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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

アニメブログ&まとめサイトが過剰にやる考察ってただの「今後の展開予測」だよね?……

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*一応伏せ文字にしネタバレ配慮はしていますが『Charlotte』未視聴の人はご注意を。

 

 

1)アニメサイトの「考察」に違和感を覚えていたので

 

アニメブログ&2chまとめサイト(以下アニメサイトで統一)が記事タイトルに掲げる「考察」もといその考察内容に違和を覚えていたので書き記そうと思う。

Charlotte』の時に強く感じていたのだけど、彼らが行っているのは確かに考え察するという意味で考察だとは思うのだけれど終始「今後の展開予測」だけに留まっているのが気になる。(ネタバレの為ぼやかす言い方にするが)実は妹は◯◯でないとか、サラは◯◯能力者で最終回にこういう展開が待っているとか、OPの歌詞が◯◯だからこの結末になりそうとかそういうのが多い。

基本的に彼らが行うのは「クイズの答え合わせ」をするだけで、それ以上のものはない。解釈行為が今後の展開で描かれるかどうか、合っているか合っていないかに集約されるだけであり、それが作品考察といわれるとやはり首を傾げてしまう。

言葉の意味場というのは、辞書的な意味に加え当人の環境や経験や知識によって意味が加えられていくものだということを分かりつつもである。ネットの海に蓄えられているゲーム版kanon考とかONE考とかリトバス考察を読むと "ここでいう" 彼らの今後の展開予測に終始する記事と違うのは一目瞭然である。

何が違うのか?―――それは当該作品が「どう見えるか」に解釈行為が集約されているかの違いだ。マルクス主義・フォルマリズム・内在的批評、まあ批評方法は何だっていいけれどこの場合の「考察」は「これはいかなる物語だったのか?」を導くものであり、それはスタンスや当人の視点によっていくらでも千変万化する「答えがないものを答えようとする」在り方である。*1

もちろんアニメサイトの中にも先述した「答えがないものを答えようとする考察」を書く者もいるが、この記事で対象にしているのは2chまとめサイト&それに近いアニメブログが過剰に行う「物導語展開という名の『答え』をき出そうする考察」を指している。

 

アニメサイトがタイトルに「考察」と掲げ、その内容が「クイズの答え合わせ」であるならば――そのサイトに発信力があればるほど――それを読んだ者は段々とこう思うだろう。

 

アニメ考察とは今後の展開予測をすることで、クイズの答え合わせするものだ

 と。

 

そんな意識に変えられていくのも無理はないし、アニメサイトの今後の展開予測記事に影響された層が『Charlotte』の放映終了時において「◯◯が☓☓の能力者だったならもっと面白かったのに」「ラストで友利奈緒が乙坂有宇についていってあげたほうが泣けたのに」「7話の必要性がわからないのでここ削除して△△を挿入しよう」と話すユーザーが多く見かけられたのもそのためだろう。要するに『Charlotte』が描きたかったものを無視し、あるいは考えず、あるいはそんなものがあるとすらも思わずに自分が楽しめる展開だけを欲する。いわばこれも作品が<従>になっている状態だとも考えられる。

興味深いのが、Charlotte放映中はさんざん考察考察考察を叫んできたアニメサイトは本作が放映終了したとたんCharlotteの考察記事は一切書かかない事だ。

 

???

 

作品考察って作品が完結した後に行う意識が私は強いんだけど、ここで言及してるアニメサイトはそうではないんだろうな。作品全てを包括した考察は全くせず、話数単位にとどまるものしか手を付けようとしない。

それは楽だからということもあるだろう。しかしこの事実は「今後の展開予測&クイズの答え合わせ」の意識しか彼らの「考察」という言葉には込められていないのではないだろうか。実際どうなんだろうね。

それが良いか悪いかと言われれば正直私にはわからないが、ただ思う所はある。以前に込められていた意味は破壊され今後は前述したようにやせ細った意味合いに少しづつ、でも着々と変わっていくのだろう。SEOとそれに群がる者達によって(私もまた例外じゃないだろう)今後確実に考察の意味が劣化していく*2のでないだろうか。

 

 

2)今後の展開予測が【退屈の毒】いうことを理解しているんだろうか?

 

考察という意味合いが変化していくことに私は現時点で良いも悪いも判断せず保留という立場だ。

ただ「今後の予測展開」については否定的であることを語ってみようと思う。

 

実際、物語を予測することでどんな楽しい事が待っているのだろうか? 一体全体物語展開を言い当てることでどんなハッピーな事が起こり、どんな面白いことが私たちに沸き起こるかと言われれば無い。

展開予測は「楽しいからする」のではなく、思考する材料が集まるってるから組み立てられるものを組み立ててしまう自動的なものであり、自分の予測が当たれば他者にどうすごいでしょ?と威張れるから予測するだけであり、PV収集目当てに記事タイトルに「考察」と冠したい者が安易に付けたいだけに過ぎず、物語の予測は「楽しい」とは無縁の代物というのが私の考えである。

むしろ今後の展開予測はであるとすら思っている。何故なら――いやこんなの言われなくても分かると思うけど――予測した展開が当たったら「やっぱりか」と思うだけでそこにワクワクドキドキするような体験なんて待っていない。当たった!という一瞬の快楽はあるかもしれないが、訪れるのが分かってる出来事が訪れたことを確認する行為はただむなしいだけだ。

例えば『Charlotte』のOP・EDアニメーション/歌詞をたよりに最終回までの過程と結末を3話の段階で予測しきってしまったとしよう。となれば4話以降は自分の考えが当たっているかどうかがその人の視聴のポイントになり、そして最終回を迎えて自分の予測通りに物語が展開されていったとなればそれは既に知っている物語をもう一度見るのと変わりなく、例えはじめて見る作品でも過剰な予測のせいで視聴が【退屈】に感じられても不思議ではない。少なくとも一度目は誰にでも訪れる「一回性の体験」をその人は自ら放棄しているのである。

つまり今後の展開予測なんてものは、作家論と変わりなく未来の物語を自ら簒奪する行為に他ならない。それが自分だけではなく他者にまで範囲が拡大しているとなれば――web上にその予測を公開するのであれば――その行為は諸手を上げて肯定できるものでもないだろう。

参照→いつまで作家論なんてやってるの?

 

これがギャルゲーだとあんまり見かけないのは、ギャルゲー作品は既に完結作品であり展開予測をする必要性がないからだ(例外有り)。だからこの媒体の考察は「作品全てを包括したもの」が占めるし、それを書こうとするためか濃い記事が多い。

けれどアニメの殆どは一週間に一度放映される媒体だ。次話まで「一週間猶予」があるからこそ「今後の展開予測」を繰り広げる余地が出てきてしまうし、それ故に「アニメを考える」とはイコールで今後の展開予測と結び付けられてしまう。

ただそれらは当該作品がネット上で盛り上がる導火線として機能することもあるので(作品提供側としては話題になることは喜ばしい事だろう)一概に私はそれが全て悪いと思っているわけではない。

ただ『Charlotte』のように「今後の展開予測をするに適さない作品」にまで話題性があるからといった理由で手を付けられ、過剰に予測され、過剰に期待を上げられたユーザーが、勝手に裏切られて憤慨する様子は理解に苦しむというのも本音だ。

参照→Charlotteがこんなにも文句言われるだなんてお姉さんびっくりだよ

 

何にせよ「物語の展開予測」がいかなるもので、それが自分にとって益体のあるものなのかどうか一度考えてもいいと思う。

言うまでもなく私にとっては不必要なので、まとめサイトに連なる今後の展開予測アニメ記事は一切読んでない。世の中には「ネタバレされて嬉しい人」ともいるそうなので、そういう人はそのような記事は好きそうな気がする。

 

ちなみにこの記事を書く契機になったのはHavさんのツイートで。

 

 

 

以前から私もこのへんを考えていたのでなるほどと頷いてしまった。

 

 

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*1:監督主義者?……ああそんなのもいったっけな…

*2:SEOによって「考察」「書評」「レビュー」の意味が劣化したという仮説