猫箱ただひとつ

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好きな作品(=うみねこのなく頃に)が不当な扱いを受けていると、「記事書かなきゃ…」と思ってしまう

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うみねこのなく頃に』の不当な評価

 

うみねこのなく頃に』の世間的な評価があんまりよくない。それも本作は名作中の名作と言って過言ではなく「これが受入れられないならこんな市場は間違ってる」と私は本気で思っています。

ゲーム版『うみねこのなく頃に』のラストシーンが「ああなっている」ことが腑に落ちなくて不満持っている方って結構いっぱいいるんですが(Amazonレビューしゅごい/(^o^)\)、そんなの既に劇中内でほのめかしてましたよね? 分からなかったというのはちょっと自分は考えられなくてどういうことなのかなと思ってます。

でもそれさえもどうでもよくて、私が思うのは「本作のラストシーンが投射する莫大な熱量」を感じられなかった人がこんなにも大勢いることがすごく悲しいです。肯定派も歯切れが悪いですし、最初から最後まで絶賛している人ってあんまり見かけません。嘘だといってよベアト。私は大絶賛だよ。こんなにも素敵な作品ってなかなかなくて、プレイ終了後ノベルゲームやってて本当に良かったってぐずってしまってました。

……人には作品との相性があるので、受入れられない人がいくらかいるのは当然なんですが「この評価のわれ方」は個人的にはめっちゃ不満です。

 

そしてこういう時――好きな作品が(私的に)不当な扱いを受けている――私の立場からの意見を書かなくては!という衝動が生まれます。

これは否定派を納得させたいとか、否定派を肯定派にさせたいという気持ちなんて正直無いんですよね。だって無理ですもの。(実感が伴わない)言葉で作品評価は変わらない―――というのが私の持論ですから。

参照→言葉の世界で行なわれることは、ただ正しいだけ

 

誰かの言葉で作品評価を変えるくらいなら、もう一度視聴してその時に感じた自分のクオリアを信じた方がいいと思いますよ。おそらく批評の役割って「再視聴に向かわせる」ことができれば万々歳なんじゃないですかね。そしてそれ以上は求めても仕方ない気がします(脱線)

そうじゃなくてですね、特定の派閥、特定の個人に向けて発信するというよりは、よくわからない曖昧な「空気」みたいなものに反抗しようとしている感が自分にはあります。そういう空気が出来て、そういう空気の則り、「あの作品はああいう作品なんだ」という共通理解(プレイもしていないのに!)が醸成していくのを黙って見るのが嫌なので反逆しなきゃいけない。

――痛くねぇのかよぉ!?
――その痛みに反逆する!

こういう反逆的衝動って私だけに訪れるものじゃなく、わりと多くの人に抱く気持ちなのかなって思うんですけどどうでしょ?

 

   ◆

 

私ならばブログを主な情報発信場所にしているので「記事を書く」という選択になりがちですが、Twitterを主軸にしている人は「つぶやく」という行動にでるのかなと思ってます。

水面に映る月にいくら小石を投げても、空にうかぶ月になんとも影響がないかもしれませんけど、やはりそういう気持ちを拭えないので、そろそろ『うみねこのなく頃に』が素敵な部分を言葉にしていきたいなーとは思ってますが……本作はある一部分を「言語化」することを拒絶しているので(私も言語化したくない)ので、うーんどうしようかなあと悩みます。

 

 

(参考)

 

 

ちなみに、PC版のほうは上記2つを購入すればOKです。

 

関連→2014年にプレイしたギャルゲー18作品を振り返る