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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

クンフー論。それは手段を目的化し「楽しむ」を追求すること(13488文字)

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ここ一ヶ月くらい「クンフー」について某所でぐだぐだと語ってきたわけなんですけれど、傍から見ている人からすれば「何言ってるの意味わからん!」って感じですよね。

なのでクンフー論の文脈、現状認識、今後の発展をまとめてみました。内容は「物語の楽しみ方」についてですので、興味ある方は読んでみてください。

【目次】
クンフー論の文脈・背景
・現状スタンス
・今後の発展

 

 



クンフー論の文脈・背景


■1)ペトロニウスさんの話を読んで『現実感が失われた人たちの救済』について考えてみた - Togetterまとめ

今から約一年前の[2013/04/21]。*1

ペトロニウスさんのTwitterでの呟きが、後の海燕さんの無料記事に繋がってきます。あの記事を読んだ上で Togetterを見ると、うまく理解しやすいかなと思います。
ただこのまとめは私がざっくりまとめたものなので、彼のツイートを全てを拾えてきれていません。正確さを求める方や、もっと興味ある方は自分でツイートを探してみてください。

■2)【無料記事】だれにも愛されなかった人間がひとを愛せるようになるにはどうすればいいか。(8976文字):海燕の『ゆるオタひきこもり生活研究室』:ゆるオタ残念教養講座(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ

それから三日後[2013/04/24]。

海燕さんたちの「光属性」や「コーリング」のお話を包括した記事がこれです。これは必読。できれば記事下にある170個あるコメントも目を通すとより良いと思います。
(否定意見と肯定意見を俯瞰できますし、なにより"違う言い方"でアンカー論*2を説明しているので解釈の幅が広がります)


■3)LDさんというロールモデル

海燕さんの上述記事で登場するLDさん。LDさんの生い立ち……というかアニメとマンガに対するひたむきな想いを読むと「クンフーとはこういうもの」というのが理解できます。

「無様」をさらす話 - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

僕の目的は「「物語」をより楽しむ事」です。(←これ、何よりも優先する第一目的か?と問われると、僕は「いや、そうではない。都度考える」と答えるのですが、まあ、それは別の話として…)これ、単純な話で、僕なんかは子供の頃、マンガ、アニメの面白さに衝撃を受けた人間なので、もっとマンガを読みたいと考えた。→次々読む。→そのうち、マンガをもっと楽しむにはマンガ以外の物にも接する(主に小説とか映画とかね)必要がある事に気がつく→それにも接する→その世界もまた楽しく、また実際にマンガを楽しむ事に還元できる事を知る。→これねえ…生い立ちを語ると絵に描いたようなオタク人生で、恥ずかしいったらないんですけどね(汗)

物語といったアニメやマンガをもっともっと楽しむ為に、いろいろな事(知識/経験)を還元していく姿勢というんでしょうか。

ユングの集合無意識さえ物語に還元する様は、LDさんの「本気度」が伺えます。

ユング!ユング!ユング!(1) - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

ユング関連の本をいくつかつまんで読んでいたのですが(簡易な本を読んでいたのですが、いずみのさんに言われて河合隼雄の本とか読んだりも)それについて一通り頭に溜まった事を書き出しておこうと思います。まあ、以前から言われている話なんですが、ここらへんのユングのタイプ分類や“元型”、あるいは集団の無意識についての考察は、いろいろと物語を「読んで」行ったり「面白さ」というものを識って行くのに使えそうなツールではあるんですよね~。


つまりクンフーとは行為を"追求"していくことです。ある対象物を楽しむ為に様々なものと掛け算したり、あるいは引き算したり、はたまた今までの取り扱い方法を変えてみたりなど試行錯誤していき、よりよい「楽しい」を求めていきます。

LDさんは毎週必ず、『今週の一番』という週刊雑誌の感想や思索を2時間前後かけてチャットを行っているんですが、これなんと数年間ずっとやっているとのこと。すごい! これをクンフー

物語愉楽論
思考の遊び(準備)

この2つのカテゴリーを読み進めていくと、LDさんの物語に対する目的意識や姿勢がより分かって、クンフーの概念がより深くなると思われます。

 

 

■4)海燕さん運営『ゆるオタ残念教養講座』の力作記事を読んで「人を愛する」にはどうすればいいかを考える。「アンカー論」で私たちは救われる?

 [2013/04/26]
海燕さんの無料記事を私なりに解釈したもの。この記事はアンカー論に主眼を置いて書いてますが、クンフー論の把握にも一役買うかな? ただこれだけ見ても全然分からないので、前述した3つの記事を読むことを推奨します。


■5)好きの追求化

ペトロニウス氏→海燕氏→LD氏の文脈に沿って「クンフー」についてさくっと眺めてきました。そんなクンフーに触発された私もまた、一年間そこそこ「好き」を追求する方法を記事に残してきました。

自分が「好き」なものを、よりよい「好き」にしよう!!(5169文字)

「読解モジュール」を駆動させるとエ口ゲは7倍面白くなる!! 

ちきりん先生から学ぶ「アニメ」をもっと楽しむ方法 

「感情移入」が出来ないと、アニメやエ口ゲは楽しめないんじゃないか? 

アニメをアニメとして、エ口ゲをエ口ゲだけで見る「物語の内在視点」のススメ。作者なんてものは存在しない

毎日をウルトラハッピーにしようよ! 

【決定版】アニメ・エ口ゲをもっともっと好きにできる9つの方法

エ口ゲを『血肉化』するにはこの2つを徹底的に繰り返すしかない


この記事たちは、「好き」の範囲を広げ、深度を深めるという2軸によって楽しみ方を追求しています。

何故この猫箱ブログはそこまでしてある知識・経験を物語に変換するのか? どうしてそこまで還元するのか? ってのは今まであげたクンフー論の文脈に、そして好きの追求化の流れに沿っているからです。

 

■6)「クンフー/祈り」試論(1) - 残響の足りない部屋

 「クンフー/祈り」試論(2、後半) - 残響の足りない部屋

 [2014/05/10]
私が頼み込んで残響さんにクンフーについて語って頂きました。感情の熱と切実さがこれでもか!って伝わってきてとても好きな記事です。(やっぱり"熱"こそが人の心を動かすものだなーと実感)。

まだちょっと分からないというか、記事内について聞きたいことが出てきたので今度残響さんに質問してみよう。

それと私と残響さんのクンフー論についてのもっとも大きな違いは、「切実さ」という観点が私には希薄なところかなーと想ってます。(ここはあとで後述するかも) 

 *

 ―――以上が私が辿ってきた「クンフー論」の流れになります―――

 

今あげた6つをさらうと、ここ最近残響さんとのお話が把握できるかなと。(興味ある人いるか分かりませんが汗)

それでは私が感じているクンフー論の現状スタンスを語っていきます。

 

 

 

クンフー論の現状スタンス

 

私がクンフー論を追求してみようかなと思ったのは、単純に「面白そう」だと思ったからなんですよね。

アンカーという他者の承認に振り回されず、外発的報酬で動かさず、ただただ内発的動機で駆動し続ける在り方そのものがすごい、更にそこに行き着く為の手段として「クンフーを積む」という行為自体がとっても面白そうだと感じたんですよね。これが「好きを追求化」を始めたキッカケです。

さらに今まではただ普通にプレイしていたエ口ゲやアニメが、実は好きを追い求められる媒体だってことにも気づけました。

エ口ゲやアニメをもっと好きになるには? もっと面白くするには? そんな広さと深さの2軸を持って1つの対象物を拡張していき、これでもかというくらいに味わって味わい尽くすが出来るってもう凄いことじゃないですか。

私は物語を楽しくする為に理由なんていらないと思っています。だって"楽しい"ことするのにに理由なんて必要ないでしょ?


これをハルヒ風にいえば

 

 だって、そっちのほうが断然面白いじゃないの!

 
ってことです。

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特に物語は受け身だと、知識の非可逆的要素でかんたんに飽きてくるしつまらなくなってくる。「最近のエ口ゲつまんないなあ……」って言ってるのは物語がつまらないんじゃなくて、プレイしている主体的な自分がつまらなくなっているだけ。

一回性を駆動できなくなり、感受性が乏しくなっていることに非自覚的で、楽しむ姿勢がなく、ただ愚痴を言いたいだけなのだから当然です。

(私もつまらないなと感じるゲームそれなりにありますけど、それをどう楽しくしていくか?っていう考え方は必要だと思いますよってお話)

そこでつまらない物語をよりもっと面白く楽しむ為には、何度も何度もを繰り返し読み、熟考すれば一回性が駆動するよと語りました。そして幻肢痛なる感情移入を引き出す為には滅茶苦茶集中すればいいんだとも。


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この2つの方法はつまらない物語に適用できますが、もちろん楽しかった物語に適用したほうがもっと面白くなるのは言わずもがな、ですね。

一度自分が一番好きな作品に試してみると、今までとは違ったエ口ゲの"後"の体験が出来ると思いますよ。

で、この記事の延長線上に「エ口ゲを『血肉化』するにはこの2つを徹底的に繰り返すしかない」があります。物語を熟考し暗記するステップが、自身の内在世界を豊かにするよっていう内容です。(百年後の本というWeb文芸のオマージュでもあります)

 

"重要な言葉は記憶し、構造化し、頭の中で自由に取り出せる状態にしておかなければならない。その下地があるからこそ、『考え』を巡らせた時に脳内で繋がるはずがないと思ってたであろうテキスト同士が有機的に繋がりあい、渾然一体となって新たな『知』へと昇華されていく"

――エ口ゲを『血肉化』するにはこの2つを徹底的に繰り返すしかない

 

エ口ゲの血肉化は、今の私の中で最も練度が高い「好きの追求化」なんですが、つまり私はこの方法を「面白い」し「楽しい」と思っているんですが、どうも記事読んだ人はそうじゃないってことをようやく認識しました。

つまり大半の人はここまで物語に"本気"になれない。物語を重読することや熟考することにそこまで面白みを見いだせないから、ここまで"好き"を突き詰めていってしまうと「なんでそこまですんの?」って思われてしまう。

例えば6年前の自分に「エ口ゲ血肉化論どう、やってみない?」って聞いたら、「いや無理でしょ、なんでそこまですんの」って言うはずですもの。

これで思い出したのが、プロゲーマー梅原大吾氏の言葉です。

険しい道を選べるかどうかは、打ち込んでいるものが本人にとってどれだけ大事かに掛かっていると思う。格闘ゲームにおいて、それなりに勝てればいい人間は10の強さを手に入れいるだけで満足だろう。 しかし、すべてを懸けている僕のような人間は、人と同じでは面白くない。  

私は全てを懸けているとまでは言えませんが、物語の優先順位はかなり高めでとっても大事なものなのは間違いない。だから物語の優先順位が低い人からすれば毎回一ヶ月近くかけて物語の長文感想を書くっていう行為も不可解かなと思っています。

そして私もまた物語を大切にしていない(=エ口ゲをウインドウ画面にしてのながら読み、実況)消費活動している人を見ると「所詮そんなものなのね」って思っちゃいます。それは蔑みとかではなく、落胆に近い感情で。

ただでも誰しも本気になるものってって違いますし仕方ないんです。私だってFPSに本気になれないのと同じことなので。


FPSの好きの純度が高い人は、勝率を上げる為にいくつもの戦術指南書、帝王学、戦争哲学、確率論など学びますし、プレイの神経反射を高めるために(そうゲームのためだけに!)運動して肉体の感度を高め研鑽を積んだりと色々しているんじゃないですかね。だったら私は絶対にその域には行き着けないし「なんでそこまでやるの?」とも思ってしまうでしょう。でもこれもまた"本気"の度合いが違うだけなんです。

つまり何が言いたいかというと、クンフーを積み続けていくと「周りとの温度差」がハッキリしちゃいます。「あの人なんであそこまで本気なの?」と揶揄がまいの視線に晒されることだってたくさん出てくるでしょう。

でもその媒体(=エ口ゲやFPS)をとっても好きな人にとっては、「この人の本気好き!」「この人の考え方面白い!」と思ってもらえることが多いです。(違う言葉でいうと好き純度の"レイヤー"が異なってくる)

そして、そもそもその対象物にクンフーを積もうと思った時点で、それの優先順位が高いっていう証拠だと思っていいでしょう。

きっと、澄みわたる朝色よりも、』の学園に入ってくる生徒はまさにそんな感じ。みんな絵に非常にこだわりがあるからこそ、あそこまで絵に、そして勝敗に執着してしまう。

絵の道に進んでいないものからすれば、あの滾る情熱をうまく理解できないんじゃないでしょうか。

なぜならまず1つにそんな"遠い"未来のことをモチベーションにするのってすごく難しい。1ヶ月?1年後?3年後?の輝かしい未来の為だけに頑張り続けるのって結局うまくいきません。

曖昧な未来の為だけに、辛い努力をし続けるのって大変ですし、どこかで止めてしまうのは想像に難しい。楽しくないことは長続きしませんよね。

だからクンフー論の文脈に乗っ取るならば、「大会で優勝」するのではなく、「日々の研鑽を楽しむ」ってことに重点を置きます。日々の行為を楽しく積み続けた結果、大会で優勝してしまったというのが望ましいんです。

ここはちょっとうまく伝えられている気がしないんですが、ようはクンフー論って手段を目的にしてしまって、手段そのものを楽しもうよってことなんです。

またもや梅原氏の言葉を借りましょう。

 

持続可能な努力のためには、目標はあくまでも目標で、目的と混同してはいけないということを知る必要がある。

ゲームでは大会の出場がひとつの目標になるだろうが、大会で勝つこと自体を目的にするとろくなことはない。少なくとも僕の場合、結果だけを求めて出場した大会で良い成績を残せたことはない。

(中略)

大会というのは、日々に練習を楽しんでいる人間、自分の成長を追求している人間が、遊びというか、お披露目の感覚で出るものではないだろうか。 

――勝ち続ける意志力

 
彼もまた遠い結果を求めるんじゃなくて、今目の前にあることをこなしていこうよってことを伝えています。

梅原氏は強くなればどうすればいいですか?という質問に「とりあえず、階段を5段登ってください」と言うんだそうです。これは5段くらいな自分でも登れると思えますよね。でも、それが「とりあえず、階段を500段登ってください」って言われたら無理って思ってしまいます。

大会で優勝することが階段を500段登ることだとしても、それを目的にしてしまうと途端にやる気がなくなってしまう。だから、今、その瞬間にある、目の前のことだけを考えましょう。一段一段登ることに集中したらいつの間にから500段まで登ることができますから、という意味だそうです。

これまさしくクンフー論。

山頂を目指すのではなく、ロングトレイルのように到達地点なき山道をぐるぐる歩くことを楽しむことが重要なのだ!

 

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

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 私は「クンフーの為のクンフー」という言葉をときおり使っているんですが、これは行為の積み方の追求化という意味です。

具体的にはエ口ゲをプレイするのはクンフーです。エ口ゲのレビューを書くのもクンフーです。

それではそのクンフー自体をさらに突き詰めていきます。エ口ゲをプレイするならばどうすればより集中することができるか? どうすればもっと楽しくプレイできるか? を考えて実践していくってことです。

詰まるところ「変化を目指す」と言ってもいい。型にはまってきたら絶えず壊していき、どんどん独自性、唯一性を足していきたいと。

エ口ゲの感想なんてまさにそうですよね。あれ放っておくと同じ手法ばかりで書いちゃいます。スタイルがもう決まっちゃってて(=自分に最適化されてるから)楽ちんなんです。だから、なかなか変えようとしなくなってしまう。

でも変化を否定してしまえば、そこでもう歩みは止まってしまうので、そこに自覚的にもっと変化を求めていきたいなってことです。型をより洗練させるのもいいですし、あるいは逆ベクトルに変質させてみるも一興でしょうか。

ということで一旦まとめます。

 

まとめ


1
)クンフーを積むとは、行為を積み重ねていくこと。
2)クンフーを積む際「結果」ではなく、「楽しむ」ことに価値を置く。

3)手段を目的にしたら、後はどうすれば手段を楽しくできるか?を考える。それをアップデートし続けていくことで努力は努力ではなく「空気を吸うよう」に自然に行動できるようになる。(ハミガキするのと同じ労力といえばいいだろうか)

4)クンフーを積み続けた結果、ふと気づいたら最初の頃より遠い場所まで来ていたってことが多々ある。(ただ何度も言っていますが、遠い場所に行くことを目的にしてはダメなのです)

5)その為、そのジャンル内での「本気度が低い」とは温度差がハッキリしてしまう。
6)「クンフーの為のクンフー」とは行為を積むことへの追求という意味。自覚的に変化を取り込もうとする姿勢と言ってもいいでしょう。

 

  

クンフー論の今後の発展


物語の好きの追求化って、もうだいぶやっちゃったので、今後はその要素要素をどう洗練していくかってことになってきそうです。

具体的にいえば

・集中の極限化方法
・感受性の磨き方
・物語の読解の質の上げ方
・物語の言葉を暗記
・対話の習慣化……などなど


それで今現在、これはクンフーの良い発展方法だなーと思っているのはエ口ゲの全文テキスト丸暗記

切り口を多く持つには|六畳半のすごし方

私がまるまる記憶しているのものだと「プリズマティカリゼーション」っていうゲームのテキスト。これほぼ全部憶えています。テキスト起こしして今でもそのデータは持ってます。

 このゲームの主人公の思考が自分と似ているっていうことと、心理的推察が実用的なので今でも私は使っています。これまで心理学の本は数十冊読んでますが、このゲームを一本やった方が実用的で応用が効くほどです。思考法は繰り返しの経験によって馴染んでいくので、似たテーマの本を短期間に集中的に読むのもいい。去年だと共依存関連の本は半年の間に数冊読みましたし、ドキドキプリキュアの感想と絡めて考えながら書いていたのでそうした発想が大分馴染みましたね。


 「六畳半のすごし方」さんが語られているとおり、丸暗記することで思考を先鋭化できるってのは体感的によくわかります。

というかノベルゲーを丸暗記する方が現実にいるってことがすごい!とても感動しています!

それと私は暗記することで起きる効果がどうというよりは、「暗記する」そのものが楽しそうに見えて仕方がないです。あー早くやりたい。

これはもう本当に究極って感じの、物語の接し方だと思うんですよね。全文丸暗記できなくてもせめて、数百のフレーズを全部覚えるくらいはしたい(狂気に近いなにかを感じますがやりますよ!w)

あああ!Rewriteをもう一度やらなければ!!(すごい本気)

Rewrite 予約特典 録り下ろしスペシャルドラマCD付

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今までちょこちょこと梅原大吾氏の言葉を借りてきたわけですが、ここからは彼の『勝ち続ける意志力』という本をクンフー論(物語読解メイン)に連結させていき、この論の発展を模索していきたいと思います。

本書は「勝つ」のではなく「勝ち続ける」為の勝負哲学本のため、引用する言葉は"勝ち続ける"という文脈に沿っていますのでそこだけ注意してください。

 

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

1)効率の良い考え方、手法は絶対に使わない。

これを物語に置き換えると「外部文献」や「スキーマ」に頼らず自分の頭で考えて読解する。省エネな手法は絶対に使わない。

(ただスキーマは自分じゃどうしようもない領域があるのは確かですが、抵抗することは可能だと思っています→物語解釈の敵であるスキーマに対抗するには)


2)自分の好きなジャンルで安易な道を選ぶことは考えられない。

「1」の逆の言い方ですね。安易な道を選ばないからこそそこに独自性が生まれ得るんだとも言っていました。

 

3)弱点を突いて勝つ戦法は、勝負の質を落とすような気さえする。

梅原氏は相手の弱点が分かったとしても、そこに付け込まずわざと"長所"のほうに挑んでいくんだそうです。(これって以前書いたベン・トー幸福論ととても似ている、つまり誠実を忘れるんじゃねーぞ豚野郎が!ってやつ)

物語でいえば……そうですね「分かった気にならない」とか「批評もどき」しない「放棄しない」「諦めない」そういうことに繋がるのかもしれません。

物語に誠実であれ―――それはとても難しいことですが、やる価値はありそうです。

参考記事:
「わかったつもり」状態から抜け出すために、自分と戦い続ける意志力 - カキツバタ

批評モドキの見分け方 - xenothの日記

 

4)自分の実力を上げるためには、まずもって目の前の勝負に全力を注ぐ必要がある。

これは前述したとおり「結果」に拘らないってことですね。今目の前のことだけに"全力"を尽くすだけでいいと。この「結果に拘らない」と「全力」がポイントでしょう。

 

5)小さな違和感を見逃さない細心の注意があれば、強い立場を守ることができる。

これを物語にあてはめるならば小さな違和感をもメモしましょうっってことですよね。その小さな違和感がは後々「EUREKA!」と叫ぶくらいの大きな気付きになるのかもしれない、ってことかもしれません。これはすごくよく分かる。


6)とにかく、大事なのは変わり続けることだ。

変える時のコツは「そうすることで良くなるかどうかまで考えない」ということだそうです。もし悪い変化だったら、また変えてしまえばいいとのこと。

これはさっき言った感想記事のスタイルとかの話になってきますよね。あるいは読解方法の仕方といってもいいでしょう。とにかく変化してればプラスの地点に行けると。

 

7)人の目を気にしない行動を刷り込むことで、集中できる時間が長くなっていくというわけだ。

行為に没頭できるには「楽しむ」という要素の他に「集中」という点が必要になってくる。

梅原氏は「他人を気にしなくなれば絶対的な集中力が身につく」と語っています。そしてもし自分が人の目を気にし始めたら、"人の目をしていない行動"を繰り返せばいいと逆説的なことも言っているんですね。

ただ具体的な方法を述べていないので、ちょっとここは分かり難い。

私風に考えるならば、集中している状態は無表情だったり呼吸が整っていたりするのでそういう動作を丁寧にこなしていけばいいのかな?……。

 

 

8)人の心を動かすのは、やはり本能に従った純粋なファイトだと思う。

これは感情の熱を本能のままにぶち撒けた感想記事とか、作品語りに近いものを感じる。誰かが面白いと思うものは(=それが文章でにじみ出れば)、人はその作品って面白いんだーやってみようかな?って思うものだと思います。

たぶんそういうことに近いんじゃないかな。

 

 

9)自分を痛めつけていると、努力しているような気になる。

努力には量と質の2つがあって、それも"最適"に管理しなければいけない。食事を摂らず睡眠を削って短期的にブーストするような努力は質が悪いんだそうです。
そうじゃなくて、自分の限界を超えない頑張り方を知る必要があると。長期的な努力の量を設定して(一日3時間とか)、その時間内で質を高める(だらだらやるんじゃなくて考えて→変化をもたらすサイクル)ようにすればとのこと。

ここもまさにクンフー論って感じで、自分が無理のない自然に出来る方法じゃないと上手くいかないんですよね。

 

10)その正体すら分からなかった曖昧な存在が、初めて僕に微笑んでくれたような気がした。 

梅原氏は挫折を味わってます。格闘ゲームの世界から退き、麻雀の世界に足を踏み込むもののそこでもまた挫折を知り……紆余曲折しながら再び格闘ゲームの世界に戻ってきた方です。

彼はそんな経験を経て、経たからこそ、ゲームに感謝し始めたのだそうです。

ここはHUNTERXHUNTERのネテロ会長の感謝の正拳突きとすごく似ていルキがします。ある境地まで到達すると、あるいは世界にまで登りつめた一流の人間は、その対象物に感謝の念を覚えることが多い気がするんですよね。

ここらへんどういう接続すればいいのか分からないけれど、かなり大事なことだと思っています。感謝。

 *

 

CARNIVAL[アダルト]

梅原氏のお話にも他に、クンフー論を発展するには、 「死」「祈り」の2つが大事だと見ています。

この2つを前提にクンフーを追求していくといろいろ発展しそうだなと。ま……ただのヤマ勘ですけどね!

 

詳しく説明していくと「死」ていうのは、死を実感するってことに他なりません。タナトフォビアの感覚を覚えてこそ「生」はより輪郭が強烈になっていく。

実際には人は死んでしまうことが出来ないので、死の感覚というものはデタラメなんですが、ただそういう話ではなく死を意識することで見えてくるものがあるってことです。(私はこの感覚がかなり希薄) 

水月のアリスも「死を否定しちゃいけない」といいますし、ここらへん何かあるんだでしょう。

「死んだらおしまいなんだ。生きているから出来ることがあるんだ。この子は生きているのよ。だから、それだけは忘れちゃいけない。自分にも等しく振りかかる死から、目を背けちゃいけないの。

 それは自分の生を否定することだから」


――アリス

水月 ~Portable~ ベスト版

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そうやって死を肉感的に実感できるからこそ、"今"を強く生きようと思うん……じゃないでしょうか。それでこの"今"的生き方がクンフーには欠かせないと思っています。

クンフーとは今目の前にあることに没頭することです。ある目的を達成する為に、何か報酬を得る為にするものではありません。だからこそ"今"、その瞬間のことに熱中できるようになる―――そんな現状認識方法があるとよりクンフーを鋭くできるかもねと。


過去も未来もない、あるのは今ここだけ

だから今何をすべきか、やりたいことをすべきか、優先順位はどう整理しどれを上位に持ってくるかををきちっと意識できる感覚が必要不可欠なのではってことです。


参考として、お二人の記事を残しておきます。 (太字は筆者がつけました)

自殺島 2―サバイバル極限ドラマ (ジェッツコミックス)

戸塚ヨットスクールがなんで劇的に子供を回復させる確率が高かったかと言えば、現代の都市社会では、「生きること」そのものが目的にはなりにくく、優先順にが不明確になっている人が多いからです。
そこでヨットに乗せて、水に溺れさせて死ぬギリギリまで追い込むと、一発で、元気が戻ってくる。なぜか?、といえば、命の危機を実感させる(=日常ではまずない)ことによって、優先順位が、「生きること!!!」が一番になって、その他のことが雲散霧消するからです。そうすると、生きることに悩みや倦怠がなくなるんです。無気力というのは、優先順位が上手くつけられない病、なんですよ。

――『自殺島』 森恒二著 生きることをモチヴェーションに - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために 

 

堀江さんの場合は特にそういう経験はなく、突然“死”という概念が降りてきて・・ということらしく、珍しいケースです。

この“人生の有限感”を手に入れると、人は生き方が変わります。尋常じゃないレベルの働き方をしている人、自分のやりたいことに迷いのない人、徹底的にしがらみから遠い人、の話を聞いてみると、人生の有限感をもってる人がとても多いのです。

――人生の有限感 - Chikirinの日記

 

具体的にタナトフォビア的感覚を覚えるには、餓死寸前の状況といった「死一歩手前」を自分で作り出すということを考えなくちゃいけないんでしょう。これはすごく狂気的ですが、実感できるのなら越したことはない気もします。


【祈り】

「祈り」はまだ煮詰め途中なので、うまくまとまっていませんが現在思っていることを書き出していきます。

ここで言っている祈りとはいうのは、対象物に感謝を捧げること/慈しみを覚えることだと思って構いません。心の内側から溢れだす慈愛の感情によって自然と手を組み、感謝の為祈らずにはいられない―――そんな祈りをです。

ノーゲーム・ノーライフ』の5話のフリューゲルの祈りを思い出してもらえれば分かりやすいかも。あれですあれ。

祈りとは慈しみから生まれゆくもの。ノーゲーム・ノーライフ

ノーゲーム・ノーライフ 1 (アライブ)

ノーゲーム・ノーライフ 1 (アライブ)

 

なんでこの「祈り」が必要なのか、正直私には分かりません。ただなんとなく必要不可欠な概念だとは思うんですよね……そこはまだ詰め切れていないです。ぶっちゃけ勘です。

考えられるとしたら、慈愛の祈りによって「精神洗浄(サイコロンダリング)」みたいな効果が期待できるかもしれないから?とか考えてます。

あるいは『うみねこのなく頃に』で語り続けられた「愛がなければ視えない」ということなのかもしれない。基本的に物語に限らず、ある対象をより深く読解するには"好き"じゃなきゃ駄目なんですよね。愛していなければ理解できない、だからこそ慈愛の心を育めと。

具体的にどうすれば慈愛を心から引き出せるか?は今後の課題です。

ここらへんTARITARIで感じた、<並列関係>で対人と接することに大きく関わってきそうな気がするんですよね、ただの勘ですけど……。


TARI TARI_音楽はきっと私たちと共にある(5737文字

 

TARI TARI 1 (特典つき初回生産限定仕様) [Blu-ray]

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あるいはメカクシで味わった『自我をなじませる』『同化させていく』感覚も突き詰めるいい感じがする。


メカクシティアクターズact:05_やっと魂の波長が合った(919文字) 

  

ここまで書いてきたんですが、自分でもこれは明らかに危ない領域だなーと感じています。あまり深みにはいって、戻れなくなることだけは回避しなければなと、思うくらいにクンフーはどうしても身体性と唯一性と偶然性の話が深く絡んできて、宗教色っていうかカルトさが強くなっちゃうんですよね。

イデア的感覚、禅的境地、世界と自分を同化させた体感覚―――そこに行き着く為にクンフーはあるものの、行き過ぎると帰ってこれない上に精神が圧死するんでしょう。


+++++
※追記。
祈りについては一応の答えが見つかったので、考えをまとめました。

 物語に感動するには【祈り】こそが鍵になる(8549文字)

+++++


 

おわり

書いたー!ってかんじに疲れました。へとへとです。


最近、海燕さん界隈ではこのアンカー・クンフーについてあまり言及されなくなっちゃいましたが、このお話とても面白いんですよね。発展方法がかなりあって、考える余地がありますから。

なにより、やってみてとても楽しいので。

んじゃ今日はここまで。
またね。



<参考>

 

 

 

メカクシティアクターズ 1「人造エネミー」(完全生産限定版) [Blu-ray]

*1:現在2014/05

*2:注:アンカー論とは海燕氏の無料記事のお話を筆者が勝手に名付けたもの