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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

「ゲームと現実は区別しなくてよい」という考え方をあなたは受け入れられるか?

ギャルゲー SCE2 フロレアール
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(筆者が書いたらくがき)

 

表題の考え方は正しいだろうか? あるいは受け入れられるか? あるいはSCE_2か? メタルギアか? はたまたフロレアールでForestでいろとりどりのセカイとでも言うつもりなのか。

しかしそんなことはどうでもいい。大事なのはそういった考え方があることを知り、そこから何が大切かを選びとっていくことである。

 

*ADV『フロレアール』の深層を絡めて語りたいので、ネタバレを気にする人はご注意。

 

 

1)ゲームと現実は対立しない

 

私たちは現実の在りようをそのまま直視することは出来ない。

何かしらの想念によって必ず阻まれ、濁され、置いて行かれてしまう。もちろん意識してその在りよう "のみ" を見つめ続ける事は可能だが、多くの人間がしているか?出来ているか?と問われれば現状の通りだ。出来てはいないのだ。

仏陀が悩んだように、それを為すことは衆生にはとても難しく、例え方法論を示したところで理解することを放棄するだろう。当然か。喜び、快楽、そういった感情を捨てろというのだから――人間らしさの最上位に置いている者達にとってより――首肯させることは難しすぎる。

例えば目の前にリンゴがあったとしよう。その鮮やかな真紅の果物をみつめて、まるで血のようだとか、美味しいんだろうか? しかし何故ここにリンゴがあるんだ? そういえば一ヶ月前に隣人がアップルパイを焼いてくれたことがあったな―――と様々な想いを頭の中で巡らせることになるだろう。そしてその時、私たちは目の前のリンゴに一ミリも注意を払っていないのである。例えば真冬に外へ出かけたとする。そしてその寒空のあまりの肉を刺すほどの冷たさに「そういえば  "こんな寒い日は生きている感じがするでしょ? 自分の肉の輪郭がはっきりするからさ"  と彼女は言っていたっけ」と在りし日の想い人を思い出してしまって苦笑したりもするだろうし現実に存在しないものを見つめていることに気がつくだろう。例えば台所でゴキブリを見つけてしまい悲鳴をあげてしまったとする。けれど何故悲鳴をあげたのだろう? そこにいるのは、ただの生き物で、虫にすぎないのに、「何故ってゴキブリは気持ち悪いからだよ、あいつらの外形は嫌悪を催すものだからさ」と答えるかもしれない。しかし「気持ち悪い」と思うのは、あなたが創りだした感情に過ぎないし皆が皆ゴキブリを「気持ち悪い」と思うわけでもない。あなたがそういうふうに観測したから、そういうふうに感じるだけなのである。例えば将来料理人になりたいと願った子どもが居る。しかし彼はまだまだ未熟でとてもじゃないけれど今の調理技術ではどこも雇ってはくれないだろう。それは彼の年齢がどうの法律がどうのという話ではなく、彼の能力では「今料理人にはなれない」という事実がそこには立ちふさがっているのである。しかし彼は夢を見る。十年後の将来の自分の姿を描き、そうなれたらいいなと思っている。でもその思い描いた夢は、もちろん現実ではない。現実にはまだなっていないし、これからそれが実現する保証もどこにもない幻である。幻を見ることは現実を見ていないことだ。

 

そんなふうに現実の事象を見ているのに、けれど我々はどこか違うものを見て、違うものを感じていることが多々ある。

何を見ているのだろう? 

それは観念であり虚構であり、想念であり幻想。フィクションであり御伽話だ。現実にはなく存在しない全てであり、目の前のリンゴ、寒空という状況、ただの虫、現実の自分、それらを一瞬一瞬意識から取り外してはここではないどこかにピントを合わせてしまっている。一瞬一瞬意識から外して虚構を見つめしまっている。これは人間が抱く感情さえも、現実の事象とは程遠い事を示している。

そんなふうにして我々は虚構と現実を行き来しながら生活し、夢とか希望とか恋とか愛とか胡散臭い(そしてそれは現実には存在しない)代物を"あ"ると思って生きていたりする。イデオロギーと倫理によって構築された概念をさもあるかのように信じているし、燃やせばゴミになるぺらぺらの紙がぺろぺろキャンディと交換することに何ら疑問を抱いておらず、幻想の貨幣経済を躊躇なく利用している。歴史を振り返れば人間は「夢」という得たいのしれない虚構を信じ、大量虐殺から民族大移動、国家の確立などさまざまにそれらを現実にし、あるいは現実を虚構に落としこむことだってし、芸術はその最たるものであり、物語はそれに準じるものであり、あらゆる芸術は現実を媒介にして接点を持ちながら生まれてきた。

虚構と現実―――この2つは本当は対立しあってはいない。相互に干渉し、関係しているものだ。つまり、私たちは『陰』と『陽』の2つの世界を同時に見ているということであり、その2つの世界を同時に生きているのである。

ならば、ゲーム(陰)と現実(陽)との区別をする必要もまたないのかもしれない。だって、ゲームもまた現実から生み出されたものであり、現実はゲームという虚構で、2つはぐるっと回って円環になっているからだ。

もちろんこの考え方が現社会に馴染むとは到底思わない。きっとこれを読んだ人は「程度こそが問題なのである」と突きつけてくるだろう。

虚構に"行き過ぎ" 振りきれてしまった人間がいれば、社会とうまく折り合いをつけられない―――だ・か・らこそ社会で生きる者からすればそういった連中に忌避する感情を抱いてしまってもおかしくないのだと。現実の一線を超えて虚構を持ち込んだ社会不適合者は害悪であると言うに違いない。

しかしこれは何も虚構だけではなく「現実」もまた"行き過ぎれば"社会と折り合いがつけられなくなることも考慮しておくべきではないか。現世の快楽を全て捨て、家族も恋人も捨て、事象そのものをその一瞬一瞬を知覚し体験する者もまた社会的な生活は出来ぬよ。出家っていうのはそういうことでしょ。

大切なのは「ゲームと現実を区別する」のではなく、「ゲーム(=フィクション)と現実、その2つから何を得ていくかを選択し続けること」こそが重要だと『フロレアール』は語った。

私たちに必要なのはそういった「区別」という考え方を飛翔する視点であると。

参照→フロレアール考察―我々は二項対立を超越せねばならない―

 

しかし、そういった二項対立を飛び越えたとしても、その飛び越えた先でまた別の二項対立に絡め取られることになる。言語とはそういうものだし、言語なくして思考できないし、あらゆる思考は二項対立を介すものだからだ。

人間はその言語Systemの中でがんじがらめになったまま生き続けるしかない。

しかし「超越し続ける」ことは可能である。超越した先がまた別の対立しあった思想だとしても、そのたびに何度も何度も「超越し続ける」ことが出来るのならば、区別しても無意味なことを区別しようとする"独り遊び"から脱却することは可能だろう。

そうそれはつまり「観瞑想」であり、ED・初夏でジャン・ロータルが「心の中を内攻する負」の対処法を人類はいち早く見つけなければいけないといったものだ。

観瞑想―――それはまさに「二項対立を超越し続ける」ことでありもっと言えば「言語によって世界を観るSystem」をアンインストールする方法でもある。常に見たものを見たままに、聞いたものを聞いたままに、感じたものを感じたままに世界を感覚するのであれば、想念によって生じる「苦悩」も消失し、もちろん「喜び」もまた"サティ"によって消えてなくなる。

そして"サティ"を常日頃、毎分、毎秒できるのであれば、"独り遊び"からは完全に超越できるだろう。あらゆる懊悩から自由になれる解脱にゃー!

 

 

「 妹だからって独占できると思ってないか?
    よせよせ。リアル妹は。他の男とデキて大好きな
    お兄ちゃんのコトなんか一瞬で忘れ去るもんだぜ
    その点、2次元妹だったら絶対に
    お兄ちゃんを裏切ったりしないにゃー」

 


――美柴可憐(らくえん~あいからずなぼく。のばあい~)

 

 

「弾薬が足らなくなったら、俺のをやる!」
「あんたの弾は?」
「心配いらん」


「無限バンダナだ」

 

――スネーク、雷電メタルギア2サンズ・オブ・リバティ)

 

 

ねぇ、ケヤキ
どうした
私達が空を目指してたのってどうしてだったのかな
空を目指していた?
……ずっと空に居たのに?
うん……
最期なのに、なぞなぞか
……
そうだな
夢を見ていたのかもしれない
空はどこまでも広がるのに、おれたちは縛りつけられていた

……自由になりたかったの?
自由?
少し違うな
抑圧されたかったんだ。ルールに
……そう
じゃあ、今度こそお別れね
おやすみ、ケヤキ

ああ、

 

 

――ケヤキサザンカSCE_2)

 

 

ジャン 「ところが、これもまたレトリックの遊びなんだな。ここでの『それなり』は『結構旨い』って意味なんだ。いや、これが終わりなんじゃないぞ。この『結構』は、今度は『かなり』を意味する。さ、ここまでできたら判るだろう? この次には『すごく』あたりがくる。いやはや、こういう風にして演繹的に無限に意味がエスカレートしていく。僕はこれを修飾語の無限級数的用法って呼んでるんだ。ほんと、言葉の世界って奥が深いよな」

メルン「あの……ご主人様、何言っているんですか?」

    
――フロレアール

 

 

 

おわり

 

もちろんこの考え方に絶対的な答えなんてない。

だから問おう。

 

あなたはゲームと現実をどのように位置づけて、どう考えどんな答えを出すのか? と。

 

よければ答えていって欲しい。

 

 

 

 

 

フロレアール すきすきだいすき
メーカー13cm/原画あんみつ草/シナリオ元長柾木/ うつろあくた(シュート彦)
 

 

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