猫箱ただひとつ

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桜庭玉藻_感想(5381文字)

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このお話は終わりにしよう

「子供の頃だ。よく覚えていない」
「ほー」
「絵画教室に通ってたとか」

「筧、このお話は終わりにしよう

桜庭が静かに言った。

―――桜庭、筧

 にゃるほどね、こういう切り返しも悪くない。踏み込まれたくない領域をやんわりと示すのも中々効果的でいいと思う。

 

 


美術館といいなあってこと

 

「幼い頃、親とフランスの美術館に行ったことがある」

「そこで見た絵に衝撃を受けたんだ」
桜庭は目を閉じる。
「圧巻だったよ……人が想像しうる最高の風景に見えた」

――桜庭

いいなあ……私もルーブル美術館なんかに行って、圧巻されたい。あ、でも、わたしゃあ静物に惹かれない性質だからな……。どうも写真とか彫刻とか絵画とかみても「ふーん」で終わってしまうきらいがある。

本物と呼ばれるものを生で見ていいないだけかもしれないが。

「私もいつか、あの絵に負けないような世界を描ければと思っているんだけど」

 ――桜庭

 そうなんだよね。自分の世界を描き出すことに意味がある。

 

 

 

自己評価が低いと世界が死ぬ

「あたしはロクでもない人間だ」

「何をやっても上手くいかなくて、白崎にすがっているような人間だ」

「筧が私みたいな女を好きになるわけがない」

――桜庭

自信と慢心は紙一重。けれどもこれを持っていないと、劣等感を抱え込むことになり、"投射"によって世界が歪んでくる。蔑み・揶揄・訝しみそういった感情が現し世に反映されるとどうなるか? 世界が敵だからにしか認識できなくなる。

自己評価が低いっていうのは、もしかしたら大きすぎる目標ゆえの副作用みたいなものなのかもしれない。あくまで"自分の中で"の目標だが。今の自分と、遠すぎる理想を比べて「あー私はなんてダメなんだろう……」これを繰り返していくと、無力感が全身を蝕みじょじょに自身が損なわれていく。

それも玉藻ちゃんの動機って「姫足らん」って理由でしょ。そんな外発的動機じゃ、いつか圧死するのよ。一時的にはブーストできる努力は意味なんてないし、恐怖や"べき"論で動くのも長期的に見ればうーんという感じ。

だからこそ「絵」という内発的動機で動けることが最重要。たぶんこの内発こそが、欠けたもの、壊れたものを修復していく再短で最善の手法なんじゃないか?

「いつも頑張ってるのは、親の期待に応えようとしているからだろ?」

「どうかな……もう、結果を出すことはあきらめているんだと思う」

「それでも、とにかく頑張っていないと不安でたまらなくなる

――桜庭、筧

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理想が遠すぎると、自分が何らかのスキルを取得したり、練度を上げた(=成長)したとしても実感が湧きにくいんだんだろうなあって思う。

「まだまだ私なんか駄目だ」「もっともっと努力しなければいけないんだ」

そんなふうに。

それはもう完全なる自転車操業で、ぐるぐるとメビウスの輪を廻り続けているのと等しい。

毎日へとへとになると、妙に安心できるんだ

「自分への言い訳というのか……ここまでやったんだから、もういいじゃないかって気分になれる」

――桜庭


 努力そのものがトランキライザーとしての役割を果たしているのか……。傍から見れば玉藻っちゃんの事務能力、スケジューリング、リーダーシップなど凄いと思うけれどね、でも周囲がいくら「桜庭すごいじゃん」と言っても「まだまださ……まだまだなんだよ」って思っちゃうんだろうね。

これ過労死するタイプ……。

目標と目的。がはっきりしてから、努力は努力足りえるんだなと思った。ようやくそこで「努力」として機能するというかね。そんな感じ。

「私は、走ってないと不安に追いつかれてしまうんだ」

――桜庭

 

 

 

理想(目標)は低くもつと楽だよん

 

「筧の恋人として、そんな食事は認められない」
――桜庭

 玉藻っちゃんはひとつひとつの理想が高すぎんだよなと痛感する。「恋人」として「学生」として「姫」として「図書部の私」として「才能あるもの」として「女性」として…………etc。

そういう無数の「理想の姿」「理想の自分」を高く見積もり過ぎた結果、自滅してしまう。それが自分の能力を超えないのなら別にいいとは思うんだけれども、実際1つでも難しいのにいくつもの理想を抱えて生きたら精神肉体共にたまったもんじゃない。

"正しさ"を追求していくとこうなるんだなって分かる。品性や品格というのも、外から見る分には美しいし気持ちよくさせるものだろうが、その自身の戒律を順守しているものからすれば大きな枷にすぎないのかもしれない。

理想を追い求めるにしても意識して量を減らすか、あるいは低く見積もるかそこらへんが生きやすいよねん。



承認欲求のなれの果て……それは

 

わかるだろ? 私は……ありがとう、すごいねって言われたいんだ

――桜庭

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 そうかようやく気づいた。「他人の期待を満たし続けながら」育ってきてしまうと、心がぶっ壊れてしまうのね。不健全な状態に陥り、パイプとパイプ同士がしっちゃかめっちゃかに接続されている感じ。

桜庭は幼少期からずっと親の言いなりになってきた。勉学を励め、生徒会長になれ、華道を習え、なになにしろ……そういった誰かの期待を満たす為だけの人生。いうなれば、桜庭玉藻は親の奴隷にすぎない。

「親は、私を海外の一流大学に留学させたがっている」
「その後は、地元に戻って政治家になってほしいそうだ」

――桜庭

 そんなんでいいの?って思ってしまう。

「確かに不自由はあるけどある一面では楽なんだよこれ」

どうして?

「自分で自分の道を切り開いていくっていうのは、真っ暗な獣道を手探りで進むことと等しいからさ。誰かが"こういう道を歩めばいい"と言ってくれれば、あとはその目標に向かって努力するだけだから。そういう意味で楽なんだよ」

なるほどね。
でも、それだと誰かの道標がなくなってしまったらどうするの。

「分からない。折れちゃうかもしれないし終わってしまうかもしれない。その時になってみないと分からないよ」

そうか。

「誰かの期待を満たす為だけの人生は、それはそれで楽だけれども、期待を満たせなくなった時、それは一気に地獄と化す」


ちゅーかね……今の時代親のアドバイスほど役に立たないものはないんだよなあ……って思うよ。だってもう何十年前の時代の常識で考えているのよ?ってなるもん

「あいつを助けると言いながら、結局、助けているのは自分自身だ」

――桜庭

 ね。



 

ダメな自分の受け入れ先はどこですか

「私みたいな人間は、気を遣われると負けた気分になるんだ」

――桜庭

 ダメな自分を直視してしまうと、不安になったり、劣等感を感じてしまうのって単純に「自分をどこかで完璧/正しい」と思っているからなんだよね。

もし完璧でもなければ正しくもない、んだと理解しているのなら、自分の事務能力の限界を突きつけられたときに「そりゃそうだ私のリミットはそこらへんだよねうん」ってなるはずだもの。そこには「ダメな自分って……いったい」っていう落胆は起きない。

どちらかというと「そりゃ私はダメだよね」とふーんって感じ。

この「そんな不完全な自分を受け入れられるか?」ってのは、難しいけど、出来るようになったらすっごいノンストレス生活だよねん。でこれを突破するには、倫理観に自覚的になるとか、比較級の世界に実を投じていることを自覚するとかしかないんだと思う。

他者と比較されている無意識の常識があるってことを識ることがまず第一歩。次にやるのは、それをどう「気にしなくなるか」だよね。ちゅーかこれは完全に自己受容の部分か。自己受容を高めるには?という話しになってくる。→内発的動機を鍛えましょう<終>

言葉でならめちゃ楽。しかしこれ難易度は半端ないときている。いやまそこまでは言い過ぎ?

 

両親の望みに、期待に応えようとしてきた自分。白崎にしがみついて、何とか自分の価値を作りだそうとしてきた自分。筧と付き合ってからは、理想の恋人になるとう必死だった。

自分はどれだけ、誰かに縋って生きてきたんだ。

「私は一体、どうすればよかったんだ」

――桜庭

 これはなんか「個人」という概念の重荷になっているんだろうなとは思う。共同体の中で生きていければ、いや共同体感覚が根強く残っていいたのならば、こんなこと考えなかったはずだし、そもそ承認欲求など生まれ得なかったんじゃないか。

「自分に価値を作り出す」っていうところがまさに。

だから今の世界は、強い動機を求められるし、なのに外発的動機で動かされてきたときている。教育・ビジネスどちらとも、外発的動機で餌付けされているのに、そこに乗っかると承認欲求のなれの果て→心が歪になっていくという悪循環が待ち受けている。なんだろうねー。これは。

 

 

 

安牌よりLikeで!

 

「自分が自信を持って書ける題材を選ぶべきじゃないか?」

「背伸びをしてもいいことはないぞ」

「でも、どうしても今の題材でやりたいんです

――白崎、桜庭


確実に点を取れる、確実に良い結果を残せることより

「うるせーんだよ!私はこっちがやりたいんだ!!だって楽しそうだもん」

っていう選択肢を持っておくことは大事だよね。だよもん!

いくら上手くても、才能があっても、楽しくなきゃ全然意味がない。それは字面以上の意味で「楽しい」ことはすごく価値がある。

 

白崎が見せた、無根拠で無謀とも言える、しかし強い信念。

そういう信念がなければ、私の持っている力など意味がないということを思い知らされた。

――桜庭

 これ「◯◯になりたい!」って叫んでいる人も同じで、いくら能力があって◯◯になれたとしても、"なった後"どうすんのかって話だよね。信念(=やりたいこと)がない奴が、ポジションを得ても使い物にならない。

白崎のようになにかやりたい!私はこうしたい!こういう学園を作りたい!っていうのはすごいと思うし、最高だよね!

 


誰かの理想に自分を規定していくってこと~佳奈すけと同種~

 

「つまるところ、私は何もない人間で、誰かに課題を与えられないと前に進めないんだ」

「いくら自分を大事にしろと言われてもな……自分がないんじゃ仕方がない」

――桜庭

 

「親の期待に応えたい、白崎を助けたい、筧に相応しい恋人になりたい……なんでも人頼みだ」

――桜庭

 
玉藻っちゃんと佳奈すけって「誰かの期待に応えて、自己を規定させる」という一点において、同種だと思うんですよね。

でも二人の大きな違いは、玉藻ちゃんは喜んでとまではいかないけれど、他人の期待に応えることに嫌悪感がそんなに無い。対して佳奈すけは「しぶしぶ」、仕方なく場の雰囲気を良くしたり、自分を相手に合わせたりしている感じなんじゃないか。

 

 

好きかどうか分からない。でも?

 

玉藻ちゃんは、絵は自分の意志でやり始めたという。けれど筧に「なら好きでやっていたんじゃないの?」と言われると「どうだろう」と自分の感情がよく分からないようだった。

それが好きなのか? 本当に? 楽しいのか? の1つの判断基準として「2時間ほど時間あるんだけど、そのときあなたはどうする?」という問いかけに「絵書きます!」って言えるのならそれは好きなことと言っていいじゃないかってこと。

自分の感情が分からない時、そういうのを思い出してみようかなと思った。これ私は好きなのかなー? と思ったときに「自主的に」その対象に接続しようと思うのなら多分好きだなって分かるので。


 

 誰かの役に立ってないものは無価値、だと思ってしまう価値観について

 「桜庭は、好きとか嫌いとか口にするのに抵抗があるタイプじゃないか」
「わがままを言ってる気になってしまうっていうかさ」

「……だと思う」

「自分の好き嫌いで、他人を煩わせたくないと考える傾向はある」

――桜庭、筧

 

趣味とかに時間を割くのは、誰も喜ばないし迷惑になるからってな

――筧 

 
桜庭ちゃんのわがまま言っているような気分、趣味なんて投資ししても誰も喜ばないし迷惑になるっていう価値観は、ようは「自分なんかどうでもいい」ってことに尽きるんだと思う。

自分が好きなことに時間を割くより、誰かの役に立てるほうがいい。っていう感覚が私にはないから、余計にそう感じる。だから彼女は自分をボロ雑巾になるまで酷使するし、その行き過ぎた努力をトランキライザーのように扱える。

それは他人の為になっているし、時に賞賛や名誉を得られるかもしれない。でも……この在り方は危ない。というかめちゃくちゃ怖い。愛ゆえの自己献身や自己犠牲は特にそう思わないのに、なぜ承認の話に関してはそう思ってしまうのかというと、完全にアガペーを特別視しているきらいがあるんだろうな。というかまさにそう。誰かさんじゃないけど、そういう意味では完全に恋愛脳といっても過言じゃない。

 

 

 変わることは辛い

 正解を告げれば、私も筧も図書部に戻れるだろう。
……でも。
正解してしまったら、その瞬間から私は変わらねばならない。

「……」

――桜庭

 自分の今までの生き方を、極端に変えるのってもうすんごいしんどい。明らかに抵抗感を感じるし、あー人間は変化するより維持するほうが得意なんだなーって思う瞬間でもある。

稀に変化し続けることが好きな人がいるけれど、あれを見ているとほうと思いつつも、大変そうだなって思ってしまう。いや違うか。エネルギーの総量が大きいんだなって感じでさ。


 (終)

 

 

 


<参考>