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幸せとは「ずっと」を有された言葉

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幸せとかくそくらえなので

 

映画『Hector and the Search for Happiness』*1は、題名どおりヘクターなる精神科医が幸せをさがすお話。

彼はことあるごとに「あなたは幸せか?」と人々に訊ねるのだけど、これはなんだか変な質問じゃないだろうか。

幸せって単なる感情の一つで喜怒哀楽と大差ない。しあわせな時もあれば、そうじゃない時もある。

にも関わらず「あなたは幸せか?」と訊ねるとき、そこには"今その瞬間"しあわせかを聴いているのではなく、あるスパンでその感情を継続的に味わっているかを伺っていることが多い。

もしもこれが「あなたは喜んでいるか?」「あなたは悲しいか?」と訊かれたのなら、いやいや私は今喜んではないなという返答でおかしくないしそこに躊躇する気持ちはない。

だって、今、この瞬間の気持ちではないというだけの話だからだ。

けれど、もしも「私は幸せではないな」と言いにくいのならば、ならば、自分の人生は干からび、活力を失っていると吐露することに近いからかもしれない。少なくともそういった意識が根底にはある。

つまり幸せとは "ずっと" を含有された言葉であり、他の感情群とは扱いが違うのだ。そこには絶えず人生という長い期間を対象にしている。

――でもこれって現実に即さないよね?

あらゆるものは朽ちるし、腐る。栄えていたものはいつか凋落し、決意した気持ちは寝たらチリと化す。こどもは成長して大人になるように、苦しみだってずっとは続かない。

そういった場において"ずっと"であろうとすることは、どう考えても無意味だろう。

幸せであろうとするのではなく―――どうしたら楽しいと、なにをすれば喜ばしい気持ちになれるのか。悲しみを受け止め、乗り越えるにはどうすればいいか。そんな模索のほうがずっと大事だし、例えそれが一瞬しか続かないとしてもその一瞬一瞬を積み重ねていけばいいだけではないのか。

なぜ「常に」多幸感を覚えなければならない……絶えずドーパミンで脳をジャックしろとでも?

こうした意識が「幸せ」という荒唐無稽な概念を探そうとし、そもそもその実像をよく分かっていないくせに求める人が後を絶たないのだと思う。そして果てしない時間をその単一感情で満たそうとしては、疲弊してしまう。(できっこないので)

――本作では、負の感情にもフォーカスした。飲んで食べて交わり、恐怖におびえ死にかけ騙された旅の経験すべてをヘクターが想起したとき、インピーダンスCTは『光がまざりあった脳』を可視化した。

それこそが幸せだと。

そして幸せとは義務であるとも言い切った。

つまり幸せとはさまざまな感情が一体化した時に生じるもので、幸せを求めるのならば、我々はさまざまな経験を通じて、さまざまな感情を味わなければならない。プラスもマイナスも、後悔も退屈も、そうさ、しあわせとは「人生」という言葉と同じなのだと。本作は描いたと解釈できる。

そしてこの答えは、なかなかに納得できるものだ。

荒唐無稽な「ずっと」を含有された幸福なんかよりずっといい。

 

 

おわり

 

ブッシュマン(狩猟採集民族)には幸福なる概念がないとのことで、そもそもシアワセ探しに陥ることはないでしょうし、ピダハンは「赤」「青」といった抽象化された色彩表現は存在せず、血だとか何らかの植物といった実際にあるもので色を表現する。これは"現実"にしっかりピントが合っている文化・生活で、妄想と現実のミスマッチに苦しむことはないのでしょうね。

そう考えると「人生」「幸福」―――そんな実体のない言葉って、どう?本当にこの概念って必要なの?って気はしてきたり。もちろん形而上的なものはすべからく。

 

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*1:邦題:しあわせはどこにある