猫箱ただひとつ

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アニメを見ない生活 on ICE!!!

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そういえば最近アニメを見ていない。

夏アニメ終了時からアニメを見る敷居が時間的に気持ち的にも高くなって、「このままだと今期は見ることはないかも」と周りに話していたが、なんだか実現してしまった感じである。

敷居は高くなった、と言ってもアニメ1話(25分程を見れないくらい余裕がないわけではないし、視聴できない程に精神が不調なわけでもない。ただ以前よりは減った程度なのだけど、でもまあ見なくていいかなと。他にやりたいことあるし。という感じですーっと手を引くような。そういうの。

数年前にも「アニメを見ない」時期があったので、私的に珍しくはなく、なにかインターバルみたいなものがあるんじゃないかなと思っている。そしてその期間が今回訪れたのだろう。

そして今まで週9本前後視聴していたのだけど、アニメを3ヶ月近く見なくなって分かったことはそれって"重っ"かったんだなーと分かるわけ。私の環境だとそこまで抱え込むとリソースがカツカツになってヒジー状態。視聴できなくはないけど視聴しようとすれば"頑張る"意識が必ずどこかに出てくるのがちょっとまずい。

前々から分かってたけどね。でもなるべく多くの作品を見たかったので。抱えるだけ抱えていたのだった。そしてそこから一度離れてみると「ああ、やっぱり重かったんだな」って実感するわけで。

今はなんだかすごい軽い。楽ちん。

 

  ◆

 

どこで読んだのか忘れてしまったけど、ずーーっと前にこんなお話があった。

「アニメが我々の人生と同等の価値を持つのならば、アニメを視聴するということはとても辛い行為になる。いくつもの"現実"を取り込んでいき、その"人生"の一つ一つに一喜一憂する。それは心が満たされることもあれば、同時に大きくすり減らす要因にもなりえるだろう」

と。

私も同じようなことを延々と言葉にしてきた人なので、よく分かるお話である。けれど私は「プラス」の面だけで、「マイナス」の面を描いたことはなかったなと思う。言われてみればその通りで、物語を一つの人生と見做すとき、それはある種のストレスになりえるのだろう――ということをアニメを見なくなったこの時期に思い出した。

ああ、なるほどねって。納得できる。

物語を単純な娯楽と割り切る分には問題ない。時間を潰すだけのツールで、同僚とコミュニケーションを取るための玩具と見做しているならば無関係だろう。でもね、SCE_2で言及されるように「人の精神を囲って返さない」という経験をしたならば簡単に、理解できる、感覚だろう。あるいはナツユメナギサの老樹真樹のあの言葉を思い出してもらえばいいし、魔女こいにっきにおけるジャバウォックが求めた物語の最果てだって構わない。 

って考えると「物語許容量」みたいなものが存在するかもしれない。アニメ(=物語)をある種の現実、ありえた可能性、人生と同価値と見做す場合に、いくつの物語を受け入れられるのか(量的に)。そういう概念。

これがあると仮定するならば、物的・精神的リソースがあっても「物語を受け付けない」状況が起こりえるかもしれない。そして許容されるシーンまで"読む"ことは停止される。

(今回の私の場合はリソースと物語許容量の問題、半々って気はするが) 

 

  ◆

 

さて。余裕が出てきたのでとりだめていたものを見ようということで見た『ユーリ!!! on ICE』。やばい。楽しい。っていうかユリオ可愛すぎだし、スケートアニメーションの気合の入り方が尋常じゃないし毎話面白すぎなのでこの作品絶対人気になっているやつだ。

 

 

ナツユメナギサ
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