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案外、怒るのって気持ちいいんでしょ?という

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「怒る」ことは敬遠されるべきひとつだ。

仏教者はそれを毒と見立て、マインドフルネス実践者は遠ざけるべき上位に挙げるに関わらず、しかし周りを見渡せば今日もどこかで怒号が立ちのぼっている。他者を威圧し、屈服させんと、セルフコントロール力がないどこぞの落伍者は今日もまた癇癪を起こすのであった。

もしも怒りが拒絶すべき、嫌悪すべきものならば、どうしてこうも私達の身近なものになっているのか?

――思うに、案外怒るのってきもちいいよね、ということなんじゃないか。

ストレスの発散、抑圧からの解放、他者への支配欲……といった快楽がそこにはあるからこそ怒りを発露することに嫌悪感を覚えず、むしろ率先して表現すべきものになっているのではないか。

双見あやめが「あなたが……あなたがそれをいいますか!!」と叫んだ、あのシーンを思い出してほしい。

『天使の羽を踏まないでっ』をプレイすれば――あやめと心情を同期すればする程に――怒ることがいかに楽しいもので、興奮し、勇気を覚えるものなのだなと分かるに違いない。

 

・・・あの爽快感は、とても素晴らしい

 

あんな体験をしてしまえば――そして自分自身の怒っている時を注意深く観察すれば――怒りとは快楽の一種だと納得してしまうかもしれない。例えば怒った状態で相手と話し合ってもうまくいくわけがないのに、それでも怒りながら対話をしてしまう経験があるとすれば、それはその闘争を心から望み、楽しんでいるのだと。

もちろんアドラー心理学の目的論を出すまでもなく――原因があるから怒るのではなく――我々は怒りという感情のツールでもって目的を成し遂げんがために当該感情を起動することもあるだろう。

「ここは怒る場面なんだろうなあ……よし怒るか」

といったことは私にもあるし、例えその感情が空っけつでも、"作り出し" 見せかけ、振る舞うことは誰もが経験したことだろう。そうしたほうが当人に何かしらメリットがあるからこそ、それに見合う情動を(自ら)デザインしていくのである。

他者を殴るのに抵抗がある者は憤怒を用いればいい。そうすることで境界線を軽々と超えられるように、拳を痛めることに躊躇しなくなるように、同情して、相手の痛みを感じてその矛先を緩めないように―――当該感情を使いこなすのだ。

怒りとは、普段の感情を塗り替え、普段自らが行えない行動を促す道具である。

こう考えると、あの心やさしい双見あやめが"怒る"という彼にとってひどく似合わない感情を剥き出しにするのは、彼が心やさしいからこそなのかもしれない。

(了)

 

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