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『僕は友達が少ない』柏崎星奈がギャルゲーへ傾倒する理由が友だち探しの一環であるならば、なぜ百合ゲーはプレイしないのだろ?

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はがない×星奈×ギャルゲー

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僕は友達が少ない』8巻と9巻の間にある『Connect』を読むまでずいぶん間が空いてしまい、柏崎星奈がギャルゲーへ傾倒する理由をすっかり忘れてしまっていた。

なぜ彼女はギャルゲーに夢中になったんだっっけな。

簡単に思いつくものとしては、可愛い女の子を愛でたい、見たい、舐めまわしたい、重厚な物語を読みたい食べたい飲みつくしたいだろうか。要するに「楽しい」から隣人部でいつもプレイしているだろうか。

いや、なんか、違うな……と思ってたらこの疑問に『Connect』は答えてくれた。(太字は筆者がつけた)

 

 星奈が欲している友達というのは、星奈が魅力を感じるほどハイスペックで、彼女のありのままを受入れた上で仲良くしてくれる天使のような性格を併せ持つ人間らしい。

 たしかに、まったく無理せずありのままで付き合えるならそれに越したことはないだろうが、そんな友達関係など滅多にない。

 ましてや星奈ほど性格に難のある少女なら、なおさらそんな完璧な友達を見つけるのは困難だ。

 度量が大きい者はいるだろう。優しい者はいるだろう。星奈の性格を好む物好きもいるだろう。星奈と同じくらい可愛い者もいるだろう。星奈と同じくらい勉強ができる者も、星奈と同じくらい運動ができる者も、世の中には大勢いるだろう。

 だが、それら全部を併せ持つ完璧超人など極めて稀少で、あまつさえそんな人間が運良く星奈と出逢える可能性など、天文学的な確率に違いない。

 柏崎星奈は現実に対して妥協しない。

 完璧でないのなら、いらない。

 間違っているのは自分ではなく世界。

 

――ステラ(僕は友達が少ないConnect)p210

 

 

 星奈が求めてやまなかった "星奈が魅力感じるほどハイスペックで、彼女のありのままを受け入れた上で仲良くしてくれる天使のような性格を併せ持つ人間" ――そんな完璧超人はゲームの中にいたのだ。

 これぞ運命の出逢いとでも言わんばかりに一睡もせずに『ときメモ』を完全クリアした星奈は、その日から寝る間も惜しんで片っ端からギャルゲーに没頭するようになった。

 

――ステラ『僕は友達が少ないConnect』p214

 

 

そうさ!星奈は求めていた「完璧な友達」がギャルゲーにいたから夢中になっていたのだ!!

 

この衝撃的な事実に私は「こいつすげえな……」と思わずにはいられないし、そうかそういう楽しみ方があったのかと尊敬してしまった。

「理想の友達」がゲームにいるからこそ、ギャルゲーへ嵌る。今振り返ってみると、小鷹を筆頭にして隣人部のメンバーって恋よりも友達を最上位に置いている者が多い。夜空の小鷹へ対する想いも「小鷹」ではなく昔の「タカ」の友情から始まっているし、理科は理科で恋人になるのは御免だからっていう態度をそこはかとなく取り続けどこまでも小鷹とは「友達」との関係を築きたいと願っている。

そういえば、星奈は小鷹へ告白したのでついそれを「性愛」で捉えていたが、先述した考え方で振り返ってみると、あれ、もしかしてそうではない…? 

例え「告白」をしてもそれはどちらかというと友愛による告白なのかもしれない。性愛をベースにしない恋愛と考えると私の中のステロタイプな恋愛像が変質していくのを感じる。おもしろい。

イメージとしては『ConcertoNote(コンチェルトノート)』の神凪莉都と倉上進矢の恋愛に近いと思う。"恋人"というよりは"仲間"という感じであり、"友"であり"絆"だ。あの対等を突き詰めていったような二人の距離感はとても心地よい。

覚えているだろうか。莉都が進矢に放った"甘さ"なんて微塵もない、けれども暖かい言葉の数々を―――

 

 

 

脱線してしまった。話を戻そう。

疑問に思うのが、柏崎星奈が「理想の友達」を求める理由でギャルゲーへハマりこむならば何故「百合ゲー」を嗜好しないのか? 

『その花びらに口付けを』『屋上の百合霊さん』『FLOWERS』といった百合ジャンルに手を出してもおかしくなさそうなのだけれども、異性愛・恋愛アドベンチャー(ときめもに近い作品)ばかりプレイしてたような。

 

 

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というのも、ギャルゲーは男性主人公が基本でありヒロインもまた主人公が男性である体で接してくるし、逆に百合ゲーでは女性主人公が基本でヒロインもまた主人公が女性である体で物語が進む。

結局最終的に行きつくのがどちらとも「恋愛」だとしても、星奈のプレイスタイルだと最初から友達で接してくる(ことが多い)百合ゲーのほうが合っているのではないか。

さらに言えば、柏崎星奈は「主人公同化」型のプレイスタイルなのは劇中でも明らかで――理想の友達と仲良くなるという目的・キャラクターの好みに合わせて水泳を覚えようとするのはまさに――自分と同姓である女性主人公・女性主人公に接するヒロインの世界観のほうが相性良さそうだと感じる。

 

私は女性だから男性主人公に感情移入しにくい、っていう話をしているんじゃなくて、ここまで↓のような自己投影型のプレイスタイルだと、百合ゲー世界観の方がよりハマルんじゃないのかなっていうだけである。

 

 

 「……あの。お嬢様は……"そういうシーン"を見ても何とも思わないのですか?」

 すると星奈はとても魅力的な笑顔を浮かべ、

 「なんとも思わないわけないじゃない! すっごく感動するわ! 可愛い女の子がついにあたしに身も心も全部さらけ出してくれてるのよ? これまで一緒に困難を乗り越えてきた甲斐があるってものよね!」

 「そ、そうですか……」

 星奈は目に感動の涙さえ浮かべてマウスをクリックする。

 画面の中で全裸の女の子が「ルーカスのおちんちんとっても熱いれすううう!! 私のお腹の中でびくんびくんってなってましゅうううう!!」と矯声を上げる。

 

――ステラ、星奈(僕は友達が少ないConnect)p215

 

 

 彼女のギャルゲースタイルって「恋愛」を「友情」に置換させているようだし、実際そういうプレイの仕方なんじゃないかな。

ギャルゲーっていうのは男と女が恋愛に発展していくゲームであり、例えそれがシナリオが重厚な『最果てのイマ』のような作品だろうと、異なる主人公が物語を紡いでいく『俺たちに翼はない』のような群像劇だろうと、最終的に「恋」と「性愛」が絡んでいく。別にセッ久しなくてもね。

なので友達同士で居続けるというのはサブキャラクターならともかく、メインヒロインの場合はほぼ存在しない。(個別√にずっと入らないというのならば別だけど)

 

そんな恋愛中心の世界で、完璧な友人を求め、それを動機にゲームを買い、そのゲームキャラクターの為に現実の行動まで影響を受ける星奈は、劇中内の恋愛のファクターを友情に置き換えて楽しんでいるのではないかっていうことだ。

恋愛のもつれは友情のもつれであり、 破局はただの別れとなり、セッ久は相手に自分を開示する肯定行為に置き換わる。

例えば『ナツユメナギ サ』ならば、渚と羊の恋愛が友情に置き換わるのということなんだろう。羊のために街を駆けまわり、羊のために頑張り続ける渚。羊の悲しみを拭おうとするそれは愛とか恋ではなくただ彼女との「友情」の為に がむしゃらになって行動していたのだ―――っていう見方は案外悪くないなと思う。というかそれはそれでアリだな。

 

なるほど。

友情か。

 

友情とは恋情と等価になりえるし、あるいは上回ることさえある。そんなの当たり前のかもしれないけど、私はどうも恋愛のほうを友情よりも「上」だとしている節があるな。あるいはイデオロギーだろうか……。

とはいえ、恋が絆に変わったところで何の違和感もないし、恋情より<友情という結末さえ納得できそうだ。原作『リトルバスターズ』の棗鈴と小鞠ちゃんの関係が素敵に見えるならば理解は難しくない。夕日が燃え上がる屋上で鈴が覚悟を決めたとき、もうそんなの判りきったことだったのかもしれない。

   ◆

柏崎星奈が百合ゲーに手を出さないのは、あの世界ではそもそもそんなジャンルないか、まだ彼女は未開拓なだけなのかもしれない。たぶん見つけることさえ出来れば、ずぶずぶやりだしていくようでもあり、BLゲーもやらせてみたらどういう反応をよこすのか結構興味がある。
 

とにもかくにも、星奈のギャルゲースタイルって興味深くて面白いなと思った今日この頃である。

 

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ナツユメナギサ

 

『コンチェルトノート』を買うならば、今はこのコンプリート版を買えば『黄昏のシンセミア』と『見上げた空におちていく』がセットの三作パックがお得かもしれない。

そういえば絵柄かわったなあと。