猫箱ただひとつ

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鈴木佳奈_感想(7386文字)

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誰かと親しくなりたいなら、曝け出すしかないのよ

「相手と親しくなりたいなら、武器だの鎧だのは置いていくことだな」

 

「ま、何にしてもだよ、人から信頼されたいなら自分を見せることだと思う」

――筧

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これを素でやっている、あるいは勇気を出してやっている人間の魅力さよ。自分のライン<境界線>をぎりぎりまで内在にまで引くから、相手から勝手に飛び込んでみようかな?と思わせてくれるところがあるんだよね。

ある種これをやってのけられる人間は、傷つくことを恐れない、あるいはとても鈍いかのどちらかだろうか。だから少なくとも私の周りじゃすごい珍しい。裏表のない(限りなくない)人間が信頼されるのは、その存在自体が既にリスクを負っていること、賭けていることに加え、「ダマされる」可能性が圧倒的に低いからだろう。

何でこうも周囲の人間が鎧を着ているかと言うと、そのほうが「リスクが少ない」から。鎧を着込んでいれば弱点を突かれることもないし、内蔵を評価されることだってない、それは"楽"であるし、処世術としてはそれなりに効果あるんだよね。

てことを考えると、遠回しに表現する人、真意をぼかす人、自分の本音を隠して話す人は、もうねめちゃくちゃめんどくさい!!! あーもーすんごいしんどい。自分のことを棚に上げる(兄さん棚から荷物を下ろさない次のものを置けないんですよ?byさくや)

だから私は京都の方と相性悪いんじゃないのかなって思っていたりする。「察する文化」って、正直全然良くないよね。察することを是とするより、口にして伝達することのほうがはるかに意義あるんだよ。察することの弊害って、誤解と勘違いを積み上げちゃうっていう問題があるし、それが常習化して最後には相手も自分を首締めることになるんでしょ?なにそれって感じ。

「察し」っていうのは相手を思って言葉を遠回しにしているんじゃなくて、(いやまそりゃ多少はそういう面もあるとは思うけどね?) "直截に言うのがキツイ"から言わないだけでしょ?って思うよ。

ストレートに言うと、コミュニケーションは円滑に進む。でもその弊害として、関係が摩耗したり、最悪はぶっ壊れてしまう可能性が出てくる。やっぱりバランスか。

それにしたって「察する」なんてのは最低限あればいい。じゃあどれくらいの最低限なの?って言われるとちょっと悩むが、一般常識やマナーと呼ばれる程度くらいでいいんじゃないの。これの何が悪いかって「察せよ」っていう圧力をかけてくるところだよね、ぴゃー!!(>△<桜≡)

 

 

 

はあ、ファック

「はあ、CoDとかファックですね」

――嬉野

 

犬耳プルセナの口癖のごとく「ふぁっく」を言い放つ嬉野さん。この人、たぶんもう口癖になっているんだろうなあと危惧してしまったりふぁっくなの。いやーというかブルセナのせいでふぁっくという言葉がわたしも口癖になってしまって若干辛いというか恨んでいる(恨む場所がちがうよ!)。さっさと直さねばと思いつつも、ファックという言葉に過剰反応してしまって嬉野さんきゃわいー!!みたいなね。


 

 あなたと同じですよ……という返し

 

「嬉野さんは、ああいう友達はいないの?」

筧君と同じですよ

「そりゃあ……寂しいな」

――筧、嬉野

 
「あなたって◯◯なの?」「君と同じですよ」「ん?」「そういえば~~」とこのヒット・アンド・アウェイ的な返し方をすれば面倒くさい会話も数瞬で切って流せる。

「君と同じですよ」という返し方は、すごーく真意が分かり難い。状況状況によって、言葉の文脈によって、その人の性格によって意味が多様に変化していくわけだからさ。

「え?私と同じってどういうこと?」→(ここで相手との差が出ると余計にはてなマークを点滅することになる)→(本当なのか嘘なのかあるいは冗句なのかはたまた嫌味なのか考えることになる)→この思考中にざくっと違う話題を投げかけて終わり。たいていの人はこれを一息では返せない。

たとえ質問を口にしたとしても「私と同じってどういうこと」と言われても、「そのままの意味だよ」とか「他意はない」とか「君はどう思う?」(←質問を質問で返す!)とこんな感じに返してしまえば「答えるの気のなさ」を前面にアピールできるでしょうね。いわゆる煙に巻く。

嬉野さんは単純に「筧と同じですよ」と言いたかっただけだろうけれど。

 

 

地獄の招待状と同族愛好

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「でも私と筧君なら、結構いい線行くかもしれませんよ?」

「それ、告白みたいだ」

「あるいは、地獄への招待状かもしれませんね」

ニコニコ笑いながら、嬉野さんが注げる。
本気かどうか分からない。
もしかしたら、本人もわかっていないのかもしれない。
そんな風にして、自分と他人をごまかしながら生きるのが癖になっているのだろう。

「ただの冗談ですよ」

――嬉野、筧

 同族嫌悪と同族愛好の違いって何かといえば、「自分を受け入れられているか」の違い。自分が嫌いな人は、自分と同じ人間を見ると嫌悪感を催す。何故なら嫌いな"自分"が目の前にいるからだ当然。

逆に自分を受け入れている、あるいは好きだと言える人は、自分と似ている同種の人間に対して好意感情を覚える。だって目の前に共感できる人間がいたらそりゃあ心地いいもの。

なんというか嬉野さんは、たぶん別にいいんだと思う。今のままの自分で、今の生き方の自分で、これからもこれまでのやり方を貫いていくだけって受け入れているんだと思う。あるいはそれはそれで満足しているのかもしれない。

ただやっぱり人は一人に耐えられない。そういう精神構造を獲得するには、現社会では不可能だから。ゆえに一人で生きていく在り方を自分で肯定できても、それに伴う「孤独感」は一生つきまとってくる。

それは病気のような、病気と寄り添っていくような感じだよね。誰だって多かれ少なかれそういう部分を持ち合わせているとは思うけれど。

嬉野さんが自分と"近い"筧に「一緒にいませんか?」と、すごーーーい遠回しに言うのはそのせいなんだろう。誰かと接続せずに生きていく在り方を私はそれでいいなとは思うけれど、でもやっぱり寂しいので私と近しいあなたとなら上手くやっていける気がします。だからどうですか?手繋ぎませんか? って。

そういうアプローチぐっと来る。
だから当然嬉野さんの誘いを断るわけがない。

だが、嬉野さんは誰もいないんじゃないか。きっと俺と同じで、誰とも心を交らわせずに生きてきたのだろう。

そんな人が俺に言ったのだ。

嬉野さんと俺なら結構いい線に行けるかもしれない、と。

「地獄への招待状、か」

気にならないわけがない。
その招待状を、受け取ってみたかった。

――筧

 自分が嫌いじゃない場合は、自分と似た人にとても惹かれるよね。自分の"はんぶん"探しといっても過言じゃない。そこには性差は関係なくて、年齢も関係なくて、1人でもそういう人が見つかると人生楽しいよね。だってくだらない会話しているだけでも、楽しいんだもの。そんな感じ。

 

 

 むしろドライな関係?

 

人を一歩離れたところから観察する性格。
そこから見え隠れするある種の孤独は、不器用な誘惑からも確証づけられる。

きっと俺たちは似ているんだと思う。
人に興味があっても溶け込むことはない――
そういう人種だ。

――筧

 相手と深く接続するのではなく、ある程度距離を保ちつつ繋がっていく。孤独を抱えながら、孤立はしない。そんな関係性はとても良いよね。

 

「違います、真面目に真面目なパートナー契約ですよ」
――嬉野

恋人ではなく、「パートナー」。決して恋仲になるのではなく、仲間とか相棒とか友達より上位の存在になろうよと嬉野さんは言う。照れ隠しにも聞こえるけど、振り返ってみると案外そういう関係がお似合いだしいいと思う。

べったりせず、かといって疎遠になるわけでもなく、ね。こういう方が長続きしそうなのよ。

あとなんか「契約」っていう概念がとてもきになる。これって実利で互いを結ぶときに使うよね。信頼ではなく信用を勝ちとり、利益で互いを繋げる。それが契約。

曖昧模糊な愛より、赤き真実がないこの世界でただ一つ確かなもの……それが契約?。嬉野さん的には"離したくない"って意味で使っているのかも。

紗弓実が嬉しそうに破顔する。
ゲームだけでなく、これからは人生のパートナーとなる人。
願わくば、彼女の背中を俺がずっと守れますように―――。

――筧 

 

 

 学校内ヒエラルキーとリパブリカ的場

 

 「表向きはお淑やかさを保ちながら、裏では恐ろしいくらい権謀術数を巡らせているからね」

「お嬢同士の権力争いなんて日常茶飯事だし、敗れたら即クラス底辺まっしぐら」

「いつもと違うこと言うと『それ、あなたのキャラじゃないでしょ?』なんて訂正が入るし」

「自分の階級を超えたお洒落とかしちゃうと、『あなたレベルの人が何を気取ってるの』みたいな目で見られるからね」

――佳奈すけ

 ムラ社会的圧力に加え、祭り化が止まらない学校風景。こんなの地獄でしかない。もしこれを壊すとしたら「ルールを変更」するしかない。ただそれには相応の場を仕切る能力と、観察、知略が必要になってきて1個人じゃ滅茶苦茶何度高いよねとは思う。

それを一番精神が活性化している中学の時代に、起きちゃうとかもう悲惨すぎるでしょこれ。最悪だよ。

あと一度リパブリカ的空間・環境を味わってしまうとやばい。もう明らかにそこ以上の空間ってないもん。一クラス30人だとして、その30人全員が互いを思いやれるんだとしたら? クラス内ヒエラルキーなんてものがいなく、クラスを支配する上位者なんてものはいない。ただそこに存在するのは、並列な関係で繋がれた同級生だけ。誰々が下とか、誰々に面倒な雑用を押し付ける空気ができてるとか、こいつはいじめてもいいんだっていう雰囲気が無い空間があったとしたら?____書いているだけでそんな理想あるわけないじゃんと思いつつも、実際それを経験してみるとあれはすごい奇跡的な確率で起きた事象だったんじゃないかと考えてしまう。

どうなんだろ? 私のところが一般的な、なんて言わないけれど、それでもそういうリパブリカ的な学校生活を送れたんだとしたらめちゃくちゃラッキーだよね。

だってこれ一重に全員が"他者を自分と同じ人間扱いする"っていうのが出来ているわけだし、なによりそれが出来たんだとしても個人個人の相性の悪さというのは出てくる。しかしそれも殆ど顕在化しないというのであれば、もうため息つくくらい凄いことなんじゃねーのと。

ある時転校生としてすごい無口で(←ほんとうに何も喋らない)、首を縦にふるか、横にふるかで意思表示(=YESorNO)をする男の子が入ってきた。誰かが質問をしても、全くもって喋らない。意思疎通の方法は首を縦か横にふるかだけ。けれど決して「喋れない」人じゃなかった。(YESNOでコミュニケーション出来ない時は小さな声で発言していたから)。

今振り返ると、これ絶対虐められちゃう男の子だと思う。でも何故かそこの<場>では虐めは起こらず、クラス全員「なるほどそういう人なんだな」と理解し、無口であることをあざ笑ったりからかったりすることもなく、一定の距離を保ちつつその男の子とコミュニケーションを取っていった。……すげーなーと思う。皆優しいという言葉に尽きるし、何より"多様性"という概念を少なからず共有していたのがやべーと思う。年齢的にありえるのかって思うもん。自分の世界を絶対視しないっていうのって、出来る人って中々いないもの。さらにそのクラス、別に教師が怖かったりなにかしらの"罰"や"恐怖"で縛り付けられていたわけじゃなく、自主的にそういう行動を取れるのがもうね驚く。当時の私はこれが普通であり当たり前のことだと思っていたわけだけれど、全然そんなことなく、他者を蔑みあざ笑いからかうのが好きなやつってのがほんとーにいっぱいるんだなって、後に気づく。ちなみにそのリパブリカは、喧嘩が起きても一日で終わりだし、長引かなかったのが特徴。さらに男女間でレイヤーが断絶していなかった(=これだから男って、女って)という考えも希薄ってこと。これは校風か?あるいは地域的に他者を思える子に育った人間が寄せ集まることができたのか?と今になっていろいろ考えみたりする。だってたった「1人」でも、他者を攻撃してもいいと思える奴がいたらその<場>崩壊するものね。



優しいのって怖いですよ

 

「筧さんは何でもお見通しなのに、優しいから誰にも悪いことは言わないんです」

「それって、私からしたら怖くてたまらないですよ」

――佳奈

 自分の内面に何かしら抱えている人間は、相手もまたそういう人間だと思ってしまう。あるいはそういう人間を嗅ぎ分けられるといってもいい。

そんな人間に「優しく」されてしまうと、もしかして裏が?とかいろいろ考えちゃうものね。そしてそんな関係に悩んだり、そんなことを考えちゃう自分に嫌悪感を催したり、自分の期待を裏切られるんじゃないかって怖くなったり。

それも自分の"悪い"ところを言わないってのが、無性にね。だって自分のことを一番知っているのは自分だもの。イイトコロもワルイトコロも熟知しているがゆえに、悪い部分を指摘されないって無性にうにゃーっ!ってなる。

あーそれはなんて精神的地獄。

心を深く傷付けられた人間は、その痛みを生涯忘れない。

――筧 

 

傷口を守るために巨大で堅固な壁を作り始め、そこに壁があることを隠すために柔らかな衣をまとう。

俺も佳奈すけも、きっとそういう人種なのだ。

――筧

 

 

自分が嫌いって感覚

「私、自分が嫌いなんですよ」

――佳奈すけ

 正直この感覚ってよくわからないんだよなとも。分かろうとすることは出来るけれど、おそらく絶対的に理解できないとも思っている。何故なら、たぶん感じたことがないんじゃないかなとも。

 

 

 

 殻作っていると、その中が空洞になるんだよ

 いじられ役に徹していると、本当の自分がどこにいるのかわからなくなる。

――佳奈 

 殻作って、仮面作って生きていると、そのうち自分が空虚になっていくんだよね。そして殻の中身は空洞となって虚無化していく。

これなんなのかっていったら、多分「個人」の放棄なんだと思う。あるいは自我といってもいい。自我の放棄、自分という「私」を薄くさせる方法。最後に出来上がるのは共同体感覚を持ちつつも自主性がない人形みたいな感じか。

「だからみんな必死なんですよね。支えてくれる人をなくさないようにしようって」

「言いたいことも言わず、嫌なことも受け入れて、与えられた役割を果たして」

「そうやって、相手に合わせた鎧を着込んでいかないと見放されてしまう」

「結局、みんなが欲しいのは、人と支えあってる体の自分なんですかね

――佳奈すけ

そこに気づくと一気に厭世家の道が近くなるよね。ある種真実だもん。恋人を自慢したりあるいは友達との計画をアピールしたり、あれってようは「俺一人じゃないんだぜ」という体を保ちたいだけ。

―――結局、みんなが欲しいのは、人と支えあってる体の自分なんですかね


リアルでもネットでも顕著で、まあだいぶうんざり気味だよね。 

 

 

 期待と現実、裏切りと理想

「筧先輩を取られたら、私が離れて行くって思ってるんでしょ?」

――御園

 

「私がその程度で友達をやめるような人間だと思ってるの?」

――御園

 思ってる、思ってるさ。御園が友達をやめるかまでは分からないけれど、少なくともギクシャクするのは間違いない。そしてその延長線上に仲違い、ディスコミュニケーション、友達との関係が壊れるなんて予想できる。全然難しくないよ、一歩間違えればそういうことが起きる。

いくら仲が良くても、いくら自分自身ですらも相手と仲良いな私たちって思えたんだとしても、どちらか一方が内蔵曝け出していない場合は破滅なんて簡単に成立する。

だから怖いんだよ。だから言いたくない。相手の"好き"の見積もり方を間違えてしまったら?ってびくびくしてしまう。信じるって行為自体がもうたまらなく凄いんだよね。賭けたチップが失ってもいいし、レート分の賭けを貰うことすら期待しない。傷つくのは嫌だけど傷ついてもいいし、辛いのは嫌だけど傷んでもいい。

「私を信じてください」

――佳奈

 これっていわば「俺に投資しろ」「賭けろ」っていう意味合いに近い。指で弾くのはコイン一枚。さてあと何枚必要なんだろうね。

 

『ずっと友達でいる』という、千莉がしてくれた約束を信じていいのかもしれない。

ううん、違うね。
信じるんだ。
私は、千莉を信じるんだ……勇気をもって。

「……千莉、ありがとうね」

――佳奈 

だから、これはもう「勇気」の問題になっちゃうんだよね。相手を本気で信じられなくても、永遠なんてなくても、それでも「信じるんだ」という気持ちを持てるかどうか。自分の期待を裏切られても、それでもまたありかと思える、そんなふうに。

相手に「私を信じてよ」ていうのって、あれは自分を自分が信じてないとまず発せられないのかな? どうだろ。例外はあるけど基本的にはそうだよね。じゃないととてもうそ臭いもの。

 

 

約束

 

「……私、手に入れましたよ」

「なにを?」

「欲するもの、です」

ああ、あれか

『約束を守ること。さらばあなたの欲するものが与えられん。』という、例のメールのことだろう。

――筧、佳奈


佳奈は「約束って結局なんだったんでしょうね?」と言っているが、たぶんそれは誰かとの約束じゃなくて、昔自分とした約束のことなんじゃない?

 

外から見ると、その姿は道化師そのものだった。

「(……嫌だ)」

もう、あんな顔はしたくない。

私は私の思うように、ありのままの自分で生きるんだ―――


――佳奈

 ありのままに生きられないからこそ。ありのままに生きたいと思った。仮面を付けず、キャラを作りこまず、素の自分で日常を過ごしてみたいと思った彼女は、少しづつでも、とうとうその約束を叶えられている。

 

 

祈り

 

「佳奈……ずっと一緒にいよう」
「もちろんです、筧さん♪」

俺は祈る。
きっとどこかにいるであろう、俺たちの幸福を見つめている人たちに。どうかこの幸せが、いつまでも続きますように―――

――筧、佳奈 

 

 

 (終)

 


<参考>