読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

なぜ批評は創作物と同等に扱われないかというと

スポンサーリンク

f:id:bern-kaste:20160215213316j:plain

これの続き。

参照→批評を批評することの必要性(一億総評論家から創作家へ

 

上記記事で「批評文物にさらに批評が加えられないのは、批評が創作物として認められていないから」だと語りました。

自己の価値観を絶対のものだと信じてやまない安易な規範批評、欠点だけをあげつらう批判、ただの誹謗中傷から、新しい視点を切り開く作品批評……そういった質の高低に限らずあらゆる批評にも本来さらなる批評行為がされてもいい思いますが――中にはしている人もいるでしょうが――現状では「創作物」として扱われているコンテンツと比べると無いに等しいでしょう。

いわば批評文物だけ甘やかされている状況です。

 

なぜ批評文物が創作物と同等に扱われないか

 

で、なぜなのかと考えると単純に「楽しく」ないんだと思います。

 

・Aアニメ→Aアニメの批評

こは多くの人がやっていると思います。それはきっとAアニメに「何か語りたくなる」だけのエネルギーがあり、言葉にするだけの価値を視聴者にもたらすからからでしょう。

 

逆に

Aアニメ→Aアニメの批評Aアニメの批評の批評

 の数が少ないのは、批評を書くだけの楽しさを『Aアニメの批評』は提供出来ないからです。

kanon』を見ると「真琴かわいー><「秋子さんの一秒了承キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」「約束とは一体何なのだろう?」「奇跡の在り処」「kanon問題」とかいろいろ語りたくなりますが、そこらへんの『kanon批評』を読んだところで「あの批評で語られていたことは……」と言葉にしたくなるか、考察したくなるか、と考えればしないでしょう。

どんなに世界構造の真相を鮮やかに書き綴ったkanon批評も、アニメ『kanon』が見せてくれた映像美・奇跡の意味・視聴する楽しさと比べれば見劣りしてしまうし、さらに批評っていうのはいわば「説明」するための文章であって「芸術体験」をもたらす文章ではないわけです。故に一文一文に解釈の余地はほぼないですし、深堀だって叶わない。

いいとこ批評者の過去の批評を参照して語ることや、批評者が作品批評する上で生みだし育んだ"自己文脈"とでも呼ぶべきものを指摘するくらいでしょう。

 

見た人の心を揺さぶり掻きむしってくるアニメ(映像作品)と、それを解説するだけの批評文物ではやはり「面白さ/楽しさ」に歴然の差があるように私は思ってしまいます。

 故に「批評文物に対してさらなる批評」が加えられない現状もさもありなん、といったところでしょうか。そりゃつまんないことに人は熱中しませんものね。

 

『批評家の言うことを決して聞いてはいけない。これまでに批評家の銅像が立てられたためしはない。』

 

という言葉があるそうですが、個人的に納得しちゃうんですよ。これ。でもそれでもいいんじゃないかと、批評は所詮原典の従属物扱いでも私は一向に構わない派です。原典より価値のある批評なんて存在しなくていいですし、存在することは叶わないでしょう。

一部の界隈では凋落した『批評』の復興を目指そうとしているみたいですが、その批評が対象とする作品"以上"の価値を持たすことが出来なければ望みは薄いだろうな、と対岸から眺めてます。

 

関連記事

  1. 「俺が見たかった物語はこれじゃない」作品批判はめっちゃ楽なんだよね
  2. 批評を批評することの必要性(一億総評論家から創作家へ)
  3. 『良質な読者』
  4. アニメブログ&まとめサイトが過剰にやる考察ってただの「今後の展開予測」だよね?…
  5. 『良い批評』を定義する
  6. 我々はライター買いはしてもライター批判せずにいられるか

 

 

 

Kanon メモリアルエディション 全年齢対象版