猫箱ただひとつ

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思うことを思うままに言えないのならば、考えることは難しい

 

好きなものを好きと言うのは難しい。

嫌いなものを嫌いと言うのも難しい。

なぜならそこには絶えず視線がつきまとうから。

 

視線

 

 あんなだっさいバンドが好きなの?とかこんなトンデモな人を尊敬しているの?とかラブライブが嫌いってありえなくない?◯◯がクソゲーなのはよくわかる!……といった想定しうる否定・肯定が浮かんでくることはよくあることだ。

とくに公の場で自分の価値観をつづっているのならば尚のこと、他人の視線を生成する機会が多いのかもしれない。

もしもそういった視線に怯えて、表現を均し、無難な、多くの人が不快に思わないよう努めようとするのであれば……きっとそこでは「考える」(=問いに対して結論まで導く)ことはできない。

――思うことを思うままに言えないのであれば、考えたいことを考えることも出来ないからだ。

一つ一つを深く追求しようとはしなくなり、追求しても "適切ではない" 考えが浮かんだらそこで切ってしまう。唐突に思考を中断させるのは、その"適切ではない"考えを言ってしまったら「人にどう思われるか?」に振り回されるから。

その言い方で、その考えで、誰かを傷つけ、傷つけられた誰かが自分に評価を下す。下される。視線をなげつけられる―――それに耐えられないから言いたいことをぐっとこらえてしまう。

……もちろん「なぜこんな拙いものを自分は作っている?」というような自己内から向けられる視線もあるだろう。己の未熟さを受けいれらず、受け入れられないならば未熟さを隠すようになるし、隠すようになればこれもまた思索の邪魔となる。照れも恥も劣等もジャマだ。

そうしてなんの形にもなれなかった尻切れトンボのようなシコウが山となるわけだ。もちろんそのような創作物は大抵詰まらないのは言うまでもない。

これを嫌うのであれば、あらゆる「視線」を受け入れるしかないだろう。全てを承知した上で、どんなことでも、思うことを思うままに表現していくしかないと思う。

:・・あるいは「公の場」を使わないという選択肢もありえそうだ。

つまり視線にさらされるのはそこが「他者が閲覧できるから」ではないか? もしも一人で打ち込める――秘匿された――環境ならば、視線にまどわされずにすむし、思うことを思うままに書き、つくり、成すことができるのではないか。

 

とすると

オープン型のネットサービスって 、多分、「考える」ことに不向きなのかなって思う。なにせ誰かに閲覧されることを目的にしているから。

けれど他者視線、自己批判を汲み取った上で思索できるのならばその限りではない。むしろ「反論」「異なる意見」を前提とした思考を展開できるので練磨されていきやすいとさえ思う。実際にそんなフィードバックがつくこともありますしね。とはいえ、本人の方向性によって環境を使い分ける……という方が大事なのかもしれない。

なんにせよクローズドのほうが気は楽だよねー。

 (了) 

 

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