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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

せっかくなのでアニメ『Charlotte』の作品対談をまとめちゃいます(19013文字)

アニメレビュー アニメレビュー-Charlotte
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<シャーロット・一連エントリ>

 

2016年2月-4月にかけて、いつもお世話になっているレイシアさんとアニメ『Charlotte』についてお話させて頂きました。

いつもは「この日この時間でお話しませんか~」「大丈夫ですよ!」という感じで指定された日にガッツリ語ることが多かったと思います。日曜日の午後7時からキーボードを打鍵し続けお互いのインプレッションを吐き出しもう疲れたよパトラッシュでもまだ頑張れると思ったら深夜じゃないですかやだー!みたいなw

しかし今回はそんな枠取りをせず「不定期」な対談になりました。お互い好きな日・好きな時間にメッセージの返信をし続ける形式の作品対談です。私はこのスタイルじめてだったんですが、これはこれで楽しくてなるほどこういうやり方もあるのですねと選択肢が増えたなーと思います。

今さらですがレイシアさん、お話に付き合っていただき有難うございました。いずれまた何かでガッツリお話しましょう(><

   ◆

そして今回はそんなCharlotte対談を(私の主観的に)ざっくりまとめたり、対談自体に言及したり、かつ対談後に考えたことも取り扱っちゃいます。

本記事は「備忘録」の体で書こうかなと思います。文調がめちゃくちゃですが了承の上読んで頂けると幸いです。(そしてもしレイシアさんの言葉のニュアンスを取り間違えていたら指摘してもらえると助かります)

今回は外在的な語りが多いので苦手な人は回れ右、さらにSTEINS;GATE』と『魔法少女まどか☆マギカ』のネタバレもありますので注意です。

(一応忠告はしましたのでここから先は自己責任でどうぞ)

 

 

段落SKIP

 

 

 

(1)古木のディティールを細かくするか否か

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11話で登場した運転手・古木。彼はマフィアに(家族を人質に)脅され、否応もなく組織を裏切ることになり、この裏切りのせいで有宇の日常は一瞬にして崩壊した。

レイシアさんはここについて、「古木の家庭は感情移入の度合いを理由に掘り下げるべきではないか?」と提示された。

レイシアさんの下記ツイートでは"高城"となっていますが実際は古木について言及されています。これは以前私がCharlotte感想を漁っているときに「高城の家庭の伏線が回収されていない」という意見を見つけて「なんで高城の家庭を掘り下げる必要があるの?」と疑問を呈したことがあり、きっと「高城の家庭の伏線が回収されていない」と言っていた人は高城ではなく古木について文句を言っていたと思うんですが、私はそれをそのまま受け取って記事にして、その記事を見たレイシアさんが古木を高城と認識し表記してしまったという結構ややこしい流れがここにはあります……w なんだかごめんなさい)

参照→Charlotteがこんなにも文句言われるだなんてお姉さんびっくりだよ

 

 

 

 

 

 

レイシアさんのお話をまとめると

古木という(視聴者にとって)どうでもいい人間のために隼翼や熊耳達が酷い目に合う展開は苛立ってしまうし、隼翼や熊耳が彼を助けようとする行動にも納得しにくい。もし古木という人間を視聴者が大事に思えるならば、熊耳や隼翼が取った古木救済行動も違和感なく受け入れらるはずなので、伏線回収というよりは感情移入の度合いを理由に「古木」もしくは「古木の家庭」を掘り下げて欲しかった

というものだと思います。

私はここわかるつもりです。古木は11話でいきなり現れていきなりCharlotteの世界を転覆させてしまったほどのキーマンなのにその人物像を全く描かれない特殊な人物でしたから。視聴者にとって全く感情移入できない人物でありながら、ここまで乙坂有宇や友利奈緒の大事なものを破壊していくキッカケをつくる為のポット出のキャラクターと見えてしまっても不思議ではありません。ここに不満を持ち、古木のディティールを細かくしたほうがいいという意見も分かるなと思います。

ですが、個人的には古木の人物像が気に入っているため「コレはコレで」ありなのではないかと思っています。

というのも、古木という「ディティールが粗い」(=人物像が掘り下げられない/視聴者の感情移入度が低い)キャラクターによって乙坂有宇の日常が崩壊していく様子は――視聴者にとっても有宇にとっても――全く関係ないどうでもいい人間によって大切なものを失っていく体感を強く与えてくれるからです。視聴者でさえここに苛立ったり、怒ったりしちゃうくらいに、理不尽で、唐突で、無茶苦茶です。

でもこれって有宇くんが感じている「人生の不条理」さと似たようなものだと思うんです。いきなり熊耳と友利が人質に取られたと言われ、マフィアと一人で戦ってこいと迫られる状況。ただのカンニング魔なのに何でこんなことになってしまったの?!どうしてなんだよ!!みたいな。全然納得できないけど納得しないと進めないし、理解できないけど理解しなければいけない現実。みたいな。

視聴者もまた実感としてこの「唐突な暴力」を味わえるので、私は古木のディティールの粗さはむしろこれで良かったのではないかと思ってます。もしも彼のディティールが細ければこの体感は味わえなかっただろうと。

『Charlotte』はこの理不尽な現実……みたいなものを強く強調している気さえしますので、彼のキャラクターは本作においてむしろプラスに働いたのではないかとも考えています。

  ◆

もしも私が11話における改善点を提示するならば、古木ではなく、「乙坂隼翼の対応の甘さ」になるでしょうか。

隼翼は熊耳と友利が人質に取られていると聞いては、すぐに「助ける」という選択をしています。この即断即決は彼が組織を統べる者としては甘すぎますし、ともすればなんかダメな人に見えなねないです。今まで何十・何百もループして築き上げた能力者組織――もといこの世界線をこうもあっさりと手放してしまうことの納得感も私達にうまく届いていません。

(もちろん隼翼にだっていろいろな葛藤があったのは百も承知ですが、それが私たちに届きにくかったことは事実かなあ……と)

なので「なぜ隼翼は熊耳と友利を "切り捨てる" 判断をしなかったのか」の描写があれば、彼の葛藤も容易に理解できたのと思いますし、仲間を助けるための行動が納得いくものになったのではないかと。

ここが改善されれば、一連の古木の裏切りシーンも「実はあの唐突さがよかったのだ」と思うの人が増える、かも……と思ってたり。

 

・余談

ディティールを細かくすればするほどその対象は写実的になり、深みや納得感が増していくのかなと個人的には考えています。逆にディティールが粗いほど対象は印象的になり表層的な存在になりやすいのかもしれません。でもそれは悪いことではなく描かないからこその幻想的な雰囲気を出すこともあると、童話なんかがこれに当てはまるでしょうか。

例えば『白夜行』なんかはディティールの粗い作品と言えます。あれは主人公達の内面は一切描かれず、主人公たちを取り巻く人間がそれぞれに彼/彼女がどういう人間かどういう印象かを連ねていくことで全体的な主人公たちの「像」が浮かび上がる長編小説ですから。その作品雰囲気はやや幻想的で、そして実体のない幽霊を相手にしているかのようでもあります。

 

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逆に『はつゆきさくら』では主人公・河野初雪のディティールが細かく、彼の内面が丁寧に描かれていますよね。このため初雪が何を憎み、何を想い、何を考えているのかよく分かるようになっています。メインヒロインもその傾向が強くて(河野初雪ではないにせよ)行動原理、思考の仕方、性格、心理、動機のディティールが細かく「生きている感じ」がよく現れている。

白夜行』と『はつゆきさくら』を比べるとこのディティールの細かさによる「登場人物が生きている感じ」が異なっており、どちらがより生きている実感が強いかと言われれば後者ですけど、でも決して前者が「生きていないキャラクターがいる」というわけでもない。種類が違うだけなんでしょう。

そして『はつゆきさくら』で登場するサクヤは、ディティールが粗く、その心情から行動原理に至るまで一切が謎に包まれている女の子。劇中の根幹に位置する人物にも関わらず、サクヤはまるで共感や許容なんて微塵もいらないと思っているかのようにミステリアスです。

でもやっぱり彼女が「生きていないキャラクター」というわけではなく、ディティールが粗いからこその奇妙な存在強度があるし、どことなく幻想的な雰囲気が現れているのではないかと。

 

前期*1の『灰と幻想のグリムガル』は「生きる」ことのディティールが細かいため、生きるために必要な料理や炊事洗濯、魔物を殺し生計を立てる職業、命のやり取りといった「日常」もまた連動するように細かい。

同ジャンルフィクションの『この素晴らしい世界に祝福を!』では、生きることのディティール・日常によるディティールの細かさは『灰と幻想のグリムガル』と比べるとそこまでではないものの、でもそれが悪いわけでもなく、その粗さが『このすば』独特のゆったりとした(シリアスではない)雰囲気を醸しているようにさえ思います。

そしてひとえに「ディティール」といっても作品の至るところで、対象によって、その多寡は異なる。

……と、そんなことを考えられちゃうツールが「ディティール」という概念でしょうか。

 

 

 

 

(2)Charlotteはワンカットワンカットを思い出しやすい

 

レイシアさんに言われて気付いたのだが、そういえばCharlotteって「ワンカット」を思い出しやすい。

例えば1話でカンニングがばれて逃げる乙坂有宇を意味深な視線で見つめるながらメガネをくいっとする高城とか、2話で「くそっ!!」と吐き捨てる粗暴な友利奈緒とか、7話でみたらし団子を疲れた目で食べる有宇くんとかすぐ思い出せちゃう。

これが別作品ならば、お話を振り返ろうとしたときここまで頭の中で映像が浮かび上がらなずぼやっとしてしまう気がする。「ああいうシーンがあったような」くらいに留まってしまう感じに。

――Charlotteはワンカットワンカットが印象的で記憶に残りやすいのは何でだろ? 

もしかしたらシンプルな線で構成されている絵が多いのかもしれない。あるいは完成度の高い絵だからこそ印象が強くなるのかもしれない。あるいは(プラスに働いた)展開の早さが視聴者の集中力の増加につとめささいなシーンでも憶えてしまう事に繋がったのかもしれない。(ここは後述する)

なんにせよ本作は「ワンカット」それ自体の完成度が高く、一枚絵として観れるものが多いのは事実ではなかろうか。

こんな感じに。

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どっすーん!

(どうっすかこのレベルの高さ?!コマ割時でもこれですぜ)

この「完成度の高いカット」はある種の「気持ちよさ」に繋がるのかもしれない。OPのゆさりん&高城のぶらぶら/友利奈緒ダンスが見ていて気持ちいいのもそういったカットの完成度の高さの集合体のアニメーションだからこそあのダンスの意味がわからずとも「楽しい」気持ちを覚えるのだろうと。

別段そこに限らず、全体的にCharlotteは見ていて気持ちよい作品だと思うけれども。

(※これは「物語の内容」を指しているのではなく外形である「映像」について言及。映像自体が快楽を与えているる作品ということですね)

 

 

(3)Charlotteの評価の分水嶺はどこに・あそこに

Charlotteは評価が真っ二つな作品だ。特に11話を境目にしてその傾向は顕著になっていくのだけれど、どうして不満になってしまうのか、逆にどうして不満にならないのかが個人的に興味があるポイントだったりする。

つまり不満になる人にはなるだけの理由があるし、ならない人はならないだけの理由があると思うのでそこを具体的に知りたいのである。

以前、別記事で「Charlotteを不満に感じてしまう分水嶺はどこにあるか」と探ってみたことがあった。結論からいえば

  1. 「伏線ではないものを伏線だと捉えた人」
  2. 「展開の早さに追いつけなかった人」
  3. 「今後の予測展開を過剰にした人」

の3つを挙げた。

参照→Charlotteがこんなにも文句言われるだなんてお姉さんびっくりだよ

Charlotteにも不出来な点はあるだろうが、もちろん視聴者の態度や資質によっても作品の評価は影響を受ける。いつも作品を茶化している人は緊迫したシーンもまた茶化しながらにしか観れないし、ストレスで胃がキリキリしてる時に作品に接しようとも頭に入らないように、いつだって受容者(=読者)の主観的な判断によって作品評価は変動するのである。

作品評価に"客観的"なものなんてない――これが私の持論であり、前提である。客観的な評価を下そうと"努力"することは出来るが(時代/業界/過去作の比較等)それは努力することが出来るだけで客観的な評価を下せるわけでもない。

だからこそ「私が評価している所をなぜある人は不満を持つのか」逆に「私が不満を持ったところをなぜある人は評価しているのか」というところに興味が湧くのである。

先述したように、Charlotteに不満を持っている人は「伏線でないものを伏線だと捉えた人」「展開の早さに追いつけなかった人」「過剰な予測展開を行った人」が不満に至る態度・資質だと考えた。

逆にこういう態度・資質を持ち合わせなかった場合プラスの評価になっただろうと思う。

   ◆

そして今回。レイシアさんとお話させて頂いて、上述した3つ以外の不満原因が浮かびあったように思う。

つまり「視聴者が見てきた物語のある『型』の期待値がまずあって、でもCharlotteはそれに応えてくれなかったから不満になっている」というケースだろうか。

ツイートを引用させて頂くと、ここの部分である。

 

 

 

 

 

 

私はなるほどと頷いた。

そういえば、Charlotteは1話の乙坂有宇の倫理から外れた行動&相手の意識を乗っ取る能力を指して『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュと結びつけている人が結構多かった。

「有宇=ルルーシュ」みたいな図式を持ち出しているのを見て、私は「全然似てないでしょ……」と思っていたのだ。なんでこう安易に他作品を結びつけるのかよく分からなかったし、腑に落ちない思い出だったのだけれど、あれは要するに「視聴作品を他作品と接続させて見るのが当たり前」な人達が多いということなのかもしれない。

1話でこうなんだから、ラストに向かえば向かうほど、Charlotteをループものの有名作や同ライターの作品と結びつけて鑑賞する人たちにとって「俺が見たかった物語はこれじゃない!」という不満を大きく膨らませことになった―――と考えると私は納得してしまう。

レイシアさんも言うように、ラストはキャッチーな要素が混在していたため「どこを見ればいいのか」が分かり難いと言われれば確かにそうで、そのキャッチーな要素がある種のミスリードを併発させてしまったのかもしれない。

……ただ、

やはりこれもまた視聴者自身の問題も大きく関わっているのは間違いなくて、先述した不満は「自身の物語経験に引っ張られてしまった故に不満になっているケースだとも思う。

これはどっちが悪いんだろうか? Charlotteが悪いのか、それともそういう鑑賞態度しか取れなかった視聴者が悪いのか。あるいはどちらともかもしれない。

繰り返すがCharlotteにも不出来な点はあろうが、視聴者にだって至らない部分なんていっぱいある。作品広報に引っ張られて、製作者のインタビューを読んで、過去作の比較をして―――なんてことをせずとも作品を視聴できることを知ってもいいと思う。

(参照)

 

もちろん私達は主観的に・そして相対的にしか物事を観れないし――絶対的な点として何かを観測することは不可能なので――そう感じてしまったらもうそれはそれで仕方ない。作品の内在的文脈を重視している私にだって「自身の物語経験に引っ張られて不満になる」ことはあるもの。

だからといってそこにあぐらをかいていいわけでもないはずだ。

なぜって……Charlotteを「まどマギ」として見るとそりゃあ……評価低くなるよなあ……とも思うし、その視点で捉えるのは好ましくないもの。『Charlotte』と『まどマギ』は別作品なのは当然として、扱っているテーマも全然別ものだし、例え「ループ」という要素がこの2つの作品に共通していてもそれは要素要素が似ているだけであって全体として重なりあうものじゃない。

(参照)

 

例えるならばそれは「抜きゲー作品」を「萌えゲー作品」と捉えて「これは恋人とのいちゃこら足りないので評価低いです!」と言っちゃうようなものだし、カレーライスを食べているのにショートケーキと評価してしまうのと似ている。

 

“カレー”という料理に対して「ショートケーキとしてどうか?」という批評をする事程、愚かな事はありません。………いや、本当はもっと“愚か”な批評はあるのですけどね。(中略)

まあ、それはそれとして簡単な事のようで意外にこれ(何を作ったかを汲み取る努力)ができていない。あるいは意識できずに批評をする人が多いようです。その原因は「ショートケーキの味わい方しか知らない」か「とにかくショートケーキ“だけ”が大好き!」という事があるのでしょうけどね。しかしだからと言ってカレーライスに対し…

何だこれは?全然、甘くないじゃないか!?液化してしかも茶色で汚らしい!第一、いちごが乗っていないじゃないかぁ!!!」

……とショートケーキとしての批評をするのはかなり的外れである事は分かると思います(笑)こういう事って、よく見かけるし、自分の心当たりも無きにしも有らずじゃないでしょうか?(笑)

――批評について「カレーとショートケーキ」編 - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

(LDさんの記事は一部引用させて頂いた)

 

上述記事では「創り手の意図」を汲み取る努力が必要と語られているが私の場合だったら「作品の内在的文脈」ということになると思う。個人的には創り手ではなく作品を見ようということになるがそこの違いは今関係ないので話を戻すと、

つまりある作品が「なんであるか」という根幹の部分を見誤ると的外れな批評になりがちだし、作品視聴時の評価もまた低くなりがちということを言いたいのである。

「ショートケーキの味わい方しか知らない人」が「カレーライス」を評価しようとも土台無理な話だし、「まどマギの楽しみ方しか知らない人」が「Charlotte」を楽しくみることも同じく無理だろう。

これは何にだって言えるけれど、あらゆる作品は別作品を通して見るのではなくその作品を "その作品" として見ることが大事ではないだろうか。Charlotteならば"Charlotte"として視聴する。評価する。批評する。ということである。

もちろん口で言うより難しい行為なのだけれど、少なくともそういう態度・見方を知っているかどうかでは全然違うはずだ。そしてその上で別作品との比較や過去作の振り返りすればいい思う。

 

 

(4)「読者の価値観」と「物語の価値観」は別物

 

 「自身の物語経験に引っ張られてしまったせいで不満になる」ケースを上で触れたが、もっといえばこれは「自身の価値観によって不満になってしまう」ものだと思う。

つまりCharlotteにおける「右目を直さないでもっとループしてハッピーエンドを目指して欲しかった」や「父権主義を肯定しはじめたので個人的にはよくない」とか「意味わかんないので7話をなくしたほうが良かった」とか、どれも読者の価値観でしかない。その人自身の価値観によって不満を漏らしているにすぎないし、そこに物語の価値観は考慮されていないのである。

もちろんそれは仕方のない面はあるのは了承済みだ。全ての作品を楽しめるように私達は出来てない。いつだってバイアスをかけながら視聴し、恣意的な判断しかできないし、自己の枠組みからは逃れられない。

だが「物語の価値観」と「読者の価値観」は別物だということは知っていてもいいように思う。

主人公の選択は自身の価値観と反していることもあれば、物語世界観が現実の法則に沿わなかったり、倫理からそぐわないことだって往々にしてある。この国で殺人は罰せられるからといってそれを理由に「この作品は人を殺したから評価が低い」なんて発言したら、何を言っているのだろう?と思う。

これは極端な例だが、言いたいことは分かってもらえると思う。すなわち「物語の価値観」を無視して「読者の価値観」を優先させるのは横暴なんだ。暴力と言ってもいい。物語には物語の価値観があり、私達の世界とは似通っていたり同じだったりするものの時として違う事だってある。

ここを分離せずに、自身の倫理観や価値観を絶対だとしてしまうのは危うい。先の「カレーライスとショートケーキ」のお話のように、作品の基本骨子/内在的文脈を無視しかねないからだ。

まずは「物語の価値観」と「読者の価値観」を分けた上で作品に臨み、その上で自らの価値観を掲げるのは問題ないし、不満をもらすことだっていいと私は思う。そして出来るならばこういう過程を踏むのがベストではないだろうか。

そしてこの2つの価値観を意識したことがない場合、「俺が見たかった物語はこれじゃない」という発言に結びつくことが多くなるんじゃなかろうか。例え劇中でホモフォビアが描かれようと、同性愛者を意味もなく嫌悪しようと、何気ないセクハラ発言が多かろうとソレとコレとは別なのだ。もちろんそれに耐え切れず「辛い」と思うこともある。私にだってある。そのせいで作品が楽しめなくなるときもある。ただそれは自身の価値観に過ぎないのだと踏まえた上で作品評価/感想を書いたり発言するとベターか。

 

 

(5)情報解凍力の高低によってシャーロット11話の評価が決まる、のかな

 

もしも擬似的客観視をして作品評価を行う場合、これを読者は持ち会わせていなければいけないのだろうか? と作品と読者を天秤にかけると妥当な評価を出しやすいかもしれない。

例えば、先にも挙げた「展開の早さに追いつけなかった人」は、Charlotteの早さに追いつけなかったが為に作品を楽しく見れなかった人だ。けれどそれはその人が悪いのか? Charlotteにも見なおすべき点はないのか? 視聴者を置いてけぼりにするポイントは無かっただろうか? と、そういうふうにひとつひとつを踏まえた上で本作を評価すると多くの人に納得してもらえる擬似的客観視になるのかなと思う。

  ◆

ここの部分。私の意見を言わせてもらうと「情報解凍力」の高低によってCharlotteの展開の早さに追いつけるか否かが決まると考えている。

情報解凍力の値が低いと、表現された情報量の多さを処理しきれなくフリーズしたり、もたつき、意味わかんねー!と投げ出しちゃうし、逆にこの値が高いと情報量が多い映像を瞬時に処理するため楽に理解でき不満を覚えにくい――みたいな考え方である。

『Charlotte』において「情報量の多さ&展開の早さ」は11話が最大の鬼門であり、ここを突破できた人は情報解凍力が高く、対してここを突破できなかった人は情報解凍力は低いのかもしれない。

しかし11話のあまりの情報量の多さ&展開の早さに追いつけなかったからといって、それはその人の情報解凍力の問題にすべきなのか? と聞かれたら私は悩んでしまう。もちろん作品を楽しめなかった責はその人にあるだろうが、『Charlotte』にも問題があると思えるからだ。

それくらい11話は視聴者にやさしくなく、乗り越えられなからたからといって責めるようなことでもないだろう。ただ11話以前となると話は別かもしれない。1話-10話までに本作の情報量の多さ&展開の早さに不満を覚えるならば視聴者自身の情報解凍力低さが「楽しめなかった」理由と考える。

 

 

(6)西森柚咲というアイドルについて

 

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西森柚咲は最初から最後まで心の内面を描かれることはなかった。キッタナイ感情を曝け出すこともなければ、苦悩したり、弱い部分を見せることもなく、ただただ「可愛い」一面がピックアップされた女の子だったと思う。

それはまさに「アイドル」だ。アイドルの顔のまま友利奈緒や乙坂有宇達と過ごしていた印象を強く受けるのである。プライベートな側面を一切感じられず、心を開いている様子もなく、彼女は "人間味" を友人たちに見せなかったとさえ。

―――それは私達が思い描くキッタナイ部分が1ミリもないテレビに映る「アイドル」と同じではないか? 

相手を受け入れて波風立たせず良い顔して可愛い部分を視聴者にアピールし続ける人工的な女神。kawaii。もちろんテレビに映るアイドルはテレビに映らない時はアイドルの仮面を外し人間らしい行動を取っているだろう。汚い言葉を吐き、汚いことを考え、人として悪いことだってしてしまう。だって人間だもの。仕方ないさ。

姉・美砂はそんな汚い言葉を吐いたり、グラウンドに唾棄したり、ガンつけたり、粗暴だったりした。そういう側面がありながら妹を想い、前を向いていく友人達を応援し(3話)、生前両親に言えなかったことを涙を流しながら訴えた(12話)彼女は「キッタナイ面」と「綺麗な面」を両方併せ持っている人と言えると思う。だからなのか私は黒羽美砂に"人間味"を感じるし、好きになれちゃう。

けれど黒羽柚咲はいつだって "西森柚咲" な為、どこか遠い存在で、どこか綺麗すぎた。好きになる以前に(私にとって)実体が掴めない人ですらあったのだ。

ともすれば、ゆさりんは徹底して「アイドル」を貫いた人と言えちゃうかもしれない。

 

 

(7)Bravely YouとCharlotteの円環構造

 

 レイシアさんと

 というOP・EDについてお話していた。

「音楽」は「本編」の従属物に留まっているものが多いと思う。「本編」をより魅力的にするために音楽が添えられ、本編のポテンシャルを引き上げる為に音楽が使われる感じに。

だから音楽単体を指して「これがキサラギGOLD★STARだね」とか「この音楽そのものがCARNIVALだね」とか「つまりPresto=はつゆきさくらなんだ!」いうふうには中々言わないし言い難かったりする。

いや「Presto=はつゆきさくら」は言えちゃうかも∑

 

www.youtube.com

(脱線)

 

けれど『Charlotte』の場合、そう言えちゃうような、そう言ってもいいような心情になってしまうのが『Bravely You』という曲。かもしれない。「本編」の従属物に留まらず、本編と同じ立ち位置に立てる存在であり、この曲自体がひとつの「本編」になっている感覚がある。

あるいはぐるぐる円環構造になっており、互いに影響を与えている関係かもしれない。あるいはレイシアさんが言うようにまず『Bravely You』がはじめにあって、その従属物が『Charlotte』という映像作品なのかもしれない。そういう考え方は面白いなと思う。

 

 

(8)Charlotteは一話一話の情報量が多い。けれど

 

Charlotteは一話一話の情報量が多い。例えば一話ではなぜ能力が発現するのか、能力者とは何か、星ノ海学園とは何か、友利奈緒とは何か、高城とは何か、なぜ乙坂有宇を追いかけてきたのか……といった「謎」の部分もさることながら有宇が能力発現してからの試行錯誤・有効活用・転落を一話で描き切ってしまっている。つまり情報量は多く、かつ展開もものすごく早い。

この情報量の多さ&展開の早さは、ともすれば視聴者が追いついていけず「意味わからん」「早すぎる」「展開に違和感を覚える」といったストレスになりやすいかもしれない。だが『Charlotte』は(人によっては少なくとも10話あたりまでは)この情報量の多さ&展開の早さがプラスに働いており、テンポがよく、気持ちがよい疾走感を与えている。

他作品と比べても、この情報量の多さ&展開の早さが生きている作品は稀有ではないだろうか。一話に限らず全話とおしてこの傾向が強く私は感じられた。

   ◆

私はこのスピード感溢れる物語が好きであり、レイシアさんもまた(5話視聴途中時点の対談ではありますが)一話からの疾走感が好きという話題になり「ですよねですよね!」と前のめりになるなど(ノ∀`

そして美砂&ゆさりんが活躍する3話も好印象な様子だったのでこれまた「ですよね!」と前のめr(以下略

というのも放映終了後Charlotteの感想のひとつに「3話でダレた」という意見があって、どうも1話のテンポの良さと比べると3話はそこまでテンポがいいものではないらしく、展開の早さも相まって一部の視聴者にはいい印象はなかったご様子。

個人的には3話は展開早いと言われれば確かにそうだなあと思うものの、ダレたかと聞かれればそんなことないですし、美砂さんのドラマちっくなお話でうるっときたこともあって好印象だった。

やはりお話の流れの相性の良さ・悪さ、みたいなものは人それぞれハッキリするのだと思うのだ。

 

 

(9)友利奈緒と乙坂有宇の不思議な関係

 

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ラスト13話における友利奈緒と乙坂有宇の関係は、既存の言葉では括れないものがある。二人は恋人になる約束をしたもののあれは恋人……と言えるかと言われたら悩んでしまうし、家族、友達、クラスメイトという感じでもない。

これは乙坂有宇がタイムリープしたからこその弊害でもある。7話にて妹の死をキッカケに落ち込んだ有宇を友利奈緒が手を差し伸べた「過去」は、10話のタイムリープによって無くなってしまった。タイムリープ者である有宇しかあの「過去」を持ちあわせていない。

だから友利奈緒にとって7話の思い出はなく(歩未が死んでいない世界な為)、彼女にとっては5話までの関係性しか乙坂有宇とは育めていないのだ。

このため有宇だけは友利奈緒に恩義があろうとも友利にはないし、有宇が友利を好きでも友利には「キミ展開はやくないっすか?」という感じに映ってしまう。それは12話の乙坂の告白をばっさりと切り伏せてしまう挙動からも伺えると思う。

 

有宇「前にも言ったけど、別の世界で自暴自棄になって落ちていった僕をお前がそばでずっと見守ってくれていた」

友利「それはおそらくですが私なりの責任の取り方だったのではないですか?」

有宇「でも僕は救われた」

友利「で、そこからどう転べば恋に発展するのやら全く理解できませんが」

 

――Charlotte12話

 

さらにラストでは今度は乙坂有宇が友利奈緒に対する全ての「過去」を失うため、二人の関係性を把握するのが著しく難しくなっている。

まとめると

  • 12で恋人になる約束を二人はした。でもそれは互いに好きだから恋人になろうとしているのではなく、有宇だけが一方的に友利のことが好きで、友利は契約の履行のような態度を取っている(ように見える)
  • 13話で有宇は約束を果たすものの、全記憶を消失。もちろん友利との過去/約束も忘れてしまった。友利だけが有宇との約束を憶えているものの、契約を履行する有宇はそのことを忘れている状態。
  • 「乙坂→友利」(12話)「乙坂←友利」(13話)というふうに「想いのまなざし」とでも呼べるものがが時間とともに一巡しており、最終的に両方が両方に矢印(=想い)を向けることは無かった。(なぜこの部分「恋愛感情」と言わなかったかというと13話の友利奈緒が果たして乙坂有宇に恋しているかよくわからないからだ。だが何かしらの「想い」を友利は有宇に向けている事は伺えるのでこういう表現になった)

 

さて。この二人の関係はなんと言えばいいのだろう?

友達以上恋人未満?……確かにそうなのだけれどなにか違う。運命共同体?……運命共にしている感じないなあ。人生線を交錯させた者達?……ううーん。

やっぱり適した言葉が私には思いつかない。既存の言葉ではなくもういっそのこと新しい言葉を造りたいのだけれど、それもまた全然思いつかない。

友利奈緒と乙坂有宇の関係はとても不思議だなと思う。

 

   ◆

 

と考えていたら……これあれだ……。

乙坂有宇目線でしか今まで『Charlotte』を見てこなかったけど、友利奈緒目線からしても、彼女にとっても理不尽な現実なのかこれ……。唐突に壊れ続ける世界にみんないるのか……。約束した相手が、恋人になるかもしれなかった人が、一緒に積み重ねてきた自分との思い出を全て忘れて帰ってくるってすっごいキツくないっすか。それでも「これから」のことを友利奈緒も乙坂有宇も口にするということなのか。Charlotteは。

なんかすごい自分の中で納得がいってしまった。(二人の関係性について考えていたら違う話になってしまったが気にしない気にしない)

 

 

(10)友利奈緒に暴力的なイメージある?ない?

 

 2話において友利節が全開になり、ここから彼女に惹かれた人も多かったと思う。見た目とは裏腹に彼女はだいぶ"荒い"のである。

 

友利「挙動がおかしな奴がいました! あなたの力で乗り移って荷物を探ってくださいっ」

乙坂「なんの為に…」

友利「特殊能力者を守るために」

……

(んぐぐ

…………

乙坂「わかったよ!どいつにだ!」

友利「クソッ!」

友利「時間掛けさせんなよ!見失っただろ!!」

 

――友利、乙坂(Charlotte2話)

 

このように友利は言葉遣いが荒いのもそうだが、能力者探しにおける短絡的な行為、また高城を殴ったり窓から蹴落としたり(=6話)することもあって「暴力的なキャラクター」と捉えられても不思議ではないように思う。

でも、実際、友利奈緒に対して暴力的なイメージを持っている人はいるんだろうか? 

ちなみに私は感じなかった。言葉遣いが荒いかなあ、くらいだ。しかし実際に彼女は暴力的な行為を取っているわけでこの認識はどういうことなのだろう?

ひとつ思い浮かんだのが、「友利奈緒は乙坂有宇に対して暴力的な行為を取っていない」ことだ。

つまり高城や他の人間に対していくら暴力的行為を取ろうとも、主人公である乙坂有宇に対してだけそれに類する行為がほぼ無いからこそ、私は(あるいは私達は)友利奈緒に暴力的なイメージを抱かないということである。

他作品を挙げるならば、『リトルバスターズ』の棗鈴もまた真人にたいして蹴って蹴って蹴りまくっているが暴力的なキャラクターとは感じにくい。これは主人公である直枝理樹に対しては棗鈴は暴力的行為を取らないからではないだろうか。

逆に『とらドラ!』の逢坂大河は主人公である高須竜児は日常的に蹴ったり殴ったりするので、「逢坂大河=暴力的なキャラクター」図式は結びついてしまう人も多いと思う。

 

 

これは物語世界を捉えている主人公の目線に読者が感情移入(+痛覚もフィードバックされている)からこそ起きる認識なのかもしれない。

逆に主人公に感情移入を全くしないプレイヤーであれば、「友利奈緒=暴力的なキャラクター」という図式も頷けるのではないか。

あなたは友利奈緒に暴力的なイメージある? それともない?

 

 

(11)あれから半年が経って、でもまだ覚えている


Charlotte放映終了が2015年9月。

今は2016年4月。

あれから半年以上が経過したものの、これくらいならば再視聴せずとも語れるのだなあと思った。

これは私の記憶力がいいからというわけではなく、感想、考察、批判の記事をそれぞれガッツリ書いた名残だろう。作品を記事化するメリットは「記憶の定着」なのだと思う。

(参照)

 

逆に記事にしなかったアニメ作品はそこまで覚えているわけじゃないので、忘れたくない作品は文章にして残したほうがいいのかもしれない。記事化はイコールで電脳海にも放流でき、他者にも閲覧可能なサンプルになるので、良いことが多いんじゃないかな。

もちろんシャーロットを再視聴して対談させてもらったり、この記事書くほうが絶対いいのだけれど、やっぱり中々そこまで出来ないので脳内記憶に頼ってしまうなと……。

 

 

(12)世間的なアニメランキングに納得できる部分とできない部分

 

私の周りだとCharlotte楽しく見れた方、多く見かけるんですけど、これはどういうことなのかちょっと気になっていたり。

というより実際『Charlotte』は不満の声が大きいだけで(目につくだけ)で、評価している人のほうが多いんですよね。例えば2014年10月から2015年9月までに放送アニメ作品を対象にアニメファンからの投票で決定される「ニュータイプアニメアワード2014-2015」では9位を受賞し、アニメ!アニメ!2015年年間アンケート結果はで1位に食い込み、アニメBD/DVDセールス初動では約7000枚を売上げ、有志4サイトの2015夏 クール限定のアンケートでは一位、一位、一位、十位の結果になっているので。

 

2月16日から12月23日までの8日間、2015年のアニメについて伺った。

(中略)

1500人近いユーザーから回答をいただいたが、挙げられた作品はかなりばらつき、激戦となった。2015年はメディアでもたびたび話題になるほどテレビアニメの本数の多かったことに理由がありそうだ。視聴者の好みも多様化してる結果と言えそうだ。
ひとり3票までの投票が可能だが、1位でも全体の13%のシェアと1割超にとどまっている。逆に言えば上位作品は、多様化の時代のなかで多くの人にアピールできる力を持った傑出したアニメと言えるだろう。

そうしたなかで1位は『Charlotte』となった。

「Charlotte」が2015年素晴らしかったアニメ第1位 年間アンケート結果発表 | アニメ!アニメ!

 (参照リンク)

  1. ニュータイプアニメアワード2014-15最終結果が発表! | WebNewtype
  2. ttp://ranking.goo.ne.jp/ranking/category/026/vote_260/
  3. ttp://yusaani.com/animation/2015/10/10/203004/
  4. ttp://subculwalker.com/archives/20477/
  5. ttps://akiba-souken.com/article/25057/

――とはいえ、個人的には「2015夏アニメ」の括りならTOP3位に食い込むのはとても頷けるものの、「2015年全体」で1位に入るのは流石に……どうなのかなあ…くらいには思っています。年間ランキングだとCharlotteが10位以内だと納得できるけど3位以内なのは納得できないって感じですね。

ニュータイプのランキングだと『Charlotte』より『四月は君の嘘』の方が面白いと思いますし、アニメ!アニメのランキングだと『響けユーフォニアム』と『Fate/stay night[Unlimited Blade Works]』が『Charlotte』より下なのは納得できない。みたいな。

この際私の評価はどうでもいいんですが、ただ『響け!ユーフォニアム』『四月は君の嘘』『FateUBW』よりは『Charlotte』を評価していないことは書いておこうかなと思います。

 

段落SKIP

 

 

(13)おわり

 

という感じでまとめてみました。

大体の――高城はギャップ愛着、奈緒の順応性の高さ等抜けていますが――対談内容は取り扱えたかなと思います。なにかしら面白く読んで頂けたら幸いです。

そして今回お話させて頂いたレイシアさんのCharlotte記事はこちら。

hikari-sekai.hatenablog.com

本作を楽しめた方の長文感想は中々ないですし、グッドポイントとウィークポイントそれぞれ言及しているので『Charlotte』を楽しめた人楽しめなかった人それぞれ参考になるお話多いのではないかなと思います。

   ◆

それでは、今回はこの辺で終わります。

またね。

(了)

 

<シャーロット・一連エントリ>

 

 

 

 

*1:2016年冬アニメ