読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

読み専がいるように書き専もいる。ならば

批評全般
スポンサーリンク

f:id:bern-kaste:20160724014119j:plain

 

これいつのネタだっけ、みたいなネタを成仏させよう。

 

読み専とか書き専

 

「読み専」――つまり作品を読むことを専門にし、それ以上の行為を作品に対して働きかけない人々をそう呼ぶ。彼らが「読む」ことだけに留まるのは様々な理由があるが、創作することが大変な労力を伴う行為だからこそ中々創作に手を出しにくい、あるいは創作に手を出してみたが読むことのほうが楽しいから読むことを積極的にする人達なのだと認識している。

そして昔々に「書き専」だと公言している人がいてびっくりした思い出がある。つまり作品を書くこと"だけ"を行っている人々を私は想定していなかったし、創作者というのは大なり小なり他作品を読んで自身の作品の血肉にしたり、単純に娯楽のために読むこともあるだろうと考えていた。けれどそうではない場合もあるらしい。他作品を読まず、自分の作品だけを書き続けようとする者がいるのだ。

それはなんていうか面白いなと思った。そしてこうも思った。

読者と制作者の分岐点は、単なる個体の志向なのではないか?と。

創作者の才能がありながらも読者のままで居続ける者もいるだろうし、読者の才能がありながらも創作者で居続けようとする者もいるだろう。創作することに向かないけど創作することが好きな者もいるだろうし、読むことに向かないけど読むことが好きな者もいるだろう。

当たり前といえば当たり前だが、「やりたいから」やっているだけで、それに向いているかどうかは関係ない。「求める」から求めているだけだ。単なる志向で人々は読み専になったり書き専になったりするんじゃないか。

なんでこんなことを考えるかというと、「評論家は創作者になれなかった者だ」みたいな考え方がある。つまり優れた作品を作れたなかった者が、そこからドロップし、創作で得た知識経験を生かし作品を評する職業についたのだろう。評論家なんてそういう職業だ。みたいな主張なのだと思う。

私も昔々は、半分くらいはその主張に同意していた。そうかもしれないね、くらいには頷いていた。評論家の役割がよく分かっていなかったからというのもある。

しかし「書き専」という存在を知ったときから「違うのではないか?」と思い始めた。いや確かにそういう人もいるかもしれないが、評論で飯を食っている人は評論をしたくてしているだけじゃないのか。別に創作なんて興味もわかないし楽しくもないからしないだけなんじゃないか。作品を読み、読み込み、読み解き、自分しか打ち出せない独自の視点を提示することに深い感動を覚えるから評論家をやっているのでは? と。

読者と制作者の分岐が――市場で認められる程の実力があるかはこの際どうでもいい――単なる個体の志向なのだとしたら、そういうことも十分にありえよう。

 

(ネタ成仏・了)

 

 

関連しそうな記事・批評

 

eroge-pc.hatenablog.jp

eroge-pc.hatenablog.jp

eroge-pc.hatenablog.jp