けた人間と、使わなかった僕とでは力の差は大きく開いている。

しかも、便利な技というのは応用が効かない。その技がすべて、つまり、自分自身は何も成長していない。システムに頼っているに過ぎず、自分は少しも工夫していない。

勝つのではなく、勝ち続けるには安易な強さ(効率のいい戦法)に飛びつくのではなく、ゲームの本質を理解しようと努力し工夫を凝らし続けることが肝要ってことかな。




オリジナル

 

やはり、一生懸命、それこそ命を削るように好きなことに打ち込んでいるのだから、人と同じでは嫌だし、自分らしい個性を発揮したい。

 

もし、100人くらいの味方を引き連れて団体戦を行うことがあれば、たぶん便利な行動、便利な戦法を味方に教えると思う。みんなが選んでいる、誰でも使える戦法は効率がいいので、「これを覚えたら勝てる」と教えてあげる。「この戦法だけやっておけばいい。その先は望まなくていい。十分戦えるから」と言って。

けれども、僕自身に限っては絶対にそうはしない。
自分の好きなジャンルで安易な道を選ぶことは考えられない。

とはいえ、いろいろな人が知恵を出し合って生み出された戦法は、安易ではあっても、それなりに強い。もちろんそれを理解し、実践してみた上で、独自の戦法を考えるから超えられるのだが、安易な道を選ばないのは結構大変だ。

彼の勝ち続ける為の強さって(あとで全部まとめますけど)、

1)全ての可能性を模索し潰した上で
2)オリジナル(独自性)を加えていく(=変化/成長)
3)全力で

オリジナルを加えていくのは、型を破るにはまず基礎を固めてからという前提ですが。それとこれクンフー論とすごい似ているんだよね。特に"全力"で"一生懸命"って部分がとても。

 

 

誠実さと真摯

僕は、相手の弱点を突くのが好きではない。

「こうすれば勝てるんだけど……」と思うことはある。しかも、相手は気づいていないけれども楽に勝てる道は選ばず、あえて別の角度から勝負する。

相手の弱点を突くのは野暮だと思うからだ。弱点を突いて勝つ戦法は、勝負の質を落とすような気さえする。その対戦相手は自分を成長させてくれる存在なのに、その相手との対戦をムダにすると感じるのだ。だから、弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい。 

 彼にとって対戦相手に勝つことって1番大事なことじゃあないんですよね。じゃあ何が大事かっていうと、自分が"強く"なることだけだと。勝ち負けではなく、強くなること。だから勝敗ではなく、"成長"の観点に目をつける。

その行為の練度の結果として、勝ち続けていると。(まさしくネテロ会長)

HUNTER×HUNTER 27 (ジャンプコミックス)

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 こういうゲームに対する誠実さ、真摯さっていうのは「ゲームに感謝」しているから出来ること。(本書でも彼は感謝していると言っていますし)

あと彼は"ずる"や精神的揺さぶりをかける卑怯な行動をしても結局のところ一時的に勝つことはできても、自分が強くなったわけじゃないので無意味だと言ってますね。


 

今、今に集中する

自分の実力を上げるためには、まずもって目の前の勝負に全力を注ぐ必要がある。(中略)

ゲームを始めてすぐ「絶対に世界一になってやる。なれないはずはない」と思ったが、それでも世界一になるために戦っていたわけではない。

あくまで目の前の相手と全力で戦い続けた結果の世界チャンピオンだと思う。

今的生き方だよねやっぱ。結果という未来の報酬物をモチベーションにしてしまうと楽しくないし、外発的報酬なのですぐ飽きてしまう。手段を目的化してしまうことこそが、行為の積みの始まりであり面白いところ。

 

そんなわけでいまは、若い頃と同じように戦うことを心掛けている。そして、結果にこだわらず、日々の成長に歓びを見いだせるようになってからは、若い頃のような健全さが戻ってきたと感じる。

 課題を分解し最小化し、そこに楽しみや歓びを見つけ出していく。結果という目的はいつの間にか忘れて、気がついたら頂まで昇っていたという感覚なのだろう。まさにクンフー

んで彼は「とりあえず、階段を5段登ってください」って言っているのです。これもまた今目の前にあるものに取り組むことの重要さよ。

 

 

小さな違和感を見逃さない→分析→熟考

そのような相手に足をすくわれないためには、ほんの些細なことでも必ずメモして、気掛かりを解消しておかなければならない。

小さな違和感を見逃さない細心の注意があれば、強い立場を守ることができる。

違和感はほぼ経験が集積した結果の"勘"と同じようなものなので、従っておくといいよねと。(プロ棋士も本当に打つ手が無い時は勘で打つと聞いたことがある)

気になった事象・言葉はメモメモしておくと、後々いい結果を生み出すのも私は何度も経験しているのですごく分かる。  

 

 

少しづつの変化を足していく

 

「こっちの攻撃の方が嫌がっているみたいだ」
「あの攻撃も効くけど、この攻撃もあり得るな」
「本当は守られるのが苦手なんだ」

そんな気付きが、試してみた変化の正当性を証明してくれる。日々の変化に関しては、ゲーマーである僕に限らず、誰でも試してみることが出来ると思う。

 

自分を変えるとき、変化するためのコツは、「そうすることで良くなるかどうかまで考えない」ということだ。もし悪くなったとしたら、それに気づいたときにまた変えればいい。

とにかく、大事なのは変わり続けることだ。

 

試行錯誤して工夫し続けろってことだよねこれは。ある一定の型やスタイルを作ってしまうと、その方法ばかり使ってしまうようになる。でもそれじゃあ変化はないし成長もない。

だから少しでもいいから、微量でもいいからちょっとづつ変えていくことが大事。変えた結果悪くなるか良くなるかは大事じゃなくて、"変化"させることが大事。ふむふむ。これは使えるな。

 

 

 

 

 集中力=他者廃絶

 

人の目を気にしないということで、もうひとついいことがある。それは、絶対的な集中力が身につくということだ。自分を持っている人は、「俺はこれでいい」と確信できている人なので、圧倒的な集中力がある。

自分の中に「他者」が存在してしまった時点で、集中とかけ離れてしまっていることを自覚しろと。その上で集中するためには逆説的な方法として、「集中している時の行動/他者廃絶された状態での行為」を繰り返していけばいいという。

そういう人は、「いま人の目が気になっている」と感じたとき、「どんな行動を取れば人の目を気にしていないことになるか」と考えて、その行動を繰り返すことができる。

人の目を気にしない行動を刷り込むことで、集中できる時間が長くなっていくというわけだ。

出来ればここ具体例が欲しかったねえ……。全体的に本書は抽象的すぎる。やたらビジネス関係に繋がて語れるのだけれど、そんなことしなくていいから梅原氏自身の体感覚やイメージを語ってほしい。


 

ゲームは命を賭すに値するもの

 

険しい道を選べるかどうかは、打ち込んでいるものが本人にとってどれだけ大事かに掛かっていると思う。格闘ゲームにおいて、それなりに勝てればいい人間は10の強さを手に入れいるだけで満足だろう。

しかし、すべてを懸けている僕のような人間は、人と同じでは面白くない。そこに自分がやる意味を見出すこともできない。

とてもよく分かる話。ある対象物への本気度、あるいは覚悟によって取り組み方が変わるのは当たり前のことだよね。

ときにそれは周囲の人間から奇異にうつり絶対的に理解できないものになる。とくに当時、社会的評価が低かったゲームなんかはまさに。今も蔑視する人はいるけれど、以前よりは大分良いと思う。

あと面白いのが、格闘ゲームに関わらず、あるジャンルが趣味だと公言している人が、自分の趣味を貶しているのを見るのとかね、あれは明らかに"投射"であり劣等感の裏返しなんだよね。


 

本能に従ったファイト

人の心を動かすのは、やはり本能に従った純粋なファイトだと思う。いまの僕は、そんなプレイを追求している。

これは前から言っているんですけど、感情の"熱"がいちばん人の心を動かすんですよね。言葉に限らず芸術に限らず勝負に限らずに。

だから感情がない感想はくそつまらない。感情が失せた批評で有難がっているのは同じ感情が希薄かあるいは感情そのものに価値を見出していないものだけでしかない。

 

 

勝負って短期的幸福

 

だけど、麻雀も、僕の思いに応えてはくれなかった。トップクラスにまで上り詰めた。長いトンネルをついに抜けたと喜んでいた。これからは麻雀のトップ集団のひとりとして走っていけると胸を踊らせていた。

でもその頃同時に、ある愕然たる疑念が胸をよぎった。
それは、このままやり続けても結局、ゲームをやめざるを得なかった状況と同じく、長くやればやるだけ、絶望的な状況でやめざるをえなくなる日がくるのではないかという疑念だった。

ここらへん読んでいるとAletheiaとか心の中にある願いとか思いついてしまって辛い。あるいは……勝負は短期的幸福でしかすぎないんだなと。あれは長期的幸福なんかでは決してなく、オーガズムやギャンブルと同じの一瞬で消費される快感でしかない。
だからそれを繰り返し続けていく、幸せの自転車操業になってしまうし、なにより日常に漂う安定とか幸いというものを感じ取ることが出来ない。

だから大事なのは"今"この瞬間を見続けることと、それにたいして変化し一生懸命になるしかないのかもしれないと、そう思ってしまった。

 

 

限界を超えた努力はよろしくない

 

自分の限界を超えた期間限定の頑張りというのは、結局は背伸びに過ぎない。食事も満足に摂らず、睡眠時間も削るような取り組み方が長続きするはずがない。

これクンフーと一緒で「空気のように行うこと」と同義なのんね。習慣化といってもいい、自分に無理しない範囲の頑張りをすることが一番最良であると。空気を吸うように、行動をおこなう。そんな習慣付けが出来ればぐっど。

 

ゲームを再開してしばらく経ってから、「ああいう頑張りは二度としてはいけない」と痛感した。

自分を痛めつけていると、努力しているような気になる。しかし、そんな努力からは痛みと傷以外の何も生まれてこない 

 努力の量と質のお話。努力のベクトル、最適な量、最適な質を求めてこそ結実すると。これはいろんな人が言っているなと改めて思いました。

梅原氏は努力について「その努力は10年続けられるものなのか?」と自問自答してみたほうがいいって言ってることを書き残してみたり。にゃるほど。

 

 

 

目標と目的は別物

 

持続可能な努力のためには、目標はあくまでも目標で、目的と混同してはいけないということを知る必要がある。

ゲームでは大会の出場がひとつの目標になるだろうが、大会で勝つこと自体を目的にするとろくなことはない。少なくとも僕の場合、結果だけを求めて出場した大会で良い成績を残せたことはない。 

 わかる。これは目的の奴隷になっちゃうんですよね。振り回されて捨てられるというか。山頂を登ることを目標にしてもいいが、それを目的にしてしまうと、一歩一歩の歩みがだるくなってしまい「あーもうめんどくさい」「やめたい」「楽しくない」ってなりがちなので。

今的生き方はかなり応用可能な考え方であると再認識。あとはこいつを体系的にし、再現可能な状態にまで―――方法論として打ち出せればいいんだろうね。

大会というのは、日々に練習を楽しんでいる人間、自分の成長を追求している人間が、遊びというか、お披露目の感覚で出るものではないだろうか。(中略)
そのことに気づいてからようやく、勝つことより成長し続けることを目的と考えるようになった。ゲームを通して自分が成長し、ひいては人生を充実させる。

ちょっとこの「成長」と「充実」の感覚が私にはなくてうーん?って感じですが、なにか大事なことを言っている気もする。そうだなあ……私は自己研鑚に興味がないというかどちらかというと楽しければなんでもオーケーなので(それが副次的に結果だったとしても)

 

 毎日の努力を放棄していても、目標があれば気持ちを誤魔化せてしまう。

「大会まで2ヶ月あるから、今日は頑張らなくていい」と余裕を持って構えてしまう。そして大会が終わった途端に、頑張る理由もなくなるだろう。そんな波のある生活をしていては、日々のサイクルなど保つことはできない。

 なんてクンフーなんだろうか! というかねー、梅原さんはプロゲーマーだけど、もうこの心構えって武術の域だよね。

 

 

ゲームに感謝

 

心から好きなのに、堂々と打ち込むことのできなかったゲーム。
学校生活のなかで孤立するきっかけになったゲーム。
いまの友達と巡り合わせてくれたゲーム。
僕を世界チャンピオンの高みに導いてくれたゲーム。

そして、諦めざるをえなかったゲーム。

結局、僕に何かを与えてくれるのか、奪っていくのか。その正体すら分からなかった曖昧な存在が、初めて僕に微笑んでくれたような気がした。 

 彼は挫折を味わい、介護の仕事をし、そこでまたゲームを再開したときに感謝の念を覚えたといっています。

これって「命のない概念」から"手応え"を貰った状況とまさにぴったり、そしてそれを人はなんというか?「ゲームに愛された」とか「音楽に愛された」と言うんですよ。

"神"がおりたでもいい。とにかく大事なのは、命なき概念が自分に応えてくれる実感を持ったとき、人はその対象概念に敬意と感謝と慈しみを覚えるということです。


おわり

 

<参考>