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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

「年を取れば涙もろくなる」とは一体どういうことなのか。

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「年を取れば涙もろくなる」これは一体どのように説明すればいいのだろう?

この言葉は「取るに足らない出来事でも年をとる事で泣いてしまう」といったもので、ドラマティックでもなんでもない味気ないワンシーンだったとしても、ぼろぼろと涙してしまうことがある。そういったことを指しているのかなと思う。

そしてその原因が「年をとる」である。なぜ?なぜ年を取ると涙もろくなる? この現象が今まで私には分からなかったし、実感としては薄っすらと感じることはあっても一体どのようにして「それ」はなるのか検討がつかなかった。ましてや「祈り論」で説明できるとも思えない。

しかし最近、自分の中でここに納得のいく答えを導けたので備忘録として書き記したい。

結論からいえば「物語によって些細なシーンでも人は感動するようになる」ということ。ここでいう"物語"とは、日々の暮らしの中で起きた同僚との口論から失敗談、あるいは海にいって泳いた記憶、二人でファインダー越しに笑いあった写真を取ったときの嬉しい気持ち、そういった「出来事」諸々を指している。

そういった"物語"を人は絶えず生成し、時間を経過すればするほどに尋常じゃない量となっていく。なぜならある一定区間を切り取ったものが物語であり、生きているだけで私たちは物語を綴っているのだから。そういう考え方。

そしてこれが作品鑑賞する上で、援護射撃のように働くのだろうと考える。

例えば、我が子を抱いたときの感触や感動を覚えていればある映画で子供が生まれたときのワンシーンに(例えそれがありふれたものだとしても)見ている人にとっては心を打つシーンになるかもしれない。例えばスキューバダイビングの経験があれば『あまんちゅ!』を見て海の冷たさや、怖さ、美しいと思えたあの実感を当該作品に重ねて涙することがあるかもしれない。

――つまり「年を取れば涙もろくなる」というのは、「生きていれば絶えず生成される『自己内の物語』によって、ある作品で表現された陳腐で、クリシェで、ありふれたワンシーンだとしても『自己内の物語』を媒介に感情を昂ぶらせる事」なのではないだろうか。

であるならば、ある作品のあるシーンが取るに足らないものだったとしても、ある人にとっては忘れがたい映像になるというのは想像に難くないし、そこで涙してしまうというのも十分ありえるように思う。

老人のほうが若人よりも経験(=自己内の物語)があるし、それが作品鑑賞時に有利に働くのが当該現象だと考えれば個人的には納得できる。もちろんこれは現実の出来事のみに限らず、ゲーム、漫画、小説といった「フィクション」でも同様の効果は期待できるように思われる。

未確認で進行形』のラストEDを見ていたら『AIR』の影絵を思い出し涙腺にきたり、『ヒカルの碁』で伊角さんとの一局にSAIを見出してヒカルが泣いてしまったように、『はつゆきさくら』での河野初雪で復讐にキュリオの言葉*1が接続したりする。それは初雪にとってなんの慰めにもならないし、きっと綾なら静かに怒る類のものだろうが。

そういうふうに。

そういうふうに観測者の『自己内の物語』によって様々なシーンは肉付けされ、時に感情を励起/倍加させていくのではないだろうか。

(了)

 

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*1:「世界はとってもいいところだよ。憎んで過ごすにはあたしたちの命は短すぎる」――キュリオ/果つることなき未来ヨリ