猫箱ただひとつ

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小太刀凪+その他_感想(19292文字)

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夏休みの宿題

「宿題なんて、自分でやらないと意味ないだろ」

「宿題は長い休みの最中に学生の本文を忘れてしまわないようにするための、くさびみたいなものだ」

「計画的にできなかった時点で、もはや本来の意味など失われている」

――桜庭

確かに。

 

 

 

死を実感したことがあるかないかの違い

白崎「また、人生の終わりみたいなこと言って」

さより「だって、どうなるかわからないでしょ?」

白崎「だから、難しくない手術なんだって……」

白崎「何度言ってもわかってくれないの」

白崎が俺に向けて困った顔をする。

そりゃね。限りなく「死」の実感を味わっている人間は、「明日」なんていう概念なんてないんだろう。あるのは一瞬一瞬が流れ行く「今」だけ。今この瞬間だけ。さよりちゃんはもうそういう領域にいるんだよねーって分かる。


 

アクセルを踏む

「変わらないといけないのか」

少し強くアクセルを踏んで生きてもいいのかもしれない

――筧

 

 

 

 栞を取れるってことは

 「おっ」

とっさに手を伸ばす。
ひらりと舞う栞を、華麗にキャッチ。

――筧

 
この時、筧は栞を「取った」。そして「取らない」時もある。これは何かっていうと、栞が風が飛ばされるこの時、筧は栞を取るか取らないか自分で選べるってこと。

取るってことは無くしたらいけないもの(=価値がある)ってことだし、取らないのだとしたらもう栞には価値がないってことに繋がる。つまり筧はまだ「魔法の図書館」に行きたいと思っているんじゃないかな。ここ。




羊飼いになるってことは、人間を超えるんじゃなくて辞めるってこと

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羊飼いになり、この身に絡みついた煩わしいもの全てを脱ぎ捨てたい。

――小太刀

 こだっちゃんは羊飼いになることを「人間を超える」と言っているが、私にはどうもしっくりこない。暑さも寒さも感じず代謝も睡眠も要らなくなる、それって人間を辞めるってことじゃないの?って思うんだよ。


もう俗世間に関われない存在になるってことに等しい。それが意味するところは、人間関係の剥離でしかない。

あとちょっと気になるのが、羊飼いになったら肉体による不都合は取り除けるっていうけれど、じゃあ精神構造はどうなるの?っていう疑問が湧いてくる。いくら不老不死になろうとも、精神が人間のままじゃいつか絶対に"狂う"。なぜなら人間は100年超生きることを想定されていないから、精神構造もまたそれに追いつけない。……と思うんだけれど、「肉体が強化」されるというのであれば精神である脳もまた強化されるってことで一応は耐久可能ってことなのかな?……。

うんウン千年、ウン億年、精神もまた持つと考えてみよう。次に危惧されるのは、「だとしても怒りとか悲しみといった負の感情は抱き続けるんでしょ」ってことだ。

例え羊飼いになったとしても、怒り、殺意、悲哀、といった情念に突き動かされ、対象の人間の人生を滅茶苦茶にすることだって彼らは出来るし、あるいは個々人という領域を超えてマクロ―――つまり世界の動向だってどうにでも出来てしまうのが羊飼いだ。

それってちょー怖くない? 羊飼いになったとしても、所詮は人間たる所以である「感情」はそのままってことじゃん。そこが未熟だろうと成熟していろうとも間違いは絶対に起こる。

だから小太刀凪は「試験」されてるんだよね。あなたが羊飼いとして相応しい思想を持っているかと。あるいはメンタルの強度とかも計られているのかもしれないけれど。

となると羊飼いって、完璧な存在―――概念―――じゃあないんだなって分かる。一応あれはまだ"人間"が運営している導き手、みたいな感じ。

だから羊飼い見習いとしての凪ちゃんに要求されるのは、人間への「慈愛」と「善意」と「謙虚」ってわけか。にゃるほどね。

 

「人に優しくすることだよ。心から人の幸せを願うんだ」

――ナナイ

 

 

 

 

魔法の図書館、あるいは祈りのと図書館

 

それによると、まず、祈りの図書館は物理的に存在するものではないらしい。簡単に言えば、人間一人一人の頭の仲にあるということだ。
……。
あらゆる人間は、無意識の領域で一つの精神世界を共有しているという。

例えるなら、各個人の足の裏から意識の糸が伸びていて、それら全てが世界の中心にあるたった一つの種に繋がっているイメージだ。普通の人間は、意識の糸や種を認識することはできない。

祈りの図書館は、まさにその種の仲に存在するという。

誰もの心の中にあるけど、誰も認識することができない。

――筧

 集合無意識的な?……。
あるいは心海的な?……。

人類が生まれてから今まで、それこそ無数の祈りが、人類が共有する意識の中に降り積もっていった。

それら無数の願いが渦となり、例えれば、宇宙に漂うガスや塵の渦から新しい星が生まれるように――。

1つの凝固点として図書館が生まれたということだ。

――筧

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人々の千、億といった祈りが、集合し捻じれ渦となり、図書館という<場>を形成したと。感情というものが何らかのエネルギーを有していて、祈りという感情の方向性があったと考えると……ふむふむ。

祈りの集合知、祈りの特異点みたいな。そんな感じなのかな。けどなんで図書館なんだろ?

一人一人の人間の人生が記されているから?その概念が本となった? という本と祈りの関係性ってなによ?

ここでいう祈りっていうのは願い事。「人生をよりよくしたい」という一人一人の願い事。今より明日が幸せになっていますようにとか、この幸せが長続きしますようにとか、お金持ちに、あるいは何らかの目標を達成できるように願うこと。それが祈り。

ナナイさんによれば、本1冊は、人間1人の人生に対応しているらしい。

中身は、簡単に言えば人生のフローチャートだ。つまり『ここで、こうしたら、こうなる』という人生のぶん器条件も把握できるということだ。

だからこそ羊飼いは、人間に的確なアドバイスができる。

――筧

つまり「一人の人間には必ず【よりよい人生がある】」という前提がそもそもあるのね。そして人々は曖昧に、あるいは明確に、自分のよりより未来を叶えたくて祈るという行為をすると。

そこで疑問が生まれる。

1)「よりよい人生(=結果)」のよりよいって、誰にとってのよりよいなのか? 魔法の図書館にある1人の「本に記述されているよりよい人生」が、誰にとってのよりよいなの?

羊飼いにとってよりよい? それともその人にとってのよりよい?


もしそのどちらでも無いのだとしたら、つまりその本には無数の選択があるように、無数のその人の未来があるんだと仮定する。その人が幸せになれる未来も、なれない未来も、普通の未来も不幸な未来も全部ひっくるめる。

そうした中で「よりよい未来」を決断するのは、その人個人ではなく、その人の選択分岐を操作している羊飼いなんじゃねーの?っていう懐疑に繋がってくる。

 
つまり、羊飼いにとってのよりよい未来(=人類にとって良い影響のある事象を発生させる未来)を起こす為に彼らは動いていると指摘したい。

そして裏返せば、導かれる側の人間にとって、幸せを享受するという意味での「よりよい人生」は、考慮されていない可能性も指摘する。

 

 前にも言ったけどもう一回具体例出そうか。例えばバスケという分野で、人類史上に残るトッププレイヤーになる人物がいたとする。仮に名前をAとしよう。Aをうまく導くことができれば、バスケ界を大きく変え、バスケというスポーツによって人類にとって良い影響が起こすことができる。羊飼いはもちろん、そんな「人類に影響が大きい人間をフォロー」することになる。

しかし、Aにとってバスケというスポーツは苦痛でしかない。いくら才能があろうが資質があろうが、バスケをやっている時のAはつまらなさそうにしているのだ。Aがバスケをやめない理由はいろいろある、バスケはつまらないが自身を活かす場所はここしかないと思い込んでいる、試合をすれば絶対に勝てる為ちやほやされることに慣れすぎてしまった(=名誉が欲しい)、あとは得られる報奨金の額とか、辞めることを許されないプレシャーなどなど。

何度もいうが、だとしてもだ、いくら大金を得ようが、名誉を得ようが、Aがバスケで満たされることはない。才能=幸福になるとは限らないし、才能があるからといって、その対象が楽しいものだとは限らないからだ。

Aにとって「よりよい人生」とは突出した才覚でバスケ道を歩むことではなく、大学で知り合った女の子と結婚して、家庭を持つことだったんだとしたら、羊飼いの「導き」はAからすれば害悪に他ならない。

もちろんマクロ視点からすれば、羊飼いの功績は大きい。彼らは人類の奉仕者であって、個人の奉仕者ではないんだろうね。

 *

大分話逸れた。

→人々の「よりより人生を送りたい」という祈りが、祈りの図書館を生成した。
→故にその図書館にある一人一人の本には、「よりより人生」の未来に到れる為の選択分岐が記述されている。(想像だがこのよりより未来はたった1つというわけではなく、無数に存在すると考えることも出来る)

→羊飼いは「人類にとって影響が大きい人間」を優先的にフォローする為、彼らは「人類」という視点にしか立てない可能性。裏返せば個人の幸福より、人類の最大幸福を願う存在なのかもしれない。

 

 

 

羊飼いの条件

 

「今までと同様、『人に優しくし、誰もの幸せを願うこと』だね」

――ナナイ

「私の解釈だと、家族も恋人も友達も他人も、全部平等に扱うってこと」

――凪

 
1、すべての人間を平等に扱う
2、すべての人間の幸福を祈る
3、羊飼いは人間の上位者ではなく、導き手に過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。

この3つの考え方を実感し、実行できないとおそらく羊飼いになれないのかなと思う。

でもこれってそもそも無理ゲーなわけよ。現代の文化的教育を受けてきたものが、「個を捨て」ることって凄く難しいのだから。それはつまるところ、人間辞めた結果、羊飼いになることと同じ。ここで間違ってはいけないのが、羊飼いになるから、人間を辞めたことではないということ。

全ての人間を平等に接するということはすなわち、人類を愛すことは出来ても、人間を愛すことはできない。群に好意持つことはできても、個を好きになってはいけない。誰か一人を特異的に好きになることができない世界ってそれはもう"天使的世界"なわけ。

それは人が踏み込んでいはいけない領域だし、踏み込んでしまえばジンのように心が破損してしまう。……だけれども、そもそも破損していたら? 心が欠損していたら? そいつは現世になんらかの楽しみを見いだせるのか? ―――わからない。

ただそうならない場合が多い。感覚的にね。欠陥製品にとってこの世界は居心地が悪いし、なにより"向いていない"んだよね。筧も、筧のお父さんもしかり。

「私達はいつも、人類全体のことを考えなくちゃいけないの」

――凪


誰も特別に見れなかった人間だからこそ、人類全体のことを考えられるようになれる。人類を幸せにする奉仕者・羊飼いになる素質があると……。なんて皮肉。それはつまり、羊飼いというのは生前は「幸せになれなかった者たち」てことじゃないか。

 

 

魔法の本

 

同年代のクラスメイトたちが、毎日楽しそうに生きているのだ。

当時の俺は、彼らが魔法の本を持っているからこそ気楽に暮らせるのだと考えた。

クラスでたった一人、魔法の本を持たない自分。

――筧

 

魔法の本を求めない環境だからこそ、クラスの皆は幸せなんだよね……。

 

 

 

いえい、いえい

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「やったー、いぇい、いぇい」

――凪 

 癒される。というより元気出る、いえいいえい! こだっちゃんはいい笑顔すること多くて精神がロンダリングされていく感覚のよさよ。

 

 

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 にっこり

 

 

 

誰かの為に、貢献感、羊飼い

 

仕事を終えた俺の胸には、大きな達成感と充実感があった。

自分の行動が誰かのためになるってのは、想像以上に気持ちがいい。嬉野さんについては、明確に事故を防げた。文学青年は、目から鱗が落ちたようだと表情を輝かせて原稿に向かって行った。さっきの化学系の青年は、生きる勇気が湧いたと言っていた。

普通に生きていたら、一日3件も人のためにはなれないだろう。

羊飼いになれば、これが仕事になる。

――筧

誰かの為に生きていくことってすごい充実するんだよね。それもリターンを求めないGiveだけの関係は特に。他者に貢献していくと、なぜこういった感覚が芽生えやすいのかというと、人は「人との活動の中で自分の意義」を見つけ出すからかな?って思う。

自分はここにいてもいい、とか
生きていていもいい、とかいうのって、誰かとの活動の関係にあるのよねと。
羊飼いってある一面では、すごい寂しそうな人生に見えるけれども、違う一面では充実した幸せな死後なのかもしれない。

生きること、病むこと、老いること、死ぬこと、対人関係への苦痛―――それらを取っ払うのだから、幸せかもね?という一面があってもいい。

問題は精神がどこまで持つか、あるいはどこまで持つものだとしても、その景色は一体どんなものなのかってこと。いくら充実感を感じられたとしても、それが千年単位続いたとすれば……? これは概念の外側にある事象なので、うまく理解できない。

不幸なのか幸福なのかのイメージさえもよく分からん。どうなんだろ。

 *

 

あと見返りなしで誰かの為に何かするっていうのは―――図書部の在り方と同じなんだよね。もちろん羊飼いみたいにどうなれば最善の未来に到達できるか?なんてことは分からないし、行動に移せない。

でも誰かを<主>とし、自分たちを<従>として誰かのために何かするってのは同じなんだよね。「導き手」とは流石に言えないけれど、それでもサポートという点では同一だとおもう。

 

 

こっちの世界のことどうでもよくなってくるのよ

 

「羊飼いやってると、俗世間に興味がなくなるんだよね」

「あっちの世界のことっていうか、自分に関係ない世界のことみたいに思えてくるの」 

「できるけどさ……自分が混じっちゃいけない感じがしてさ」

「人を、サポート対象としか見なくなっちゃうのかも。職業病よねー」

――凪

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自分に関係のない世界か……。この感覚ってちょっと分かり難い。例えばある<場>にて必死に打ち込んでいるとする、会社でも研究でもサークルでもなんでもいいんだけどねそういうの。

でも必死に打ち込んでいて、かつその場が当人にとってすごい大事なものになったんだとしても、一歩外に出て「自分に関係ない世界だなあ……」って思うことって早々無い。

ちょっとはあるかもしれないけど、こだっちゃんみたいに「完全に切り離されたもの」として見ることは難しいんじゃないかな。

んー。

羊飼いの世界と、人間世界―――か。
世界の境界線を飛び越えていると、そう感じちゃうのかもしれない。
これはあれか、国と国を旅している人が自国以外「所詮関係ない」とか「自分の世界はここじゃない」て思うのと似ている気がする。

ポイントは「世界の境界線を行き来する」ってところか。

これって要は「自分は戻る場所がある」って思っているのが前提なんだよね。

 

奴らの餌にならないためには、相手を知り、ご機嫌を取るしかなかった。だから、周囲の人たちは、観察の対象でしかなかったのだ。

そんな幼少期を送ってきたせいで、俺の中にはずっと人間への不信が残っている。

人の群れの中で生きているくせに、なかなか周囲になじめない。いつも漠然とした不安が首の周りにまとわりつき、『お前は生まれてくる世界を間違った』とささやいてくるのだ。

――筧

あまりにも現実が苦痛になってしまうと、その現実を否定してしまう気がする。「私の居るべき世界はここじゃない」「もっと違う、良い、世界があるはずなんだ」と。

そうなるとグランドルール(=世界の最前提)が同じ今 "生きている" 世界では、ずっとその望みを抱え続けることになる。あるいは望みではなく、不信からくるものでも同じ。

とにかく、いくらその苦痛な家を離れても、その家で起きたことは、また、いつでも、どこでも、起きるのがこの世界なんだよね。だってどこにいってもグランドルールが必ず適用されているから。どこにも逃げられない。


 

白崎の考え方と、小太刀たちの考え方

 

「私が言いたかったのは、学園を作るのは生徒だけど、いい学園を作るために生徒を選ぶのはおかしいってことなの」

「みんなで一生懸命やってダメならしょうがないと思う」

――白崎

 

「一生懸命とか全力とか、みんなでとか……ばっかみたい」
(中略)
「生徒会長なら、多少厳してくても、みんなプラスになる道を探すべきじゃない?」

「白崎もそうするだろうよ」

白崎と多岐川さんで違うのは、白崎はその厳しい道を一緒に歩いてくれるってことだ

――筧、凪

 

「それに、もしも道で誰かがつまづいても、置き去りにしたりはしない。多岐川さんはその逆だ」

「つまづいた人のために、道を変えるなんて愚の骨頂だと思うけど?」

それは選んだ道が間違ってたんだろうな……白崎の考え方では」

――筧、凪

 
そうか……どうも「導く」という言葉には「導いてやる」「先導してやる」「まあついてきなよ」みたいな上から目線の傲慢な態度が無意識にあったのかもしれない。

でも白崎・ナナイさんがやってる「導く」とはそうではない。寄り添いながら一緒に歩く……みたいな感じだよね。最善の未来を知っているから、そっち行きなよっていう姿勢ではなく、こういう未来もあるんですけど、どうしますか?みたいな。

「しかし、従であった結果として、人が誤った方向に進んだらどうする?」

(中略)

それは、羊飼いが実力不足だったという……諦めるしかないでしょうね

(中略)

そこで手を出してしまうなら、結局、羊飼いは自分のエゴで動いたってことになるでしょ

――小太刀、黒山羊

 
凪ちゃんは白崎の言葉のニュアンスをちょっといじって発言している。でここで大事なのは「一緒に険しい道を歩いてくれる」「一生懸命やってダメだったらその時さ」っていう2点。

未来が分かるからといって、人を選別したり何かを強要したりはしない。
仮に人が悪い方向に進んで行くとしても、それに寄り添う
要はそういうことだ。
――筧

 

「大切なのは、願わず、見捨てず、ただ寄り添う……そういうことだと思う」

――ナナイ

 

そう白崎と多岐川=小太刀との違いは、「寄り添う」という言葉にかかってくる。応援……か。

 

 

 

 人間に興味のなさよ

 「言う気になったがな……。ま、筧は興味ないのかもしれんけど」

「悪い」

苦笑いを浮かべつつ、俺は、少々のショックを受けていた。
俺は、高峰のことに興味がないのだろうか?
友人の過去に興味を持てないとしたら、俺は他人の何に関心があるんだろう?

――筧

相手が攻撃してくるかどうかにしか関心がないなら、野生動物を変わらない。

人間に興味と関心を持てなくなった時点で、それはもう終わりなんだよね。なぜって自分から他者との接続を切っていっているのだから。最終的には孤立して孤独になる。本人にとってそれは不幸じゃない場合ももちろんある。

人に興味が無い場合、その誰かと一緒に過ごす時間すらも損した気分になり、なかなかその場を楽しむことができない。逆に互いに興味ある人間だと12時間とか14時間とか平気でしゃべり続けていられる。その状態が苦痛じゃない上に、むしろ楽しいからね、当然といえば当然。

 

 

誰かの幸せを希求すること

 「ただ、みんなが幸せになればいいって思えるんだ……特に図書部の奴らにはね」

――高峰

 
誰かの幸せを望むのってどういうことなんだろ? 自分が拡大化したという考えでもいいんだけど、もうちょっと別のなにかがここにはあるような気がしてならない。

いい奴らだから幸せになってほしい。幸福に。そして不幸にならずに過ごしてほしい。……。ああ……これも「好き」だからに集約されるのか。好きじゃないとそもそもこんなことを思わないもんね。いやけどこれは前提であって、幸福を望むこととは別な気がする。いやでも前提が延長線上の結果に繋がっているとしてもいいんじゃない?

 

 

 

寄り添うこと×佳奈すけ

 

「これ、学食の半額券なんです」

「1枚しかないんで、みんなには内緒ですよ」

オールメニュー半額、と書かれたチケットを握らされた。

「いいのか?」

「おいしいもの食べて、元気出してくださいよ。朝なら私もいますし」

――佳奈、筧

 
何か落ち込んでいて、でもその原因が分からなくて話してもくれなかたっときに、すっとこういうこと出来る佳奈すけは本当に素敵。大事なのは助言(という名の自分の意見)を与えることでも、他者の問題を解決しようとすることじゃなくて、ただ寄り添ってくれればいいんだなって分かる。

まさしく<並列関係>だよねこれ。どんなときも、何時いかなる時も、誰が相手だろうとも(さすがに誰でもは難しいけど)、自分と相手を並列にして置いて考え方。これだよ。


羊飼いなんていてもいなくても、

 

 「なら、羊飼いなんていてもいなくても一緒じゃない」

――小太刀凪

 ナナイさんの羊飼いの在り方について、反論する凪の図。とはいっても筧相手にだけれども、それでも、この言葉はイイトコロついていると思う。

そう、ナナイさんの理想に乗っ取るならば、羊飼いなんていてもいなくてもいい。今この瞬間に羊飼い約800人が突然消滅しても、人類の歴史が崩壊するわけでも、死者が生まれるわけでもない。

ただ幸福になれた人の数が、(人類的に見て)少し減るだけだろう。あるいは歴史上の特異点が生まれるのに、時間がかかるようになるとかそんなところか。

だから厳密には羊飼いは「いてもいなくてもいい」わけではないけれど、いてくれたら人類の幸福度が微量~増量される。でも凪ちゃんからすれば、そんな存在気に食わないってのも分かる。

 

 

永遠を前にして

 

永遠を前にして、不安で不安で一晩中泣き続けたこともあった。

それでも羊飼いになりたい。

――凪

 そうか永遠って怖いものだったんだなと思いだした。それは虚無感かあるいは死恐怖症にちかい「死」そのものといってもいい。とはいっても私はその感覚ちょっと分からなくて鈍いんだけどね。

永遠が好きだと、むしり焦がれるし憧れの対象物になるゆえに。

 

 

 

凪ちゃんの許容とあきらめ

何年かして里子にもらわれたけど、裕福で人の良さそうな里親夫婦はしかし、人ですらなかった。

でも、もう慣れたものだ。

生まれてきた世界を間違えたんだから、しゃーない。

しゃーない、しゃーない。

――凪

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この世界はあまりにも自分を受け入れてくれなくて、受け付けてくれなく、いつもどこかで弾かれて阻害されしまう。誰ともそぐわず、誰とも寄り添わず、群れの中に入ることもなく、たった一人でこの世界を生きてきたんだとしたら、人格形成を育んだ上で隠者としての世界を歩まざるを得なかったんだとしたら―――"生まれてきた世界が違うんだからしゃーない"っていう価値観にもうなずける。


しゃーない、しゃーない。


それはなんて、諦めきった言葉なんだろう。流れ落ちる言葉の余韻がすごく物悲しい。

 

帰るべき世界なんてどこにもないのだ。

でもさ、逃げたっていいじゃない。
もし、人間を辞められるなら、辞めたいと思うじゃない。
こんなにもどうしようもない世界から、抜け出したいと思うじゃない。

でなきゃ、自分が消えるしかなかったのだから。

――凪

 現実に未練がないものは、死ぬしかなくなる。執着をなくしてしまったら、消えるしかなくなるんだ。現実がどうしようもなく悲惨で不幸だったら、逃げたいと思うのは必然、そして"逃げる場所"が現実世界のどこにもないんだとしたら、もう"違う場所"に行くしかなくなる。

自殺者のパターンはいろいろあるけれど、1つはこの「どこにも逃げる場所がない」っていう諦観だと思う。凪ちゃんの心的原因は「人」という存在そのものに対してなので、本当の意味で居場所がない。だってこの世界「人」がいないところなんて珍しいのだから。それに例えあったとしても、「一人」で生きろといわれてうんと頷けるほどの生きる動機を彼女は持ちあわせていない。

"羊飼い"ってそういう人生を厭世してしまった者に対して、最後の希望ってなるのもすごい頷ける。私は魅力的に全然感じないけど、その感情だけは理解できる。
だから彼女を救ってあげられるのは、彼女の心に寄り添える者だけなんだよね。

小太刀が、未だに自分を守るために羊飼いを志望してるなら、俺は教えてやりたい。

心を許せる仲間は必ずいる。
この世は捨てたもんじゃない。
そして何より、誰かと生きる毎日は楽しい、と。

そしてもちろん"誰かがやってくれるであろう"なんて選択肢は皆無だ。いつだっていかなる時だって"自分しかいない"のだ。

 

 

多岐川の卑劣な行動と、凪の時間

「多岐川の奴、馬鹿じゃないのか」

――桜庭 

「絶対に許せません」

――佳奈

 ここまでしてくるのか……と、誰かの大事なものを踏みにじってまですることなのかと思った。怒りが湧いてくるかなと思ったが全然そんな兆候が見られなく、ただ集中のギアが2,3段ガタンガタンと上がって、凪のように水面が落ち着いていた。

呆れも悲しみも怒りも何も湧いてこず、ただただ時間が停止しそうでしなさそうなそんな感覚に溺れた。多岐川の行動はとても卑劣で醜いものだというのに、どうしてなんの感情も沸き立つことがなかったんだろうか。

自分が殴られているのに、どこか遠い世界のことのように思える。ぼんやりとしたベールを隔てて、暴力的な映画を見ている気分だった。

心理学の本で読んだが、虐待を受けた人間に見られる精神的防衛機構の一つらしい。

――筧

今振り返ってみると、あーそういうことかと腑に落ちた。あーそうかこの感覚かと。いーくんの言葉を思い出す "ねえ自分の後ろにもう一人の自分いるって感覚わかる?" と。 

 

 

 

それは祈り

図書部のみんなが俺に教えてくれたことを、今度は俺が小太刀に伝えるんだ。

今までもやっとしていた感情が、胸の中で明確な形を取っていく。

小太刀に幸せになってほしい。
同情でも哀れみでもない。
ただ、あいつの笑顔が見たいと思う。

――筧

 あいつの笑顔が見たい、幸せになってほしい。これはもう「祈り」とか「応援」ってよばれる感情だよね。相手に自分の心を乗せる行為。好意感情の投射、届くかどうかなんて問題じゃない。"届ける"行為そのものに意味がある。それが祈りであり応援。相手の夢を見るっていい方でも可。

 

 

助言とか忠言とか結局

 

「私はね、アンタみたいに生きられないの」

「羊飼いになれないから、じゃあ、これからはお手々繋いでいきましょなんて無理に決まってる」

「時間はかかるかもしれない」

「無理つってんでしょっ」

何かを振り払うように、腕を真横に振る。

――凪、筧

 助言とかあるいはアドバイスとかはたまた忠言っていうのは、その人との関係性の深さが無いと意味がない。心に届かないんだよね。それが分かっていない阿呆と愚者と無能は「正しいことを言う」ことだけに躍起になる。見てるだけでアホらしくて笑いが止まらない。

前提をすっとばしているんだよ。正しいこと言うのにも、前提がないと益体がない、全くもって無意味なのだから。

そして互いの関係性の深さに加え、「相手の心に寄り添っているか」「相手のことを"考え"ているか」という要素がないとこれまた言葉が全然届かない。自分の為に、利己的な言葉でどうにかできる思っている人間は最終的に暴力・蔑み・恐怖しか使わなくなるからね。

その点筧は違う。小太刀凪に寄り添っているからこそ、言葉の端々に真剣味が滲み出るし本気というものが伝わる。それに自分のことを一生懸命考えている人間のことを無碍にできないよね、今まで人間不信の凪ちゃんからすれば余計に。

「世の中、そんな捨てたもんじゃないって思えるようになった」

「だから……だからこそ、お前に伝えたいんだ」

「……一緒にやってこう」

――筧 

 

 

 

 

すべてを叩き壊す、暴力的な雨。

生きている限り、それぞれの上に、それぞれの雨が振る。

でも、もし誰かと手をつなぐことができたら、

もし、誰かと抱き合うことができたら、

どんなに悲しい雨の中でも歌えるかもしれない。

ね。

 

 

 

 

お疲れ様

 

ナナイさんと小太刀が目を合わせる。

「君の仮免許は、取り消しになる」

「……」

言葉をかみしめるように、小太刀はわずかに上を向き、目を閉じた。

 

「今までお疲れ様」

――ナナイ

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新しい門出。

新緑の濃い匂いと太陽がぎらぎら降り注ぎながらも、柔らかい風を身体で感じるようなそんな日。小太刀凪は、自分の人生を自分自身で選んだ。羊飼いにならないで、人間として生きていくということを。


胸がぽかぽかするようなそんな一日。

 

凪「私だって」

手の甲で目をこすってから、小太刀が微笑む。

筧「これから、絶対楽しくなる」

凪「うん……そうだね」

嬉しそうに笑い、小太刀が再び腕を組んできた。

 

絶対絶対。

 

 

 くさい台詞と桜庭玉藻

 

「部活や部室がなくても私達は仲間だ。何を恐れることがある?」

「なんなら、卒業したってそれは変わらない」

「相変わらず、桜庭先輩は臭い台詞が好きですね」


「悪いか」
「……いえ……すっごく好きです」

――桜庭、御園

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桜庭ちゃんのこういうとこ好き。くさい台詞を臆面なく堂々と言えちゃうあたりが良いよね。あんまり行きすぎたり、場にそぐわなかったりすると顰蹙買っちゃうけど、でもそういう場だったり、そういう雰囲気の時はがんがん使っていったほうがいいと思うんだよね。だって、こういう感情ってストレートだからめちゃ伝わりやすい。

あとこういうのもさらっと言えちゃうあたり惚れる 

 「大体、肉体関係はゴールじゃない……二人の始まりなんだ」

――桜庭 

 たとえ全員そう思ってたとしても、「直截すぎる表現」はなかなか使わないんだよね。もっとがんがん使っていける倫理観構築も私的にとてもアリ。

あと日常のなんともない事を「奇跡」的に感じたり、あるいは誰かとの出会い「運命」的に感じられる心は本当なら持っていると幸福感高そうだよねっ。偶然性と唯一性。

 

 

 

 人を変えるのは、対人と環境

 俺は、図書館の誰にも過去を打ち明けていない。
自分の心の問題もそうだ。
何一つ伝えていないにもかかわらず、みんなは俺を変えてくれた。

説教やカウンセリングがあったわけじゃない。
ただ、毎日を賑やかに過ごすだけで、俺は変わっていけたのだ。

――筧

 

人を変えるのは対人と環境。その人の能力を伸ばすのだって、環境がそぐわないと伸びなくってくる。子どもの教育環境しかり、モチベーションが高い職場しかり(20%運動)。環境によって人は堕落もするし、才人にだってなれる。

才能の問題もあれじつは、個々人の能力ももちろん大事だけど、それと同じくらいに「環境」だって重要なんだよね。

人に興味がなくても、不信があっても、良い奴らばかりの環境に身を投じることができれば自ずと+の方向に上昇していく。思考や思想、スキルや能力などなど。


 

多岐川の反論

 

「部室の件はそもそも……」

いい、お前の反論など聞きたくもない」

――多岐川、桜庭

この段になっても多岐川はexcuseばかりで……もうだめだわ……と思ってしまった。「ごめんなさい」とかじゃなくて、保身を優先してしまうその態度に、もう目なんて当てられない。桜庭と同じく「もうお前いいよ、失せろ」とそんな気分になってくる。

しかしこの後多岐川さんを生徒会陣営に組み込むことになるんだから、図書部は懐深い。

 

 

 

人生は、その人のものだから

 

「私は今が楽しい。そして、図書部からいろいろなことを教わった」

「いや、図書部の活動を始めたことが、私の人生を変えてくれたと言ってもいい」

「小太刀には、感謝こそしても、恨むことはない」

――桜庭

 

御園「私も同意です」
御園「今はすごく楽しいですから」

御園が微笑む。

鈴木「私だって感謝してますよ」
鈴木「図書部には、返しても返して切れないくらい、色んなものをもらってますから」

 

「図書部の結成のきっかけになるメールを私が出したのは本当」

「でも、道を選んだのは、みんな一人一人ってこと」

「羊飼いは、あくまで人間のサポートで……」

言いかけて、小太刀が止まる。


「人生は、その人のものだから」

――小太刀凪 

 
本当は筧にいじわるするためだけだった「図書部結成」。でもいざ図書部を結成してみると、筧、桜庭、鈴木、御園、白崎、高峰はそれぞれ大事なものを手に入れることが出来た。

凪ちゃんの行動動機は悪だったけれど、行動の結果は善にくるりと変わっているところがなんかいいなあって思った。理由なんてないし理屈もない、ただなんとなく、なんとなく、ね。

"人生は、その人のものだから"

至極当たり前で、でも決して忘れちゃいけないこと。ただどこかでふと忘れてしまっていることでもある。「キミは私じゃない。キミの人生はキミのもので、間違える権利も失敗する権利もある」ってことを。

誰かの人生を、どうにかしてやろう、いい方向に導いてやろう、なんてのはとてつもない傲慢なことなんだよ。傲慢なことだと理解しつつかつ、相手のことを想って行う場合は私は善しと判断できるけど、そうじゃないなら本当にもうクソ。


「人は一人で勝手に助かるだけ」


「僕は助けない。君が勝手に助かるだけさ」


といったのは忍野メメだが、これは彼なりの謙虚さが滲み出てるよね。つまり"他人の人生なんて自分がどうこう出来るものじゃない"っていう前提は彼は持っているから「助ける」という言葉に人一倍気を使っているんだと思うのだよ。

化物語(上) (講談社BOX)

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 でここの意識が欠落していると、他人の人生を破壊する結果になるし(子どもが自分のいいなりになっていると思っている親etc)、争いに十中八九なる。もし言っている意味が分からないなら、試しに相手の生き方に「なにそれ馬鹿なの?」といちゃもんつけてみればいいよ。

 



誰かと一緒に生きること、その体感覚

 

「これからも一緒にやっていこう、小太刀」

――桜庭

 

「ありがとう……」

「……みんな」

『みんな』

小太刀の口から、その言葉がこぼれることに大きな感慨があった。小太刀が俺と似たような人生を送ってきたのなら、今までほとんど口にしなかった言葉だろう。

――凪、筧

 一人で生きるのは楽だけど、楽だからといって楽しいわけじゃないんだよね(ね、マトさん)。共同体感覚、誰かの役に立てている自信、他者との活動、コミット、接続……。みんな。キミとボク。

こだっちゃんの嬉しさはすごく分かる。ということであとはこれをもっとよりよく楽しんでいくだけだよねん。

 

 

 

 

 

 

 "意味"が変わっていくこと

 

 「京太郎に救われて、京太郎に邪魔されて、忘れようとしても忘れられなくて、またこうやって京太郎に救われてる」


「私の人生にとって、京太郎ってなんだったんだろうね」

凪が寂しげに微笑んだ。

こいつの中での俺は、時期によって意味を変えながら今まで生き続けてきた。俺との出会いが凪にとって幸せなことだったのか、そうでなかったのか、俺にはわからない。

――凪、筧

 自分の中である概念がころころと意味が変わっていくのって、何かに似ているよね。なんだろ。最初はミーム(既存の意味じゃない)かなと想ったんだけど、またしかにそれはそれで似ているような気もする。


 

 

 

 

みんな誰かの羊飼い

 

 「あんたは、私にとっての羊飼いだってこと」

「だって、ずっとずっと前から、私が幸せになる道を教えてくれてたんだから」

――凪

 

だって、俺たちはもう知っているじゃないか。

誰かと生きる世界は、そう捨てたもんじゃないってことを。

 

 

 2ドットくらいですけどね

 「かつての鈴木ファンとしては残念ですが、少しだけ羨ましいような気もするんですよね」

2ドットくらいですけど

――嬉野

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1ドットくらいですけどね、2ドットくらいですよ、3ドットくらいですかね?

 

 

 

幸せにしたかったし、幸せになりたかった

父親には、それがわからなかった。
人に裏切られ続けたことが一つ。

そして、なまじ未来が見えたことが、親父から人ともに生きるという発想を失わせたのだろう。親父つはいつも、自分さえ上手くやれば周囲を幸せにできると想っていたのだと思う。

だからこそ、結果がともわないのは自分の責任だと誤解したのだ。

 

「どうして、羊飼いになることにでしたんですか?」

「今まで、幸せにできなかった人たちを、幸せにしたかったと言っていたよ」

「それに、こんな自分でも誰かを幸せに出来るのが嬉しいとも言っていた」

――筧、ナナイ 

 ナナイさんの根底にあるのは、「自分の責任でみんなを不幸にしてしまった」という罪悪感だろうか。だから「今まで幸せに出来なかった人たちを、幸せにしたかった」という言葉を紡いでしまう。

ここで問うのは、「ナナイさんもまた"羊飼い"としては不十分な人」ということ。羊飼いになる条件は(彼曰く)1、人を平等に扱う。2、人類の幸せを祈れる。こと。

けれども私はそれだけじゃダメだと思う。もう一つ付け加えると、「寄り添える精神」が必要なんじゃないか?

彼が言う幸せにしたいって、幸せになって欲しいと思う気持ちとは別領域の話なんだよね。前者は自分の力で相手の人生に干渉するけれど、後者はただ祈るだけそうなって欲しいなと"願う"だけ。大事なのはこの「願うだけ」「寄り添うだけ」なんじゃないか?

幸せにしてあげたいと思うのは良いと思う。それが"人間"ならば。人間ならば最善手がどこにあるかなんて分からないし、どうすればよりよい未来を送れるのかもピンポイントでは選択できない。だからこそその人と寄り添って生きていく―――ことに繋がる。

でも羊飼いは違う。彼らはどうすれば対象者が幸せになれるのか知っているし、不幸にならずに済むのかも<魔法の図書館>の力によって熟知している。

でもこれって変な違和感を覚える。結局どう転んでも「羊飼い」は、「導く」ことしかできなくて「寄り添う」ことは不可能なんじゃないの?ってこと。

なぜ導くことではなく、寄り添うことが大事なのか?

それは

 

「人生は、その人のものだから」

――小太刀凪 

 
つまり、羊飼いという役割・存在自体が、誰かの人生を書き換える行為に直結している。とすれば、それは誰かの人生を土足で踏みにじっているのと同じだし、魂の侵略といっても差し支えない。

これは"結果"幸福を得たかどうか、ということじゃなくて、原理的に悪だよねっていうお話。

羊飼いという存在は、誰かを導くことは出来ても「寄り添う」ことは、その性質上不可能なんじゃないか?

そして寄り添えることが出来るのは、「人間」だけなのでは?

 

人と人との出会いってのは不思議なものだ。
望む望まざるにかかわらず、人をどんどん変えていく。

そういう意味じゃ、人は誰でも、誰かにとっての羊飼いになれるのかもしれない。

――筧

 

ガキの頃のあの日、魔法の図書館へ誘ってくれなければ、もっと壊れた人間になっていたのかもしれない。

そして、一ヶ月前のあの日、羊飼いに誘ってくれなければ俺は孤独なままだったかもしれない。

 

 

 

 

謝ってほしかったんじゃない

 

「『ごめんね』」

違うだろ。
母親も俺も、謝られたかったんじゃない。
今の俺には、母親の……そして、当時の俺の気持ちがよくわかる。

俺達は、親父がその能力で予見した『幸せな結末』がほしかったんじゃない。

ただ、幸せを目指して一緒に歩きたかっただけなのだ。
幸せを掴むまでには困難があるだろうし、場合によっちゃ不幸な結末に終わるかもしれない。

それでも、一緒に歩きたかった。

――筧

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「一緒に歩く」、「寄り添う」、「傍にいる」―――――結果がどうとかじゃなくて、そこに至るまでの過程を重視するとそういう考え方になるよねと。これは白崎の在り方そっくりと言ってもいい。

結果ではなく、"手段"こそが大事だっていうこと。もちろんできれば最上の結果が良いというのはそうなんだけれども、その最上の結果よりも、最上の手段のほうを取るかどうかが、


「幸せな結末を望み、一緒に歩こうとしなかったナナイ」と

「幸せな結末なんかどうでもいいから、一緒に歩いて欲しかった筧」との違いになるんだろうね。

俺は羊飼いにならない。
共に歩むべき仲間がいるから。

そして、俺を大切に想ってくれる人がいるから。

果てに待つのが悲しい結末だとしても、俺が必要とし、俺を必要としてくれる人と歩く。だってさ、その方が楽しいじゃないか。 

 特に人生のような曖昧模糊としたものに「ゴール」なんてものはないし、結末だと思ったものの実は途上に過ぎなかった、、、なんてこともよくある。

明確な終着点は死ぬことなんだけども、そんな長い道のりを意識して人生を送れる奴は稀有だ。なぜならそんな「遠い」結果のために、人は歩くことが出来ないから。(もちろんやってのけてしまう奴もいるけど凡人には無理)

「結果じゃないんですよ。ただ、一緒にいたいんです」

 

 

 

 相手の考えが変わらないことに、嬉しさを覚えちゃうよね

 

「違うんですよ。ナナイさん……あなたの考えはズレてる」

「……母さん……最後の奥さんは、幸せな結末が欲しかったんじゃない」

「ただ、その人と一緒に生きていたかったんだ」

――筧

 

ここに来ても、認めないのか。
もう、何もかもが遅いんだな。
ナナイさんは、完全に過去との繋がりを経ち、我が子の叫びにも応えない。

――筧

 筧はナナイに自分の考えを主張するが、ナナイさんはそれに応えない。曖昧に笑うだけだった。

でもこれでいいと思うんだよね。彼が積み重ねてきた人生、彼が苦悩してきた人生を、たった一言二言で「間違いだった」なんてことに私はしたくない。ナナイさんはナナイさんなりに、生きてきたんだよ。

それが例え、他者から間違っているように見えても、失敗したように見えても、それでいい。彼の人生は彼のものだから。

だから息子の言葉で、何も変わらなかったナナイさんのこと私は好きだよ。

 

 

 

彼に贈る言葉

 

俺の記憶からも消えてしまう父親、俺は何をすればいい。

誰からも記憶されることなく生きていく父親に、何を残せばいい。

――筧

 

「俺はあんたが嫌いだ」
「……でも、ありがとう……俺を導いてくれて、ありがとう」

「俺は……」

「いま、幸せだ」

――筧

 もう「ありがとう」っていう言葉しか出てこないよね。それは祈り。

 

風に乗り、何かが俺の眼前をひらりと通り過ぎる。
咄嗟に掴む。
「……」
手を開くと、そこにあったのは、親父に返した栞だった。

 

「(忘れなくていいってことか……)」

 

もう羊飼い候補生でもない筧に、自分の栞を渡したナナイさん。

これは見方を変えれば、人類平等を貫いているナナイさんが「息子を特別視」した瞬間だったのかもしれない。そう思った。

 

 

 

 誰から忘れ去られるってこと

 

「誰の記憶からもすっと消えて、それでいてみんなのために生きていけるって、すごく危険です」

「すっごいネガティブですけど、人の一つの理想なのかもって思います」

誰の記憶からも消えたい人って、きっと少なくないですよ


――佳奈

 佳奈すけの意見を筧は「社会的な自殺」と評した。まそれはどうでもいいんだけど、そんなことよりね「誰の記憶からも消えたい人」なんているのか?とちょっとはてなマークでいっぱいになった。

持論だが人間が"死ぬ"っていうのは、肉体が滅んだからではなく、誰の記憶からも忘れ去られた時に私は"死んだ"というものだと認識している。

私のことを覚えてくれる人がいる限り、私は死なないということでもある。誰かが私の思い出を想起し再生できる状態であればまだ生きているのである。例え肉が焼却されようともね。

だからこそよく分からない。誰からの記憶からも忘れるってことは、自分のことなんかどうでもいいってこと? 自分のことなんか"死んで"しまってもいいってことなんだろうか。

自分の生きてきた軌跡を、人生を、誰にも覚えてほしくない。消して消して消してよ!みたいな。そんな感じなんだろうか。

ただ単に自殺(=肉体を毀す)するんではなく、誰からの記憶からも消えたいってそういうことのように思える。 

 

人間のために自分を犠牲にすると考えれば、ヒロイックではある。

だが、人の記憶から消えるために人間への奉仕義務を負うと考えれば、印象がまったく変わる。

行き着く先は一緒でも、プロセスは違う。

――筧

 


筧が言っていることはつまり

1、自分を犠牲にして(=人間辞めて)、人類の幸福を願う存在になる

ってのと

2、究極的に死にたい(=誰の記憶から自分を消し去りたい)ゆえに、羊飼いという義務を背負った

という違い。

この2つの何が違うって、羊飼いになった「動機」が違うんだよね。前者はヒロイック精神で、後者は希死観で。

結果はどちらとも、羊飼いになることだが、動機が違う。動機が違うってことは、羊飼いという役割への姿勢とかも大きく関わってくるはず。

誰かを幸せにしてあげたいって思った人が羊飼いになる、それはきっと心のベクトルとその活動はとてもマッチングしている状態。

対して、究極的に死ぬ為に羊飼いの義務を背負わされた人はどんな感じなんだろうか。世界から自分を消し去る為の代償が、「永遠に人の幸福を祈り続ける」だなんてすっげー……不幸じゃない?……。

だってその人、世界が嫌で嫌で仕方なくて、人間なんか大嫌いで大嫌いで仕方ないから、誰からの記憶にも残りたくなかったんでしょ?……。

 

 

誰からも忘れ去られるってこと

 

私がよく知っている場所は、もう私を覚えていない。

――凪

 凪ちゃんが「よく知っている場所」「好きな奴たち」から自分と存在を忘却してしまっていることに感傷的になっている図。

これを見て、あーなんだ凪ちゃんまだ、人間のこと好いてくれているんだってほっこりした。そうまだ彼女は、"世界を諦めていない"。

 

『小太刀へ―――

小太刀にとって俺たちが特別じゃなかったとしても、俺たちにとって小太刀は特別な存在だ。

また会える日が来ると信じてる。

筧京太郎』

  

「馬鹿じゃないの……ホント、馬鹿」

――小太刀凪

 馬鹿じゃないの?ばかばかばかあ!!

 

 

<メモ> 

凪「そんなに思い入れがあるように見える?」

筧「ああ、メジャーデビューを夢見てる駆け出しアーティスト的な感じだ」

凪「お先真っ暗っぽくない?」

筧「みんなそこから始まるんだ。俺だってそうだった

凪「あんた誰よ? 意味わかんないし」

 誰だよw 

 

 「仲間のために羊飼いになるってのは悪いことなのか?」

「胡散臭~」

「私は『人のため』なんて一番信用できないけど」

「お前はそうかもな」

俺様ちゃんは違いますか。まーいーですけどね

――凪、筧

 違いますかーふふ

 

 

「大好きな人と朝の時間を過ごすことが夢だった」

――桜庭

 こういうのを言えちゃう桜庭ちゃんほんと最高。

 

 

 

 <凪√終>

→→次回は『大図書館の羊飼い』の総括感想記事でお会いしましょう。

 


つづく

 

 


<参考>