猫箱ただひとつ

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両手が崩れ落ちる感覚をもう思い出せない、からってその気持ちも忘れちゃうんですか?

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以前、私には「両手が崩れ落ちる」感覚を幻視できていた。それは手首から肉片がめくれて血がどばどばと流れだす時もあれば、砂のように両手がさらさらと崩れる時もあった。肘の先からなにもない感覚だけがあった。

これは、別にしたくてしていたわけじゃないけどそういう心理状況だったのだ。そういう気持ちを抱えながら生きていたし、欠損を抱え、鬱屈を抱え、損失感に悩まされていた。いろいろなことが失われて、いろいろなものが亡くなっていた。辛かった。だから余計にそんな想いを燻らせていたのかもしれない。

でもそんな体感も嫌いじゃなかった。

これはこれで"生きて"いるんだなと思えるから。

 

ぼくらはこうしてそれぞれに今も生き続けているのだと思った。

どれだけ、深く致命的にうしなわれていても、どれほど大事なものこの手から簒奪されていても、あるいは外側の一枚の皮膚だけを残してしまってまったくちがった人間に変わり果ててしまっても、ぼくらはこのように黙々と生を送っていくことができるのだ。手をのばして、定められた量の時間をたぐりよせ、そのままうしろに送っていくことができる、

日常的な反復作業として。

 

――ぼく/スプートニクの恋人

 

だからか『スプートニクの恋人』のこの文章は好きだったし、人生上に起こる様々な欠損への接し方をうまく表しているとさえ思う。

でも、だんだんその感覚を思い出せなくなってきている。

あの頃の感覚が風化してきている。それはいい兆候だし、あんな精神状態手放したほうが絶対にいいし、原因がなにかは分かっているし、もちろん取り戻す必要なんてない取り戻す意義もないものだけれど、でもやはり寂しく思ってしまう。

もうあの頃の私と今の私は別人であり考え方さえも共有しづらくなってきているのだなとしみじみしてしまう。

『ONE~輝く季節へ~』のみさき先輩の「あるよ。もちろん」の言葉は今の私では違う反応を返してしまうだろうし、『CARNIVAL』のコールタールのような闇もうまく呑み込んでしまえるかもしれない。それくらい「両手が崩れ落ちる」感覚はどこかに行ってしまった。

 

 「それとも、自分が過ごしたあの時間は、もう昔……
過去のことだから、どうでもよくなっちゃいました?」

 

――???/Hyper→Highspeed→Genius

 

 

そんなつもり、ないんだけどね。

……

でもこういう過去の感傷に「寂しさ」や「心残り」や「センチメンタル」を感じなくなるのは「自己」にさえ固執しないことの現れだからいいとは思う。過去の自分にさえ執着しすぎなんだよね。

きっとね。

 

 

「結局、今過ごしている時間がどんな時間かなんて、その時は分からない」

「過ぎ去って振り返ったときこそ、見えてくるものがあるんじゃないか」

「だから、とにかくやりきってみるしかないんだと思うけどな」

「自分と、懐かしい人たちに報いるために」

 



――河野初雪/はつゆきさくら

 

 

 

 

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