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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

ノルン+ノネット1話。自我形成後の名前消失

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 気になるところだけ書き出していく簡易感想。

 

 

自我形成後に名前を失うということ

 

 こはるという少女は「あまりにも誰にも名前を呼ばれなかった」ため自分の名前を忘れてしまったのだという。それは記憶喪失とは異なり、単純に自分の名前を使う必要性がなくなったために忘却してしまったのだろうか。

自我形成後に――両親が亡くなった(?)のは3歳以降の背格好のように見える――名前を失うというのはどういうことなのか? すごく興味が沸かないだろうか。私はとても気になる。

『名前』というのはあまりにも当たり前すぎて、そこにあるのが当然で、普段なら絶対に考えないがもし『名前』がふっと消失してしまったらこの『私』はどうなってしまうのか。私は私じゃなくなってしまうのかもしれない。『名前』が私を私として繋ぎ止める"留め具"のような役割を果たしていたのかもしれない。

 

イメージがあるのだ。

 

自我形成後に名前を失うというのは、一度形成された自分という個体を液体にするような感じだ。存在強度が低く、薄く、儚い。そんな流体に成り下がるイメージ。"個"体という意識が希薄なんだ。そんな感じ。

自我形成前ならなんてことない。最初から名前を与えなければ当人は"私"という個体識別すら認識せず、認知しないまま生を営むだろう。まさしく隠者たらん存在。けれど自我形成"後"はそうもいかない。育まれた自我は名前という留め金を失うことで薄くなろうとも、奥底に残り続ける。でも幼少期の自我って第二次性徴期あたりのものと比べるとかなり「弱い」ためどうなんだろうねという気もする。発狂するのかな。第二次性徴期あたりだと発狂するイメージが私にはあって――ある程度自分というものを獲得してしまったら"最果ての荒野"で人は生きていけないから狂うしかなくなる――ただこはるの場合は「旅人」という他者が後に介入しているため事無きを得たのだろうか?……

 

んー……と、なんだろうなこはるという少女はなんか「変」なんだよな……。一話時点での彼女の情報は「誰かに名前を呼ばれない長い期間があった」「旅人という人に出会った」なんだけど、それにしても自我がちゃんと形成されている点がおもしろい。例えばセンヤが家(部屋?)から一歩も出ず「僕達はいずれ敵同士になる」という発言で"驚く"。ノルンという船の事情、乗っている住人の事情、そういうものが全く分からない(はず)の彼女がいちいちこういうことに驚くのが、違和というか不和を覚える。彼女にとってここの住人は合った瞬間から「仲の良い絶対に裏切らない敵にならない」そういうふわっとした期待・イメージが前提になければこういうふうには驚かないと思うからだ。

カケルはこはるを「純粋」と評する。こはるは「私は純粋ではない」と指摘する。カケルの価値観からすれば「純粋」だと評するのもわかるが、私の見え方からすると名前を消失している人間にしては純粋の度合いが低すぎるような気もしてしまう。

キーは「旅人」だろうか。

 

――1.名前を消失する(=他者から自身を必要とされない環境)――――――――――《《《――――――2.旅人に出会う――――――3.ノルンに乗る

 

(1)の期間と(2)の出逢い。そしてその出逢い後の接触期間の長さによってこはるの名前消失後の自我形成の在り方が決まってくるのだとしたら(と私は考えている)、こはるという少女はどういうふうに生きていたのかな?と考えを巡らせてしまう、、、なと思う。

 とはいえ、そう見ていくと「こはる」の自我が特別稀有ではないなとも思っている。ずっと(おそらく)他者と触れ合ってきたカケル達と比べれば、一旦は名前を失う環境にいても「旅人」なる他者が後に現れたとすればあまり深刻的なものにはならなかったんだろうな。となればそんなこはるは彼らからみればやや純粋な人間のように映るだけだろうなとも思う。

  

 

ノルンノネット感想

 

やや唐突な感じを受ける。一話は物語の流れが早いわけではないけれど、バテン時の話の流れがつながっているようで繋がっていない印象を受けてしまった。ただこれは私が眠い状態で視聴したからかもしれない。見返してみたらそんなことないという結論に至ったので眠気は関係なかったかも……。2話を見ることはないと思う。いや保留にしとこう。

ゲームのほうはノベルゲーム原作だってのをさっき気づいたのでそっちのほうはやってみたいかもしれないです。私の好みは宿吏暁人さんですねはい。