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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

2016年を振り返るマイベストエントリー

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2016年に書いた約100記事から私が好きなものを選んでみたいと思います。「そういえばこんなのも書いたなあ……」と一年を振り返るだけの記事。

 

 

批評と創作はある一点において

批評と創作はある一点において本質的に同じである。(1812文字) - 猫箱ただひとつ

 

とても好きな記事。創作と批評は何のために存在するのか?――私が提示する数多の内の一つの答えとして「心の中に眠る物語をよりよく紡ぐため」というもの。この説明で「わかる」と首を縦に振る人は、お友達になりたさしかないです。

関連→なぜ批評は創作物と同等に扱われないかというと - 猫箱ただひとつ

 

 

 

視点取得・限界

物語における『視点取得限界』を考える(24463文字) - 猫箱ただひとつ

 

プレイヤーの視点取得限界の高低はそのまま「物語の見方」に直結するというお話。その"限界"はプレイヤーに限らず、キャラクター、物語も同様ではないか?ということも語ってます。

さりとて私たちは独我論的世界にしか存在できないんだよって言われれば「そりゃあね」としか言えないんだけどね。いやそりゃそうだろ……でもそれって結局は極論でしかない。程度問題と考えれば独我論的世界にいようとも「取得」の境界線はやはりあると思うので、思案するのは有意義だとも思ってます。

 

 

 

Charlotteの作品談話

せっかくなのでアニメ『Charlotte』の作品対談をまとめちゃいます(19013文字) - 猫箱ただひとつ

 レイシアさんとCharlotteについてお話した記事。ひとつひとつのトピックで一本記事書けるくらい面白いものと個人的には思っているんですがどうでしょうか。(とうとうCharlotte放映から一年が経過し二年目に差し掛かっているこの事実!時間の流れ早すぎます)

 

 

 

レビュアーと返り血

レビュアーは返り血を浴びる覚悟がなければならない。しかしそれを自覚したレビュアーほどやめていくのだ(2305文字) - 猫箱ただひとつ

 レビュアーは作品を評価しているようでその実"評価される側"であり、そしてレビュアーを評価する者もまた"評価される側"という円環構造で、そこに気づくと辛いよねという記事。

関連→読者と作品の関係は、アーチャーと衛宮士郎の剣戟と、どこか似ている

 

 

 

去人たち&考察

『去人たち』考察―精神病者は踊り狂い、傍観者は去っていく―

これが私の全力の去人たち読解であり、 有瀬と歌穂を殺すつもりで書きました。『Ⅰ』についてはあまり文量割けませんでしたが機会を見て加筆したいですね。兎にも角にも「殺す気」でやるとモチベすっごい高まるのあれなんなんだろう。私の場合は「物語そのもの」や「キャラクター」だとすごく燃える。

物語を殺すお話って語ったことあったかな?

関連→殺すつもりでゲームをプレイするってこと。東方永夜抄の妹紅を殺すってこと -

 

 

 

 ネタバレされると楽しみがなくなるとか冗談でしょ?

「ネタバレを過剰に気にする人は作品の筋(すじ)しか楽しみ方を知らないのでは?」と問われれば、(8825文字)

「ネタバレされる楽しみがなくなる」ことについての思案を形にしたかった記事。ちなみに私は↑を踏まえても「ネタバレされるの嫌派」なのをここでさらに強調しておきましょう。

 

 

 

 

 アニメを楽しく見たいなら

アニメを楽しく見たいなら誰かと感想を共有するのをやめればよかったのに(pixiv漫画への感想)

これも一つのスタンスだと思うんですよね。

 

 

 

 2015年エロゲ総括

2015年にプレイした27作品から選ぶおすすめエ口ゲ

『シュガースパイス』のいちゃらぶを我々は忘れない。

 

 

 

 

作品批判はいらないという意見こそが要らない。

「根拠のない作品批判がいらない」は心情的に理解できますけど、「作品批判がいらない」というのは全部の作品を褒めるってこと?それとも褒める以外は口をつぐんでいろってこと?そういう盲目的な「作品批判批判」に苛ついていた頃の記事。

結局これって「作品を批判すると俺が傷つく→だから見たくない」ってだけなんじゃないかと私的に思っていたり。

 

 

 

 原作を批評することそれはアニメ化

「アニメ化」とはつまり原作の批評行為なんじゃないか?(Fate/stay night)

 

 今年は個人的に「批評」をどのように定義づけるかの年だったなと思います。で批評を↑のように定義すると、無味乾燥した言葉が輝きを持つようになると。つまり批評とは「ある物を語る」で、それはその実創作と変わらない営為だよね? ではなぜ私たちは「ある物を語る」のかと言えば「心からの願いの百貨店」にあるものをこちら側に運び出そうというものであるならば? あるいは「物語の最果て」に到達するためのであるならば? もしくは「魔女と賢者の語らい」であるならば? 「この世の風穴をあける為」ならば? そういう様々な概念にリンクしていくのがうおお……と唸ってました。

今年ここらへん分かりやすく記事にできたらいいですね。

 

 

 おすすめって難しくないかな!

おすすめするのは難しいし、おすすめされるのはとっても嬉しい(3749文字)

おすすめが難しいのは「相手のことを理解」しないといけないから、という記事。ではその指針になるのは「相手の好悪」であり、いろいろな作品に対しての「評価」を知っているとおすすめは容易くなるはず……。多分。

例えばこのブログならば 「エロゲリスト」「2016年にプレイしたエ口ゲ総括」を参照すると、私の好みやどういう部分に反感を抱いてどういう部分に興味を示すのか分かるのではないかなと思います。そういうのを知っていると、ある作品を薦める場合、それは果たして有効か否かの判断の正答率は知らないよりは高くなるのではないかと。

なんにせよ「作品の好悪/評価の理由を語ったページ」があると相互理解に一役買うので、普及してくれればいいのになとふわふわ思ってます。

 

 

 美しい物語

結城友奈の視点とCARNIVALの視点が交錯する時、「美しい物語」を語ることの意義が見えてくる

語ることの営為ってここらへんが起点なのかなって。

 

 

 

おわり

 ということで私自身が好きな2016年の記事でした。なにかお気に召すものがあれば幸いです。

それではまた。