猫箱ただひとつ

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高齢者の自殺「ゴールテープ問題」にどう対処すればいいのか?【自殺者1万人を救う戦い】を見て (3661文字)

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約50分のドキュメンタリー映画。「自殺者一万人を救う戦い」を観て、とりあえず思ったことをつらつらと書いていきます。

自殺との戦いにおいて、「敵」はいったい誰なのか。(中略)日本の高い自殺率の真の原因究明に挑む一人のアイルランド人の物語である。



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高齢者の自殺にどう対応すればいいのか


私がもっとも感心があったのはここ。高齢者の自殺について。動画ではこのように語られています。

日本の自殺被害者の3分の1は60才以上。

しかし、高齢者の自殺についてはあまり語られていない。ただ年を取り 人生にうんざり それだけでしょ?
(中略)

退職後の課題は
その1、毎日行くところがない
その2、社会的地位の損失
その3、趣味がない
その4、人脈がない
その5、何をしたらいいのかわからない


これ私が言っている実存退廃者と同じだと思うんですよね。実存が欠けてしまい「なぜ生きなくてはいけないのか?」という空虚な問題を心に抱えている人のことです。

明日は暗く、未来に希望はなく、現実に絶望している。そんな"ここ"の世界に立っている感覚が乏しい人を、私は実存が退廃しているので実存退廃者って呼んでます。

高齢者が抱えている問題が、まさにこれだと思うんです。彼らの問題は、「次はなにをしたらいいの?」というもの。仕事や家庭、子育てで結果を残し、目標を成し遂げたあと、一体そのあと、なにをすればいいんですかね?

―――ゴールテープを切った後も、走り続けるなんて滑稽だ、まるで道化じゃないか。退職後の生活はそんな気持ちで溢れているのだと私は感じます。


仕事に人生の全てを賭けていた場合、退職後行く所なんてない。趣味もない。人脈という名の友だちだって切り捨ててきたその生活。そんな生活。
やることがない。なにをしたらいいかわからない。そりゃ死にたくなるのは分かる気がします。。このことをこれから「ゴールテープ問題」と呼びます。

彼らの「ゴールテープ問題」の、最大の問題は「生きることへの動機の欠如」です。これを取り戻すことができれば、快活に人生を送ることができそうだと私は思います。


しかし、人生に絶望している人が(字面以上の意味)、そう簡単に生きることの動機なんてものを持ってくることができるんですかね?


正直、私にはこれをすれば大丈夫!だなんてことは分かりませんし言えませんが、こういう方法ならもしや……?というものがあります。それは


1、労働ではなく「活動」をする
2、<場>を探す、もしくは作る。



他者となにもかも"共有"するしかない

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「ゴールテープ問題」に関して言えば、新たに目的を再設定することで、生きることの動機に繋がると考えます。


そしてそれを成す為には、「人間が閉じて」いては成せません。「人間が閉じる」とはどういうことか? 何処にも繋がらず、何も得ようとしない、他者とコミュニケーションを取ろうとしない人間のこと。

そのほうが楽ですからね。相手を信頼せず、期待せず、自己領域内で一人で孤独に生きるということは。しかし一人だからこそ、孤独だからこそ、「ゴールテープ問題」は起きてしまうと私は考えます。


誰にもその懊悩を、苦しみを、痛みを分かち合うことができないから、心象領域内でどこまで落ち続けて行くことになってしまう。


だからこそ、他者と感情を共有し、熱を共有し、言葉を共有し、行動さえも共有していくことは大事です。

そういった人と人との活動」をしていけば、実存は回復すると思います


しかし、現実問題どうすればいいのか? そこで<場>の探索か生成を行うのです。


ここで言う<場>とは、自分自身が持っている考え方、倫理観、生き方が似通っている人がいる、もしくはそれらを許容してくれる共同体意味です。

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「人と人との活動」をするためには、まず他者がいないと始まりません。

その他者が不寛容な性質を持っている場合、「なにかを共有していく作業」というのは困難を極めます。

例えば、……んーそうですね。自分が好きなことを否定してくる相手と、言葉を交わしたいと思いませんよね? 相手の気持ちを考えたいとか、相手の身になって接したいとかも思わないでしょう。


アニメが好きな人が、アニ研や漫画研究部に入ると楽しい日常を送れそうだなーというのは感覚的に分かると思います。しかし、アニメを好きな人が、「アニメを嫌っている場」に入っても長続きしないのも同じくらいに理解しやすいです。

他者のアイデンティティを受け入れることに、拒絶的な共同体<場>にいても、仕方ありません。
余計、精神的ストレスがかかってしまいますしね。なので、自分自身が許容されそうな<場>を探すしかありません。


この<場>というのは、なんでもいいのです。なにかに興味があるなら、それを学べる◯◯教室という<場>に通ってみるのもいいかもしれません。俳句や、川柳教室など(あるか分かりませんが)。

好きなことも興味もないというのなら、町のボランティア活動に応募してみるとか、とにかく許容的である<場>を見つけて、そこで他者との交流を図ることで、現実への絶望が薄らいでゆくのではないかと。


今はインターネットがあります。自分の趣味が、いつも周りとは違い、疎外していた人でも、同じ趣味を持った人と簡単に繋がれます。インターネットは規模も人の母数も違うの当然といえば当然です。ですが、これは画期的なことです。


この日本で、日常的に着物を着ている人。ドール蒐集がたまらなく好きな人、社会不適合者、大人になってもミニ四駆で遊ぶ人、エ口ゲを愛していると謳っている人などなど。そういった「周りでは理解されなかった少数派」が、同じ少数派とかんたんに接続できる。


言葉を交わし、気持ちを共有することができるようになった。インターネットでは<場>が無数に無限に散らばっているので、精神的な孤独になりづらいとも言えます。

『悪』は世界を変えていける―――あなたの心には今なお『宝物』はあるだろうか? ならば自分が自分でいられるための生存戦略をはじめよう (3786文字) - 猫箱ただひとつ


更にいまは、「現地ボランティア募集」や「現代の駆け込み寺」なんかもぽつぽつと可視化されてきました。精神的にも肉体的にも、<場>を介し「人と人との活動」が以前よりもかんたんに行えるようになったんじゃないですかね。

ここまでをまとめ。

「ゴールテープ問題」に関して言えば、自身を許容されそうな<場>探してみる、もしくは自分で作ってみる。そこで他者と言葉や気持ちを「共有」していくことで、実存が取り戻せるのではないか? と私は思っています。


でも一番最初にスルーした問題が残ってはいるんですけどね……。




<場>を探すというが、それすらも探す気が起きないのならばどうする?

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「ゴールテープ問題」を解決できるかもしれない「<場>の探索」・「他者との交流」。しかし、それらをそもそも "行おう" と思えなければ、なにもはじまりません。

人生に対して、どうでもいい、もうだめだ、死にたいと思っている人が、今更他人となにかを共有する?……はははぺっ! と思っても不思議じゃないです。


つまり、「ゴールテープ問題」を抱えている人は、「自分」だけではどうにもできないからこそ、今の現状に至っているわけです。


だから、「外部から他者が介入」しない限りは、現状維持を継続していくことになると私は指摘します。


「自分でなにも起こそうとしない」「他者からの"外"に連れ出さなくてはならない」。これは、正直弩級に難しい……。

今や、困っている人に善意で手助けしてくれる人なんていません。いたとしてもすごく珍しいでしょう。「ゴールテープ問題」を抱えている人が100人いたら、外部から他者からの手助される人なんて、いったいどのくらいいるのか……わかりません。

しかし、そういった善意の手助けを行政が行う、組織だっての行動をすることができれば、この手の問題は一歩先へと進むことになるはずです。


そして、それを行えてしまう「宗教」はだからこそ強いとも言えます。日本では宗教は良いイメージはなく、カルトだの入信するやつはあほだの言われています。

とか言っている私も、あまり良いイメージを持っていません。

そんな宗教。そんなある宗教から勧誘され、外部から手助けされ、自分を許容してくれる<場>を見つけ、信者と交流し、言葉を、感情を共有することで人生への絶望を払拭できる人は多いでしょう。

しかしその代わり、今の日本では。周囲から後ろ指をさされ「カルト」「信者」と嘲笑されるでしょうね。


国や行政の即刻解決が難しい「自殺問題」、「ゴールテープ問題」。

ほんとうに苦しくて危険ならば、自身が信じる宗教に入ってみるのも一手としては十分アリなのかもしれないと、この動画を観てて思いました。




みなさんはどう考えますか?



<参考>

よくわかるキリスト教
土井 かおる
PHP研究所
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