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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

『無職転生』ルディの思考様式が興味深く、かつ上位レイヤーからすればそれは親切すぎるくらい親切

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『無職転生』が連載していた頃(途中から)リアルタイムで追いかけていたのだが、長期的に更新されない時期をきっかけに読まなくなってしまった事がある。

それから無事に「連載完結」したとは聞いていたけど、タイミングが中々合わなくて今までずっと放置していた状況から一転。最近また空いた時間にちょくちょく読み始めている。(一般文芸だと区切りがつけにくいけど、1話1話区切られているweb小説はさくっと読めるのがいい)

で2014年に読んでいた頃と比べると、今読むと気づかなかった「ルディの思考様式」が興味深いなと思ったのでメモしておきたい。

*第二百二十五話をまだ読んでいない人はネタバレ注意

 

ncode.syosetu.com

 

ルディの物事の捉え方-無職転生

 

ルディは自分の想像とは違う事態が起きると、「自分の枠組み」から抜けだそうとし、事態の把握につとめる。

相手が怒ったのならばそれは相手の宗教の規則に触れてしまったからか? 相手が襲ってくるならば彼にも彼なりの事情があるのではないか? そういう基本的なことから「もしも~ならば」と仮想した世界を創りあげ相手の状況を探ろうとすることもよくある。

常に自分本意の考え方から遠ざかり、一歩引いた視点で相手を捉えようとする。

それは第二百二十五話「何を迷う事があるのか」で、クレアを審問の中で切り捨てた夫・カーライルについて思考するところから読み取れると思う。

 

 切り捨てた。
 切り捨てたのだ、この男、自分の妻を。

 いや、だがクレアのあの態度が日ごろからのものであれば、
 日々カーライルが苛立ちを募らせているのであれば、
 こうした場で、カーライルが切り捨てるのもおかしくはないのか?

 俺だったら、エリスがどれだけ乱暴で問題を起こしたとしても、切り捨てたり見捨てることはない。
 長年の夫婦生活で、相手のダメな部分に嫌気を指すことがないとは、絶対にないとは、言い切れない。
 だが、切り捨てたり、見捨てたりは無い。

 

――無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第二百二十五話「何を迷う事があるのか」

 

ルディは、クレアとカーライルの立場を「自身とその妻エリス」に置き換えて、クレアとカーライルに起こったことを把握しようとする。もしも俺がカーライルの立場だったら、と。

また時系列とは逆行するが、クレアがゼニスに対する非道についてクリフ先輩との会話の時もそれは伺えるだろう。

 

「もっとも、クレア女史も少し混乱しているのかもしれない。いきなり娘がああなったんだしな。自分の子供で想像してみたら……わかるだろ?」

クリフは俺を諭すように、そう言った。
 一緒に怒って欲しい気持ちはある。
 だが、クリフの立場からすると俺サイドから聞いただけの話だ。
 冷静に、向こうの立場で考えているのかもしれない。

 俺も少し、考えてみるか。

 自分の子供……。
 ルーシーが……というのはまだ想像しにくいな。
 ノルンあたりにしておくか。
 ノルンが成人式と同時に旅に出て、やっと帰ってきたと思ったら廃人状態。
 それも、よく知らない男との子供と、血の繋がっていない妾の子供に連れられてくる。
 確かに混乱する。
 なんとかしなくちゃと思うだろうが……。

――無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第二百十九話「ミリス教団本部」

 

そういったやり方が常に最善の道を行くわけではないが、ルディはこの方法を頻繁に行う。できるだけ「自己」寄りの考えではなく、対案を出したり、否定したり、類推し、1つの主張を出したら別の主張を提示するように「自己」から外れた思考を採用しようと試みるのである。

またヒトガミ絡みで、ヒトガミの行動を追おうとするときルディは自身が考えられるあらゆる方策をスケッチしていくのも、これの延長線上なのかなと思う。出来るだけ「1つ」の思考に囚われないようにする。

そしていつだって「考えても仕方がない」「考えるのはやめだ」と思考を打ち切るのだ。

これは彼なりの思考様式が相対的なものなので、泥沼にハマりやすく(絶対的な答えが見つからず絶対的な答えを採用しない)それを理解しているからこそ途中で思考を打ち切ることも多いのかなと思える。

違う言い方をするなら、ルディの思考って常に「他者視線」に晒され続けているようでさえある。誰かに見られているから、ちゃんとしよう、自分本意な意見を採用するのではなく俯瞰的に捉えて冷静に判断しよう。俺頑張るよ。みたいなそんな感じを受ける。

仮想的な自我を置いて、そこに話しかける描写が多いような?

ルディは現世界の(この時分)では22歳だが、彼のルーツは人間世界での34年間のニート生活なので、そこらへんが彼の今の考え方に強い影響を与えているのかもしれない。

常に世間の視線に晒され、自分の立場を周りと比べ、家族から厄介者扱いされ、そしてトラックに轢かれて死んだ。その胸中はあまりあるものがあるが、そういった環境は「他者の視線」を強くさせ、育んでいったのかもしれない。

あるいはルディがそもそもそういう性質の人間(先天的特質)で環境因子は関係ないとか、あるいは元世界のフィードバックが今のルディを作ったのかのかなと色々考えられる。無職転生の初期のルディってどんな思考していたっけな。あとで確認してみよう。

 

 

 

上位レイヤーからすると?

 

でそんなルディの思考様式を文面化されたものを読む上位レイヤーの私からすると、「すごい親切!」という印象が強い。

先にも言ったようにルディは人を判断するとき、多面的に捉える癖があるので、一面的に相手を見ない。ある事実からそくしてAが「冷たい人間」だと捉えられたとしよう。しかし「いやいや待てよ。これは俺とエリスが◯◯時における関係ではないのか」とAについて別の見方を置いていく。

これは多面的に物事を見る補助線になるのかなと考えられる。これは視点取得を育む立場なら学童期にすすめられる作品であり、その意味で親切だなと思うのだ。ただ本作は「無職34歳男性」というファクターが前傾するものなので、これについて面白そうだと思えないと手に取らないだろうなとも思う。10歳頃ってこういう要素に惹かれるかと言われれば……私の経験だと無理な気がする。(こういう負の要素よりも正の要素に興味がかられるんじゃないか、という先入観がある)

逆に言えば『無職転生』はルディによる補助線があまりにも多いので、たまに鬱陶しい時もあり、あまり読者に考えさせてくれない作品とも言える。「今のこれはこういうことだったのかもしれない」とか「クリフはこんなこと考えているのかな」といったように考えは阻害され、親切すぎることが弊害になってしまっている。

(とはいえ別に問題というわけではなく、そういう作品のベクトルだなあと思った次第)

ルディの考えすぎて、自滅していっちゃう感じ結構好き。

 

 

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