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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

志熊理科が提唱する「天才」像はすんなり納得しちゃう(僕は友達が少ないConnect)

ラノベの感想 僕は友達が少ない
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何百何千倍の速度や飛翔を伴って「真理」に辿り着ける者を天才とか超人と私は呼びならしていた。

『レミニセンス』の島津、『金色のガッシュベル!!』の高嶺清麿、『フルメタル・パニック』の千鳥かなめといった"AnswerTalker" を持ち合わせているもの。自分自身でもなぜその答えに至るかわからないけれどそれが「答えだと分かる」能力の持ち主であり、その「答え」が外界に対して有効かつ利するものを弾き出していく存在。

 

 

 

 

 

その「答え」を算出するまでの圧倒的なスピードと精度は天才や異能と呼んで差し支えなく、もうすこし彼らのことを具体的に説明できそうなんだけどうまい言葉が見当たらないなーと思っていたら『僕は友達が少ないConnect』で島津理科がさらさら説明してて

それだー!って頷いた。

 

 閃きとは論理の跳躍だ。才能とは論理の跳躍だ。天才とは論理を跳躍する者だ。

 「■■は●●だから▲▲で、よって■■は**である」といった、ほとんどの人間がほとんど常に意識的にせよ無意識的にせよ行っている論理の過程をすっ飛ばして、一足飛びに答えへと辿り着く。「だから」も「よって」もなく、最初から「■■は**だ」に辿り着くのだ(便利なことばかりではなく、特に他者へ説明する必要があるときこの性質は面倒だ。自分でもどうしてそうなるのか理解できないのだから。なぜ他人がわからないのかがわからない上になぜ自分がわかるのかもわからない命題を筋道立てて言語化するなど、面倒うにもほどがあるというものだ。この面倒な言語化作業が必要なければ、世界は天才達の手によって何百倍も速く進歩するだろうと僕は思っている)。

 論理を跳躍し、常人には到達し得ない答えへと辿り着く能力、それが才能である。人間は多かれ少なかれ何らかの才能を持っているものだが、才能しかない者、"閃くことしかできない者"――それが『天才』なのだと僕は思う。

 

――志熊理科.(僕は友達が少ないConnect p161)

 

 

そう「論理を跳躍する」というのがポイントなのだ。論理とは順列であり、時間であり、流れだ。けれ"閃く"者はそういった手順を必要とせずに真理のみを持ってかえることができる。そのため――流れを無視しているので――理科がいうように他者に「答え」を説明することが非常に困難であり不完全な能力といえばそうなのかもしれない。決して完璧ではない。

てかね、「なぜそれがそうなるかの説明」を求めるのって基本的に凡人なんだよなあ……。凡人が圧倒的に多数派で世界の過半数を占めているからこそ、多数派を納得させなければならないからこそ、それが「答え」だと分かっていてもいかなる主張もまかり通らない。

志熊理科がいうように天才が「説明する」行程が何かしらの技術で省略できるのならば、ものすごいスピードで世界は天才達の頭脳によって変革するだろう。

 

そうさ、天才が恐るべきは周囲にいる凡人だ…。

 

彼らが閃く事よりも、それを証明する努力にかなりの時間をかけているさえ気がするし、エジソンの名言もいわば「お前らに説明する努力が99%なのわかってる?」と言っているようでさえあるものね(暴言

 

 

 「1×100」とは「+1」を百回繰り返すのとイコールではない。「+1」を百回繰り返せば「1×100」と同じ数字(結果)には至るのだとしても両者は本質的に別物だ。たとえそれが、傍目からは区別がつかないほどの僅差であったとしても、百程度なら演算速度(スピード)でごまかせるだろう。ならばそれが千なら、万なら、億なら、兆なら、不可思議なら、不可思議を跳躍する×には共感を覚える。×とは閃きである。だから僕は×が好きだ。

――僕は友達が少ないConnect p163

 

 私もまた「×」が好きになりそうである。跳躍の記号であり、飛翔の記号。そしてそこにあるのは衆生が理解できないほどの断絶だろう。

「あっち」に行ける者と「こっち」に留まるしかない者。

 

 

『はがない』記事はこちら

三日月夜空が夢見て諦めたように「欲しい世界」が絶対に手に入らないと気づいてしまったら

「あの人可哀想だよね」という言葉の持つ卑しさ

力量差がはっきりとわかんだね!俺がいる、俺修羅の作家が集う公式アンソロジー『僕は友達が少ないゆにばーす』を読んで

 

 

 

僕は友達が少ない CONNECT (MF文庫J)