『Re:CREATORS』という圧縮物語

Re:CREATORS 1(完全生産限定版) [Blu-ray]

アニメってメタフィクション少なくないよね?―――といってたら今クールで『Re:CREATORS』が出てきて興奮しています。

物語のキャラクターが現実世界にやってきて「うそ…私、こいつらに慰み者(=娯楽)にされている??」と認識したり、「あいつは漫画『閉鎖区underground-dark night-』のラスボスです」なる人物が現れたり、魔法少女は世界が違えれば偽善の塊でしか無いと突きつけるのはナラティブフリークスにとってはもうたまらない展開ばかり。

それもメタフィクションに馴染みがない人でも、簡単にその面白さが分かるのもいいですよね。

――と思ったら中盤以降どんどん圧縮されてきたので、人によっては置いてけぼりを食らっているかもしれないなと思うこの頃。

どういう事かというと、本作では『真贋の価値』を何度か言及するもののあっさりとしか触れません。

例えば被造物であるメテオラは自身が登場するRPG『追憶のアヴァルケン』をプレイし、それが例え娯楽であったとしても愛せると語り、

私は多くの複製されたアヴァルケンの中で永劫の輪廻を繰り返す。そのゲームを遊ぶ人がいる限り、私は勇者にザル火山の秘法を伝授し続けるだろう。滅びゆく世界を救うために永遠に

そして私は考えた。その永劫を知った今、私は私の世界の役割を受け入れられるか?その世界を作った者を受け入れられるか? 胸を張って言う―――私は、受け入れられる。

私の創造主が私に、いや私の世界に託したものは私が信じるにあたう価値があった。それがただの遊興であったとしても、込めたものは変わらない。

彼は確かに私の世界を愛していた。そしてその世界を外側から楽しむものたちも同じく愛していた。ならば、私は彼の愛したものを守りたい。

――メテオラ/Re:CREATORS第四話

 

『緋色のアリステリア』の主人公・アリスも、神々が戯れに作ったものだとしても私の世界は本物であると、だから民を救わねばならぬと断言する。

何が本当で、何が噓なのかを決めるのはいつだって自分だ。例えそれが虚構であっても、社会が無価値だと判断しても、私たちは道端で拾った石ころを磨いて磨いてダイヤモンドにだってできる。

――その答えに到達した彼女たちを見ていると視界が滲んでしまう。

自分が土くれだと認識することはどれほどに辛いことなんだろう。そしてそんな自己を「私は受け入れられる」と「あの世界は本物だ」と肯定できることは如何様な逡巡があったんだろうか。

 そんな気持ちを想像させるような、胸を打つシーンであった。

しかし当該シーンは時間にしても、描き方にしても、さらっとしている。これだけでは分からない人には本当にわからないし、リ ク ツは理解できても皮膚感覚では「ふーん、そうなんだ」と言った読後感になってしまう事もありえよう。

「真贋の価値」はこれ一つで長編の物語を描けるほどに深いテーマであり、実際にそんな作品も数多くある。逆に言えば、時間をかけて描かないと臓腑に染み込んでこない類のものでもある。

リクリエイターズはそこが雑ってわけではない。ただ共通理解として組み込まれている作品なのだと思う。

視聴する我々が――虚構と現実/噓と本物の二項対立の超越について――すでに理解があり、短いシーンの中でもちゃんと紐解ける、つまりある一定の解凍能力を前提としているということ。

先のメテオラに加え、煌樹まみかとアルタイルについてもそうだ。彼女らはキャラクターなれど、己は「設定」に縛られる存在ではないと自己言及する。

アルタイル「余は君たちを含むすべてを斃す。斃して斃して、すべてが消え失せるまで斃す。これこそが、余が此処に立つ理由だ」

まみか「それは彼女があなたに与えたただの物語じゃないの!? それはあなたをしばるものじゃない!」

アルタイル「君はどうなのだ。物語の軛(くびき)から解き離れて尚、愚劣な偽善者の仮面を身に着けている、君は

まみか「…違うよ。私はたしかにそう決められた主人公だった。でもこの世界へ来て変わった。私はこの生き方を選んだんだよ。この世界へ来て、いろんなものを見て、アリスちゃんやあなたと出会って。私はもう一度 “マジカルスレイヤー・まみか” になろうって、そう決めた」

アルタイル「余もそうだ」

アルタイル「この世に打ち棄てられた彼女。そのような役割に彼女を振った無慈悲な物語こそ余は決して許さない」

アルタイル「筋書き如きに忠義を尽くしているのではない。余が決めたことだ」

――Re:CREATORS 8話

 

本来なら “その” 気持ちに至るまでを描かれなくては二人の気持はよくわからない筈だ。設定に縛られる自分がいて、でもそんなことは自分が自分であることに何ら関わりがないと決意する心の往復があるこそ、8話のシーンは輝くのである。

しかしやはりそんものはない。

答えに到達したキャラクターがいるだけで、過程はMP4ばりに圧縮し「君自身がデコードしてね」と言わんばかりだ。

これでは被造物たちの心の機微についていけない読者が一定数いるだろうし、『Re:CREATORS』は読者の解凍能力に依存した物語なのではないかと考える理由である。

私が序盤に感じたメタフィクションに馴染みのない人でも…は誤りで、実際はメタフィクションに慣れ親しんでいる人向けの作品なのではないか? 

そう考えるとこの極端なまでに結果しか描写しないのも頷ける。

 

いいぞもっとやれ!いいえやってくださいお願いします!(早く最新話見ないとワクワク)

 

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