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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

つまらないアニメを見た時、つまらないと感じた責任はもちろん「視聴者」にもある

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ってことを年単位でやってきたわけですが、最近辛いなあって思ってます。

 

 

1)その作品がつまらないのは、自分のせいでもある

 

ある作品を見てつまらないと感じたとします。なにこの駄作、つまらん、ありえない、そう嘯きながら全ての責任を当該作品になすりつけようとします。

しかし周囲を見渡せばその作品を面白いと言っている人はいて、それも絶賛していたり、感動していたりする。

 

この時、ようやく気付くのです。

 

自分はつまらないと感じたけど、それを「おもしろく」思う人も存在することを。そしてその作品は私にとってつまらなかっただけという事実を目の当たりにするのだと思います。

その作品を見た人の視聴時のスタイルに問題があったり、感受性や共感性が摩耗していたといった能力の問題に帰結する事もあるでしょう。あるいは「ナナミ課題」がうまく出来なくなってしまったのかもしれませんし、視聴したタイミングがストレスフルでうまくのめり込めなかったなどの環境のせいかもしれません。

参照→「このアニメ展開もう見飽きたよ」という知識の非可逆性を乗り越えるためにできること

 

そんなふうに、ある作品を見てつまらなかった理由が「作品」だけになることはなく、「視聴者」にもいくらかの責任が伴います。

つまらない作品は=その作品がつまらないのではなく、つまらない自分が見たからつまらなく感じられてしまった可能性も留意しなければいけません。

参照→どれもこれも詰まらない作品ばかりだ、って言ってしまうのは(4182文字)

 

誠実なレビュー・感想というのは、ここの部分をちゃんと踏まえているものだと私は考えます。じゃなければ、執筆者はあまりにも「読者」の自覚がなく受容理論の理解もない、益体のない記事になるのではないでしょうか。

 

 

2)でも、これ辛いわけです

 

と言いながら私もまた『天体のメソッド』は面白いか?と問われればそんなことないと言いたいですし、『アトラク=ナクア』が名作かと問われれば冗談はその顔だけにしてくださいと思いますし、『水月』が良作だという声にはもちろん反対しつつ『DarkBlue』を冷めた目で見つめ返したいです。

正直、私自身のせいにまでしたくない作品はいくつかあります。

 

 

水月 ~すいげつ~
エフアンドシー (2002-04-26)

 

――しかし一連の作品にそういった「感想」を抱いてしまったのはその作品による部分もありますが、けれどいくらかは確実に私自身のせいでもあるんです。

テンプレートストーリーだと感じたのならば、それを「テンプレート」だと思ってしまうほどにそういった作品群を読み続けてきた私のせいであるし、もっと昔に読めていたのならばもっと当該作品を楽しめただろうとか思っちゃうわけです。

何かしらの感受モジュールが自分にはなくてその作品のきらめきを感じられなかったとか思っちゃうわけです。心にゆとりが無いときに見てしまったせいで感動が半減してしまったんじゃないかとか思っちゃうわけです。

少なくとも私はここ数年そういう気持ちであらゆるアニメ・ゲームに接していて、つまらない作品だと感じたらその責任を自分にも背負い込む。いくらかでも、少しでも、というふうにしてきました。

 

でも最近「それ辛いよね」って思ってます。

 

そう辛いのです。明らかに同情の余地のないつまらないつまらない作品にまで、私自身のせいもあるよねなんて思うのは苦痛です。そうまでして私はその責任を背負わさなければいけないのかな……と思ってしまう時があります。

 

逆にいえば作品に全ての責任押し付ける方が楽ちんなんですよ。

 

こんなにも駄作で時間の無駄だと思えるのはその作品自体に問題があるわけ! 論理構造がぐちゃぐちゃで魅力的なキャラクターもいないんだからつまらないのも当然!!私にも原因がある? なわけないでしょないない。一ミリもないよ

 

 

そう言い切ってしまえれば、「その作品がつまらかった責任」を背負い込む辛さはなくなるでしょう。

とても不誠実で、アンフェアですが、それでもこの辛さはなくなる。作品を安易にくさして辛口レビューをし始めちゃうかもしれないくらいに心が軽くなる。

 

でもそれは…

 

 

舞「それは弱い考えだもの」

舞「そんな弱さ許せないそこだけは戒斗と一緒だよ

舞「私は友達を諦めるような弱い人間になりたくない」

 

 

――仮面ライダー鎧武

 

 

なのかもしれません。

 

高司舞が友人を切り捨てる事を否定し、難しい道を選択したように、作品に全部の責任を押し付ける行為もまた「弱い考え」でしかないのかなって私は思います。

 

「自分にも責任がある」と思わないレビュアーや視聴者が私は嫌いで嫌いで大嫌いで、すぐ作者のせいにしたり監督のせいにしたり脚本のせいする人々を嫌悪していたからこそ――だってそれは弱い考えだもの――「その作品がつまらなかった責任は自分にもある」というスタイルを取った経緯があります。

だから、例え辛くてもそういう流儀が理想だと思っているのなら、憧れてしまったのなら、これからも前向いてこれを張り続けるしかないのかもしれない。この考えが危ういのは実利ではなく"憧憬"をキーにしている所なんですよね。辛いのならやめればいいのに。

 

なんというか、作品に誠実であろうとするればするほどそれなりの負荷がかかるなあ……って思うこの頃です。というかそういうことを言いたい記事でした。

 

  ◆

 

最後に。

皆さんはつまらない作品を見てしまった時、そのつまらない理由を「全て作品のせい」にしますか? それともすこしくらいでも「自分にも」その責を背負い込ますか?

 

と投げかけて終わります。一度くらいは考えてもいい話題なんじゃないでしょうか(了)

 

 

このアニメ記事もどうぞ

 

 

Charlotte考察―もう僕たちに奇跡は必要ない― - おすすめを猫箱に

 

 

 

 

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