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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

三日月夜空が夢見て諦めたように「欲しい世界」が絶対に手に入らないと気づいてしまったら【僕は友達が少ない9巻】

ラノベの感想 僕は友達が少ない
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*9巻ネタバレ注意。

 

はがない×三日月夜空

 

 『僕は友達が少ない』9巻で夜空はアニメを見て「こんなお話も悪くない」と語り始める。

 

「……それでも、私はああいう単純な話が嫌いではないのだ。家族や友達を守るため、自分の命も顧みずに飛び出す勇敢で優しい主人公。単にゲルニカの人物像を詳しく描写することを怠った結果としてそうなってしまったのが伝わってくる雑なシナリオだが、それでも私は好ましく思う。正義は必ず勝ち、悪は必ず裁かれ、努力は必ず報われ、信頼は絶対に裏切られず、善意は決して裏目に出ない……アニメの中くらい、そんな世界があってもいいと思う」

 微笑みながら語る夜空の目にあるのは、希望ではなく、そんな世界は現実にはないのだという深い諦めだった。

 間の悪さに定評のある俺としても、その諦観には共感するしかない。

 正義は必ず勝つとは限らないし、悪は必ず裁かれるとは限らないし、努力は報われないことのほうが多いし、信頼が裏切られることはよくあるし、善意がもたらす悲劇は世の中に溢れている。


――三日月夜空羽瀬川小鷹(僕は友達が少ない9巻p140-141)

 

 

小さい頃は当然のようにそんな世界があると信じて、夢想し、走り回るものだけれど年齢を重ねるうちにそんなものは無いと気づいてしまう。自分が抱いたのはただの理想に過ぎないだと。

なぜなら信じた理想を世界に投げかけて返ってくるのは「それは叶えられない」という現実のフィードバック。それがまだ実現可能だと思えるレベルならまだいい。可能性が少しでも残っているのならば為そうとすればいいだけの話だから…。

けれど自分生きている間では叶いそうにない、あるいは人類が絶対に到達できないレベルの世界を夢見てしまった場合どうすればいいのだろう。叶わないと知りながら、届かないと気付きながらも、届けようとすればいいのだろうか。はは…そんなの狂人だよ……だから数多の人間は諦めていくんだ。当然だろう? 叶えられないと最初から分かっているのだから。

それは夜空が悲しい目をしながら語った愛と正義が必ず勝つ世界もそうだし、互いが互いを受け入れ融け合う静かな世界、時間の矢がなくなってしまった世界、最果ての荒野で生き抜く世界、憧憬が永久に続く世界……なんでもいいけどそういった「本当に欲しい」ものが絶対に手に入らないと気づいてしまった時、なんというか絶望するよね……って思わせるシーンだった。夜空の深い諦観がとても伝わってくる場面だった。

 

――本当に欲しいものが絶対に手に入らない

 

そりゃ諦めちゃうよ…厭世だってしちゃうよ……頑張れば実現できるわけじゃないし頑張ろうが何をしようがどうしたって届かない領域があるしそれを望んだって仕方ない意味がない意味がないないない無価値だし益体なんてないけれど望んでいいのならば欲していいのならばそれを望みたいし叶えたいでもでもでも叶えられないと結末は決まってる絶望的なシチュエーション。

三日月夜空という少女は、そんな絶望的な世界の中で生きているのかなって思えるシーンが今回はいくつもある。

 

 

 「……小鷹は……あいつが……柏崎星奈が好きなんだな」

 縋るような目をして確認する夜空に、「ああ」と頷く。

 「そっか……」

 夜空はぽつりと行って。

 激昂することも、俺や星奈や理科を罵ることも、悲嘆して泣きじゃくることもなく、ただ頬の筋肉の反射に任せるかのように、弱々しく儚げに微笑んだ。

 

 「あは……。全部なくなちゃった……」

 

――三日月夜空役、羽瀬川小鷹.(僕は友達が少ない9巻p86-87)

 

9巻で夜空ってこんなにも重く苦しい心象を抱いている人間だったのかと…今まで面倒くさく口が悪い人くらいにしか見てなかったけど、とても根が深い問題を持っているのだなと……なんか……ようやく気づけた気がする。

色でいえば真っ黒だ。

……

…………

もしかしたらこれからの隣人部によって夜空のこういった気持ちも変わっていくのかもしれない。小鷹の「助ける」といった彼自身でもおそらくおこがましいと思っている行動を取って、三日月夜空の象に何かしら影響を与えられるのかもしれない。(9巻読んだばかりの人なのでまだ最終巻までこぎつけていない)

こういった「欲しい世界が絶対に手に入らないと分かっているのに心の奥底ではやっぱり求めている」のって抱えているのは辛いだけなので、捨てたほうがいいのかな?と考えてしまいがちだけど、得てしてそんな単純なものだろうかなんて事も考えてしまう。

たぶん、そんなことなくて、持ち続けられるのならば――自分で持ち続けることをよしと決断したのならば――きっとそんなに悪くない憧れなんじゃないか。辛いから捨ててしまえで割り切れるならとっくに割り切れっているのではないか。

 

その場合残されている選択肢でもっとも救いがあるのは「観念の世界で昇華する(=物語化)」なのかなと思う。宮棟のように。彼女のように。抱いた情動を忘れずに生きてく方法。

そしてそれが唯一人に成せる欲しい世界が絶対に手に入らないと分かりつつも、絶対に手に入れることができる方法だ。

 

 

失い、喪われ、無くして、壊れて、バラバラになった世界から、在りし日を、そしてそこから通ずる延長線上の世界を取り出すには「書く」ことしかありえない。

あの幸せだった日々を、大好きだった人たちを、透明な空を二人で見たあの瞬間を。そして懐かしい人達に出会うために私達が出来るのは「書く」ことだけだ。書いて書いて書いて書いて書くしかない。頑張ってぼろぼろになって弱音を吐いてうじうじして立ち上がって転んで痛くて泣いてでも「書く」しかない。

そして、そこで、彼らと出会う。そして話し、喧嘩することだってあるかもしれない。恨まれ呪われることだって、お別れを言うことだってある。笑いあって冗談を言うことさえあるんだ。

 

――「書く」こと

 

 

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