猫箱ただひとつ

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知り合い、もしくは好きな人が突然亡くなった時『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹)の言葉を思い出す

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ダンス・ダンス・ダンス

 

ここでいう「好きな人」というの恋情とは限らない。尊敬していたり、憧れていたりする「好き」も含まれているし、例え一度も喋ったことがないような縁遠い人でもその人のことを好きだと思うのならば「好きな人」でいいと思う。

そんな好きな人、もしくは知り合いや友人が突然亡くなったとき私は『ダンス・ダンス・ダンス(村上春樹)の"僕"のセリフを思いだす。

 

人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。
だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。

公平に、できることなら誠実に。


そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。


個人的に。

 

――僕(ダンス・ダンス・ダンス)

 

 

これは13歳の女の子"ユキ"が人の死に対し泣いた時に、"僕"が言ったものだと記憶しているんだけどかなり昔に読んだので自信はない。

でも正直そこはどうでもいい。大事なのは、"僕"の言葉に身につまされるものがあるということだ。私は亡くなった人に敬意を持って接していただろうか? 誠実に、思慮深く、幸福なコミュニケーションを築けていただろうか? と考えると自信なんてない。むしろ不誠実な対応を何度かしていたことを思い出さずにはいられなくなる。

さらに一度も喋ったことがない人や、テレビの向こう側の有名人が死去したとき安易に悲しんでいる私は一体何様なんだ?……という気持ちが膨れ上がっていく。

ほんとうに(ほんとうにさ)その人との人生を共有していない自分が、その人に対して何かしらの気持ちを抱くことが不誠実なような気がしてならない。死んだからなんだっていうんだ……死んだから……もうその人の活躍ぶりが見れないからどうしたっていうんだ……。今までその人と時間も何かも共有してきてない何の関わりを持ったことがない私が泣いたり同情したり後悔していいはずなんてない。

 

もしそんなことをしていたら、あまりにもひどすぎる行為ではないのか……。

 

そういう「時」だけ涙して、好きな人が「死」を迎えた時だけ胸に去来するものがあるなんて、とてもじゃないけど許せそうにない。何かが間違っているとさえ思えてしまう。

関係が浅かろうが深かろうが、縁が薄かろうが遠かろうが、人生の時間を共有していようがいなかろうが、私は、本当はもっと他者に対して悔いの残らないように誠実に生きるべきなのだ。好きな人であるのならば尚更に。自分の立場から出来ることをせずに簡単に悲しんだりするのなんて正直嫌だし、私は私に対してもそうしたほうがいいと思っているけどやっぱり難しいのかな……うまく出来ている気が全然しない。全然しないよ。

 

  ◆

 

今振り返ってみれば、この "僕" の言葉は人生に限りがある事を皮膚感覚として理解している者の発言だなと思う。理屈ではなく実感として。腹の底に落ちている人間の言葉だ。

 

最近、そんなことを考えていた。